第五章 蜃気楼に隠した賢者
第10話
『ここひと月の間は、別に変な動きはなかった』
さて、件の戦争犯罪者であるミシュウは、現在はラフラッド大陸を窓口とする世界最大の刑務所『蜃気楼の牢獄』に幽閉されている。
たびたび各地で発生していた
さすがに、アンサヴァス教団における崇拝の対象であるサヴァス神を差し置いて、ましてただの人間を崇拝の対象とするのはいかがなものか、と相当な指導が行われたらしい。
教団側から何の情報も得られなかったので、本丸であるミシュウ自身の状況を直接蜃気楼の牢獄へ問い合わせたところ、先述の回答であった。
「間接的ではあれ、終戦のきっかけを作った私を恨んでいて、幽閉中に何らかの方法で外部と連携を取っている、とも思える」
「でも、現状判明しているのは
最近までの調書を読みながら、ここゼーオ・ナラルで警備兵隊長を務める疾駆の魔女アツトが短くまとめる。
「今のままだと、ミシュウが関与しているという流れにならない、ということだな」
ログレスが自分に言い聞かせるように話す。恐らく、細かいところまではよくわかっていないのかもしれない。
「そこで、姉さま。ミシュウに面会に行きませんか?」
唐突なアツトの提案に、一瞬エンリの思考が止まる。
「ミシュウは蜃気楼の牢獄でしょう? ピアス姉さまがいらっしゃるなら心配ないと思うけど、どのみち収穫は芳しくなさそうね」
「おお、戦争犯罪者に会いに行くのか? ぜひ行きたいぞ!」
「ログレス様はダメです。そんな怪我じゃあただ迷惑かけるだけですけど」
クリエラがぴしゃりと止める。
「というか、蜃気楼の牢獄は魔女でないと入れない施設だ。残念だけど姉さまと私しか行けないことになってる」
アツトがやさしい口調でログレスを窘める。というより、小さな子供に言い聞かせるような雰囲気すら感じる。
「な、なんと!? いや、ますます行きたくなった…… あ、無理なのか」
「蜃気楼の牢獄は、〝蜃気楼の魔女〟ピアス姉さまが現界域と素界域の狭間に創りだした特殊な空間の一部を間借りして作った特別な牢獄なの。だから、蜃気楼の牢獄に入るには自己の存在定義が現界域を超えても確立できる潜在意識が必要なの。これは、ここ《現界域》で生まれたものには潜在的に持ちえないものだから、何の訓練のない普通の人間では立ち入ることができないの。だからこそ、普通の人間にとっては牢獄として機能するわけ」
エンリが蜃気楼の牢獄について説明する。
「まあ、
悪戯っぽい微笑みで、アツトはエンリへ視線を向ける。
「魔女のあなたに
〝
「まあ、入り口はピアス姉さまにお願いすればすぐ門ができるし、明日にでも案内するわ」
* * *
「……で、この本の山は?」
怪我で動けないログレスの目の前には、大量の本が置かれていた。
「隊長に言われて、持ってきたッス」
アツト率いる警備兵の一人が、朝も早くに部屋に来たと思ったらいきなり本を部屋に置いてきたのだ。
「終焉守がいらっしゃらない間、暇をもてあましているであろう従者の方に、ぜひ読んでおいてほしいと〝錬金術〟の本を預かったッス」
「あ、アツト殿が、か。いや、我は勉強は特に……」
したくない、と言いかけたログレスだったが、ふとあることを思い出した。
(そう言えば、エンリ殿が魔法を使う所を見たことがないな)
ふと、今までの旅の途中の出来事を思い出してみると、エンリが圧縮言語を用いて魔法を唱えている場面に出くわしたことがない。そもそも道中で魔法を使わなければならない場面自体がなかったが。
「この国は錬金術が盛んで、国の基礎教育に組み込まれるくらいッスから、こういう類の本は当たり前に入手できるッス」
「うーむ…… そもそも、魔法と錬金術はどう違うのだ?」
「根本的には一緒ッス」
警備兵はすんなりと答える。
「いやいや、そんなわけないであろう!」
すると、本を持ち込んだ警備兵は得意げな顔で、
「なら、その一番上にある本の最初のページを読んでみるッス」
どうやらこの兵は、ログレスにどうしてもこの本を読ませたいらしい。思惑にはまるのがいささか不満だが、仕方なくログレスはその一番上のハードカバーの本を開いた。そこには、大きな文字で『錬金術は、真理を追究する学問である』と書かれていたのを読み上げる。
「……真理? この世の
「すべての事象は、真理をもとに説明が可能である。よって、錬金術で説明できない現象、再現できない現象はこの世にない」
記述の続きを、クリエラが読み上げる。
「精霊魔法も、圧縮言語も、すべて錬金術で説明し、再現が可能なんッス。これは、双方にない強みで、研究を重ねればあらゆる魔法の頂点に立つことだって不可能ではないッス」
「……ほう、それは怖いな」
珍しく、ログレスの声のトーンが低くなる。
「何より素晴らしいのは、これに術者に求められる、元からの素質とかは必要ないことッス。錬金術は技術ではなく〝学問〟だから、勉強すれば誰でも錬金術を習得可能なことッス。最近は
「そういえば、そんな話もありましたけど」
「あ、もしかしてコリット様とお会いしたことあるッスか?」
意外とクリエラと警備兵の会話が弾み始めたので、ログレスは仕方なく本の続きを読み始めた。
* * *
目の前には、異様な形の両開きの扉が、不思議な角度で鎮座している。ここはアツトが所属するゼーオ・ナラル駐屯所の中にある、警備兵の訓練のための演習場。そこのだだっ広い石畳の真ん中だ。
「やっと空間固定ができたようです。さあ、姉さまどうぞ」
ものの数分で完成するかと思っていた蜃気楼の牢獄への門は、想像の何十倍もの時間をかけてこちらの世界とをつなぐ門を作り上げられた。昼過ぎから待っていたというのに、既に周りは日が落ちて暗くなり始めている。
アツトが先を促す。
「じゃあ、開けるわ」
エンリは深呼吸して扉に手をかざすと、瞬時にあたりが暗闇に晒された。
右も左も、アツトともどこにいるか分からなくなり、五感が喪失したような不思議な感覚が全身を駆け巡る。
しかし、一秒もしないうちに体が急に重力に捕らわれるのを感じ、次いで網膜に光の刺激が伝わり、思わず目を閉じる。。
周囲の環境に目が慣れたのに気が付き目を開くと、どこまでも広がる青い空間に、ただ白い砂のような地面が延々と広がる空間に自分がいるのに気が付く。
「ようこそ。儂の領域にン」
声のする方向を見るとほどほどの遠い距離の先に、小さいテーブルと安楽椅子に座っている人物が見て取れた。恐らく先ほどの声の主はその安楽椅子に座った人物から発せられたものだろう。ただ、声はとても近くから聞こえたように感じた。
「ここでは空間の距離は無意味じゃン。知っておろう? 終焉ンよ」
ざくざくと地面を進み近づくと、燃えるような朱い髪を遊ばせた、薄紫の鱗を肌のかわりに纏う女性が自分の顔位の大きさの本を読んでいた。その女性の周りだけ少し土があり、歩いてきた場所よりか足元が少し安定した気がした。
「それは戦争後の二つ名ですから、ここでその名を呼ばれるのは」
「じゃあ、〝災厄〟の魔女、だったかい? いや、〝障魔〟の魔女だったかン?」
「ピアス姉さま、戯れはその辺で」
終わらない二人の会話に、アツトが割って入る。今回ここに来たのはそれが目的ではないからだ。
「シュシュ。すまないねぇン。他の魔女とあンまりこういう話ができないンから、ついつい人恋しさに、話ができるン相手だと話し込んじまうンさ」
蜃気楼の魔女、ピアスは有鱗族であり、かつオルトゥーラ生まれでない数少ない魔女だ。いつ魔女となったかは不明(少なくとも王魔戦争よりは前)だが、守り子を持ち、魔女としての力を持っている。
王魔戦争ではどの国にも所属していない数少ない魔女ということと、精霊魔法を併用して現界域と素界域の間に創造された〝
「元から一族のはみ出し者で、ほとんどをここで暮らしていたとはいえ、まさかこんな形で使われるとは、ねぇ……」
二人は、ピアスの案内でこの蜃気楼空間を進み、一つの石造りの建物の前に到着した。それは、ちょっとした神殿のようにも見える。
「たまに、現ン界域へ〝顔〟を出すことがあるから、それとなく見えてもいい外観にして置く必要もあるのさ」
蜃気楼空間は、創造者であるピアスの状態によって、時々どちらかの界域に浸食することがある。単純に空間の輪郭がぼやけて映る程度だが、そもそも現実の空間が突如として出現するため、あまり奇抜な建造物や格好をしていると、見つかったときに色々と厄介になる。
「名前のとおり、蜃気楼、といったところね」
三人の魔女は、その建物に入る。
石造りの建物の中は意外と広かったが、それは壁などがなく中央に大きな丸テーブル椅子、そして何かの巨大な結晶があるだけだった。
しかし、彼女たちの目的はその結晶、その中身だ。
よく見ると、青紫色を色濃く重ねた重い色の結晶の中に、何かが入っている。
「あの〝
時狭間の牢獄と呼ばれた結晶の中には、男性…… 戦争犯罪者であるミシュウが捕らわれていた。
見た目は三十代後半で、整った顔立ちからはとても穏やかな印象を受ける。元々聖職者であったためか、服装も気品ある雰囲気をまとっており、今にも動きだしそうなほどにそれは生々しく静止している。
「……彼に動きは?」
「ンない。以前ン報告した通り。そもそもただの人間が、この時狭間の牢獄に入れられた状態で何ンかできると思えないがね」
三人は近くのテーブルまで移動し、ピアスが着席を促す。
『やあ。旧き友らよ』
そこで、それ以外の二人が異変に気が付く。
既に、誰かがテーブルについていた。いつからか、それすら気が付かないうちに。
「誰だ!」
アツトが持っていた槍先を素早く先客に向ける。
『おや、私を訪ねてきたのではないのかね』
青紫の薄いもやは、まるで直接耳元で囁くかのような、しかししっかりとした声で魔女たちに問いかける。
「……驚いた。ずっとそこに居たンかい?」
背後の紫の結晶の色合いで、近くに行くまでその存在を見ることができなかったようだ。
「ミシュウ…… なの?」
『終焉守。私が朽ちる前に会えてよかった』
平然と会話を始める二人に、アツトはさらに驚愕する。
「姉さま、何を言ってるの? これが、ミシュウだと?」
『私の守り子の感覚器官を借りて話をしている。ピアス以外の魔女の気配があったから、もしかしたら、と思ってね』
もやの言葉に、ピアスとアツトは自分の耳を疑った。
「ミシュウの…… 守り子?」
「ミシュウは男ジャ! 守り子は持てぬ! 空言も大概にせい!」
二人が動揺する中、もやは続ける。
『まあ、立ち話もなんだ。せっかく椅子があるんだ。かけて話そう』
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