03-03 いざ、アルカディア王国へ(2)



「ねえねえニコル、しばらく休暇なんだって?」


 聞き慣れた声が背後から聞こえてきて、ニコルは不機嫌さを隠しもせずにゆっくりと振り返った。けれど声の主はまるで気にしていないような表情で歩いてくると、何度もニコルの肩を叩いた。


 赤茶色の髪が太陽の下で光っている。タレ目がちの瞳も同じ色だ。長身の彼の隣に立つとニコルの背の低さが際立つので、できれば並びたくはない。司祭用の服ではなくシャツにカーディガンという格好であるところを見ると、彼も仕事中ではないらしい。ニコルも今は私服だ。


 ニコルは青年の手をパシリと払い除ける。青年――ラースはやはり笑顔のまま、今度は腕をニコルの肩に回してきた。ニコルが眉をひそめてもラースは楽しそうだ。ニコルは諦めて息をついた。


「おかげさまで、二週間も休んでいいそうです。こんなときに僕に休暇など与えてどうするのでしょうね」


「ええー、なにそれ最高じゃん。俺なんて今日休んだらまた仕事だよ。代わってよ」


 ラースがため息混じりに言う。出会ったときからこうなので、ニコルには今更どうこういう気も起きない。信仰心もなければ慈善活動への興味もないこの男は、司祭をただの職として捉えているらしい。曰く、食うに困ることが一番なさそうな職業だ、と。滅私奉公などという言葉は彼の辞書には無いのだろう。


 ――魔族による被害報告が増えている中、出動を命じるならまだしも休暇? 平和ボケしているにも程がある。こうしている間にも魔族に苦しめられている者がいるかもしれないのに、休暇だと?


 そんなことを考えていたら、ラースが「ほれ、眉間のシワ。いつもの笑顔はどうした?」と言ってニコルの眉間を押した。ニコルはまた無言でその手を払い除ける。


「あんまりストレス溜めるのもどうかと思うよ。ここんとこ、あちこちから呼び出されっぱなしだったんでしょ?」


「それはそうですが」


 ナターシアに接する町の調査を終えて戻ってから、ニコルは教団の幹部だけでなく国王や宰相にまで呼び出しを受ける羽目になっていた。


 理由はもちろん、魔王に会って話したことを上に報告したからだ。この十数年、ナターシアが結界に覆われていたことで、魔王の情報はほとんど何もないに等しい状態だった。その上、魔王と相対して無傷で生還した人間など過去の歴史を紐解いても存在しない。


 ニコルの話が信じ難いのは理解できるとしても、何度も何度も方々から同じ内容を尋ねられればニコルでなくともうんざりするだろう。むしろ三ヶ月もよく我慢したとニコル自身は思っている。


 各地の被害報告を聞かされるだけで王都から出してもらえず、あちこちから呼び出され、ストレスを爆発させかかっていたニコルに、この地の司教が言ったのだ――少し休んでこい、と。しかしニコルが欲しいのは休暇ではなかった。


「司教様も、どうせなら被害地域に飛ばしてくださればよいのに」


「……俺、お前の勤労意欲だけは一生見習えないわー」


 若干引き気味の表情でラースはニコルから体を離す。


 この気持ちを勤労意欲とは呼ばないだろうと思ったが、彼とは議論するだけ時間の無駄のような気がしてニコルは先の発言を黙殺した。魔族のせいで困っている人がいて、自分にできることが何かあるならそれをしたいと思うだけだ。かつての養父のように。


「せっかくの休みなんだから、意中の女性とデートするなり旅行するなりしなよ」


「そんな人はいません」


 ニコルは横目でラースを睨みつけた。教義で禁じられていないのをいいことに、頻繁に恋人を変えているらしい彼と一緒にしないでほしかった。心底不愉快だ。ラースはつまらなさそうに肩をすくめてから、またニコルの肩を叩いた。


「それはそうと、お互い休暇なんだし食事でも行かない?」


「嫌ですよ。どうして僕が」


「同期のよしみでしょ? ねっ」


 同期と言っても司祭になったタイミングが同じだというだけだ。年齢も出身地も何も共通点がない。戦闘中だけは頼りになるのだが、強引すぎる上に軽薄なこの青年がニコルは苦手だった。


 食事を断っていたはずなのになぜか食事の前に書店にまで付き合わされる話になっていることに、ニコルはまた眉間にシワを刻んだのだった。



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