02-07 帰還(1)



「ディアのお父さん、すっごく格好良かったね。司祭さま」


 無邪気なことを言いながら後ろをついてくる少女に、ニコルは再びため息をついた。格好良かったなどと、あんな化物相手によく言えたものだ。全てのステータスが半減していると聞いたが――あれで半減しているなど、冗談としか思えなかった。


 グリードと名乗った魔族の周囲には常に藍色の魔力が渦巻いていた。その量は凄まじく、意識して魔力を視界から外さなければ彼の姿形も判別できないほどだった。


 魔族の少女も、グリードの連れていた戦士もおびただしい魔力を身に纏っていたが、あそこまでではなかった。あれが半分だというのなら、元々はどれだけの量だったというのか。


 やはり首を貰っておくべきだったのではないのだろうか、とニコルは自問自答する。もしあの場で彼を殺せば、即座にニコルはグリードの娘か供の者に殺されていただろう。それは別にいい。あれほどの巨大な脅威を取り除けるなら、自分一人の命くらい安いものだ。


 だが、とも考える。


 今の魔王を倒したとしても次に強い者が魔王になるだけだというのなら、その行為に意味はあるのだろうか? 例えば仮にディアと名乗った少女が次の魔王になったとしたら? 父を殺した人間を滅ぼそうとしないとどうして言えよう?


 逆に少女の魔族をあの場で殺していたら、それこそ怒り狂った魔王がフィオデルフィアに攻め入る可能性も考えられた。冷静に考えてみれば、あの二人を同時に殺せないと分かった時点で、ニコルに選択肢などなかったのだ。


「彼が魔族だとはひと目でわかったでしょう。怖くはなかったのですか」


 ニコルの問いに、ルシアはうーんと斜め上のあたりに視線をさまよわせた。


「でも、友達のお父さんだよ。ディアも〝とっても優しい人だ〟って言ってたし」


(友達? 正気か?)


 あの少女が魔族と知ってなお友人だと呼ぶ彼女は、人とは違う感性の持ち主らしい。


 有史以前より、人は幾度となく魔族に脅かされ続けてきた。魔王が現れ、聖女や勇者がそれを討ち果たし、つかの間の平和の後に同じことを繰り返す。それを続けてきたのだ。ここ十数年はナターシアが結界に覆われていたことで、人間は魔王を倒すことなく平穏に過ごすことができていた。しかしそれは歴史と比較すればほんのわずかの時間にすぎない。人々から魔族に対する恐怖と憎悪が消え去るほどの時間ではない。


「魔族の少女を友達などと……あなたには驚かされます」


 ニコルは息をつきながら首を振った。けれどルシアは「そう? ディアはいい子だよ?」ときょとんとしている。視えていないとはいっそ羨ましい。


「あなたには視えていないから言えるのですよ。あの禍々しくおびただしい魔力が」


 けれどニコルの予想に反し、ルシアは首を傾げてみせた。


「魔力って、ディアの周りにある、赤と黒のモワモワ~ってした何かのこと? ディアのお父さんは青と黒で、最初顔が見えないからびっくりしちゃった」


「!? 見えていて、なぜ……!」


 いや、そもそもただの子供に魔力がえるはずがない。ニコルや他の司祭達が人や魔族の魔力を視ることができるのは、それだけの修行を積んだ結果だ。生まれつきではない。何の修行もせずに魔力の視える人間など、聞いたことがない。


(この少女は――何者だ?)


 彼女の魔力は決して多くはない。澄んだ水色の魔力がうっすらと見えるだけだ。魔族の魔力には闇を思わせる漆黒が混じっているから一目でわかる。彼女はただの人間だ。


 ルシアはにっこり笑うと、その場でくるりと回った。


「わたしね、ディアが魔族だなんて最初から知ってたよ。たくさんの魔族が空を飛んできたとき、物語のヒーローみたいにやってきて、たった一人で全部やっつけてくれた、とっても強くてカッコイイ女の子だってこと」


 でも、スライムが怖かったり、お菓子作りが上手だったり、可愛いところもあるんだよ、とルシアは思い出したようにまたふふっと笑う。ニコルはそれを見ながらため息をついた。


 グリードも危険だが、ディアと名乗った少女も危険だ。まだ子供だというのにあの体に収まりきらない魔力は、成長したらどこまで膨れ上がるのか予想もつかない。それは人類にとって、世界にとっての脅威なのではないだろうか。自分は今日、その脅威を取り除く千載一遇のチャンスを逃してしまったのではないだろうか?


 対魔族用に魔力を封じる腕輪やニコルが使ったような魔法陣が研究開発されてはいるが、あんなものではまだまだ太刀打ちできそうにない。今あの魔王が魔族を引き連れて攻め込んできたら、教団や各国が総力を上げて戦っても勝ち目はあるまい。


 自分ももっと強くならなければ。今のままでは何も守れない。そんな事を考えながら、ニコルは己の手を強く握った。


 魔族は敵だと、ニコルは養父から教わった。人の心を持たない、人とは違う生き物なのだと。だから慈悲など必要はないのだと。


 けれど。


 ――司祭さま、ありがとう!


 ステータス異常の治し方を調べてみると嘘をついた自分に向けられたあの笑顔は、人の子供と何ら変わらなかった。それに迎えに来た父に飛びついたその姿も、人の子供と同じものだった。


 そして彼女の父であるグリードも、娘が刃物を突きつけられているにもかかわらず、怒りを抑えて冷静に対話をしようとしていた。本人が言っていたように、彼にならニコルが娘を傷つけるより速く、ニコルを殺すことはできたのだろう。ニコルとルシアを殺して口を塞ぎ、魔獣の仕業に見せかけてもよかったはずだ。


 けれど彼は一度も手を出そうとせず、檻を壊そうとしたディアすらも止めたのだ。それは非常に理性に満ちた行動ではないだろうか?


 魔族とは――人とは違う生き物なのでは、なかったのか?


 価値観が揺らいでしまいそうな感覚に、ニコルは再び首を横に振った。



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