02-04 再び人間の町へ(4)



 ルシアの家は、教会とは逆側の端にあった。


 大挙してフィオデルフィアに向かった魔族たちを追いかけてこの町に来たとき、ちょうど私が飛んでいた場所の真下に近い。家の近くだったから、ルシアはすぐ傍から私を見上げていたのかもしれない。


「ただいまー!」


 家の玄関の戸を開けるや否や、ルシアは私の手を引いたまま奥に駆けていく。連れて行かれた先はキッチンだった。


「ルシアちゃん、お帰りなさい」


 キッチンに入った私たちの後ろから大人の女性が顔を覗かせる。ルシアのお母さんだろうと判断し、「こんにちは、お邪魔します」と頭を下げた。ルシアは私たちが挨拶をしている間も、キッチンの棚の扉をあちこち開けて中身を外に出している。


 ルシアのお母さんが細い手を頬に当てながら、恐る恐るといった様子で近づいてきた。


「る、ルシアちゃん? 何をする気なのかな……?」


「ディアとクッキー作るんだ。お母さんは外に出ててね!」


「ええっ、それは、お母さんも手伝った方がいいんじゃないかなあ……」


「だーめ。二人で作るんだから。はい、出た出た」


 ルシアは母親の腰をぐいぐい押して、キッチンの外に追いやってしまった。ルシアのお母さんはとても不安そうな顔でこちらを見ていたけれど、隣の部屋から別の子供の声が聞こえてきたと思ったら引っ込んでしまった。


 お姉ちゃんがああなったら何言っても無駄だよ、とか、でもお、とか、隣の部屋から話し声が聞こえてくる。ルシアって妹いたんだっけ、とほとんど記憶になかった設定を思い出した。


 もしゲームの通りに進んでいたら、私は彼女たちのことも死なせてしまっていたのだろうか、と思うと背筋が冷える。ゲームどおりでなくても、もしあの時、魔族たちを追い抜くのが間に合っていなかったらどうなっていたかわからない。


 ゲームでのルシアは家族を全員亡くして、北の国境近くの町の孤児院に引き取られていた。ルシアが自宅で楽しそうにボウルや泡だて器を出している姿を見ると、なんだかほっとする。


 さて、あのルシアと料理を作るのだ。呆けている場合ではない。気合を入れてからルシアの肩を叩いた。


「ルシア、レシピはどこ?」


「え? 必要?」


「必要だよ! 私はクッキーなんて作ったことないもん」


 通常ヒロインと言えば料理上手だったりお菓子作りが趣味だったりするけれど、このヒロインには逆補正がかかっている――そう、何の料理を作っても殺人的な味と見た目になる、残念な逆補正が。


 レシピなんていらないよと笑うルシアに、私が必要なんだということを強調して説得する。実際、私はクッキーを作ったことはない。


 日本での母は壊滅的なほど家事ができない人だったので、物心ついたころから料理はしてきた。でも私の料理は趣味ではなくあくまで〝生活のための料理〟だったので、できるだけ少ない手間でその日食べるものを準備する、という方向にしか磨かれていない。冷蔵庫にある野菜と肉を適当に焼いた野菜炒めや、自動調理家電かオーブンレンジを駆使した料理が得意だ、と言うしかない程度には。


 ルシアは若干不服そうな顔をしたけれど、頼み込んだらお菓子作りの本を棚から出してきてくれた。本を開いてみると、可愛らしいクッキーのイラストと共に材料と手順が細やかに記載されている。よし、レシピ通り作れそうだ。ただし自分一人でなら。


「じゃあ始めよっか。まずは薄力粉を二百四十グラム」 


 秤を探してあたりを見回していると、ルシアが小麦粉の袋をつかんでボールに向けてひっくり返した。


「これくらいかな?」


「待って! ちゃんと量って! しかも絶対多いよ!」


「えー?」


 これくらいだよきっと、とルシアは笑っているけれど、絶対違うと確信を持って言える。大きな小麦粉の袋を一袋、丸々使うはずがない、絶対に。しかもよく見たら薄力粉ではなく強力粉だ。強力粉も小麦粉だけれど、食感が変わってしまう。


 深呼吸してから、ルシアの両手を取ってそっと握った。


「ねえルシア、一緒に作ろう? ルシアが先に手を動かしちゃったら、一緒に作ったことにならないでしょ? 私、クッキーなんて初めてだから、一緒に本を見ながらやりたいな」


 一緒にという言葉を何度も強調しつつ、暗に勝手なことをするなと言ってみる。でも「うんわかったよ」と言ってふわふわした笑顔を浮かべたルシアには、私の気持ちなどまるで伝わっていないかもしれない。


「じゃあバター百グラムを量ろうよ。ね?」


 ルシアの片手を取ったまま、ようやく視界の片隅に見つけた秤まで彼女を誘導した。それからどう見ても大きすぎる分量を切り分けようとしたルシアに、「私これやってみたい! すっごくやってみたいなー!」と慌てて言って、バターナイフを取り上げる。


「じゃあわたし、お砂糖を出すね」


「待って! 一緒にやろう!! お腹すいたね、入れる前に一口なめてみるっていうのはどうかな!?」


「そう……?」


 砂糖と塩を間違うくらいのミスは当然のようにやらかす未来が脳裏に浮かんで、やっぱり慌てて止める。


「お姉ちゃんが人の言うことを聞いてる……」


「あの子、何者かしら……?」


 ルシアの妹とお母さんが隣の部屋からこちらを覗いていることには気が付いていたけれど、そちらに反応を返す余裕はない。薄力粉をふるいもせずに入れようとしたり、混ぜるのに失敗してこぼしたり、バニラエッセンスを水のようにどぼっと入れようとしたりするルシアの行動を抑えるのに必死だったからだ。


 ただクッキーを作っているだけのはずなのに、生地を寝かせる手順に辿りついたときには、私はなぜか汗だくだった。


 あとは生地を伸ばし、型抜きをして焼くだけだ。でも五ミリの厚さを五センチと間違えるかもしれないし、一ミリまで薄くするかもしれないし、オーブンの温度や焼き時間を間違えるかもしれないし、まだ油断はできない。常識的に考えて間違うわけないよね? という失敗をするのが逆補正の恐ろしさなのだから。


「どうぞ、お疲れさま」


 生地を寝かせる間はお喋りでもしよう、ということでリビングに案内してもらった私に、ルシアのお母さんが水を差しだしてくれた。お礼を言ってからそれを受け取り、口に含む。冷たい液体が喉にしみわたって、水ってこんなに美味しかったかな、と感動しながら息をついた。


「ねえディア。お父さんのステータスがどうのって言ってたけど、ディアのお父さんってどんな人なの?」


 突然ルシアがそんな話題を振ってきたので、勢いよくルシアを見た。ルシアはそんな私を不思議そうに見つめてくる。身を乗り出してルシアに体を近づけた。


「聞いてくれる!?」


「うん、もちろんだよ」


 自分でも気が付いていなかったけれど、どうやら飢えていたらしい。語り相手というやつに。この世界に来るまではオタク友だちとよく萌え語りをしていたのに、ディアドラの姿になってからは全くできていなかったからかもしれない。


 私は思いつくままお父様について語った。強くて美形で、無口で無表情だけど優しくて、言いつけを破って夜出かけた時は叱られたけどやっぱり優しくて――さすがに魔王であることや魔族であることは伏せたけれど、話せることはとにかく話した。


 ルシアが「うんうん、それで?」とか「そうなんだー、かっこいいねえ」などの相槌を入れながらにこにこと聞いてくれるので、私はお父様萌えについて気分よく語った。とにかく語り倒した。


 一通り語りきってから、ハッとする。すっかり〝ルシアってなんていい子なの〟と思い始めている自分に気が付いたからだ。男をオトしたければ聞き上手になるべしと聞いたことがあるけれど、何ということだろう。危うく私がオトされるところだった。ヒロイン恐るべし。


 そうか、ジュリアスはこれに惚れるのか……? と、本来ジュリアスが体験するはずだったイベントを奪ってしまったような気分になったけれど、これくらいのイベントはまた発生するだろう。まあいいや。


「二人とも、そろそろ三十分経ったわよ」


 そう声をかけられ、「はーい」と答えた声がルシアと揃った。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る