02-04 再び人間の町へ(5)
「まあ」
「すごい、普通のクッキーだ」
私とルシアが焼き上げたクッキーを見て、ルシアのお母さんと妹が感嘆の声を上げた。そう、炭になることも生焼けになることもなく、私たちは本のイラストさながらのクッキーを焼くことに成功したのだ。
もちろんその裏には私がルシアを抑えたり誘導したりこそっと後から修正したり、思い出すだけで疲れるくらいの努力があった。疲れた。本当に疲れた。でもそれも全て美味しいクッキーのためだ。
「ルシア、早速食べようよ」
「うんっ」
一つつまんで口に入れる。サクッ、と音を立ててそれは割れ、口の中に甘さがじんわりと広がった。
お、美味しい……っ!
しばらく甘いものを食べていなかった私にとっては魅惑の味だった。二つ、三つと頬張ると、ついつい口元が緩んでしまう。ああ……頑張って良かった……っ!
さすがにこのクッキーは持って帰れないとしても、城でもお菓子が食べたい。さっき使ったレシピ本を後で見せてもらって、作れそうなお菓子があればメモさせてもらおう。
「あなた、すごいわね。ルシアにまともに作らせるなんて」
ルシアのお母さんが私の隣に歩み寄って言う。私はそれに苦笑を返した。
「母も料理ができない人で、慣れてまして……まあ、もう会えないんですけど」
「そうなの……ごめんなさいね、変なこと言って」
「いえ、大丈夫です」
おそらく実際とは違う意味に解釈されたのだろうけれど、訂正しないことにした。異世界なんて突然話したって信じてもらえるわけがない。
美味しいと幸せそうな笑顔でクッキーを頬張るルシアを見ていると、久しぶりに母のことを思い出した。母が料理をしたがったときも、調味料を間違えたり手順を間違えたりするから目が離せなかったなあと思うと、なんだか懐かしい。まだこの世界に来てから一月も経っていないはずなのに、日本での出来事がすごく遠くに感じる。
「あれ?」
ふとルシアが何かを見つけたように窓に向かって駆けていく。開けっ放しのそこからキョロキョロと周囲を見回したあと、不思議そうに首を傾げた。
「どうかした?」
ルシアの側に寄って周囲を見てみたけれど、何の変哲もない町の風景が広がっているだけだ。
「うーん、キレイなちょうちょさんがいた気がしたんだけど……」
ルシアは変わらず首を傾げていたけれど、そのうち諦めたのか、私に視線を戻してきた。けれど、外から名を呼ばれてルシアは声のした窓の向こうに向き直る。ルシアの視線を追ってみると、ルシアと同い年くらいの男の子が立っていた。
「トゥーリ!」
ルシアが少年の名を呼ぶ。白茶色のややウエーブがかった髪に、人懐っこそうな青い瞳。ルシアの幼馴染で、攻略対象の一人だ。
(おおー、子供の頃のスチルなんてなかったから、いいもの見た気分だわ)
と、つい口元を緩めてしまう。彼はゲームで最初に攻略したキャラクターだ。正確に言えば、子供の頃からルシアを好きだった彼は無理にオトす必要もなく、何の攻略記事も見ずにプレイしていたら勝手に彼のルートに入ったのだ。
嬉しそうな笑顔で駆けてくるトゥーリを見るに、おそらく彼はもう恋する少年なんだろう。彼のルートを最後まで見た私は知っている。ルシアと共に孤児院で育った彼は、ルシアの側で彼女を守るため、それはもう涙ぐましいまでの努力をしたのだということを。
孤児院でルシアがいじめられそうになれば駆けつけ、聖女として覚醒した後は共に戦えるよう強くなり、大きな盾を装備して最後の戦いまで彼女を守り抜いた。彼の気持ちに全く気付いてくれないルシアのために、彼は彼にできることは何でもした。そう、たとえ他の攻略対象と結ばれるルートであっても、彼は最大限にルシアを支え続けたのだ。
あまりの一途さに、ゲームの後半では、「ルシアのポンコツ! 少しは気付いてあげて!」とか「トゥーリ頑張れ!」とか、心から彼を応援したい気持ちになったことを覚えている。
トゥーリはルシアの前まで来ると、少し頬を赤らめて言った。
「あのさルシア、明日一緒にピクニックに行かない?」
「ピクニック?」
ルシアがちらりとこちらを見る。
――いいぞいいぞ、トゥーリ頑張れ!
と、お姉さんとしては心から応援したいところだ。にっこりと笑って、親指を立てて見せた。どうぞどうぞ、ぜひ二人で行ってきて、という心を込めて。
でも、
「いいよ、行こう! ディアも行くみたい!」
と答えたルシアには、私の気持ちなどまるで伝わっていなかった。私はずるっと肩を落とした。おいこらヒロイン、せっかく立ったフラグを折るな。
いや、ゲームで二人を攻略した私はわかっている。この子がヒロインとしては相当なポンコツだ、ということを。素の彼女がポンコツだから、我々プレイヤーがきちんと選択肢を選んで導いてやらないと、彼女は全員と〝いいお友達〟のまま友情エンドを迎えてしまうのだ。
このままではいかん。ルシアの肩をつかんで強めに声を出す。
「ルシア、二人で行っておいでよ! 二人でピクニックデートも素敵だと思うよ!」
いいから行け、二人で行け、少しはトゥーリに報われて欲しい、という気持ちを込めて。トゥーリはみるみるうちに茹でダコみたいな顔色になり、「デート……」とか何とかぶつぶつ呟いている。なにこれ可愛い。いいもの見た。
「ええー、でもわたし、ディアと遊びたいよ」
トゥーリの顔色に気付くこともなく不満げな声を上げるルシアに、頭を押さえたい気分になった。なんでだよ……。
初めて話しかけられた時からずっと不思議なのだが、本当に本当にグイグイ来る彼女は、女友達に飢えているの?
「私はほら、司祭さまの言ってた三日後にまた来るからさ」
「えー、ううーん、わかったよ……」
不承不承ながらもルシアが頷いてくれたので、心の中でガッツポーズをした。けれど背後から待ってという声がかかる。
「町の外はだめよ、ルシアちゃん、トゥーリくん。この間から、突然強い魔獣が出るようになったんですって。しばらく町の中で過ごすようにって、昨日司祭さまが言ってらしたわ」
なるほど、確かに昨日は森で黒兎を見かけたけれど、あれは今までは出なかったのか。ルシアが無邪気にきのこ狩りなんて言うわけだ。じゃあ町の中で遊びなよと言ってから、私は思いついてクッキーの入った皿をトゥーリに差し出した。
「ねえ、あなたも食べない? ルシアと二人で作ったクッキーだよ」
「ルシアが!?」
トゥーリがクッキーを見て目を見開いた。ルシアはドヤ顔で胸を張っているけれど、このクッキーが美味しそうなのは私の功績だ。
恐る恐るクッキーを手にとって眺めるトゥーリに、わかる、わかるよと心の中で頷いた。料理の腕が壊滅的なルシアが、少なくとも見た目だけは美味しそうなクッキーを作ったと言うんだ。味が破壊的なのではと警戒するのは当然だ。
「大丈夫、美味しいよ」
私は同じ皿からクッキーを手に取り、口に含んだ。サクッ、という音も食感も、我ながらルシア相手に頑張ったと己を褒めたい気分だ。トゥーリは驚愕の表情で私を見た後、自分もクッキーを少しだけ口に入れた。
「――すごい、美味しいよ! 何があったの!?」
残りを一気に口に入れて食べ始めたトゥーリに、ルシアが「何があったのってどういうことよ、失礼しちゃう」とか何とか言っていたけれど、自分の胸に聞いてみろとしか思えない。いや、違うな。自分に聞いてもわからないから失敗を繰り返すんだろうな。
「あの、ところで君は?」
クッキーを食べきったらしいトゥーリが、ようやく私に向かって聞いた。クッキーを差し出すまでルシアしか見えていなかったのだろうけれど、まあ恋する少年なのだから仕方がない。お姉さんは心が広いのだ。
「この子はディア! 友達になったんだ」
私が答えるより早くルシアが私の腕に巻き付いてくる。途端にトゥーリが面白くなさそうな顔をしたけれど、私に嫉妬されても困る。私だって困っている。私はトゥーリを応援したい。ルシアを巡って争う敵ではないと示すため、にっこり笑ってトゥーリに聞くことにした。
「もっと食べる?」
「いいのっ?」
いいともいいとも。好きな女の子の手作りのお菓子なんて、是が非でも食べたいだろう。私もぜひ彼に食べて欲しい。
それならトゥーリくんもお入りなさいなとルシアのお母さんが言って、皆で座って食べることにした。
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