03-01 小説喫茶、始めます(5)


 仕事に一区切りついたところで、グリードはふうと息を吐いた。天井を見上げながら首を軽く回し、肩を揉む。


「……お疲れですか?」


 すかさずジュリアスが心配そうな顔でグリードの方を向いたので、グリードは「いや」と短く答えた。


 カリュディヒトスにステータスを下げられてから常に体が重くてだるい。あれ以来グリードの手首には黒い文様が刻まれていて、原因はこれだろうとわかっていても外し方はわかっていなかった。ジュリアスが文様を紙に写し取って見てくれたが、彼にも意味はわからないらしい。


 複雑な魔法陣を描くのが得意だったシリクスならきっと意味を解いてくれたのだろうが、もういない人物ならと考えたところで意味はなかった。ジュリアスには、グリードの手首の文様については放置でよいからナターシアの結界の再構築について考えてくれ、と頼んである。


 グリードが次の仕事に取り掛かろうとしたところで、執務室の扉をノックする音が聞こえてきた。


「失礼しますぞ」


 戸を開けて入ってきたのはザークシードだ。彼には北西の山で増えすぎているという魔獣を減らしに行ってもらっていたので、その報告だった。


 これまで討伐系の仕事はリドーとザークシードで分担してもらっていたし、手が足りないときはグリードも対応していた。しかしリドーがいなくなってからザークシード一人を戦わせっぱなしだ。彼は部下の育成にもこれまで以上に力を入れているようだし、どこかでゆっくり休みを取ってもらわねばなるまい。


 そんな事を考えながら報告を聞き、グリードはご苦労と言葉をかけた。


「で、次はどこに行けばよろしいですかな?」


 グリードはザークシードに休みを取ってほしいと考えているのに、当の本人は笑顔でそんなことを言う。グリードは「たまには休め」と苦笑を返した。


 ふとザークシードと共にフィオデルフィアに赴いたときのことが頭をよぎり、グリードは視線を斜め下に落とした。忘れようと思うのだが、なかなか頭から離れない。


「どうされました?」


「いやその……私はな、自分のことを極めて温厚な性格だと認識していたのだよ」


「はあ……私もそう認識しておりますが」


 ザークシードが不可解そうに首を傾げる。昔からグリードはあまり怒りを感じたことがない。叱るために怒ったふりを演じることはあれど、苛つくようなことも怒りの感情に昂ぶることもなかったのだ。


 そう、ここ最近までは。


「先日、フィオデルフィアの森でディアと少年を見つけたとき……思わず怒りで我を忘れそうになってしまった。あのような激情が己の内にあるとは恐ろしい、と時折思うようになってな」


 フィオデルフィアに行った時だけではない。東の塔で、カリュディヒトスがディアドラを捕らえていると言った時もそうだ。怒りに任せて相手に手を上げそうになるなど、これまでにはないことだった。


 グリードにとっては目下の悩みであったのだが、ザークシードは「そんなことですか」と快活に笑い飛ばした。


「普通ですよ、グリード様。子供を愛する親ならば、子供を害されて怒りを感じるのは当然です」


 グリードは驚きを感じながらザークシードを見る。彼は口元を釣り上げて力強い笑みを浮かべていた。


「そうか、普通なのか」


「むしろ何の怒りも感じないと言われた方が不安になりますな」


 そんなものかと思いつつ、普通だと笑い飛ばされたことについグリードは安堵してしまう。グリードがザークシードに笑みを返すと、彼はまた腕を組んで力強く笑った。


「子供といえば……お前の息子のザムドのことだが」


「はて? 倅がどうかしましたか」


 口を開きかけてから、一旦閉じる。


 ザークシードに子供と言われてグリードがふと思い出したのはディアドラと二人で町に散歩に出たときのことだ。ザムドが手を繋ぎたいと言って、ディアドラがいいよと答えていた。手を繋いだディアドラが頬を赤らめたのを見て、娘に並べる程度には強くなってもらわないと娘はやれん――とグリードはつい思ってしまった。


 それに飴の話が出た時のカルラの発言から考えても、ザムドという少年はディアドラのことを好いているのだろう。


 ――が、それを口にして何になるというのか。


「……いや、よく鍛えてやってくれ」


 逡巡してからグリードがそう言うと、ザークシードは「もちろんですとも」と己の胸を強く叩いた。



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