02-06 魔王と聖者(1)


 周辺の魔素が日に日に強くなっている気がする。


 ニコルは倒したばかりの魔獣を見下ろし、手を腰に当てた。


 元々この辺りに強い魔獣はいなかったと聞いている。しかし毎日町の周りを見回っていると、日に日に強い魔獣に出くわす確率が上がっているし、個体の強さも増してきている。魔獣とは魔素によって変質した獣だ。ナターシアの結界が解けたことで、かの大陸から魔素が漏れ出しているのだと考えれば辻褄が合う。もう今日明日にでも、兵士以外の町の住人はまだ影響を受けていない地域に避難させるべきかもしれない。


「やはり、一人で来るべきではありませんでしたね……」


 もともとナターシアに対する見張りとして建設された町には、少ないとはいえ兵が常駐しているというから当てにしていたのだ。しかしナターシアはもう十年以上結界に覆われており、その間一度も魔族が攻めて来ることはなかった。しかも周囲の魔獣も弱かったため、町における見張りなどただの閑職という扱いになってしまった。結果戦力になる者は中央に召し上げられ、残ったのは大して戦えもしない者ばかり。強い魔獣がうろつく森になど、危なっかしくて同行させられない。


 この町に来ることを決めた時点で、無理にでも戦える聖職者を数名連れてくるべきだった。だがここ一ヶ月ほど女神からの信託が途絶えていた上にナターシアの結界が解けたことで、各地でも教団内でも動揺が広がっている。まだ少数だが、魔族による被害も出始めた。それらを抑えるため手が足りなかったのだ。


 女神の最後の信託は〝運命に抗う者を世界に呼ぶ〟というもので、伝承にある聖女か勇者降臨の前触れではないかという意見が大半を占める。だが一部では、聖女や勇者は女神が選ぶ者であって呼ぶという表現は違うのではという意見も出ている。


 厄介な問題は他にもある。調べてみるから三日後くらいにまた来て欲しいと言ったが、あの少女はおそらく今日またやってくるだろう。ちょうどあの会話を交わしてから今日で三日だ。


 ふわ、とニコルの周りに蝶が舞う。


 羽が虹色に光るその蝶は、くるくるとニコルの周りを回ったあと、ニコルが差し出した指先に止まった。


「……そろそろ戻りましょうか」


 ニコルは踵を返すと、もと来た道を戻り始めた。



  ◇



 今日の午後は魔法の練習をしたいからまた今度ね、とディアドラに言われてしまったので、ザムドは暇を持て余していた。


 一人では狩りに行くなと父から改めて厳命されているし、町をぶらつくにしてもディアドラがいなければつまらない。彼女が一緒なら何をしても楽しいのに、彼女がいなければ途端に全てが物足りなくなってしまうから不思議だ。


 父の手が空いていたら、稽古でもつけてもらえないだろうか。そんなことを考えながらザムドが魔王城の近くを飛んでいると、森の上をディアドラが飛んでいくのが目に入った。


 森で魔法の練習をするつもりなら、ザムドも一緒に練習してもよいのではないだろうか。ここのところ、ディアドラはザムドが狩りをしている横で魔導書を睨みながら土人形を操る練習をしていたのだから、同じことではないのだろうか? そう思ってザムドは彼女の名前を呼んでみる。


「おーい、ディアー!」


 しかし彼女はザムドからは随分遠ざかってしまって、声に気付く様子はない。ザムドはディアドラの姿を追いかけた。壁の一部が壊れた塔が徐々に近付いてくる。ディアドラはそれを通り過ぎたかと思うと、森の中に降りていった。


「ディアってばー!」


 ザムドがもう一度呼んでみても、まだ距離があるせいか彼女には気付いてもらえなかった。ディアドラが降りたあたりまでたどり着くと、くるりと旋回しながら彼女を探す。


 目に止まったのは、地下へ続く見覚えのない階段。その奥にディアドラが降りていったかと思うと、ふ、と階段が消えた。


「……あれ?」


 ザムドは階段のあった場所に降り立ってみるが、ただ草の生えた地面が続いているだけで何も無い――いや、よく見ると、丸い石版のような何かが草の陰に埋まっていた。


 石版には七色の石がはめ込まれている。ザムドが試しに適当に一つ触れてみると、触れた石がチカッと光った。もう一つ触れてみる。また光るのかと思いきや、その石版はけたたましい音を立てた。


「えっ、えっ、えっ、」


 ザムドは慌てて石版から手を離すが、ビーッビーッビーッっという警報のような音は止まらない。オロオロしながら別の石を押してみたり、石版を外せないか引っ張ってみたりしたが、音が大きくなるだけだった。


「何をしとるかッ!」


 しばらくして空からザークシードの声が聞こえてきて、ザムドは半泣き状態で振り返った。


「親父ー、どうしよう」


「ばかもん! それに触るでない!!」


 ザークシードが手早く石版の石のいくつかを順に押していく。すると警報音はピタリと止んだ。ザークシードから鬼の形相で見られ、ザムドは一歩後ずさる。


「こんなところで何をしとるかっ! ディアドラ様と一緒でないときに森に入るなと、あれほど言ったではないか!」


「だ、だって、ディアがここにあった階段を降りていったから……!」


「ディアドラ様が!? ザムドよ、嘘ではないだろうな」


 ザムドは何度も首を縦に降る。ザークシードは驚いたように石版を見下ろすと、くるりと踵を返した。


「グリード様に報告に行く。お前は帰っておれ」


「えーっ、俺も行きたい!」


「駄目だ! いいな、必ず帰るのだぞ」


 厳しい声で言い置いて飛び去っていく父の姿を見送りながら、ザムドは「ちぇー」と口を尖らせた。


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