02-06 魔王と聖者(5)



「グリード……? 魔王、グリード……?」


 ニコルの口から漏れた呟きに、おや、とお父様はわずかに首を傾げる。


「魔王に即位してから長年引きこもっていたのだが……人に名が知られているとは驚きだ」


「ナターシアの結界が張られる前にこちらに渡ってきた魔族が語っていたと聞いています。……でもまさか……」


 そうかとお父様は頷いてから、もう一度首を傾けた。


「それで? 娘を返してもらうにはどうすればよい? こやつに私の首を刎ねさせればよいか?」


「グリード様! こんな時に冗談はおやめください!」


「私は冗談など言っておらん」


 ニコルはお父様を見据えたまま動かない。


「……魔王ともあろう方が、随分弱腰ですね。それに、自分が死ぬかもしれないというのに落ち着いておられるようだ」


 お父様は小さくため息をついてから首を横に振った。


「娘を人質に取られて強気に出られる父親などおらんだろう。それに魔王なんてやっていると、死ぬような目に合うことは珍しくはないのでね」


 魔王の交代など文字通り死闘だよ、とお父様は続けた。


 ――駄目。それは……駄目だ。


 光る壁に手を触れてみる。確かに体が重くて動きづらいけれど、私ならこんなもの、力づくで壊せるんじゃない?


 ぐ、と強く壁を押し、そこに魔力を込める。私が魔力を込めてみてもびくともしない。なんとなく力をかけるだけじゃ駄目だ。もっと、もっと一点に集中して――


 ニコルが弾かれたように振り向くのと同時に、壁にピシッと亀裂が入った。


「やめなさい、ディア!」


「お父様!?」


 お父様に言われて手を止める。

 私を見つめてお父様は言った。


「我々が彼らに手を出せば、それは魔族が人間への敵意を改めて示したことになる――戦争になる。だから、やめなさい」


「でも――っ」


 手をギュッと握りしめ、込めていた魔力を四散させる。


 人間と魔族の戦争。それはゲームの流れに他ならない。最初は魔族が優勢に立てたとしても、聖女が覚醒すれば徐々に立場が逆転し――魔族は負ける。私はその結末を知っている。


「お願い、お父様を殺さないで!」


 だから私には、ニコルに頼むことしかできなかった。魔族相手には誰よりも冷徹になるというこの青年に。ニコルは少し迷うような表情を見せたが、返事はなかった。お父様はニコルをじっと見つめたまま静かに言う。


「魔王など、魔族の中でその時一番強い者に与えられる称号のようなものにすぎない。私が死んだとて、次に強い者が魔王になるだけだ。何も変わらん」


 お父様は私をちらりと見てから続けた。


「娘を無事に返してくれたなら、私が魔王の座にある限り誓って私が人間の地に侵攻することはしない。これまでそうだったようにな。だが私が死んだ後のことはわからんぞ。人を滅ぼそうとする者が魔王の座につくかもしれん。……少年よ、君の行動一つで無用な諍いを呼ぶかもしれぬ、その責を負う覚悟はあるか?」


 ぐ、と言葉に詰まったニコルだったが、お父様を睨みつけたまま絞り出すように言った。


「……彼女を開放したとして、僕らが無事にすむ保証はどこにもありませんが」


「君も司祭だというのなら、我々の力は視えているのだろう? その気になればこの会話のうちにも君やその子を殺すことは容易い。だがこうして対話を重ねている。それが答えだ」


「……」


 ニコルは答えずに視線を落とす。どうするべきか迷っているようにも見えた――そこへ。


「そうだ! わたし、いいこと思いついたよ!」


 緊迫した空気の中、ルシアの無邪気な声が妙に異質に響いた。ルシアはにっこり笑うと、ニコルが止める間もなくお父様に向かって駆けていく。


「ルシア、戻りなさい!」


「大丈夫だよ、司祭さま」


 ルシアはお父様の前に立つと、満面の笑みでこちらを振り向く。


「わたしも人質になるよ。わたしとディアを交換こするのはどうかな?」


「……」


 お父様は目を丸くしてルシアを見下ろしている。私もぽかんとするしかない。自ら魔王の人質になりに行く聖女がどこにいる? ……いやここにいるんだけど。


 ニコルが私とルシアを交互に見比べ、それから大きな息を吐き出した。私の喉元に突きつけられていた杖がすっと引かれる。そしてニコルが杖を地面に刺した瞬間、私を閉じ込めていた光の壁が最初からなかったみたいに消え去った。


「いいでしょう。このままお互いに何もせず引くということで」


「承知した。感謝する」


 お父様はザークシードに視線を向けて頷く。ザークシードはずっと構えていた斧を背中に収めた。ルシアがにこにこしながらこちらに歩いてくる。私は駆け出すと、お父様に飛びついた。


「ごめんなさい、私……っ」


「怪我はないか、ディア」


「うん」


「ならいい。帰ったらお説教だな」


 お説教と言う割にお父様の声はとても優しい。ぎゅう、とお父様にしがみつく腕に力を込めた。

 ニコルがルシアを背に庇うようにして言う。


「二つ伺ってもよろしいでしょうか。まず、ナターシアを覆っていた結界が消えたのはなぜですか?」


「内部で諍いがあった結果だ。結界の再構築を検討はしているが、難しいことも多く、すぐにとは言いかねる」


「では次に、先日魔族が大勢侵攻してきた件については? あれ以来、まだ少数ですが各地で魔族が騒ぎを起こすようになったと報告を受けています」


「魔族も一枚岩ではない。こちらに来ようとする魔族は見つけ次第捕らえてはいるが、全てではないのだろう。迷惑をかけているとは認識している。……全て私の甘さが招いたことだ。申し訳ない。そちらで捕らえた魔族の処遇は任せよう。助力が必要なら言ってほしい」


 ニコルはしばらくお父様を睨むように見つめていたけれど、はあと大きくため息をついた。


「そうですか……上にもそう報告はしますが、信じてもらえるかは保証できません」


「ああ。残念だが仕方あるまい」


 お父様はニコルに対して頷いたあと、私の方に視線を落として帰ろうと言った。お父様から体を離し、お父様の手を握る。


 振り返ると、ルシアが手を振っていた。


「また遊ぼうね、ディア!」


 ――私とあなた、ラスボスと主人公っていう天敵だよ?


 またそう思ったけれど、私は肯定で返すことにした。私はどうやらザムドやルシアのような、憎めない自由人に弱いらしい。


「うん、またね!」


 そう言って手を振ると、ニコルがため息をついたのが見えた。


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