第2話




「毎度あり!」


 大陸最大という謳い文句に恥じないパキシリアの喧騒は、実は様々な種族によって作り上げられている。


 例えば食べ物の露店を出している赤毛で大きな鼻の〝イーフルット族〟は、香辛料が豊富な〝ラフラッド大陸〟に多く存在し、食に関する事なら一目置かれる種族だ。今まさにエンリが食べている彼ら独自の料理〝ラフラロール〟もその露店で買ったもので、しっかりと中まで焼かれたラフラッド牛の肉に様々な香辛料をまぶし、これまた厚手の野菜でくるめてある。野菜はスポンジ状になっており、熱々の肉が挟まっていても素手で持てるため、食べ歩くにはもってこいの手軽さなのだ。


 かたや、エンリの二倍の高さもある大きな荷車を楽々と運ぶのは〝オーガン族〟だ。その体躯は実に小さく 、成人しても他の種族の半分ほどにしか成長しない。しかしその筋肉量は実に多く、建築や運搬といった力仕事を得意としている。


 また、たくさん人が集まるということは噂話もあちこちで広まりやすい。

 エンリは食べながら周りの喧騒に耳をそばだてると、最近は平和になった弊害か、あちこちの街道で自動馬車が襲われたり、いくつかの国営施設が民間の事業に取って代わった地域が増えただの、そのせいで商人が国をまたいでの商売が面倒になっただの、街道を一往復するたびに会話の内容が変わっていくのでただ散歩するだけでも飽きることはない。


 エンリがラフラロールを食べ終える頃には、三人は件の建物に到着していた。目的地のひとつである〝パキシリア中央治療院〟である。もちろん、アトリエのハーブ園で育てた薬草類をお金に変えるためなのだが。


 正面の大扉をくぐると、患者受付と薬局、そして目的である買取り専用の持ち込み窓口がある。


「……あら? なんだか今日は賑やかね?」


 エンリ自身、以前に何度か来たことがあるのである程度は知った院内だが、今日はどことなく人が多いように感じる。それも患者で賑やかとかではない、どちらかというとやや物々しい雰囲気だ。

 とはいえ、まずは自分の用事を優先すべきと、足早に窓口へ向かう。


「あ、エンリさぁん。お久しぶりです。また買い取りぃですよね? ……今日は何やら荷物が多ぉいようですが」


 持ち込み窓口には、いつもの〝エンシュ族〟の女性が対応しているようだ。

 エンシュ族といえば陽気でおしゃべりな者が多く、何よりお金が大好きで、商売事や接客に従事するものが非常に多い。外見的特徴としては上向きに長い耳だろうか。


 そんなエンシュ族の受付嬢は、いつもと違う周りの様子と比べるといつもの制服で、いつもの笑顔、いつものエンシュ族訛りと、ここは変わりない。

 むしろ、エンリがここに訪れるときの彼女の様相が普段と違う。普段ならその時に必要なお金をもらう分しか薬草を持ち込まないので、荷物自体があまりない。だが、エンリはこれから長旅をするために服装を整えていたり、色々な装飾をされた状態であるため、受付のエンシュ族の女性の方が普段と違うエンリに少し驚いている。


「お疲れ様、ナコナ。今日はちょーっとお金が必要なの。頼めるかしら」


 エンリはそう言うと、ナコナと呼んだエンシュ族の受付嬢の目の前に、鞄から無造作にカウンターへいくつか薬草を並べ始める。


「うっはぁ、いつものパキシリアネギにズッケ、サキミラに、まぁた珍しい薬草をこれまた結構なぁ数……」


 とそこで、ナコナの声が詰まる。


「これ…… レピックの葉ですよぉね?」


 最後に鞄から出した薬草は、先日収穫したばかりのレピックだ。


「そうよ。ちょっと今回は多めにお金がいるものだから、蔵出ししちゃう」


 すると、今まで笑顔だったナコナの顔から笑顔が消え、回りに目配せしながらカウンターから乗り出してきた。


「もぉしかして、レピックの〝蜜〟…… 持ってたりしてますぅ?」


 ナコナの言葉に、エンリは一瞬思考が止まる。


「えっと…… レピックの、蜜?」


 即座に頭の中を整理し、先程された質問の確認を行う。


「あれぇ、掲示板見てぇない? 訳ありぃで、レピックの蜜を募集ぅしてるの」


 そこまで聞いて、エンリは少し納得した。どうやら人混みの正体はその『依頼内容』にあるようだ。


 通常、レピックは一年に一度だけ花をつける。しかし、咲いている期間はたった一晩だけ、わずか半日ほどで枯れてしまう。

 その僅かな時間で確実に受粉を行うため、葉から吸収した魔素を使って花を強く輝かせ、月と間違えた虫たちを呼び寄せるのだ。もちろん枯れてしまえば蜜は取れない。つまり、採蜜は困難を極めるということだ。


(でも、なぜレピックの蜜を探しているのかしら?)


 エンリはその募集の異質さに少なからず疑問を抱いた。

 なにせ、レピックの蜜はその生成環境からして劇薬なのだ。普通の人間がその蜜を取り込めば、体に様々な障害が発生するため、必要になるような事態はまずない。まして全うな運営をしているこの治療院で必要になる場面は限られている。


(――ということは)


 事態を都合よく解釈しようとしたエンリは、しかし万が一を想定してナコナに確認を試みた。


「もしかして、入院患者の治療に使うとか?」


 ここは治療院なのだ。順当に考えれば患者に使用するために必要なのだろう、と考えるのが普通だが。

「うー、まぁあ。そうなぁんだけど、訳ありっていぃうか、ちょっと――」

 突如、ナコナの背後からとてつもない轟音が響いた。

 ナコナの歯切れの悪さこそが期待通りの反応とばかりのエンリだったが、その続きの台詞は、治療院の奥から放たれた大きな音によって遮られてしまった。

 受付が少しざわつき始め、何事かと奥へいく人がいる中、エンリはパルティナに目配せする。

「いますね…… 〝魔女〟が」

 パルティナも、レピックの蜜が示す意味を察したようだ。

 三人はおもむろに音のした方向へ駆け出す。ナコナや他の従業員の静止を振り切り、奥の入院病棟へ向かうと、その途中に全身傷だらけの白衣の男性が、壁に体重を預けながら立とうとしているところだった。

「大丈夫ですか?」

 パルティナは白衣の男性を抱え、傷の状態を確認する。

「う、ぐっ…」

 男性はうめき声をあげ、苦痛に顔を歪める。意識ははっきりしているようではあるが、白衣の半分近くが切り刻まれ、その奥から赤黒い血が覗いている箇所もある。

「鋭い刃物などによる無数の切り傷ですね。出血の割には深いものも見受けられますが、すぐに止血すれば問題ないでしょう」

 そこまで聞いたエンリは、左側の髪に着けている青い宝石がついた飾りを優しく撫でる。

「来なさい、〝ヴァノーシャ〟!」

 掛け声のようなものをきっかけに、宝石から大量の水が噴出し、人のような姿を形作る。薄い布のような簡素な服に、青緑の鱗で覆われた肌が見え、顔は極端に離れた両目が不気味にエンリを見据える。水の精霊ヴァノーシャが宝石を触媒に召喚に応じたようだ。

「ヴァノーシャ、ここに」

 片方の目だけで挨拶をするヴァノーシャに、これまた片目だけ視線を向けたエンリが大声で叫ぶ。

「その男性の治療と、周囲に〝魔素結界〟を頼むわ!」

「お任せを」

 その声に応じ、精霊ヴァノーシャは再び水の塊となり、男性を包み込む。服などにこびりついた血液を溶かし出して再び液体へ戻し、体内へ送り込むと同時に傷口の圧迫止血を試みる。

 治療に参加しない残りの液体は、薄い幕のように広がり、エンリたちを包み込む。

 そこへ再び轟音。目の前の壁面が爆発したかのようにはじけ飛び、エンリたちに襲いかかる。

「エンリ様!」

 とっさにパルティナが爆発との間に入り、エンリをかばう。

 しかし、それらの破片はパルティナに当たる直前で水の幕に絡め取られ、音もなく地面に落ちる。

「……あなたね、この騒動の主は」

 爆音で舞い上がったホコリの向こうに人影のようなものを見つけるエンリ。それは時間が経つにつれ、徐々に鮮明な姿をあらわにする。

 女性だ。〝半分〟は。

 おそらく入院患者だったのであろう、破れてボロボロになった入院着からあらわになっている左半身や頭部が、その犯人が元々人間でかつ女性だったことがわかる。そして〝そうでない〟右半身の大部分は人のそれから大きく変わっていた。皮膚は赤黒く変色し、所々コブ状の突起が生えており、およそ人としてはもう判別がつかなくなっている。

「〝守り子〟が表に出かかってるのね。 ……ま、早速魔女が見つかるなんて幸先いいじゃない」

 周囲は悲鳴と怒号が響く中、エンリはむしろ無邪気に笑う子供のようにはしゃいでいる。

「対象の侵食率は四割未満です。侵食が〝シルシ〟にまで到達していないのでしょう」

 かばう姿勢から少し体制を崩したパルティナが、自身の分析結果をエンリに伝える。

「あら、意外と少な目ね。魔法を使うために外側を優先したのかしら? ……まあ、好都合だけど」

 そう言いながら、左目にあるモノクルのレンズを一つ入れ替え、空いた右手で自前の杖を相手に向ける。

 その行為を挑発と見たのか、相手の怪物側の半身が、人とは思えない唸り声をあげながら大きく腕を振りかざす。

 その勢いに乗せて、その手のひらをエンリ達に向けて突き出す。直後、手のひらから肩にかけた腕の中に長く大きな穴が穿たれる。その穴から、恐らく魔素で生成されたであろう無数の風の刃がエンリたちに襲いかかってきた。

「しつけのなってない風ね。 ――『纏え、粘障』!」

 張りのある声でエンリは周囲の水幕に命令を下した。先程瓦礫をいなしたときと同じように、魔素を帯びた水によって再度展開された幕が、襲いかかる風の刃との衝突で弾け飛ぶ。

「浸食が進んでるみたいね。……ちょっと強引だけど」

 エンリは杖を持った右手に力を込め、魔法を使うために深呼吸し、集中を始める。

あまたなるきのながれときのなかにとどめよ(スキレール)!」

 深呼吸によって肺に送られた空気が、魔法の言霊となり響き渡る。それに応じて怪しい赤色に輝く杖頭の結晶が彼女の動きにあわせて軌跡を描き、空中に術式が完成する。

「少し苦しいくらいは、覚悟することッ!」

 術式が空気に溶け込むように消失すると、周囲の気温が少し肌寒くなる。と同時に相手が急に静かになる。紡がれた術式によって、辺り一帯を空間ごと拘束する術が完成していた。

「今よ、パルティナ!」

 右手を動かさず、器用に鞄から小さな瓶を取り出してパルティナに渡す。

 瓶に貼られたラベルを見たパルティナは、受け取った右手をそのまま粘土のように変化させて手の中に瓶を取り込み、人差し指を鋭く針状に変化させる。

「〝シルシ〟はたぶん背後、腰のあたり!」

 無くなった空気を求めて呼吸を戻したエンリがパルティナに叫ぶ。相手も必死の抵抗を試み、徐々に動きが大きくなっているのがわかる。

 パルティナは出来うる限りの速度で相手の背後にまわり、素早く、的確に入院着をはぎ取る。あらわになった背中の下の方、腰のあたりに〝シルシ〟はあった。

 発見と同時に、右腕をつきだして人差し指を〝シルシ〟へ勢いよく突き刺す。相手はその痛みを感じて体を反らそうとするも、エンリの術式によって阻害されているため、逆にパルティナの指が深く刺さる程度の僅かな抵抗のみで動きが止まる。

 女性の患部に到着したパルティナの人差し指は、細い管になって取り込んだ瓶の中身を送りこむ。注ぎ込んでいくうちに、一定量を注入したあたりから相手の動きが明らかに変わったのを感じ、刺したときと同じくらいの速度で人差し指を抜き取る。その後、やはり先ほどと同じ速度でエンリの隣に戻り、小さい声で報告する。

「半分くらいの量を注入で収まりました」

「結構な量ね。でも、その量ならまた摘めば補充できそう」

 左手でモノクルのレンズを元に戻しながら、右手はまた違う術式を編み始める。

「ヴァノーシャ、いける?」

 エンリは目だけを後ろに向けて先ほどの精霊に問いかける。男性からは半身離れて上半身だけ姿を出した格好で待機しているヴァノーシャが、小さくうなずく形で答える。男性の傷はあらかた治療が終わったようだが、まだ男性の意識がハッキリしていないようだ。

「少しでいいわ、『ちょうだい!』」

 そう言いながら、空いた左手をヴァノーシャへ伸ばす。無言のままヴァノーシャはその手を取り、握った自身の手を魔素がこもった水の塊へ変化させる。

「今ならある程度、効果はあるはずよ…… 眠りなさい!」

 エンリは左手の水を杖頭の先で光る術式に混ぜ合わせ、言葉を唱え始める。

「蜜が効くまで、眠りなさいな。 ――『昏誘い(くらいざない)』!」

 力強い言霊によって、精霊だった魔素が編み上げられ、杖からほとばしる赤と青の光の束が相手を包み込む。

 元から動きが鈍かった左の人側と、エンリの術式によってほぼ身動きが取れなくなっていた怪物側が同時に光の束に覆われ、数秒。魔法の光がかき消えるころには怪物として表れていた異形の痕跡は肌に無数の獣の毛が残る程度となり、女性は多少安らぎを取り戻した表情で眠りに落ちていた。


     *   *   *


 数日後。

 ルピルナは、ここ最近でもっとも体調がいいと感じていた。

 少し前に腹部に感じていた違和感や倦怠感はすっかりなくなっており、魔素の通りもすこぶる良い。何より、最近まで疼いて仕方がなかった〝守り子〟が大人しくなったのが手にとるようにわかる。

 ここの治療院の方々、特に主治医のキザキ先生には知らないうちにお世話になったと思い礼を言うと、実はそうではないらしく、なんでも彼女が半分化け物になって暴れたときに、たまたま菜園収穫品の換金に訪れていた精霊使いの女性に救っていただいたのだと聞かされたのがつい今朝の話。

 是非にお礼をしたいと伝えると、その女性もルピルナが目覚めたら教えてほしいと言っていたらしく、今日の昼前にもここに来ると言われたのだ。

 体調の改善もさることながら、暴れたことも自分の知らない話なので大変な迷惑をかけただろうと、教えることを承諾したのがまさについさっき。

 さて、どんな人が来るのかと楽しみにすること小一時間。二人分の足音が部屋の外から聞こえてきて、この部屋の前辺りで止まり、小気味良いノックの音が部屋に響く。

「どうぞ」

 はやる気持ちを一層押さえて、冷静に返答。

 ドアノブが回って扉が開く。先に部屋に入ってきたのは主治医のキザキ先生。に次いで……

「!」

 ルピルナは、思わず息を飲んだ。

 一人前の精霊使いがその力を遺憾なく発揮するために、〝召喚装具〟を身につけることがある、と言うことをルピルナは知っている。

 召喚装具とは、場所によって召喚できる精霊が制限されてしまうのを、装具を通じて行うことで自在に召喚できるようにするための装飾品なのだが、通常一人が持てる装具は多くても二つ。

 二人目の入室者である彼女は、ここから見える範囲で既に四つ。しかも、あしらわれている宝石を見るにそれぞれ別の精霊を呼び出す為の召喚装具を身に付けているようだ。

 それだけではない。

 ルピルナの、いや魔女のなかでは知らぬものはいない、ある大きな特徴を彼女は持っている。

 顔の右半面を覆う、〝仮面〟だ。

 ルピルナの記憶が正しいなら、わざわざそんな仮面を被るのは一人しかいない。

 だが、記憶の仮面被りは自分と同じ〝魔女〟であり、精霊を使役していたという話は聞かない。……という一抹の希望を胸に、その女性に声をかける。

「あ、あなたが私を助けて下さいました方ですね。先日は迷惑をかけてしまい、失礼をいたしました」

 ルピルナはしどろもどろになりながら、まずは伝えたかった礼を述べる。

「いいえ。体調もよくなっていると伺っています。回復に向かっているようで何よりです」

 まるで魔法銀でできた鈴のように透き通ったその声は、ルピルナの予想から大きく外れた内容を返してきた。

 僅かな可能性が徐々に大きくなってきた気持ちになっていく。

「わ、私、ルピルナと申します。もうご存知と思いますが、魔女を生業としています」

 そこまで言うと、仮面の女性がにこりと笑ったのをルピルナは見てしまう。

「……助かったわ。こんなに早く、同じ〝魔女〟に出会えるなんて」

(同じ、〝魔女〟……)

 ルピルナの背筋が、一瞬で凍りつく。

 半仮面の魔女。

 ルピルナが知る、歴代の魔女で仮面を被っているのは少なくない。加えて右半面だけの仮面を着けている魔女は一人しか記憶にない。唯一の希望は、音をたてて崩れ去ってしまった。

「し…… 終焉の魔女、さま?」

 目の前の女性の微笑みが、満面の笑みに変わるのを見たルピルナは、なぜ今自分があの暴走の時に死ななかったのかを本気で後悔し始めていた。

「ご存じなら、特に名乗る必要はありませんね」

 終焉の魔女は、どこにでも居そうな佇まいでルピルナの正面にある椅子に座った。

 それが、逆にルピルナの目には恐怖に映った。

「大丈夫? まだ調子が悪いのかしら」

「い、いいえ! むしろ、以前よりも体調が良くなってるくらいで」

 突然の事に、ルピルナは緊張が解けないでいた。なにせ、伝説とも言えるほどの魔女が目の前にいるのだ。

 終焉の魔女といえば、その魔法技術はすさまじく、歴代の魔女を遥かに凌ぐ力を持っていたという話だったが、五十年ほど前、世界を巻き込んだ大戦争を引き起こした張本人であるとして国外追放の判決を受け、住んでいた国から追い出されてからの行方が分からなくなっていた。

「実は、あなたが魔女と知ってお願いがございます」

 目の前の女性は一呼吸おいて、真剣な眼差しで続けた。

「あなたの〝魔霊素エクトール〟を少し、分けていただきたいんです」

 〝魔霊素エクトール〟とは、大気中の魔素を吸収し、生成される魔法の源のようなもので、基本的には誰でも持ち得るものではあるが、魔女、あるいはその素質を持つ者の〝魔霊素エクトール〟は極めて純度と錬度が高い。だが、魔女が持つ魔霊素は、それ自体に色々な情報が含まれるので、そうそうと他人に渡されることはない。

「わ、私の魔霊素を、ですか?」

「ええ。どうかしら?」

 しかし、目の前の魔女は先日ルピルナの命を救った恩人でもある。恩人に対して、こうも早く借りを返せるなら願ってもないことではあるが、魔霊素となると少し話は変わってくる。

「無理に、とは言わないし、支障が出るほど貰うつもりもないわ。もしそうなら、あなたを助けるわけないんだし」

 言われてみればそうである。先日の暴走の折に助けずそのまま奪えばいい。そう思うと、ルピルナにある疑問が浮かんできた。

「分かりました。喜んで差し上げましょう。ただ、代わりに教えてください。なぜ私の魔霊素が必要なんですか?」

 と、交換条件を提示した。

 この質問には、さすがの仮面の魔女も言葉を詰まらせていたが、彼女の方にも引けない理由があるらしく、また対価が釣り合わぬとも思ったか、理由を話し始めた。

「魔女を普通の人間に戻す方法があることは、ご存知かしら?」

「ええと、確かラフラッド大陸の北部にあるハノキス共和国で研究されていた、くらいの知識しかありませんが、噂程度で聞いたことくらいならあります」

 そのルピルナの答えに、魔女は笑顔をもって答える。

「まあ、実際は理論までが完成していたのですが、実際にが行われることはなかったそうです。なんせ、実験段階になる前に戦争が始まってそれどころではなくなったのですから」

(なるほど、その材料に〝魔霊素エクトール〟が関わるワケか。魔女を魔女でなくすために、魔女の力が必要である、と)

 明確な回答は得られなかったが、ルピルナは彼女が何をしたいのかを何となく理解し始めた。

「実は私、魔霊素を得るために旅を始めたんです。どうしてもより多くの魔女の魔霊素を集める必要があるんです」

「『より多くの魔女』の? あなた一人の魔霊素では足りないのですか?」

 ルピルナは、実はまだ魔女としての経歴は浅い。魔女になった時期が件の戦争の後であったこともあり、実際仮面の魔女がどれだけの力を持ち、どう戦ったなどは全く知らない。もちろん魔霊素の事は知ってはいたが、せいぜい一般人と同じ噂程度の知識しかない。

「そうですね、どれだけ必要かは今となっては正確には分かりませんし、戦争が終わってから年々魔女の数は減少してしまっています。あと数年もすれば、私の想定した方法では魔女が人間に戻ることはできなくなるでしょう」

 なるほど、とルピルナは納得した。が、それに基づいて新たに気になることが出てきたので、ついでにぶつけてみた。

「では、各国の魔女の生き残りの方々にはもう会うための手筈は整ってるということでしょうか?」

「……実は」

 ここまではきはきと話していた半仮面の魔女は、急に顔を曇らせた。なんでも、国境を自由に超えるための世界渡航許可証を発行していた国境管理の制度が数年前から変更され、それぞれの領土を管理する責任者が直接発行する形式になったらしい。そのための審査が一か月近く待たされるということに愕然となったという。

「この地域の責任者というと、パキシリアはネオントラム領だから直接城まで行くことになるし、そこからさらに待たされて、って流れになるから、出だしからつまづいたな、って思ってたの」

 これでルピルナという魔女との遭遇がなければもっと悲惨な始まりになっていた、と仮面の魔女は語る。そこまで聞いてルピルナはある提案をする。

「なら、ちょうどいいです。私を助けていただいたお礼のついでに、一筆差し上げましょう」

 ルピルナはそう言って手紙を書く準備を始める。

「実は私、ネオントラムに残っている第三王子の教育係をやってるんです。私を助けたことを伝えれば、発行にかかる時間が短縮するかもしれません」

 そう言いながら、ルピルナは手早く一筆をしたためる。

「ところで、魔女から人間にしたいのは誰なんです?」

 封をした手紙を入れた封筒を仮面の魔女に私ながら、何気なくルピルナは質問を続ける。

「もちろん、私自身」

 半仮面の魔女は瑠璃色の瞳に力を込めて即答する。

 ルピルナは、その返事を想定していなかった。そのため、『何故そう思ったか』よりも『何か聞き違いをしたのではないか』とすら考えた。

「私は、もうじき寿命を迎えます。それまでに、自分がしたかった事をやりきりたいんです。もう、後悔しないために」

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