第11話

『今更、自己紹介は必要ないね』

 青紫のもや…… ミシュウ自身が、己の中に住む守り子を通じて、三人の魔女に話しかけている。

「信じられン…… 男に守り子が宿っているンなど」

『守り子をもつ女性を魔女と言うように、守り子をもつ男性は〝魔飼まがもの〟と呼ぶそうだ。世界的に、不思議じゃあない。ただ、生存率が段違いに低い』

「生存率? まるで守り子が寄生虫か何かのように聞こえるが」

 アツトがやや怒気をはらんだ口調でミシュウに食ってかかる。

『女性にとっての守り子は、力を与えてくれる〝神との橋渡し役〟かもしれないけど、男性にとっては肉体の優先権を取り合う〝対立相手〟さ』

 ミシュウ曰く、女性が守り子を宿す際〝シルシ〟が刻まれる。そのシルシに守り子は宿るのだと言う。しかし、男性が守り子を持つと、どこにもシルシは刻まれない。宿る場所がない守り子は……

『脳を、犯し始めるんだ』もやは、一呼吸おいて『最初はごくごくわずかな範囲を。少しづつ、少しづつその宿る容量を増やし、脳の全てを掌握する。最後には肉体の権利全てを乗っ取る』言葉の最後は、少し詰まりながら説明する。

「なら、なぜお主はその守り子と共生にも似た状態になっておる?」

 ピアスの、もっともな意見に一同はミシュウの回答を待つ。

『私の守り子…… これは、母である〝静寂の魔女アマリア〟がもともと持っていた守り子、らしい。……らしい、というのは私が聞いた話なんだけど、母は私を産んで間もなく亡くなった。その時、母の体からシルシが消えてしまった、と聞いている』

「だ、だからといってお前に守り子が移り宿ったかどうかは、分からぬのではないか!」

「いンや、魔女が子供を孕み、産むなどということがそもそも聞いたことがない」

『例が少ないだけさ。私が世界を周ったとき、何例か実際にあった。ただ、そのどれもがまともな最期を迎えていない…… 私の例が、あまりに特殊すぎたんだろう』

 もやとはいえ、張りがなくなった声色から、ミシュウが落胆した様子が伝わってくる。

『ともあれ、私は自身の生まれの特異さと、同じ境遇の者がいないか探すため、成人するのを待たずに世界を周る決意をした。その中でたくさんの魔法や精霊と出会ったり、各地で研究が始まっていた錬金術を片っ端から学んでいった。気が付けば、その頃私は周りから〝賢者〟と呼ばれるようになっていった。自分ではそんな気は全くなかったけどね』

 ミシュウは淡々と話す。

「何のために、そンな研究を?」

 不思議と、犯罪者と知りながらも話の内容に興味を示したピアスが、続きを促す。

『守り子を、私の体から解放するため…… 逆かな? 私が守り子から解放されるために、だな。同じ境遇の者がいて、同じ研究をしているかもしれないし、既に解放できたなら、その方法を実行するために、何が必要かがすぐ分かるようになりたかった、というのもある』

 確かに、いつ体を乗っ取られるか分からない守り子を、取り除けるなら取り除こうとするのが普通だろう。アツト達のような普通の魔女にとっては、守り子は寿命は増えるし魔法は強くなるし、いいことづくめな存在を、追い出そうなどと考えたりしない。

『しかし、そんな者はいなかった。研究も全く進まない。途方に暮れた私はとある噂を最後の頼りに、アンサヴァス教団の門を叩いたんだ』

 三人は、もはやミシュウの話に聞き入ってしまっていた。

「持ち前の知識も相まって、教団内でどんどん地位が上がっていき、気が付いたときは地方組織を任されるまでになった。だが、私の本来の目的はそうではない。そんな時、魔女の発祥の地であるオルトゥーラへの派遣員の話が教団内で上がっていた……」

 そこで、魔女たちは例の戦争に続くのだと直感した。

『戦争を起こすつもりはなかったが、その時点で私の中の守り子の浸食が、かなり進行していた。言い訳になるが、戦争中は自分の意識が正常でなかったことが多々あった。それに加えて、暴走していた自分を止めることもできなかった』

 もやから発しているとはいえ、紡がれる言葉からは後悔と無念さが伝わる。

『私は、私は…… 守り子から解放されたかった。他の魔女たちもきっとそうに違いない、そんな思い違いが、言葉を変え行動を変え、結果、戦争を起こしたと思っている』

 青紫のもやは、見て分かるほどに落胆した雰囲気を醸し出す。

「……今はどうなの? 守り子の浸食は」

『ああ。君たちが私にかけた魔法が時間ごと停止してくれているおかげで、あの時点からの浸食はされていない』

「本当に? 例えば外部からなにかしら、例えば私たち以外の接触があったりとか」

『……ああ、ピアス殿が言っていたことかな? 残念だがこの場所はかなり素晴らしい隔離空間を形成しているようだ。最初の数ヶ月こそどうにかして脱出しようと試みたが、慣れてみると快適だし、守り子の浸食の悩みも解決されているしで、当分はこのままでもいいくらいだよ』

「ずっとは儂が困るンじゃが」

『君たちがここに来たのは、その確認なんだろう? 詳細を聞いたが、残念だが私では力になれる情報を持っていない。ただ、アンサヴァス教団のローブがあったなら、セマンデル大陸の神坐殿かみざでんに行ってみるといい。変わっていないなら今でもスハマ天司が最高指導者として指導を行っておられるはずだ』

 そこまで言うと、もやは徐々に薄くなり、次第に口数も減っていった。『これ以上話すことはない』という意思表示なのか、魔女たちも仕方なくその場を後にした。


     *   *   *


 エンリ達が現界域の駐屯所に戻ってきたときには、軽く十日以上が経過していた。

 二つの界域の境界にある蜃気楼の砂漠と、元のこちらの界域では時間の流れ方が違うため、というのが一番の理由だが、あの話のあと、すぐに現界域に戻る気力がなかったというのも、時間がかかった理由でもある。

 しかし、そこで思わぬ事態が起こっていたようだ。

 今、エンリは蜃気楼の砂漠へ向かうために通った門が呼び出されていたあの演習場に、また来ている。

 演習場の周囲を、警備兵やパルティナ達が囲んでいる。

 中央に、エンリ。

 そしてその正面に、ログレス。

 事の発端は、数時間前。現界域に戻ってきたエンリにログレスが放った一言だった。

「鬼ごっこをしよう!」

 聞けば、エンリ達が戻ってきた時点で怪我自体はある程度完治しており、元気が有り余っているというのはわかる。が、なぜ鬼ごっこをすることになったのかは、今この場面においてもエンリには理解できていない。

「ルールは、今から五分間! 我が逃げるのでエンリ殿は我を捕まえること! ただし、ダメージを伴う魔法の使用は禁止! また、そうでない魔法であっても、結果的にダメージが発生してしまうような場合も反則負けとなる!」

 要は、自身を強化したり相手を弱体化させたり、地面を沼に変えたりするのは問題ない、ということになる。

「いいのか? 魔女相手に魔法の使用を許可するなんて、自殺行為もいい所だぞ」

 アツトも面白そうだと見に来ていたが、さすがに条件が厳しいと感じたのか、助け船のつもりで茶々を入れる。

「大丈夫ッス隊長。ログレス君、鬼ごっこ位なら何とかなると思うっスよ」

 ログレスに錬金術の本を、と頼んであった部下が、いつの間にか近くに来ていた。

「あん、どういうことだ? 何か、勝算でもあるのか?」

「勝算というか、もう所内でログレス君に勝てる人間がいないっス」

「……おい、ちょっと待てそれはどういう『スターーーーーート!』」

 唐突な試合開始の合図とともに、空中に五分を測る砂時計が魔法で投影され、両者は一定の距離を保ちつつ、円を描くように横移動を開始する。

 エンリは試しにと、杖を地面に何度か打ちつける。その軽快なリズムからか、こぶし大の岩石の精霊たちがひょこっと地面から顔を出す。

「お、さっそく足止めか? だが……」

 意外と小さな精霊たちが一斉にログレスに飛びかかるが、ログレスはそれをサイドステップで難なくかわす。

「だろうね、だから……」

 エンリはすかさず、ログレスの進行方向へ精霊を壁のように積み上げる。

「まだまだぁ!」

 ログレスは勢いを殺すことなく、そのまま壁を登り始めた。

「え? やるじゃない…… でも、これで!」

 続けてエンリはカツカツとテンポよく地面を叩く。壁がさらにせり上がり、歪曲し、天井を創りだす。

「まっ…… だまだぁ!」

 壁を駆け上がる勢いを崩さず、少し前かがみになるがどんどん進み、なんとログレスはそのまま天井の精霊の下に、逆さ向きに立ってしまった。

「どぉーだ! エンリ殿自身が追ってこれないと、鬼ごっこの意味はないぞ!」

 天井に逆さにぶら下がったまま、ログレスは挑発する。

 すると、逆さになっているからか、ログレスが履いているズボンの裾がずり落ち、足首があらわになる。よく見ると、足と裾の間から赤白く輝く金属が見え隠れしていた。

「そんな離れ業ができるってことは、やっぱり持ち出していたのね。ネオントラム城の至宝…… 〝四天の武具・天駆あまがけの具足〟!」

「う! 知っていたか…… しかし! 勝負は別! 魔女に挑もうというのだ、これくらいのハンデはあってもよかろうに!」

 エンリは、むしろ望むところと言わんばかりに、左後ろの髪飾りを軽く二回杖でつつく。

「まあ、そんなものが出てくるんだから、ちょっと怖い思いをしてもらいましょうか」

 そして、杖で一度強く地面を突きたてる。一瞬の間を置いて、岩石の精霊がふっと現界域から消え、かわりに演習場全体から低い地響きが聞こえだす。

「な、なんだ?」

 足場が消えて地面に頭から落ちそうになったログレスは、猫のように体をひねって無理やり反転させ、着地しつつ改めてエンリを見据える。急にこちらに来るような気配はなく、むしろ何かを唱えるため、集中力を高めているような雰囲気を感じる。

(……距離をとったほうがいいか?)

 距離をとろうと身構えたその瞬間、突如、演習場の地面全体が盛り上がった。

「ははははは! 久しぶりの呼び出しはやけに硬い天井じゃないか!」

 大声をあげながら大地の精霊が、エンリとログレスのほぼ間あたりから勢いよく出現した。あまりの巨体で、上半身しか地上に出ていないが、それでも既にログレスの三倍近い高さがある。

「ストペタック、彼を捕まえて!」

 エンリは、杖の先を地面に向けたままくるくる回しながら、反対の手でログレスを指さす。

「へぇ、何々? 新しい遊び? 捕まえるだけならあなたの方が得意なんじゃあないの?」

「馬鹿言わないで。無傷が条件なんだから」

 エンリに向けていた視線を、大地の精霊ストペタックはログレスに向ける。

「ま、そんなわけだ青年。おとなしく捕まってもらうよ!」

 言うが早いか、ストペタックは両腕を地面につけ、そのまま頭の上へ掬い上げる動きをとる。それに反応するかのように、ログレスの周囲の地面が盛り上がり、まるで器に盛りつけられた食材のようになる。

「まずい!」

 いうが早いか、ログレスは具足に力を込める。込めた分だけ締め付けが強まり、己の認識したものすべてを足掛かりにする能力が備わる。今、この状況から脱するために必要な〝足場〟は……

「ここだ!」

 おもむろに、右足を真横につき出す。すると、不気味な金属音とともにログレスの体が蹴りだした方向と逆の向きに体が流される。まるで、そこに壁でもあったかのような動きだ。

「すごい…… これぞまさに〝天駆け〟の真骨頂、って感じですけど」

 空気蹴りはその一回に留まらない。どんどんと上空へ駆け上っていくが、ストペタックもログレスを捕まえるために土の器を生成し、襲い掛かる。そのたびにログレスも新たに空気を蹴り、逃れる。

「はははは! 面白い動きだ! そこまで高く駆け上がられてはとても届かんわ!」

 早々に精霊は捕獲を諦め、作り出した土の器をもとの地面へ戻す。

 ログレスは大きな円を描きながら高度を少しずつ下げる。ついでに残り時間を確認すると、あと一分を切っていた。

「エンリ殿! 精霊魔法だけでは我は捕まらん! 魔法を使ってはいかがかな?」

 しかしエンリは、ログレスの挑発を受けても魔法を使う気配がない。

「あいにくと、魔法禁止の願掛け中でね! 代わりにこれをあげるよ!」

 エンリは杖の先を優しく撫でて、ゆっくりと深呼吸する。それを合図に大地の精霊ストペタックは元いた覚界域へと戻っていく。まだ空から降りてきていないログレスを目で確認した後、杖を右前の髪につけた宝石に向けて、弦楽器を演奏するように擦り付ける。杖先を素のまま大きく閃かせて、体を一回転。最後にログレスへ向けて、

「ザークイング…… あなたの領域に侵入者よ!」

 杖が切る空の中から現れた嵐の精霊ザークイングは、まさに自身の領域の侵犯者であるログレスを見据えると、不敵な笑みを浮かべて飛びかかる。

「な、何体居るのだそなたの精霊は!」

 通常、精霊を呼び出すには、周囲にその精霊が気に入る環境が必要である。

 火の精霊なら火種、水の精霊ならちょっとした川など。大地の精霊は緑生い茂る栄養豊富な地面、風の精霊なら開けた平地、などである。

 加えて、人間の声などは(一部を除いて)理解できないので、呼び出すにはそれに相応した〝仕草〟や〝触媒〟が必要になる。エンリの例で言うと、精霊との接触コンタクトのためにあらかじめ用意した宝石に、特定の行動をとるとそれが召喚の合図となっている。

 ただ、これは一人につき通常は一つ。多くても二つだ。それ以上となると別々の宝石やしぐさの登録が必要となるので非常に効率が悪い。何より、一度に複数の精霊の召喚は術者的にも制御が難しくなる。恐らくエンリもそれを理解してか、いったんストペタックを引っ込めてからザークイングを召喚している。

「相手の心配より、あなた自身の心配をしなきゃいけないんじゃあなくて?」

 ログレスはそのセリフを、まさに耳元で聞いた。既に、嵐の精霊ザークイングは背後にまわりログレスを捕らえていたのだ。

 だが、その時点で大きなサイレンが鳴り響く。試合時間が終わりを告げたのだった。


     *   *   *


「我の勝ちだ! エンリ殿!」

 ログレスは肩で息をしている。それもそのはずで、数日前までは怪我人であったし、これほどまで体力を使う運動は、エンリについて旅に出てからというもの、ほとんど行ってこなかった。しかも覚えたての体の使い方に、少々無理があってもおかしくない。

「まあ、ああ。そうだな。まさか持ち精霊を二体も、お披露目することになるとは思って、なかったな」

 エンリも、召喚に次ぐ召喚で、体内分における魔霊素の消費が半端でない。当分は界域の干渉も控えなければならないだろう。体力もそれなりに消耗したようで、こちらも息が上がっている。

「つまり、もう、我は以前までの、お荷物ではない!」

「……お荷物?」

 エンリはきょとんとする。

「不意な事故とは言え、あんな場面で友も守れず、残念な醜態を見せるようなことは、もうないと約束する!」

 ああ、そうか。彼は焦っていたのか。先の反社会テロ組織による襲撃の際に真っ先に負傷し、守られたことに、自身への憤りを抱えていたのか。エンリは、そう理解した。

「今後は、我を頼れ! 何を目的としているかは、まだ語る間柄ではないかもしれぬ! それでも!」

 ログレスは、力強い眼差しでエンリを見つめつつ、手を取る。

「きっと、そなたを守ることくらいは、できるようになったつもりだ」

 ログレスなりに悩み、考えた結論なのだろう。王子という身分と、昨今の世界事情、そして先日の襲撃という環境から、ネオントラムへ返されることが目に見えていたのだろう。少しでも役に立つ、共に旅に出たいという思いを伝えるための行動が、この「鬼ごっこ」に繋がった、とエンリは理解した。

 そして、エンリはふと感じた。

 ログレスの眼差しが、若い頃のサングレシアの眼差しと似ていることに。

 よく見ると、顔だちも、雰囲気からにじみ出る気質すら、エンリには懐かしく感じた。

「……ちょっと近いと思うんですけど」

 今にも抱きつきそうなほどの距離になっていた二人に、クリエラが割って入る。

「ログレスは無茶しすぎなんですけど! 途中で魔霊素が尽きたら、いくら天駆けの具足でも頭から落ちるんですけど!」

「あら、なんでクリエラも具足の事を知ってるの?」

「ログレスは、小さい時から祖父王様の具足を黙って使っていることをよく怒られていましたから、私も一緒によく怒られていたんですけど、その時からもう当たり前のように着けていることが多いので。……でも、今回はさすがに肝を冷やしましたけど」

「……主が無茶をするから、あなたもそのために魔法の勉強をしていたわけね?」

「その話はまた別の話になるんですけど…… そこまで遠い話でも、ない、ですけど」

 最後の方は声が小さくなってしまったが、特に否定されたわけでもなさそうなので、エンリはそんな二人に満足しながら、

「わかった。ログレスも、クリエラも、ありがとう。まだ私の旅行は続くけど、もう少し一緒にいてもらっても、いいかしら」

 エンリの決断と発表は、ログレス達のみならず、周りの観客も伴っての歓声となり、彼らの新しい出発の門出を祝したのだった。

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