01-08 裏切り(3)


 グリードが東の塔に入ると、カリュディヒトスが魔石の前に立っていた。カリュディヒトスはグリードが近付くと、魔石から一歩下がって場所を譲ってくれる。


「魔王様のお手を煩わせてしまい、申し訳ありませぬ」


「問題ない。始めるぞ」


 グリードは先程と同じように魔石に右手をかざし、魔力を込める。北の塔で魔力を込めた時と同じく、ゆっくり魔力を魔石に充填する――はずだった。


 バチッ、と手首に火花のような光が走ったかと思うと、グリードの手の平から急速に魔力が抜けていく。


「!? これは――ぐっ」


 力づくで魔力の放出を止めるが、その時にはもうグリードの魔力は底をつきかけていた。


「どういうことだ、カリュディヒトス――っ」


 カリュディヒトスを振り返ろうとして、ぐら、と視界が歪んだ。歪んだ世界の中で、カリュディヒトスが浮かべる笑みもひどく歪に見える。


 体が重い。グリードは頭を押さえながら、カリュディヒトスを見据える。彼はとても愉しそうに笑っていた。


「おっと、おかしな動きはされませんように。ご息女は我々が特別室にご招待してございます。それがどういうことか、お分かりですね?」


「貴様、ディアに何をした!」


「さて……何でしょうね?」


 グリードはカリュディヒトスを強く睨みつけた。魔力がほぼ尽きているとはいえ、爪を伸ばして斬りかかる程度の体力はまだ残っている。けれどディアドラを人質に取られてしまっては――いや、ここで何の抵抗も示さなかったからといって、彼女が無事にすむとは思えない。彼女が誰にであれやすやすと負けるとも思えないし、ここは一か八かカリュディヒトスを排除した方が――


 そこまで考えた時、どん、という衝撃と共に、腹に猛烈な熱を感じた。己の腹を見下ろすと、漆黒の剣が背中から腹にかけて貫通している。


「ぐっ、」


 爪を伸ばして振り向きざま薙ぎ払うが、グリードの後ろにいた人物には素早くかわされてしまった。また魔力が何かに吸い取られるのを感じ、伸ばしたはずの爪が元の長さに戻る。闇色の長い双剣を携えた人物がカリュディヒトスの前に立った。


「危ない危ない。さすがグリード様、その状態でよくもまあそんなに速く動けるもんだ」


「リドー……」


 その人物――リドーは双剣を構え直すと、獲物を見つけた獣のような目をして舌なめずりをする。


「抵抗すんなよォ? 囚われのお嬢一人、俺様達二人でならどうとでもできるんだからさァ」


 グリードは眉間にしわを寄せ、ぐっと強く目を伏せながら、腕をだらりと下ろすしかなかった。


 リドーに肩を、腕を、背中を、足を斬りつけられるたび激痛が走る。遊んでいるのかリドーはあえて急所を外して何度も何度も剣を振るってきた。かと思えばまた深々と腹を貫かれ、グリードは膝をつく。「ひゃはははは!」とリドーは高らかに笑った。


「やっぱ最高だわ! 無抵抗の奴をいたぶるのはよォ! まだ死なないでくれよ? あんたの作った〝弱い奴を傷つけるな〟って規律のおかげで、俺様は何年もうっぷんがたまって仕方がなかったんだからさァ! もっと楽しませてくれよ!」


 床の血溜まりがゆっくりと広がっていく。荒くなった息を吐き出すごとに、体から力が抜けていくようだ。リドーの振るった剣が魔石を捉える。魔石は大きな音を立てながらその場で弾き飛んだ。


 ――シリクス、すまない。


 グリードは床に散った魔石の欠片を見ながら、今は亡き友を思った。この結界は彼が苦労して構築してくれたものだというのに、自分は守り切ることができなかった。彼と目指した、人と魔族が共存できる世界も作ることができなかった。


 ――ディア。


 ああどうか、彼女だけでも無事であってほしい。


 薄れそうになる意識の中で、先日彼女が見せてくれた笑顔を思い浮かべようとして――


「私の、お父様に――何すんのよッ!!」


 よく通る高い声に、はっとして顔を上げた。



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