02-02 たくましすぎる聖女(3)


「ねえ、子供だけで森に行くなんて危なくないの?」


 また私の手を引いているルシアの背に声をかける。


 ゲームでこの町――魔王の襲撃を受けて廃墟になった町だ――に来るのは終盤で、町の周辺に住む魔獣は強かった。けれど最初にルシアに会ったのも町の外だったし、外から帰ってきたルシアに門番達が驚いた様子もなかった。強いモンスターの出る森に子供だけで出て行ったことがわかったら、普通は驚くはずなのに。


「大丈夫だよ。わたし、よく山菜やキノコを採りに出かけてるもん」


 ルシアに言われ、私は目を瞬いた。大丈夫ってどういうことだろう? ゲームの舞台は今より何年も後のことだ。これからこの辺りの魔獣が強くなるんだろうか? それともゲームでは町が廃墟になったことをきっかけに強い魔獣が寄ってくるんだろうか?


 ルシアを振り切って帰ることもできたけれど、さすがにレベル一と思われる子供を森に残すことに不安を感じて、私はルシアに手を引かれるがままになっていた。本当に弱い魔獣しかいなかったら帰ろう。


「あ、ウサギ」


 ルシアが声を上げたので彼女の視線を辿ると、白くて小さな兎と黒くて大きな兎が並んでこちらを見ていた。白兎は私たちには興味がないのか、すぐに視線をそらして足元の草を食べ始める。確かにあの白兎は序盤の町周辺で出てくる弱い敵だ。せいぜい体当たりくらいしかしてこない。


「黒い兎もいるんだね。わたし、初めて見たよ」


 ルシアはにこやかに続けたけれど、私は(ど、どうしよう!)と内心焦っていた。あの黒兎は魔王城周辺の森にいるやつだ。レベル一のルシアと比較すると強すぎる。


 私なら火球の魔法で軽く倒せるということは知っているけれど、ルシアの前であんな強い魔法を使うわけにもいかないし、武器もない。どうする? ど、どうする……!?


 迷っているうちに、黒兎がガバッと大口を開けて飛びかかってきた。


「きゃっ」


 驚いて声を上げたルシアの前に出て、私は――なるようになれっ! という気持ちで黒兎を力いっぱい蹴り飛ばす。


「ギッ!?」


 黒兎は白兎を巻き込んで吹っ飛び、木に当たって倒れたかと思うと、ピクリとも動かなくなった。


(いやあああ、ぶにっていったぶにっていったぶにっていったあっ!!)


 蹴り飛ばした時の感触が気持ち悪くて、私は涙目になりながら後ずさる。けれどルシアは倒れた兎たちに無防備に近付いていき、白兎の両耳の根っこをむんずとつかんで持ち上げた。


「ちょっ、待って、何してるの!?」


「え? 持って帰って夜ご飯に出してもらおうかと思って」


 ――嘘でしょ!?


 いや、狩った獲物を食べること自体はたぶん正しい。正しいのだけど、私と年の近い女の子が何のためらいもなく兎――しかもたぶん死体――をつかみ上げたことにびっくりしたのだ。


「あ、欲しい?」


 白兎を差し出され、必死で首を振る。やめてお願いこっち向けないで。


 ルシアは不思議そうに首を傾げているけれど、首を傾げたいのは私の方だ。どうしてラスボスの私が怯えていて、ヒロインが平気な顔をしているんだ! 役割が逆だ! 絶対間違っている!


 カサ、とルシアの側の木の葉が揺れ、今度は青いスライムが姿を見せた。ぷるぷると震えながら動くスライムは、まあ可愛いと思えなくもない――と、思ったのは一瞬で。スライムは動かない黒兎に飛びかかり、全身でそれを包み込んだ。


「あっ!」


 ルシアが気付いた時にはもう遅く、スライムは黒兎を体内で消化していた。そう、透明な体内で兎を溶かしたのだ。


「いやあああああっ!」


 そのグロテスクな光景に、つい絶叫しながら足元の石をスライムに投げつけた。スライムは石が当たった途端、パァンと弾け飛ぶ。その残骸が四散したのを目にして、私はいよいよ頭をかかえてうずくまってしまった。


「もうイヤもう無理、気持ち悪い。何なのあれ……」


 半泣きになりながら呟く。どうしてルシアについてきてしまったんだろう。よく考えたらヒロインがゲーム開始前に死ぬわけはないのだし、放置して帰ればよかった。


「大丈夫? なあに、そんなに強いのにスライムが怖いの?」


 ルシアはクスクスと笑うと、ためらうことなくスライムの残骸に近付いて何かを拾い上げた。おそらくスライムの体内から出てきたであろう何か――魔石だろうか――を、白兎とともに籠にしまう。


 ――なにこのヒロイン、たくましすぎない!?


 何かにつけ怖い怖いと言っているこちらの方がおかしいみたいじゃないか。私がおかしいわけではない、と、信じたい。


「ねえ、――あっ、自己紹介がまだだったね! わたしはルシア。あなたの名前は?」


 このタイミングで聞く!?


 ほんと自由だなこの子、と思いながら、私はゆっくり立ち上がった。人間に名前を聞かれるなんて思っていなかったから、偽名は考えていない。本名をそのまま言うのはさすがに気が引けたので、愛称を告げることにした。


「私はディアだよ」


「ディア――うん、いい名前だねっ」


 ルシアがにっこり笑って言い、それから自分のステータスを表示させた。


「それでね、ディア。レベルが上がったみたいなんだけど、どうしたらいいか知ってる?」


「えっ!?」


 慌ててルシアのステータスを見る。ルシア、レベル八。――八!? ゲームの開始時点では一だったはずなのに、八? 黒兎は終盤に戦うはずの魔獣だったから、経験値が大量に入ったってこと?


 ――私のバカ! 宿敵のレベルを上げてどうするのよ!


 頭を押さえてうめいたけれど、ルシアにどうしたのと聞かれて首を振る。ルシアのステータス画面をもう一度覗き込み、BPと書かれている箇所を指で示した。


「ここにボーナスポイントってあるでしょ? レベルが上がるともらえるポイントなんだけど、好きなステータスに加算できるの。振り直しはできないから気をつけて」


「うーん……?」


 ルシアは首を傾げ、華奢な指先を口元に寄せる。少しだけ考えてから、ステータス画面の一部を指で示した。


「力を上げれば、荷物を持つのに便利かな?」


「ち、ちょっと待ったっ!!」


 力を上げるなんて、この聖女はゴリラプレイでもする気!?


 確かに聖女の力を上げて、杖で殴るスタイルのゴリラプレイもできる。できるがそれは縛りプレイという名の茨の道だ。


 強化なしのデフォルトだと、例えばルシアの魔法攻撃で百三十ダメージの相手だとして、杖で殴ってもせいぜい三十ダメージが関の山だ。ボーナスポイントを少し力に振ったところでダメージ量の増加など知れている。ゴリラプレイをするなら全てのボーナスポイントを力に振り切り、レベルを上げまくるくらいの覚悟がいる。


「あなたみたいな女の子が力を上げたって限度があるでしょ。すぐ魔法を使えるようになるから、まずは魔力に振っときなさい」


「そうなの?」


 魔力が高ければやりくりをあまり気にせず全力で戦えるし、各魔法や技は使った回数に応じた熟練度ボーナスもつく。だからまずは魔力を上げて魔法や技の使用可能回数を増やす、というのが私のゲームプレイ時の基本方針だった。


 攻略サイトを見て決めたわけではないので最適解ではないかもしれないけれど、少なくともゴリラプレイよりはマシなはずだ。


 一通り説明すると、ルシアはふわっとした笑顔で小首を傾げた。


「うん、わかったよ! よくわからないけど、魔力に振ればいいんだね?」


「わかってないよね!?」


 精一杯わかりやすく説明したつもりだったのに、まるで伝わっていなさそうだ。


 ルシアがボーナスポイントを魔力に振るのを見守ってから、強い魔獣が出るから帰ろうと声をかける。もう嫌だ。実際には脅威でなくても心理的には大きな脅威だ。無理だ。特にスライムが嫌だ。もう見たくない。気持ち悪い。帰りたい。


 それならうちに遊びにおいでよと言われ、本当にどうしてこんなにぐいぐいくるんだろうと頭を抱えたくなった。そしてどうにか町のすぐ近くで別れた時には、私はもう気力を使い果たしてしまっていた。


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