第六章 世界樹の神殿

第12話

 夏の暑さが最高潮を迎えるころ、エンリ達はナチュ・ナラルを発つことになった。

 当分はまだ反社会組織テロリストの存在を考えながらの行動になるが、どちらにせよ防ぐ手段も大きな手掛かりもない中、下手に一カ所に留まったり別行動をとったりすることの方が愚策、ということもあり、当分は今まで通りの旅行を続けよう、という方針になった。

 少し移動経路に追加があったとすれば、霊峰ツツキ山脈を渡る時に、ミシュウが所属していた宗教組織アンサヴァス教団の総本山であるフロンプの神坐殿かみざでんへと向かうことであろうか。

 そもそも、ツツキ山脈自体が別の大陸、次の訪問予定であったセマンデル大陸にあるので、ラフラッド大陸を東へと進むことになる。

 しかし、ここで嬉しい誤算があった。ナチュ・ナラルの東側の都市で、最近ナチュ・ナラルから独立したハニジ・ナラルまでを、以前は軍事的な理由から開発がままならなかった最新の錬金術を用いて建造された空飛ぶ運搬船、その名も『渡運機号とうんきごう』で送ってもらえることになったのだ。

「通常は、民間人を乗せることはしないが反社会組織テロリストの件もある。秘密裏にナラルから出られるならその方がいいだろう」

 と、警備兵隊長である疾駆の魔女アツトのお達しであることは言うまでもない。

 ナラルから出ることを公表する(公に出国する)方が良いのでは、とも思ったが、「ナラル国民のために普段の生活の警備をすることが我らの仕事ほこりであるし、姉さまたちのような旅行者を危険にさらすことは我らの恥でもある」と言われてしまった。

 それならば、と言葉に甘えてエンリ一行は渡運機号にて、独立都市ハニジ・ナラルへと向かった。

 渡運機号は、現在のナチュ・ナラルにおける錬金術の粋を集めて作られており、普通に砂乗船で渡るよりも半分未満の速度でハニジ・ナラルまで行くことが可能だ。

 それでも、空に浮かべて飛行することが主な航行法なので、強い風が吹いたりすると飛べないし、そもそも陸上空域以外での航行実験がまだなため、他の大陸へ向かうなどの運用まではされていない。

 エンリ達は乗船に関して簡単な説明を受けた後、渡運機号へと乗り込んだ。船は、すべての乗員の乗船を確認した後、左右に張られた魔素を受ける帆を広げてゆっくりと羽ばたき、大空への上昇を開始する。 

「……本当に、飛んでるのね」

「すごいな! 錬金術はこんな大きなものを飛ばすこともできるのか!」

 ログレスは添え付けの窓に張り付き、興奮した面持ちで徐々に小さくなるゼーオ・ナラルの街並みを見下ろしていた。

「少し前はその錬金術の応用で空を飛んでいた人の台詞とは思えないんですけど」

「あれは、ほとんど具足の力にすぎん。自身の魔霊素の運用を、錬金術に従って行っただけだからな!」

「まあ、四天の武具といえば〝古代人の遺物〟の中でも結構有名な部類でしょ?う よく城から持ちだせたわよね」

 エンリは、そもそも四天の武具を(元々の持ち主からして)知っていたので、そこまでの驚きはないようだが、別の意味での疑問が顔をのぞかせていた。

「違うんです。普段から履きっ放しでろくに外したりしてないんですけど。今回城を出るときもそのままで、……今に至るわけなんですけど」

 なるほど、とエンリも納得する。確かにこのイタズラ小僧ならやりそうなことだろう。

「はっはっは! 結果的に問題なし!」

 持ち出しを咎められているログレスを尻目に、チャイクロも眼下の街並みを見てオレンジの瞳を輝かせている。

「わぁー! 見て! 町があんなに小さくなってる!」

「そういえば、チャイクロ殿は有鱗族なのだろう? 空は飛べぬのか?」

 先日、チャイクロは錬金術で猫の姿をした有鱗種の希少個体であることが判明している。現在、その存在が確認されている有鱗族にはいなくなってしまったらしいが、かつては空を飛ぶための翼を持った種族もいたらしい。

「わかんない! 見たことないし、姿もこっちの方が動きやすくて好き!」

 視線を街並みからそらさずに答える。そもそも、空の旅自体予定にない経路だ。エンリ自身もこんな形で空路を楽しめるとは思っていなかった。

「そう言えば、何でチャイクロさんは猫の姿をされておられるのですか? というか、錬金術で姿を変えられる錬成式なんて、聞いたことがないんですけど」

「そうね…… 次の大陸がチャイクロ関係の目的地だから、そこについたら教えてあげる」


     *   *   *


 エンリ達の乗った渡運機号は、無事ハニジ・ナラルの発着場に到着した。

「もう少し早く着く予定だったけど、まあ、なんとか無事に着いたな」

 航行中に発生した砂嵐を避けるために丸一日を費やしたせいで、現在は太陽が東の空に顔を出したあたりだ。

「せっかくですから、朝食も一緒にいかがですか?」

 というアツトの申し出もあり、全員でハニジ・ナラルで朝食を食べることになった。とはいえ、まだ街道の店も開いていないので、発着場に併設されている軍御用達の食堂であはあったが。

 渡り廊下を超えた先に、早朝だというのに何人かが着席しており、調理場からはおいしそうな匂いがたちこめていた。

「なにがおすすめなのだ?」

 ログレスがフンフンと鼻息を荒くしながら、一番美味い食事にありつこうと余念がない。

「ラフラッドといえば、香辛料の効いたラフラッド牛も有名だが、それは西地区の方が本場だし、朝に食べるならフラネーロのサラダだな」

 フラネーロは背の高い植物で、種子がひと固まりの房状に作られる。房から種子をとって、同じフラネーロの葉に包んで焼くだけでもおいしいが、種子を潰してあらかじめ焼いてから葉に絡めて食べるとまた違う風味で楽しめる。ラフラッドの東地区では香辛料を含めた野菜の栽培が盛んなので、ひとつ野菜を材料にとっても多彩な食べ方がある。

「サラダではここぞという時に力が出ないぞ……」

 やはり、年頃の男子らしく朝夕問わず肉をご所望のようだ。

「なら、〝今日の一押し〟を紹介しよう」

 と言いながら既に料理が盛り付けられたトレイをログレスの前に置くアツト。

「これ……は?」

 トレイには大きな皿が一つ。皿の上からは普段嗅いだことのない、多種多様な香辛料がふんだんに使われているのが分かるほどに、刺激的な香りが立ち上る。ただ、色が独特で、白い穀物と赤黒いソースが半分ずつ盛り付けられている。ソースの中には、具と思わしき野菜がいくつも入っている。しかし、煮物料理にも見えない。ログレスの故郷のエメリッドにもこんな料理を提供している店は見たことがない。

「へぇ、ここの食堂は朝からパッギィムが食べられるの?」

 なら私も同じものを、と注文をする。どうやら、エンリはこの料理がどんなものか知っているようだ。

「今じゃ定番になりすぎて、パギーって略してるくらい人気なんだ。おかげですぐ売り切れて時々しかありつけないレアメニューのひとつさ」

 そこまで言われたなら、とログレスはスプーンを取り、穀物の方をすくって食べる。

「……? 味がせぬぞ」

「違う。ソースに絡めて食べるんだ」

 なるほど、食べ方があるのか、と今度はスプーンに穀物とソースを一緒にしてから口に運ぶ。するとどうだろう。口に入れた瞬間、かあっとした辛みが口の中を支配し、思わずむせそうになるが、同じくらいの速度で辛みが引いていく。その後に、ソースの中に溶け込んでいた野菜の甘みと穀物の豊かな味わいが噛むたびに口の中に広がるではないか。呑み込んだ後ものどを辛みが先に来た後に、幸せな味わいが胃の中へ到達するまで続いていく。

「これは……」

 ログレスは泣いていた。しかし、手と口は動いたままだ。よほど味に感動したのだろう。

「すごいだろ? ようやくケラン米の安定供給が実現して、こっちでも食べられるってなったときは、うちのパギー好きがそりゃ喜んだもんさ」

「ぼくも食べる! リーリ、これがいい!」

「チャイクロはまだ無理よ。多分、ログレスが泣いてるのは辛い料理を食べ慣れていないからだと思うから……」

 そういうエンリも少々涙目になっている。仕方なくチャイクロはフラネーロのタレ焼き串を、クリエラはおすすめのサラダサンドをそれぞれ頼んでいた。

「で、姉さまたちはここからどうするんだ?」

 食後にラフラッド牛のミルクを飲みながら、アツトはエンリ達にこれからの動きを尋ねた。

「いろいろ気になるけど、まずはドーミネン姉さまに会いたいと思ってる。ついでに、通り道だしシンリーズ法会の法王に謁見して…… あとは、蜃気楼の砂漠でミシュウが言っていたようにセマンデルに行ってフロンプ神座殿」

「ミゴナ・ナラルのドーミネン姉さまに会うなら、いったんまたナラル領に入るんだな? ならハニジの北の関所から出ると面倒がないぞ。ハニジは形式上は別の国だから、出入りが面倒なんだが、ナラル領に戻る場合に限って手続きが少ない。世界渡航許可証ワールドパスを持ってるなら尚更、な」

 食事を終えると、アツトは渡運機号への積み込みが終わり次第ゼーオ・ナラルに戻るということだったので、そこで別れた。

「ドーミネン様と言えば、三大魔女の一人、だったと思いますけど」

 関所にある両替所で、クリエラがドーミネンの事で話しかけてきた。

「そう。二人目の三大魔女ドーミネン・エニュー姉さま。元々精霊魔法を主に研究されていた経験があって、魔女の力を授かってからもその研鑽を欠かさない方なの」

 エンリはドーミネンについて説明しながら、関所を抜け、徒歩で街道を歩き始める。

「ここ、パキシリアみたいに、木とかが多いね」

 チャイクロが、街の中と外を比べてつぶやく。

「まあそもそもナチュ・ナラルは精霊魔法を尊ぶ風土だったから、滅多なことで自然をいじったりすることがなかった、っていうのもあるかもね」

「それなのに、今は錬金術の研鑽を優先させているのか? ちぐはぐな国だな」

「違います。精霊魔法だけでは王魔戦争を勝つことができなかったので、錬金術も同時に研究を進めるべきである、と当時のナラル王が宣言されたから、ですけど」

「おお、なるほどな! しかし、戦争がなければいまだにこの国は精霊魔法の研鑽を続けていた、ということで、つまりはあの運搬船もなかったというわけか……」

 日が高くなるにつれて、太陽の光が強くなる。日陰に入ればそうでもなくなってきたが、それでも夏が終わる気配がないのは外移動の多いエンリ達にとっては少々厳しい。今も昼前だというのに、太陽まるだしの青空が、恨めしそうにエンリ達をにらみつける。

「歩きでも間に合うと思ったけど、こう熱いと貸馬車くらいは取るべきだったかしら」

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