第二章 天然王子の思い付き

第3話

「まあ、ここにいると思ったんですけど」

 メイド服を着た少女は、くるくると右手の人差し指を回しながら、豪奢な服を着た少年に向かって呟いた。

「この時期だと、ここが暖かくて気持ちがいいんだ」

 手を頭の上に組んで大岩の上に寝転んでいる少年は、少女が発する聞き飽きた台詞にこれまた言い飽きた台詞を返す。

 風通しのいい林の中にある、少年よりもはるかに大きなその岩は、ちょうど少年が天然のベッドとして横になるにはちょうどいい大きさで、今の時期だと木漏れ日が差し込んでくるのでとても心地いい。

「パキシリアにいる使いの者からルピルナの件で伝達が来たようです。想定外の方法ではあったようですが、病の進行を食い止めることに成功したとのことで、数日ほど検査入院を終えたらこちらに戻るそうですけど」

「え、ルピルナが?」

 唐突に聞きなれない会話になったからか、心づもりができていなかった少年は、寝転んでいた大岩から転がり落ちそうになる。

「なんでも、薬草を売りに来ていた方が、たまたまルピルナの治療に使える類の薬を持っていたとかいう話らしいですけど」

 少年は知っている。ルピルナが魔女であることを。

 そして、その魔女が自身の知識で治せない病となると、そうそう治せる薬草などありはしない。

 つまり、その薬草売りもまた魔女か、それ以上の存在……

「へえ、その薬草売り、会ってみたいな!」

 少年は反動をつけて岩から降りた。

 着地の反動で揺れたアレメクニア人特有の金色の髪は肩のあたりできれいに切りそろえられ、青い生地に美しい金色の刺繍がされた服が見て取れる。靴は動きやすそうな柔らかい革製のショートブーツを履いているが、こちらはかなり履き込んでいるようであちこちに痛みが出始めている。

「お会いになりたいですか? まあ、そう言われるでしょうけど」

 メイド服の少女が少年に質問する。

「ちょ、ちょっとクリエラそれどういうこと?」

 またもや予想外の会話になったことに、少年はついにそう質問するしかなくなった。

「使いの話ですと、その方は世界渡航許可証の発行手続きのためにこちらに来るそうです。タイミングを考えると今日明日にも城に来ると思いますよ」

「それを早く言えぇぇ……!」

 言い終わる前に、少年は全力でその場から走り去ってしまう。

「まったく…… これだからエル王子には伝えたくなかったんですけど」


     *   *   *



「なあクリエラ、魔女ってなんなのだ?」

「今更というか、唐突というか、私に聞くよりルピルナ様が戻られてから聞かれる方が早いと思いますけど」

 早々に追いついたクリエラに、エル王子は話題の中心の存在である魔女について、歩きついでに聞いてみた。ルピルナがいたときにはできなかった質問でもある。

「遥か昔、今はもうない小国オルトゥーラには〝六年と六カ月と六日の月日を跨ぐたび、同じだけの月日を経た娘には神が宿り、混沌の世を正しき秩序へと導くであろう〟という伝説がありました。およそ六年半ごとに六歳の女の子に神様が宿り、予言をされるというのものです。正式な記録は少ないそうですが、これは伝説などではなく実際に起こった出来事であったらしいのですけど」

「それが魔女?」

 クリエラは指をくるくる回しながら、しかし静かに首を振る。

「その時の少女の呼び方は〝聖女〟だったり〝巫女〟だったりしていたそうです。神の使いであるなら〝魔女〟とは呼ばないでしょうけど」

「魔女、という言葉の意味が神の使いではないというのは、まあ分かる」

 だから早く続きを、と王子の目が輝く。

「小さい国だったオルトゥーラは、そんな少女が六年ごとに誕生するという理由で周りの国々から一目置かれた存在だったのですが、ある年を境に、その聖女が生まれなくなったんです…… 理由は不明ですけど。しかし聖女が生まれないとなった途端、周りの国々は次々にオルトゥーラとの国交を縮小していったんですけど」

「現金な諸外国だな」

 エル王子は心底嫌そうな顔をする。

「そんな中、オウトゥーラの王はある行動に出るんですけど、それが『人工的に聖女を作る』ことだったらしいんですけど」

「人工的に!? 錬金術か精霊術か、それ以外だと……」

 この世界において、錬金術と精霊術を除くと人間が扱える技術は魔法しかない。

 ただ、魔法を扱うとなると魔女の右に出るものがいないので、結局卵が先か鶏が先かという話になる。あるいは神のみが扱うとされる〝神律しんりつ〟なら可能かもしれないが、人間がそれを行使できるという話は聞いたことがない。

「深くは知りませんけど。ただ、五十数年前の戦争の直前に、魔女がもう生まれなくなってしまった、と言われているんですけど。それがそもそも開戦のきっかけになったとも……」

 エル王子はそこも詳しく話してほしそうな顔をしてきたが、目的地であるネオントラム城へと到着したので、早速王と件の魔女が話をしているである謁見の広間へ、クリエラを尻目に忍び足で向かっていった。


     *   *   *


 ルピルナの書簡を持ったエンリ達は、そのまま王に会えることになり、間を置かず謁見の広間へと通された。

「すっごい! おっきいお家だ~」

 城に入ってからというもの、チャイクロの珍しいものへの関心が尽きることがない。

「チャイクロ、これは〝お城〟といって、偉い人が住んでいる建物だ。家とはちょっと違うんだがな」

「お城……? おっきくてすごい!」

 今にも走りだしそうな体制になってきたので、仕方なくパルティナに抱かせる形でエンリ達は広間へ入った。

 謁見の広間はどちらかというと会議をする場所に近く、楕円形の机にいくつも椅子が用意されており、玉座側の椅子だけが少しばかり意匠の凝っているものが置かれている。

 エンリ達はその一番出口に近い椅子に座り、王の到着を待った。

 ……しかし、いくらか待ったところ一向に王は現れない。

「おかしいですね。いくらなんでもこんなに遅くなるとは、何かあったんでしょうか?」

 パルティナが業を煮やしてエンリに話しかける。顔は落ち着いているが内心では『私の主人を待たせるとは何事か』とでも考えているのだろうか。

 そんな中でエンリはというと、なぜかとても楽しそうに笑顔を絶やさない。

「エンリ様? なにかおかしなことでもありましたか?」

「ああ、ごめんごめん。ちょっと懐かしくなってね。大方この待たされている理由は、今の王じゃなくて先代の王なら、思い当たる理由があるな、って」

「先代の王になにか縁でも?」

「そもそもここに来るのも実は初めてじゃなくてね。戦争が終わって、この大陸に来て、一番最初に来た場所でもあるの」

「……エンリ様がそういう話をされるのは、珍しいですね」

「まあ、あの当時の事ってあまり思い出したくない、嫌な思い出ばっかだけど、最初の一発目だけは別で、一番印象に残ってるの。ちょうど……」

 そこまで言って、エンリは急に席を立ち、出入り口の扉の横で畏まっていた非戦闘用の簡素な鎧をまとった衛兵の一人に目をつけ、近づいて、

「そう、ちょうどこんな背格好で」深くかぶった兜の目隠しを、人差し指で持ち上げ「背後から驚かそうと……」あらわになったお互いの目が合うと、「当時の王子様が変装してたっけ?」エンリはにっこりとほほ笑んだ。

「……ははは! しまらんのう。意趣返しならぬ驚かせ直しを、と思って紛れ込ませてもらったんだが! やはりあの時と同じように見破られてしまったか!」

「そりゃ、ネタが一緒だと流石に勘づくでしょうに」

 大声をあげて笑った衛兵は兜と鎧を脱ぎ、もう一人の衛兵にそれを渡す。そしてそのままエンリのすぐ近くの椅子に座った。

「久しぶりだな、〝終焉の魔女〟よ。左腕にあった〝罪人の印〟がなくなっているということは、もうあれから五十年以上経ったのか」

「そうね、国外追放これの期間が切れたのは二年くらい前かしら」

 エンリは、自身が罪人であったことをこの男に言われるまで忘れていた。

 かつて国を滅ぼし、〝終焉〟という不名誉な二つ名を冠された事件…… いや、戦争が終わって既に五十年を超える月日が過ぎ去っていたのだ。

 彼女は、戦争の中心となった国から五十年の間、国外追放を命じられた。その際、魔法使いと精霊使いの双方の技術によって、国土に近づくことができない印を左手首に刻まれた。今はそれが消えているので、どういう模様だったかはもう分からない。

「それにしても進歩がないわね、サングレシア王さま」

「やめろ、やめろ。もう執政権利は息子に譲ったんだ。今はただの隠居ジジイさ。昔みたいにグレスとでも呼んでくれればそれでいい」

 そのやりとりで、パルティナはエンリについていくつか察することができた。

 エンリは、およそ五十年ほど前の戦争に関与し、そこで罪を犯し、国外追放になったらしいこと。

 最近になって刑期が終わり、罪から解放されたこと。

 おそらく、今回の旅行もそれが関係しているのでは、という所までは予想できるが、まだ明確な目的が分からない。

「リーリ、このひと? えらいひと?」

 二人の会話がひと段落すると、パルティナの膝の上で丸くなってたチャイクロが眠そうな上目使いで聞いてきた。

「おお! しゃべる猫か? 新しい混生獣キメラかなんかか?」

「あの時の白い子よ。覚えてる? もう四十年以上前だし、覚えてないかもしれないけど」

「ん? ……まさか、あの! ははは! そうか! あの時の! 覚えているとも。言われるまで気が付かなかったわい。全くそなたときたら、いつも俺を驚かせるのが上手い」

「今じゃあすっかり私の家族よ。あ、そうそう。ルピルナから聞いてると思うんだけど、ちょっとお願いがあってここまで来たの。グレスからも口をきいてくれると、とっても有り難いんだけど……」

「ああ、聞いているとも。あいつを助けてくれたそうだな。なんでも、魔女特有の疾患と聞いて慌てたもんだが、意外とあっさり治ったとも聞いた。まさか同じ魔女が治したなど、いや、長生きはしてみるものよ」

 サングレシアは、現在このネオントラム公国を治めるアスガルナス王の父にあたる。エンリとは五十年ほど前、彼女の国外追放の折に一時的に身元引受のためにこの城に来て以来の知り合いで、少しの間ではあるが共に暮らしたこともある。

「年の割に、元気そうじゃない。いたずらする余裕もあるくらいに」

「いやいや、そうもいかん。七十を過ぎればさすがにもう孫の面倒を見るのも辛くてな。偶然の魔女を拾ったときはお前を思い出して、つい孫の面倒を見てもらおうと召し抱えたはいいが、まあ、知ってのとおりよ」

「流れの魔女?」

 話の流れからその魔女とはルピルナの事のようだが、確かに彼女がこの国に来たかは大きな違和感があった。

 本来、魔女は必ずどこかの国に所属していることが普通である。なぜなら、魔女一人が持つ力は大国の軍事力の半分とほぼ同等であるからだ。つまり、下手に兵士や兵器を持つことよりも魔女を一人召し抱えることが確実で手っ取り早いのである。だというのにルピルナは国に所属することなく放浪していたのなら、彼女が所属していた国はどうなったのか。

「ああ。確かにあの戦争以来、魔女をまともに召し抱える国が減ったことは間違いないんだが、あやつはネオントラムの西の森で倒れているのを文字通り拾ったのさ。どこからか逃げてきたのか、解雇されてあちこち彷徨ったか、頭を強く打ったらしくて、記憶が曖昧なんだと。その辺は本人から聞いてないのか?」

「まあ、さすがにそこまでは……」

 五十年という年月はこうも世界を変えてしまうのか、とエンリは思った。かつて自分が魔女として宮使いしていた時は、国から除籍を受けるなんてことはありえないことだった。

「それはそうと、世界渡航許可証ワールドパスの発行を願い出るってのは、また何があった? 〝転移のくさび〟はまだ回収してないんだろ? 魔女なんだからひょーいってめじるしまで飛んでいけばいいんじゃないか?」

 魔女だけに許された移動方法の一つに〝転送の魔法〟というものがある。あらかじめ目印として目的地に〝転移の楔〟を建物や地面にあらかじめ打ち込んでおき、そこへ瞬間移動するというものである。この方法で移動した魔女には別段入国の手続きなどは必要ない(そもそも楔を打ち込みに来た時点で手続きを取っている)ので、改めて入国するために許可証を入手するのはいささかつまらない話だというサングレシアの発想は最もだ。

「前と同じで、連れがいるの。そこの紅銀あかがねの娘と白毛の子。私の家族なの」

 エンリは視線だけをパルティナ達に向ける。

「今回の旅行の目的は、彼女たちに世界を見せて回るっていうのも含まれているから、ぴょんぴょん飛んでっちゃあ意味がないから」

 サングレシアは、視線だけエンリとパルティナ達とを往復し、「そうか」と小さく呟いた。

 そんなやり取りをしていると、奥の扉が開き、誰かが広間に入ってきたようだ。

「お待たせしました。エンリ殿。私が……」

「遅いぞ、アスガルナス! もう思い出話と今後の予定が聞き取り終わっちまった!」

 サングレシアの言葉に、エンリ達は新しい入室者を目で追う。入ってきたのは現在のこの地方の統治者であるアスガルナス王その人だった。

「父上……」アスガルナス王はため息をつき、「すみません、ご無礼を。私が今のネオントラムを治めております、アスガルナスです。。父の知人だと言うことで書類の作成の間、積もるお話があるだろうと先にお入りいただいたのですが、こちらの方が逆に時間がかかってしまいまして」

 そう言って、手にしている銀色のトレイにを差し出してきた。その上には、何枚かの書類が王のサインがされた状態であることが分かる。

「いつもの書類対応だとあと二週間はかかるのですが、ルピルナの一件と、父の、ひいてはわが国の縁故者という方でもあるようなので、今回は特別に先に発行させていただきました。前後してしまいますが、この書簡をパキシリアの中央国境管理局へ提出してください」

 紙から漂う上質な職人技が、これが正式な書類であることをより認識させてくれる。世界渡航許可証ワールドパスの発行申付けの書類である。

「ありがとうございます、アスガルナス王。これで長々と待たずに他国へ向かうことができそうです」

 エンリはそれを恭しく受け取る。するすると巻いて手際よく腰の鞄へとしまい込んだ。

「旅行というくらいです、いつ戻られるおつもりでしょう? せっかくですし時間があれば父や祖父が現役であったころの、この国の話を伺いたいと思っておりまして」

「話、というかそもそも世話になったのは私の方で……」

「おお、そうだな! せっかくだから出立は明日にせい! こんな紙切れ程度で礼と言われてはネオントラムの名折れよ! これから向かう旅行の目的なども伺いたいものだ」

 話の雲行きが怪しくなったころ、いつの間にやら広間の机には、続々と夕食の用意が運ばれてきていた。

「準備がままならず、あり合わせではありますが、食事でもしながら」

(これはもしや、計算されていたんじゃあないかしら……)

 エンリは、この後に聞かれるであろう自分への話題をいかに逸らすかに思考のほとんどを取られたため、料理を味わう気にはならなかった。

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