第9話

 一行は警備兵の駐屯所に連れられ、この数時間で起こったことを話しあった。

 ログレスの怪我は見た目こそひどい状態だが、街の治療施設と看護である程度の治療が提供されることになり、かなり早く治りそうであることが伝えられた。が、それでも十日はかかるであろうことが分かった。今はベッドのある部屋で全員が(ログレスはベッドから上半身を起こした状態で)状況の確認をするため、向かい合って座っていた。

「とりあえず、色々と話しておかないといけなくなったわね」

 エンリが話を切りだす。まずはチャイクロの件だ。

「『有鱗族』だったんですね。普段猫の姿をしているのはその〝鱗〟を隠すため、と想像しますけど」

「鱗が銀色だと何かマズいのか?」

 クリエラに次いで、ベッドの上で上体を起こしているログレスが質問する。

「もう、銀色のウロコはいないんだって」

「有鱗族を知っているなら、現存している彼らの特徴も知っているかしら?」

 チャイクロが話に入ってきたので、補足する形でエンリが話に入ってきた。

「いま存在が確認されている有鱗族は、魚に近い特徴を持つ穹鱗きゅうりん(青色の意)の者と、トカゲなどに近い特徴を持つ緋鱗ひりん(赤色の意)の者、そして珀鱗はくりんの者の三種。昔は、ごくごくまれにその中から銀色の鱗を持つ者が生まれることがあったの。それが、銀鱗の者…… というか、通称『鱗なし』が生まれる」

 エンリはそっと、チャイクロを見る。

「そういえば、さっきまで銀色の鱗があったのに、今はないですけど」

 エンリの言葉の切り方に何かを察したクリエラが、チャイクロをよくよく観察して呟く。

 今のチャイクロの外観は猫の姿に戻っている。完全に真っ白な体毛を持ち、その姿から先ほどの印象は毛ほども感じられない。

「銀鱗の者の鱗は、普段は細い体毛のように見えるんだけど、自身が危険を感じたときや、それに相応する興奮状態の時に収納されていた鱗が展開して表に出てくる仕組みになってるの。チャイクロは、そもそもの見た目を変えるために施した錬金術の応用で色々錬成式を書き込んでいった結果、本当は三毛猫なのに真っ白な毛並みになっちゃったのよね」

「ほう…… チャイクロ殿にそんな秘密が」

 秘密、という言葉に、エンリはログレスを笑顔でにらむ。

「そういうログレスも、私に言わなかった秘密、あるんじゃないかしら」

 再度発せられた『秘密』という言葉に、ログレスとクリエラの目がエンリから逸れる。

「なななななんのことか、わからんなぁ」

「わ、私はただお供をしてきただけで、特に秘密というものはありませんけど」

「そうね、クリエラは『今は』特になかったかもだけど、ログレスの怪我を見ていたときに、見つけたのよね。『翼の紋章』を」

「……うっ」

 翼の紋章、という言葉に、明らかに表情がこわばるログレス。確かに、右肩を怪我したのでどうしても上着を脱がざるを得なかった。おそらくその時に見えたのだろう。

 ネオントラム公国の王位継承者だけが生まれ持つ、右胸に浮かぶ翼の形のアザを。

「実は、私の知り合いに同じようなものをもった人を知ってるの。ちょうど、あなたと同じ名前だったわ」

 ログレスの表情が、今度は何とも言えない表情になった。今度こそ『何を言ってるのか分からない』と言いたげな眼差しを向ける。

「ちょっと待ってほしいんですけど。同じ紋章を持ち、同じ名前を持つ、しかもエンリ様はその人物を知っている……」

「ちなみに、その時のログレスという人物は英雄でもなんでもなく、五十年前、ただ私と一緒に世界を回ったとき同行した『旅の同伴者』だったけどね。ちょうど、今のあなた達みたいに」

 そこまで言って、ログレスは目を見開いた。

「爺様! サングレシア爺様か!」

「あっ、ログレス! その名前は……」

 そこまで言ったログレスとクリエラは、はっとなってもう一度エンリを見る。エンリの『やっぱり』と言いたげな笑顔は、もはや『してやられた』という表情で返すしかない。

「……済まぬ。だますつもりは全くない。むしろ肩書が邪魔だった」

「王子は悪くありませんけど。従者たる私が止めるべきを、投げ出して同行するなどという愚行に走ったことが原因ですけど」

 ログレスはもう完全に観念し、クリエラは必死にログレスを慰めに入った。

「自己紹介も必要なかろうが、吾輩が名乗るべき本来の名は〝エルステラス・レグレクシア・ネオントラム〟と申す」

 観念したのか、いつもと違う元気のない声でログレスは続ける。

「どうしても自分がこのままネオントラムの王として流されるのがたまらず、何かしら理由をつけて城を出ようと画策中にちょうどそなた達が城に来た。ルピルナの件から魔女に、世界に興味が出て、どうしてもエメリッドを出てみたかったのだ」

「でしょうね。名前といい登場の仕方といい、先代とほとんど同じで昔に戻ったみたいだった」

「そうであろう! 爺様に聞いた英雄譚にも、魔女殿に襲い掛かった悪漢どもをバッサバッサ切り倒して救う場面を何度も聞いた! 確かに我らが襲われたのは完全に偶然ではあったが、……いや、少々こちらが劣勢だったし、そもそも」

「いいわ。こうして大事になる前に分かったんだし」

 致し方なし、という言い方に『城へ返される』と感じたのか、ログレスは必死に食い下がる。

「いや、こうしてエンリ殿に脅威が近づいていることが分かったのだ! 是が非でもそなたを守るために同行を許可いただきたい!」

「王子、逆でしょう。むしろあなたを守るためにエンリ様が同行する形の方が、まだ理解できますけど」

 クリエラに論破されたログレスは、二の句が告げなくなる。

「まあ、隠し事をしてるのは、私もだし、それも話しておかないといけないわね」

「そなたが魔女であるということは既に知っておる。城での父様たちの話を盗み聞きしておったからな」

「ログレス!」

「まあまあ。隠し事をしないというなら、ここにいるきっかけとして先ほどまで話していた我らの動きはまだ不自然だ。我らはエンリ殿が世界を回るという話を聞いたからこそ、ついていくべきと判断したのだから」

「ふふっ。まあ、そうでしょうね。あなた達だけでは世界渡航許可証ワールドパスは発行されなかったでしょうし」

 エンリの話し方からして、隠していることとはそのことではないようだ。それは二人にもなんとなくわかっていた。

「では、何を我らに隠しているのだ?」

 さすがに、自分の手札をすべて晒されてしまったログレスは、何が聞けるのかワクワクしている。

「そうね、それは明日、皆で戦争資料館に行った時にでも話しましょうか」

「明日の話もいいが、こちらの操作にも少し協力してもらうぞ」

 話が終わったのを見計らってか、エンリ達を連れてきた警備兵の魔女が話の輪に入ってきた。

「まずは自己紹介だ。そちらはいい。正確な自己紹介をされると仕事が増えそうな気がするからな。私は疾駆の魔女アツトと言う。ゼーオ・ナラルで警備兵隊長を務めている」

 魔女がする独特のお辞儀を見て、エンリ達もそれに倣う。

「次に、そちらが襲撃を受けたという人物についてだ。こちらは今回現場にあった遺留品を見るに、ここ最近の反社会テロ行為のあとに残されていた物と同じ衣類が発見されたことから、一連の反社会テロ組織の行為ではないかと見当をつけている」

 そう言って、魔女アツトは左腕に抱えていた布を広げる。それは、先ほど襲撃場所に残された消えた男のローブだ。明るいところで見ると分かるが、左胸にあたる場所に特徴的な刺繍がある。

「胸の刺繍を見てもらえば分かるが、これはアンサヴァス教団のものだ」

「……今は無きオルトゥーラが国教として信奉していた宗派ですけど」

「そうだ。今回の反社会的テロリズム行為から出た情報だが、この一連の集団はどうやらエンリ姉さまを探していた、ということが判明した」

 ログレス達に緊張が走る。ログレスは特に、エンリの関係者ということで襲撃を受けたのだから当然といえば当然だ。

教団アンサヴァスとエンリ姉さまを繋ぐのは、やはりあの戦争だろう。そしてその戦争と繋がるなら、出てくるのは……」

「可能性がある、という意味だと『ミシュウ』かしらね」


     *   *   *


 翌日。どこまでも青い空が広がる中、まだ午前中だというのに汗ばむほどの日中の気温は、夏の訪れを肌で確信させるほどの暑さになっていた。

 先日のこともあり、護衛としてアツト含む警備兵たちと一緒に来た王魔戦争資料館は、街のはずれの小高い丘に、ちょっとした城を思わせる規模の建物だった。

 王魔戦争がいつ始まり、いつ終わった。どれだけの犠牲が出て、どれだけの国や村が地図から消えたか。そして、その戦争の中心には、必ず魔女がいた……などということが、硬質の青黒い石板に記されていた。

「直接的なきっかけは、当時宗教界最大勢力だったアンサヴァス教団が、その教えを全世界に広めるため、入信したばかりの賢者ミシュウが大神官の肩書でもって当時のオルトゥーラ王に王宮の相談役として務め始めたことが始まりね」

 エンリは、石板に書かれていることを読み上げるでもなく、説明をしながら展示物を見て回る。

「その時すでに、ミシュウは魔女のある欠陥に気づいていて、それを戦争で使うことを画策していた、とされているわ」エンリは、展示物のひとつ、『魔女とは』と書かれた展示物を指さして「それが、この『守り子』なのよ」

「守り子は、ある儀式の折に神から授かる『他の界域の存在』のことと聞いてますけど」

 クリエラは展示物の説明を見る。確かにそこには、『魔女の魔霊素の源』とも『神とのつながりを示す存在』とも書かれている。しかし、どの書き方も明確な説明を避けており、納得のいく表現がされていないとクリエラは感じた。それは、横にいた松場杖姿のログレスも表情から同じことを考えているようだ。

「そうね、非現実的な…… 身も蓋もない言い方だと、神と魔女をつなぐ〝道〟のような役割を持っているの。魔女は、守り子を通じて神と繋がり、神の住む〝神界域〟から魔霊素の供給を受けて、他の人よりも強力な魔法を唱えることができる」

 魔法、の項目を流し読みしながらエンリは続ける。

「本来、魔女が魔法を使う時に用いる『圧縮言語』は、私たちが普段から存在している『現界域』の上層の界域である『素界域』に干渉するために用いられるものなの。ただ、魔女でない普通の人が使うと体内の魔霊素の上限が低すぎて、対象範囲がとても狭くなるけど」

「そう言えば、チャイクロ殿も界域がどうとか言っていたような……」

 ログレスは、以前コリットとあったときにチャイクロと話していた内容を思い出す。しかし、あの時の内容自体がログレスにとってかなり難解なものだったこともあり、眉間にしわを寄せてしまう。

「そうだよ。紙に書くのとおなじなんだ」

「紙……?」チャイクロの説明に、ログレスはますます頭を抱える。

「そうね、例えば、人物が描かれている紙があったとしましょうか」

 エンリは、魔女の説明が描かれている展示物の、人物が描かれているものを指さす。

「今から私はこれに干渉するわ。干渉素材は…… ペンか何かでいいでしょう」エンリは何かを書くしぐさをする。「今、この絵の中に炎を描いた。これでこの紙の世界では、炎が生まれてしまった。紙の世界の住人はそれを止めることができない。なんせ、自分よりも上層の存在が自分たちの世界に〝干渉〟したわけなんですから」

「もちろんです、そんなこと魔法を使う人間からしたら基本ですけど」

「そうね。クリエラならそう言うと思ったわ」

 クリエラの言葉に反応して答えたエンリのセリフに、クリエラは何やら確信めいたものを感じた。

「上層…… 同じ?」ログレスはまだ釈然としないようだ。「つまり、紙が我々の住む世界で、そうなるとエンリ殿たちが上層の存在で?」

「私たちというか、魔女が持つ守り子が上層の存在との連携を行う形で、ペンのかわりに魔霊素を触媒にしていったん上層の界域に干渉をかけて、自分たちのいる界域へ魔法の現象を引き起こすの」

 エンリは指でくるくると回すしぐさをする。

「他の技術で例えれば、精霊魔法。これは特定のしぐさや決まり文句なんかを、魔霊素を使って上層の存在である精霊に投げかける。そのしぐさを見たり、言葉を聞いた精霊は、それらの行動から自分たちにしてほしいことを感じて、下層である我々の界域へ干渉するの。

ただ、それだと声の届く精霊やしぐさを好む精霊に差があるから、急な魔法には基本的には対応できない。そうね、例えば戦闘とか」

 エンリは、ますます強い視線をクリエラに向ける。そのしぐさはとても何かを言いたそうにも見える。

「つまり、戦闘に関していうのであれば、魔女の魔法はどの技術よりも秀でた技術である、ということですね」

 パルティナが冷静に、しかし少し残念な響きを持った声で結論付ける。

「そうね。かつてのオルトゥーラは世界で唯一、魔女を輩出していた国だった。他国は、戦争となるとまず魔女の力を必要とした。オルトゥーラは、そう言う意味では世界の戦争の火種を生みつつ、各国に戦力を提供することで戦争の始まりを疑似的に操作していたの」

 そう言いながら、エンリはつかつかと次の展示へと向かう。もちろん、全員それについていく。

「そこへ、教団から派遣されてきた入信したての大神官の肩書を持った賢者ミシュウがやってくる」

 大きなパネルには、ミシュウがどんな人物か、が詳しく書かれている。

 賢者ミシュウ・ザーウォーリン。王魔戦争勃発の半年前に、アンサヴァス教団に入信。入った直後にあれよあれよという間に大神官へ昇格。一部では賄賂に近い多額の寄進があったことを噂されたが、その噂を避けるように王宮付の相談役としてオルトゥーラへ派遣されて来た、とある。

「理由や方法は不明だけど、ミシュウは魔女の儀式に何度か立ち合った時に、魔女と守り子の関係から、ある『ほころび』みたいなのを発見したらしいの。それを知ったとき、ミシュウは魔女を洗脳まがいな方法で自由に操る方法を見つけた、と思ったとか」

「要は、世界中にいる魔女を自分の思い通りにできると知って、しかもそれを実行した、ということですね」と、無理やりパルティナがまとめにくる。自発的にここまで話に入ってきたことがないので、エンリは少々驚きながらも、嬉しそうに答える。

「簡単に言えばそう。で、このほころびがありながらも思い通りにならなかった魔女がいたの。それが千里眼の魔女コリット、世界樹の魔女ドーミネン、深淵の魔女シェンク。」 と、ここでログレスには当然の疑問が浮かんだ。

「エンリ殿は、その時はどうなっていたのだ? やはり、洗脳されていたのか?」

 その言葉に、エンリは言葉を詰まらせる。しかし、一瞬の間を置いたのち、再びエンリは話す。

「魔女は、従わない国々や魔女を次々と滅ぼしていった。その数は大小合わせても六つを超える国々と、五十人以上の罪のない魔女だった。だけど、最も恐ろしいのは、それらのほぼ九割は一人の魔女が行ったの」

 そう、従わなかった魔女も当然いて、オルトゥーラの魔女と戦ったものも当然いただろう。まして、世界三大魔女もいたとあっては、一筋縄では終わらない国の方が多かったに違いない。

 つまり、直接的に大掛かりな戦争に参加せず、ただ無抵抗の国や人々を蹂躙した魔女がいる、ということ。

 そして、その魔女の存在を、エンリは詳細に語る。

「始めは、ラフラッド大陸の小国エンゲアはナチュ・ナラルへの見せしめに。次はオルトゥーラがあるカレンヴァーザ大陸の村チェシス。近場で警戒すべき位置にあったため標的になった。ハーバン大陸の中ほどにあった交易都市ルゲット。当時はこの都市を中心に南北への街道が敷かれていた」

 ログレスは、エンリが何かの案内を読み上げていると思って聞いていた。が、周辺の展示物はそんな情報を提示していない。コーナーは既に三大魔女がいかにしてミシュウをオルトゥーラから排除したか、を記している。つまり、エンリは何かしらの記憶にある情報を語っているのだ。

 何の情報なのか。どうしてそんなことを知っているのか。最も恐ろしい予想が頭をよぎる。薄ら寒い空気が周囲を包むのを感じる。誰も想像していない、あり得ないその結論は、しかし冷静に語るエンリにしか、語ることは許されない。

「中でも手ごわかった魔女は逆凪さかなぎの魔女グレテアかしら。彼女は魔法を打ち返すのを得意としていて、彼女に打ち込んだ魔法のほとんどが当たらず、逆にもとの術者に返すものだから、ある意味魔女の天敵とも呼ばれていた」

 もともと顔は仮面で隠れてはいるが、今はそれにもまして彼女の表情が読めない。

 歩みも止めず、すらすらとミシュウの手先となった魔女の詳細を話しながら、展示はもう終わりに近づいていた。

「エンリ殿、何故そんなに、その魔女について詳しいんだ?」

 たまらず、ログレスはついにその質問をした。

 エンリは、後ろを向いたまま深呼吸をした。そしてそのまま続けた。

「その魔女はね、かつては別の二つ名を冠していた。けど、この戦争をきっかけに新しい二つ名を与えられたの。それは」

 ゆっくりと振り返る。思わず、その場にいた全員が息を飲んだ。

「〝終焉〟…… 戦争と、たくさんの国々と、人々の命を終わらせた、私に付けられた魔女としての名前よ」

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