03-05 馬車の旅路(3)



 ニコルは孤児だった。


 両親の顔は覚えていない。物心ついたときには養父であるギデオンの暮らす教会にいたし、両親の遺した物は何もなかったから、〝親〟と言われれば養父のことだと思っている。


 ニコルとギデオンの暮らしていた町が魔族達に襲われて、二人だけが生き残った。それはナターシアが結界に覆われる前のことで、当時としては珍しくもない話だった。


 ――あいつらに、魔族達に心なんてない。人に近い姿をしていながら、全く別の生き物だ。


 それがニコルの養父の口ぐせだった。


 ニコルの町を襲った魔族のことを、ニコルは覚えていない。ただ、町を包んだ紅色だけが脳裏に焼き付いている。それが夕日だったのか血だったのか、炎だったのか全く別の何かだったのか、今となってはもうわからない。


 養父は時折、魔族によって住処や家族を失くした人々の元へ慰問に訪れ、できる限りの支援をしていた。それにいつも同行していたニコルは、魔族に対する恨み言を耳にする機会も多かった。


 ――あいつらが全部奪ったんだ。


 ――返して……あの子を返してよ……。


 ――私に力があれば、魔族なんて全員殺してやるのに!


 繰り返し繰り返し聞かされた呪詛のような言葉の数々は、まだ幼かったニコルの心を絡め取った。他人のものだったはずの憎しみは、いつしか自分の炎と変わってしまった。


 魔族を許してはならない。

 奴らを根絶やしにしなければならない。

 そうでなければ、人を守れない。


 そんな考えに支配されるようになったのは――一体いつからだったのだろう。


 ニコルが最年少で司祭になったことで、あいつは天才だと囁かれることもあったけれど、ニコル自身は違うと思っている。幼い頃から養父に憧れてついて回り、学んできた。始めるのが早かった分、到達も早かっただけのことだ。


 空気の冷たさを感じてニコルが薄目を開けると、辺りはとても薄暗かった。風の音と虫の音、それから二人分の寝息が微かに聞こえる。とても静かだ。


 自分が眠ってしまっていたことに気が付いて、ニコルは咄嗟に抱えていた杖を握りしめる。しかし同じ馬車に転がる魔族の少女は無防備な寝顔を晒しているし、御者台に座る男性も寝入っているのか身動き一つしない。もう一人、御者台に座る女性もまた、御者台と荷台の間にある柱に背を預け、ぼうっと空を眺めたまま動かなかった。ほっと息を吐いて杖を握る力を緩める。


「……」


 サァ、と風が強く吹いた音がして、木の葉の擦れる音が続いた。雲が途切れたのか月明かりが馬車に注いできて、ニコルは少しの眩しさを感じる。


 夜の光が青い影を女性の体に落としている。昼間は力強さを感じる橙色の髪にも透き通るような青色が混じり、すらりと長い手足の縁は淡く光って見えた。仄かに光が灯った薄く艷やかな唇にニコルの視線が吸い込まれる。


「――もうちょい寝ときや、少年」


 不意に声をかけられ、ニコルの心臓は跳ねた。自分が彼女に見惚れてしまっていたことに気がついたからだ。彼女は魔族だというのに。魔族なんかに。彼女は帽子で魔族の特徴を隠しているから人に見えただけだと、ニコルは己に言い訳するように考えた。


 動揺を必死に押し隠しながらニコルは視線を床へと移動させる。


「ここ数日まともに寝とらんやろ? これから戦いに行くんやから、ちゃんと寝とかな体がもたへんぞ」


 ――そんなこと、言われなくてもわかっている。


 ニコルが答えずにいると、女性が息をついた気配がした。


「そうツンケンせんと仲良くやろうや。敵の敵は味方って言うやん?」


「……あなた方の味方になった覚えはありません」 


 口は突き放すような言葉を紡ぐけれど、ニコルはそんな自分に苛立ちを感じてもいた。魔族は全て敵だ、と心の中で誰かが言う。人を殺した奴らを許すな、と。


 ――でもさ、それは私やカルラじゃないよ。


 それに反論するかのような昼間の少女の言葉が、耳元で響いた。


 ――人間にだっていい人も悪い人もいるでしょ? 魔族もそう。悪い魔族だけ見て、魔族は全部敵って言うのは違うんじゃないかなー……。


(うるさい。聞きたくない)


 ニコルは強く目を伏せると、座り直して毛布に身をうずめた。耳を塞いでしまいたいけれど、己の内から響く声には意味をなさない。


 少女の言葉はきっと正しいと、本当は頭ではニコルも理解しているのだ。ニコルの傍でスヤスヤと気持ちよさそうな寝息を立てているこの少女も、先日言葉を交わした魔王も、御者台に座る女性も、魔族でありながら心は人のそれと変わらないのだと。


 けれどそれを認めることを許してくれない何かが心の内にある。それが何なのかはニコル自身、理解できてはいない。


 もう少し休もうと目を伏せてみたが、ざわついた心はなかなか静まってはくれなかった。



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