02-06 魔王と聖者(3)


 執務室の扉が勢いよく開けられ、グリードは顔を上げる。


 ナターシアとフィオデルフィアを繋ぐ隠し通路の警報を受け、様子を見に行ったザークシードが血相を変えて戻ってきたところだった。あの辺りには結界のための塔以外に何もなく、塔を警備する者以外に立ち入るような魔族もいないので、いつも通り魔獣が踏んだか何かだと思っていた。


 けれどザークシードから聞かされた報告は思いもよらないもので、グリードは思わず立ち上がってしまった。


「――ディアが?」


「は。何かの間違いかとも思いましたが、確かに見たと……」


 そんなバカな、とグリードは思う。隠し通路を開けるためには石版に埋め込まれた石を決まった順に押す必要があり、一度でも間違えば警報が鳴るようになっている。事前に順を覚えていなければ、警報を鳴らさずに開けることなど普通はできない。


 開け方を知っているのはグリードとカルラとジュリアスの三人のみ。グリードはメモを残すことも誰かに話すこともしていないし、他の二人もそういうことはまずしないだろう。


 しかしザムドという少年が嘘をつくような子供でないことも知っている。彼が見たと言うなら実際にそうなのだろう。ディアドラはカリュディヒトスの仕掛けも解いたと言っていたし、仕掛け魔法を解くのはお手の物なのかもしれない。


 ――そういえば、ディアドラはカルラから一時的に角を消す魔法を習ったと言っていたが、あれは本当に帽子を着けるためだったのだろうか?


 そこまで考えてから、グリードは自席の椅子を戻した。そしてジュリアス宛に「ザークシードと話があるのでしばらく席を外す」というメモを残す。たまたまジュリアスが離席中でよかった。彼がいれば、これから自分がしようとしていることは止められてしまうだろうと予想できたからだ。


 グリードはザークシードに目を向ける。


「ディアを探しに行く。止めるなよ」


 それに彼は苦笑を返してきた。


「私には止められますまい。私も一人の親ですので。……僭越ながら、お供させて頂いても?」


 グリードは頷きを返すと、早足で部屋を出た。魔法が使えないとはなんと不便なのだろう。こんな時に飛んでいくこともできないとは歯痒いことこの上なかった。


「グリード様、私が運びましょう。お手を」


「助かる」


 グリードはザークシードの手をつかみ、飛ぶ彼にぶら下がって隠し通路に向かう。このまま空路でフィオデルフィアに向かった方が早いのは間違いないが、それでは目立ちすぎる。


 二人は駆け足で隠し通路を抜け、最初に目に入ったのは突き抜けるような晴天だった。


 ナターシアの大陸の端に行けば、遠くに青空があることは見える。けれどそれでも、あまりの美しさにグリードは一瞬目を奪われた。それだけではない。草木も青々として生命力に溢れており、ナターシアの毒々しい色とは大きく違う。


「人の住まう地とは、かくも美しいものなのですな……」


「カルラが気に入るわけだ」


 しばらく眺めていたくなるが、今はそれどころではない。辺りを探りながらグリードたちは森の奥へと歩を進めた。


 カルラが持ってきてくれた人間の地図によれば、この辺りには町が一つあったはずだ。ディアドラがカルラから習った魔法で姿を変えているとするならば、人の町に行ったのだろうか? しかし町の中に入るにはグリードもザークシードも目立ちすぎる。ならば町の近くで様子を見るべきかもしれない。


 グリードたちが町の外壁が見えるあたりまで歩いてきたところで、ガサリと茂みが鳴った。


「!」


「えっ」


 顔を出したのはディアドラと同い年か一つ上くらいの少女だった。肩のあたりまで下ろしたピンク色の髪とピーコックブルーの丸い瞳が印象的だ。


 悲鳴を上げられるのではとグリードはとっさに身構えたが、少女はこちらをじっと見つめてくるだけで何も言わなかった。長年ナターシアを結界で閉じていたから、まだ幼い少女は魔族というものをあまり理解していないのかもしれない。


「こんにちは、お嬢さん。この辺で赤い髪の女の子を見なかっただろうか」


 できるだけ穏やかに話しかけてみたが、少女はこちらを見上げながら目をパチパチさせるだけだ。どうしたものかとグリードがザークシードを振り返ろうとした時、少女が口を開いた。


「夜空みたいな長い髪……エメラルドの瞳……あなたがディアのお父さん?」


「! ディアを知っているのか!?」


 グリードが目を見開く。少女はにっこり笑うと、ぺこりと小さな頭を下げた。


「はじめまして、ディアのお父さん。わたしはルシア。ディアとは友達になったんだよ」


「友達……?」


 グリードとザークシードは顔を見合わせる。


 魔族を友達と呼ぶ人間なんて初めて見た。衝撃的すぎてグリードには理解が追いつかない。けれど人とは異なる特徴を持つグリードやザークシードを見ても動揺しないあたり、ディアドラが魔族であることも知っているのかもしれない。


 それにディアドラのことを愛称で呼んでいるということは、ディアドラがそう呼ぶことを許したということのはずだ。


 そこまで考えて、グリードは体を折ってルシアと視線の高さを合わせる。


「はじめまして、ルシア。ディアと仲良くしてくれて、どうもありがとう」


「ううん、こちらこそありがとう。ディアがね、お父さんはとってもかっこいいんだって言ってたの。本当だね」


 ルシアにそう言われ、グリードはどう反応してよいのかわからずにザークシードを振り返った。ザークシードは苦笑のようなニヤケ笑いのような、微妙な笑みを浮かべている。見なければよかった。


「それで……その、ディアを迎えに来たのだが、どこにいるか知っているかい?」


「ディアなら、司祭さまとお話するって言って森に入っていったよ」


 司祭。カルラが教会の人間には近付きたくないと言っていたが、そんな人間と何の話があるというのだろう。それは話というよりむしろ――嫌な予感がする。


「どちらに行ったか教えてもらえないだろうか」


「うん、いいよ。わたしもね、待ちくたびれちゃったから、追いかけようとしてたんだ」


 ルシアがこっちと言って歩き始めたので、グリードとザークシードはその背を追った。


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