02-01 はじめてのお散歩(2)


 町まで空を飛んでいくのかと思いきや、歩こうとお父様が言った。


 飛んだ方が早いけれど、それでは散歩とは言わない。歩いたほうが長く一緒にいられるかな。なんてことを考えながらお父様の隣に並ぶ。空は相変わらず重い雲が覆っているし、まだ午前中だというのに薄暗い。でもお父様と並んで歩いていると、虹の下を歩いているような気分になれた。


 カリュディヒトスに捕まっていた時のことを聞かれたので、歩きながらその時のことを話した。カリュディヒトスに魔王になる気はあるかと聞かれたこと、食堂の扉の前まで彼が迎えに来たこと、捕まった牢屋の鍵を土人形を使って開けたこと――


 理路整然とはいかない私のお喋りを、お父様は時折相槌を打ちながら聞いてくれた。気分が良くなった私は、仕掛け魔法なんて私にかかればチョチョイのチョイだ、なんて調子のいいことまで言ってしまった。


 そうこうしているうちに私たちは町の入口に着いた。


 低い木の柵で囲まれた町の入口には、同じく木製のゲートが設置されている。侵入者を防ぐにはかなり心もとないけれど、魔族が本気で暴れたら石造りだろうとレンガだろうと壊れるだろうから、いっそ作り直しやすい木の柵でいいのかもしれない。


 入り口付近の屋台で荷の上げ下ろしをしていた二人組がお父様を見て慌てて頭を下げる。その先にいた人たちの反応も同様で、皆一様にお父様に礼をとった。そしてお父様が通り過ぎると、私が後ろに続いていることに誰もがぎょっとした顔をする。当たり前なのだけれど、反応の落差にちょっと傷つく。


 少し歩いたところで、お父様がふと振り返った。


「手を繋ごうか、ディア」


「えっ」


 手を差し出され、少し顔が熱くなるのを感じながらそっと自分の手を乗せる。温かくて大きな手に自分の手全体を包まれて少しドキドキした。お父様はとても綺麗な顔立ちをしているけれど、手全体も指も大きく筋張っていて、手はしっかり男の人のそれだった。


 周囲が一斉にざわついたけれど、お父様は気にする素振りもなく、私の手を引いて歩き始める。暴れそうになる心臓を抑えながら、落ち着け落ち着けと心の中で呟いた。


 親子なんだから普通。親子なんだから普通。親子なんだからこれくらい普通! ――よし、落ち着いた。


 その後、通りすがる人たちもやはりこちらを見て驚いている。けれどその理由はさっきまでとは違い、私一人の存在にではなく〝お父様が私と手を繋いでいるということ〟に変わったのだと、漏れ聞こえる声から察した。たぶんお父様は私のために手を繋いでくれたんだろう。そう思ったら、なんだか足取りが軽くなる。


「さて、どこか行きたい場所はあるか?」


「決めていいの? じゃあ本屋!」


 土人形の魔導書もまだ途中だけれど、せっかくだから新しいのが見たい。本屋に入ると魔導書コーナーに直行する。前回は全ての背表紙を眺めることはしなかったけれど、改めて見ると攻撃魔法、回復魔法、生活魔法など、様々な魔法が入門から応用まで揃っている。


 何がいいかなぁと背表紙を一つ一つ追っていたら、端の方に置かれていた〝転移魔法〟の文字に目を奪われた。


「これ! これ欲しい!」


 本を手にとって、お父様にその表紙を見せる。転移なんてあの有名アニメ番組に出てくる秘密道具みたいではないか。学校に遅刻しそうになった時や天気の悪い日に、目的地まで瞬間移動できたらいいのにと何度夢見たかわからない。きっとこの本を読めば、あの夢のような魔法が使えるようになるに違いない。


 お父様は本を見て「これは難しいぞ」と眉根をわずかに寄せた。


「大丈夫、練習する!」


 ディアドラなら何でも使いこなせるはず、と両手を強く握りながらお父様を見上げる。お父様はしばらく困ったように私を見下ろしていたが、


「お願い、お父様」


 精一杯可愛く言うと、


「……まあ、一冊くらいなら……」


 と、本のお会計をしてくれた。


 買ってもらった本を抱え、鼻歌を歌いながら店を出る。しばらく本を持って歩いていたら、重いだろうとお父様が持ってくれた。


 本を渡したとき、お父様の手首に黒い紋様みたいなものが刻まれていることに気がついた。タトゥー? そんなもの前からあったっけ?


 そんなことを考えていたら、空からザムドが降りてきた。


「ディア! ……と、グリード様。もういいのか?」


「ああ」


 そっかとザムドが言って、私とお父様が繋いでいる手に視線を向ける。じっと手を見つめられると気恥ずかしい。そろそろ手を離そうかと考え始めたところで、ザムドが私に向かって言った。


「俺も手ぇ繋ぎたい!」


 ――私のお父様と、手をっ!?


 確かにお父様は格好いいし魔王だし、羨ましくなるのも無理はない。無理はないけれど、お父様はあくまで私のお父様なのであって……いや別にお父様を独り占めしたいわけでは……。


 いやいや落ち着け。ここのところ、体の年齢やお父様の存在に引きずられて精神年齢が下がっている気がする。確かにディアドラはまだ十歳だけれど、私としては中身は二十歳のお姉さんのつもりだ。大人の仲間入りを果たしたお姉さんは、父親を独占なんてしない。


 そう私はお姉さん。お姉さん……。


「いいよ」


「やったー!」


 ザムドが明るい声を上げながら手を伸ばしてくる。ちょっとよ! ちょっとだけだからね!! と思ってしまう私は心が狭いんだろう。


 でも私の想定に反し、ザムドがつかんだのは私の空いている方の手だった。


 ……ん?


 ――あっ!


 それはそうだと気がついて顔が熱くなる。お父様の手のうち片方は私と繋いでいて、もう片方は私の本を持っているから、両方塞がっている。何よりザムドと仲がいいのはあくまで私だ。


 どうしてザムドがお父様と手を繋ぐなんて考えたんだろう。恥ずかしい。穴があったら入りたい。


 そんな私の心境をよそに、ザムドはにこにこしながら繋いだ手を振っているし、お父様は何を考えているのかわからない微妙な表情で私たちを見下ろしている。


「あっ、そうだ、ザムド」


 ザムドの手を引いて少しこちらに引き寄せる。今度ザムドに会ったら、お父様が眠っている間のお礼を言わなければと思っていた。弟分の世話になったことは若干気恥ずかしいけれど、私はお姉さんなのだから、小さい子への見本としてちゃんと言わなくちゃ。


「昨日と一昨日、ずっと一緒にいてくれて……その、ありがと」


 ザムドは一瞬きょとんとして、それからぱぁっと顔を輝かせた。


「俺、ディアの役に立った? 立った?」


「うん」


「やったー!!」


 私から手を離し、ばんざいしてぴょんぴょん跳ね始めるザムドを見ていると、弟分というよりもはや飼い犬か何かに見えてくる。もし彼にふさふさの尻尾がついていたら、はちきれんばかりに振っていそうだ。


「ディア、あまり遅くなるとジュリアスが心配する。そろそろ戻ろうか」


「あ、うん」


 お父様に言われ、ザムドに別れを告げる。えー遊ぼうぜと言われたけれど、お昼を食べてからと答えたら大人しく去っていった。お父様が城の方角に向かって歩き始めたので、私もその背を追いかけた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る