01-08 裏切り(5)


 聖女伝説の物語は、ある日突然、魔族の大群が聖女の暮らしていた町を襲ってくるシーンから始まる。それまで鳴りを潜めていた魔族達がディアドラに率いられ、聖女の住む町にやってくるのだ。


 聖女が今住んでいるはずの町の場所は知っている。きっと魔族は皆、ナターシアに最も近いその町に向かうはずだ。


 出せる限りの速度で、低い位置を飛ぶ。新幹線の窓から外を見るときよりずっと速く、雲も地面も海面も通り過ぎていくけれど、怖いなんて言っていられない。上空を見上げると、魔族たちがまだずっと前を飛んでいる。でも徐々にではあるがだんだん近付いてはきている。なんとか彼らが町にたどり着くまでには追いつきたい。


 必死で飛び続けて、ようやく追い抜いた時には、私はもう町の上空にいた。


 息が弾む。もう汗だくだ。


 カンカンカンカン、と警報らしき鐘が鳴り続けている。町のあちこちから悲鳴らしい声も上がっていた。私に向かって飛んでくる矢もあったけれど、そんなものに構っていられない。羽を一振りすると、人間の矢なんて簡単に弾き飛んだ。汗を腕で拭い、近付いてくる魔族達を見据える。


 どうにか呼吸を整え、すう、と大きく息を吸い込む。迫ってくる魔族の大群なんて、恐怖以外の何物でもないけれど、大丈夫と自分に言い聞かせる。


 ゲームを思い出せ。ディアドラの超強力な全体攻撃を。何度も全滅させられてコントローラーを投げかけた――いや実際に投げた――が、今は私がディアドラだ。ゲーム内で最強最悪とうたわれた、魔王ディアドラなのだ。


 空中にありったけの魔力を集め、たくさんの火球を作り出す。魔力なんてここで使い切ったっていい。奴らが町につく前に、全員叩き落としてやる!


 右腕を高く掲げる。私の作り出した火球達がそれを合図に空高く昇っていく。


「――爆ぜろ!」


 私は右腕を振り下ろす。火球達は勢いよく飛んでいき、各々が空中で激しく爆発した。真っ昼間だというのに空が赤く染まる。あちこちで黒煙を上げながら、炭のような塊が落ちていく。


 ――や、やりすぎたっ!? でも魔族が一発くらいで死にはしないはず……だ、大丈夫よね? 生きてるよね??


 まだしぶとく飛んでいる魔族がちらほら見えたので、もう一度火球を飛ばす。それでようやく空には何の影も見えなくなった。


 足元の町を見下ろしてみる。

 こちらを見上げて固まっている人、逃げていく人、反応は色々だけれど倒れている人はいない。町の建物も全て無傷に見えた。


 ――ふと。


 私を見上げていた一人の少女と目が合った。桜色の髪を肩まで伸ばした少女は、大きなピーコックブルーの目をぱちくりしながら、じっとこちらを見つめている。その表情に恐怖の色はなく、驚きと不思議さとが織り混ざっているような印象を受けた。


 ゲームをしている間ずっと見てきた主人公の顔グラが頭に浮かぶ。私の知る彼女の髪はもう少し長かったけれど、顔立ちの印象は変わらない。


(か、可愛い。さすが未来の聖女ね)


 キツい印象のディアドラとは違い、正統派の美少女だ。確か攻略対象のうち彼女の幼馴染は小さい頃から彼女が好きだった。幼馴染もそりゃあ惚れますわ、と思ってしまうほど可愛い。


 ――って、今はそんなことより、魔族をなんとかしなきゃ。


 空は片付いたけれど、陸を走ってくる奴がいないとも限らない。ステータスウインドウを確認すると、まだ魔力は三分の一くらいは残っている。


 羽をはためかせると、ナターシアの方角に向かって飛び始めた。



  ◇



 飛んでいってしまったディアドラを追いかけようとしたが、グリードにはもう体を起こす力も残っていなかった。窓に顔だけを向けると、彼女の姿はとっくに小さくなっている。


 ディアドラが弱くないことはよく知っている。それでも何人の魔族がいるかもわからず、カリュディヒトスやリドーの相手もしなければならないかもしれないという状況なのだ。心配するなという方が無理がある。


 ――ディア、どうか、無事で……。


 グリードが意識を手放しかけたその時、ジュリアスが己を呼ぶ声が聞こえてきた。ジュリアスの姿を視界に捉え、グリードはそちらに手を伸ばそうとする。けれど動かせたのは指先だけだった。


「私……より、ディアを……」


「駄目です。それではあなたがもちません! 大丈夫です、ディアドラ様は我々五天魔将を凌ぐ力をお持ちですから」


 ジュリアスがかけてくれた回復魔法のおかげで呼吸が幾分か楽になり、ふう、とグリードは息を一つ吐き出した。先程ディアドラが駆けつけてくれた時のことを思い出す。


 ――お父様、と呼んでくれたな……。


 ディアドラからそんな風に呼ばれる日が来るなど、夢にも思っていなかった。できることなら、もう一度そう呼んでほしい。


 そこまで考えたところで、グリードはいよいよ意識を失った。


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