03-03 いざ、アルカディア王国へ(3)



「うわあ……っ」


 二階建ての広い室内が本という本で埋め尽くされている光景に、私は歓声を上げた。建物に入ってすぐ目に入ったホールは、物語で見たダンスホールみたいだ。中央に二階へと続く階段があり、階段の下からは二階も一階も広く見渡せる。


 アルカディア王国一の書店だというその店は、王都の中央部に建っていた。


 社会見学だとカルラに王都を連れ回されて女神像やら市場やらを見せられたあと、ようやく案内してもらえた書店は期待以上で、私は走り出したい気持ちを抑えるのに必死だった。てっきりナターシア近くの町に連れて行ってもらって終わりなのかと思っていたのに、遠く離れたアルカディア王国の首都にまで連れてきてくれるなんて、カルラには感謝しかない。


「お嬢、万一はぐれたらそこの柱の下で合流しよな」


「うんっ」


 店内案内図を見てから、小説が陳列されているらしい二階へと駆け上った。カルラに渡すはずだった欲しい本の一覧を片手に、ずらっと並ぶ背表紙を眺めていく。もともと買うつもりだった本が好みそうかどうかを確認しつつ、他にも良さそうな本があれば買うつもりだ。装丁が好みな本とか、表紙のイラストが可愛い本とか、ああいっぱい欲しい。全部欲しい。本棚ごと買いたい。


 数冊手に取ったところで買い物かごを持ってくるのを忘れた事に気がついて、辺りを見回した。すでにカルラの姿はないけれど、後で指定された柱の下に行けば会えるだろう。


 確か階段を昇ったところにかごが置かれていた事を思い出し、私はいったん通路から顔を出して――見たことのある人物と目があった。


 その人物はぎょっと目を見開いてから早足でこちらに歩いてくると、私を本棚と本棚の間に押し戻す。


「どっ、ど、どうしてこんなところにいるのですかっ!?」


「ニコルこそ、どうしたの?」


 前に会ったときのような司祭服は着ていないけれど、それは間違いなくニコルだった。藍色のシャツに黒のズボンを履いているところを見ると、プライベートかな?


 ニコルはぱくぱくと口を開けたり閉じたりしたあと、慌てて通路から周囲を見回して、もう一度私の方に向き直った。


「僕は同僚の付き合いで来ているだけです」


「私は本の買い物だよ」


「そんな事を聞いているのではありません。魔族がこんな王都まで来て何をしているのかと聞いているのです」


「いや、だから、買い物だけど……」


 ニコルは思いっきり顔をしかめると、苛立ちげな長いため息を吐いた。前に会ったときよりだいぶ刺々しさを感じる。おかしい、ゲームでのニコルはいつでも穏やかに笑っているニコニコキャラだったはずだ。トゥーリと二人、癒やし枠だと思っていた。誰だこれは? その名前はシャレじゃなかったのか?


 ちょっと気になったけれど、まあいいか。ニコルを見たら、そんなことより聞きたいことを思い出してしまった。


「そうだニコル、ルシアが今どこに住んでいるのか知らない?」


 なんでもカルラによると、ここ数ヶ月の間にルシアの住んでいた町の住人は兵士以外全員引っ越してしまったらしい。強い魔獣が増えてきたことによる安全のための措置らしいけれど、ルシアに別れの挨拶もできなかった。できればもう一度会ってオススメの本を聞きたかったのに。


「ああ、彼女とその家族なら、僕の管轄区域の町に移って頂きましたよ」


 ……ほう?


 まじまじとニコルを見る。ゲームの時間はまだ先だし、ニコルがルシアへの恋に落ちるのはずっと先のことだと思っていた。でも自分の管轄区域に引っ越しさせるなんて、もしかしてもう好意を持っているの? 心配だからそばに置いておきたかった、的な?


「……なんですかその顔は」


 ニコルに軽く睨まれたけれど、私はニヤケ顔になってしまうのを抑えられない。


 こういうの! こういうトキメキの展開を求めていたのだ!


 魔王になるはずだった私が未来の聖女と仲良くなってどうするのだと思っていたけれど、よく考えれば彼女と攻略対象達の恋愛を間近で眺められるチャンスがあるということじゃない? ルシアが誰とくっつくかはわからないし、私としてはトゥーリを応援したいところだけれど、俄然楽しみになってきた。


 私はにこにこしながらニコルの肩を叩いた。


「ルシアが気に入って近くに置きたかったわけだね、ふふふふふ」


「……恋愛脳、ウゼェ……」


 辛辣な舌打ちが聞こえた気がしてニコルを見る。彼は突然にこりと穏やかな笑顔を返してきた――あ、いや、違った。頬に青筋が浮いている。


「何か勘違いされているようですが、そういう意図はありませんよ。引越し先にアテがないと仰ったご家庭全てに同じご提案をさせて頂きました。そもそも僕の好みはボンキュッボンのお姉さんです。童顔は認めますが、だからといってお子様趣味だと思われるのは心外です」


 い、意外……。


 つい真顔になってしまう。ルシアはニコルよりかなり年下だし、まあ言っては何だが成長後のルシアに胸はなかった。豊満な身体という意味なら絶対にカルラの方が上だ。十代にとっての一年と二十歳を超えてからの一年は違うというし、歳とともに好みも変わるものだ。後に彼がルシアに恋をしたら今の台詞を笑ってやろう。


 しかし、お姉さんか。


 周囲を見回してみる。奥の方からこちらに歩いてくるカルラを見つけたので、思わず彼女を指差してからニコルを見た。


「例えば、ああいう人?」


「ええああいう――って」


 魔族じゃないですか! と彼は小声で言った。私の正体に気付いていたから、ニコルにはカルラの言うように魔力を見る力があるんだろうと思っていたけれど、それは間違っていないらしい。


 カルラは私のそばまで歩いてくると、私とニコルを見比べてから己のあごに手を当てる。


「お嬢、もう男ひっかけてんのか。やるなあ」


 どういう勘違いだ、それは。私はカルラを見上げると、右手を肩のあたりまで上げてひらひらと振った。


「違う違う。この子はニコル。こないだ私が人間の町で会った司祭さま」


「は? 司祭――ってなんでそんな奴連れとんねん!」


 カルラが驚愕に目を見開き、ニコルも心底嫌そうな顔をした。


「僕だって連れだと思われるのは不愉快です。そんなことより――」


 ニコルはもう一度通路に顔を出して周囲を見回すと、声を潜めて言う。


「今、僕の他にもう一人、私服の司祭が来ています。いいですか、僕らが店を出るまで絶対にうろつかないでくださいね」


 そして身を翻すとさっさと行ってしまった。うろつかないでと言われても、私は買い物かごを取りに行きたかった。でも教会の人間には近づかないとお父様ともカルラとも約束している手前、司祭が他にいるというなら大人しくしているしかない。そう、今回は次に繋げられるよう特別いい子でいるのだ。


 持ちきれない本は一時的にカルラに手伝ってもらおう。私は本を選ぶ作業に戻ることにした。


「ちょ、ちょ、お嬢、どういうこと? なんで司祭なんかと一緒におったん?」


「え? たまたま会っただけだよ」


 カルラはニコルが出ていった通路の方をちらりと見てから眉間を押さえてため息をつく。そんな、私が約束を破ったような反応をしないでほしい。書店で私服の司祭に出くわすなんて、事故みたいなものだ。


「お嬢さあ……いや、ここではやめとこ」


 カルラが低い声で呟いたのが聞こえたけれど、気付かなかったことにした。後でどうせ叱られそうだから、その時に思い出せばいい。


 私は本棚から小ぶりの本を引っ張り出すとパラパラとめくってみる。中に王子や姫という単語を見つけたことに満足し、それを閉じた。よし買おう。


 他にもいくつか選んで、さすがに腕が重くなってきたところでカルラを見た。少し持ってもらえないかと思ったのだ。カルラは本棚に背を向けて腕を組み、何やら難しい顔で考え込んでいるようだった。私が服の端を引っ張ると、こちらに気付いて本を受け取ってくれる。


「なあお嬢。あの少年がこの間、お嬢やグリードはんを殺そうとした司祭やってことで間違いないん?」


「うん」


「それでなんでお嬢と普通に話してるん?」


「うん? ……ん? なんでだろ」


 私はハテと首をひねった。


 あんな事があってもなお私がニコルに親近感を抱いているのは、たぶん聖女視点でプレイしていたゲームで仲間だったからだ。けれど他の司祭を店から連れ出してくれるようなことを言っていたニコルは、どうして私たちを助けるようなことをするのだろう? まあ、こんな首都の店の中で戦闘を始めるわけにはいかないんだろうけれど、他の司祭もいるなら一緒に私たちを捕らえようとしてきてもおかしくないような気がする。


 ……うん、わからないな。


 さっさと諦め、本棚に視線を戻すことにした。


 そんなことより今は本だ。この機会を逃すと注文してから一ヶ月待ちという残念すぎる通販生活に戻ってしまう。可能な限り本をたくさん選んで帰らなきゃ。今回買いきれなくてもタイトルと作者をメモしておけば、お金を貯めてから注文できる。


「ニコル言うたな……その名前、聞いたことあるわ。確か最年少で司祭になったっつー天才くんやろ? あそこまで若いと思ってへんかったなあ」


 さすが攻略対象、ハイスペックだなあ。


 カルラがまた通路に顔を向けたのを見て、そういえばここからでは入口が見えないのだが、ニコルたちが出ていったかどうかどうやって知ればいいのだろう? と思った。


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