美術室の水彩画
桐崎 春太郎
追憶
懐かしい扉を開ける。久しぶりの匂いに包まれながら靴を脱ぎ、友人を家に上げる。両親が引っ越すと言うから実家に置きっぱなしだった荷物を取りに来た。友人は気になると言う理由でついてきた。俺の家族は芸術家で絵画が飾ってある。しかしだいぶ減っている。友人は美術館のような姿に驚愕しながら家を見渡していた。
そして俺の部屋に連れてきた。友人は驚きながら椅子に座った。西日に照らされるアトリエ。まるで時間が止まったのかのように埃を被って姿を変えないアトリエだ。カピカピに乾いている絵の具の乗った画用紙を指で撫でる。友人は興味津々に眺めていた。
「へぇ、凄いですね。」
友人はそう、素直に褒めるものだから恥ずかしい。俺は照れくさく笑いながら頬を指でかいた。
「まぁ、両親が煩かったからな。」
すると友人は不思議そうに俺を見た。
「なんでこっちの道に進まなかったんですか?」
俺は今、両親みたいに芸術家ではなく技師を仕事にしている。でも確かに俺の家族や昔を知っている人からすれば何故芸術家にならなかったのかは不思議だろう。
「あぁ、色々あってな。」
すると友人は椅子を二つ持ってきて俺を座らせた。目の前に椅子を置き友人は俺を見つめながら座った。なんだ、その物欲しそうな目は。
「なんだよ。」
「聞かせてください。」
俺はそんな友人の珍しく食い気味な好奇心に呆れながら大きな溜め息をついた。
そして紅茶を淹れてきた。
「対して面白い話じゃないぞ。」
「いいですよ。さぁ、お願いします!」
そして俺は思い出を紅茶と共にふかしながら次のように語った。
俺の両親は芸術家だった。有名な画家。そんな両親の間に生まれた俺は周りからも両親からも芸術家になると思われていた。おかげでお金をかけて俺に沢山絵を描かせ、学ばせた。絵を描くのは楽しい。自分しか一時的にしか見えない感じれない美を形に鮮明に残せる。なんと素晴らしいことだ。しかし、なかなか家を出れなかった。絵を描くために外へ出ることは滅多になかった。ただ、アトリエの窓から見える楽しそうに笑って遊ぶ同級生たちがしているサッカーやスポーツを俺は知っていた。俺は羨んでいた。自由に外で楽しむ彼らに。
学校でも、俺はあまり話しかけられない。それは絵のせいではない。俺の性格のせいだ。よく、女子に話しかけられる。どうしたら絵が上手くなるの?とか、そんなこと。正直うざったいし、馬鹿らしい。俺はこいつらみたいに気軽に絵を上手くしたわけではなかったから。だからいつもこう言った。
「教えてもいいけど、絵はうまくならないよ。」
すると「どうして?」と聞かれる。
「君じゃ無理。時間をかけて美について学んでからまた来てよ。」
すると、大抵の女子は俺を睨んで女子仲間に「何様気取りなんだろう」「うざっ」と愚痴を言いながら俺を敵にする。しかしそんな女子ばかりでもなかった。泣き出して、周りに心配してもらう奴もいた。するとリーダー的な女子が「最低!」と責め立ててくる。その度俺は思う。
あぁ、なんでこんな奴が絵を描けると思ったのだろう、と。
こんな美学を知らない奴らが俺に描き方を聞きに来るなんて吐き気がするような馬鹿らしい話だった。
そうなふうに俺自身も、人と仲良くなる気はなかった。しかし、俺は諦めきれない物があった。サッカーがしたい。そんな願望だった。
中学に上がって部活見学に行った。サッカー部員は輝いていて楽しそうで美しかった。俺のサッカーが好きだという美しい感情のせいでそう見えるのだろう。だから俺はサッカー部に入ろうと思った。しかし、やはり親には反対された。しかも、部活は強制的に美術部。その時俺は初めて美術を嫌った。こんな強制的に美は追求することはできない。そんなの、子供な俺でもわかった。
でも、俺は仕方なく美術部に通った。やはり絵を描くこと自体は好きだった。ただ、自分の意志で描いていないことがわかってしまったから嫌だった。美術部に入る前、小学校では絵のコンクールで当たり前のように優秀賞を掻っ攫った。それは中学校でも同じだった。一年で先輩をも超える賞を頂き、あまり先輩には好かれなかった。今回のコンクールも優秀賞だろうと思っていた。けれど、上げられた名前は俺ではなかった。
俺と同じ一年の
俺の体は悔しさに苛まれた。
さらに俺に追い打ちをかけたことがある。両親に叱られた。まるで、人が変わったように叱られた。俺だって頑張った。工夫した。なのに何故俺がこんな目に遭わなきゃいけないんだ。絵を描くことを嫌いになった。
しかし晶に負けるのは癪だった。
コンクールはあっという間に訪れた。俺はコンクールの絵を描いていた。すると教室が突然騒がしくなった。何事だろうと思うとどうやら晶の絵がすごいらしい。テーマは俺と同じ『生物』何故晶は今、こんな讃えられているのだろう。俺はむしゃくしゃする黒い感情を押さえつけ、怒りに体が震えた。
そこで、少し魔が差した。あんな、偉そうな晶に制裁を下してやろう。それが正義だと、言い聞かせた。
皆が帰りだして静まった放課後。俺は美術室に残っていた。そして、自分の水彩画の隣にある晶の明らかに美しく生きた水彩画を見た。大きく活き活きと咲き誇るひまわり。力強さが伝わり光や影が立体的。しかし感情を表すようなベースカラーは柔らかい黄色で、優しさが伝わってくる。それでも、影は青色ベースで、孤独の冷たさを感じる。俺はため息が漏れた。そして笑いが込み上げてきた。こんなの、確かに俺には描けないや。そうわかっておかしかった。俺の右手には筆の入ったバケツ。黒いインクがタプタプ音を立てて俺が動くたび揺れた。
そしてその美しい絵を見つめたあと大きく息を吸って思いっきり絵に黒い線を入れた。筆の先が折れる。俺は力まかせに塗りたくっていて、美しさの欠片もない。ただ乱暴にインクを絵につけているだけ。俺は正義感に駆けられていた。これは正しいことだと自分を肯定した。俺は頑張っていた。両親の言いなりになって頑張っていた。なのにこいつが賞を取るのはおかしい。俺は黒いインクが乾かず滴る絵を見た。汚れてもなお美しく見えてしまう絵が醜かった。
「何してるの?」
おかげで人が見ていたことに気がつけなかった。俺は声の方を見た。体中に恐怖が駆け巡るのを感じた。晶が明らかに不機嫌そうに俺を見ていた。その目はまるで、汚いものを見るようだった。
「それ、僕がコンクールに出す絵なんだけど。何してるの?」
すると一歩一歩と俺に近づいた。俺は逃げるように後ずさったが、キャンバスにぶつかり、黒いインクが手にベットリと張り付いた。黒いインクをついた指先がキャンバスを撫でて線ができる。しかし視線は晶から外せなかった。晶は俺に近づくと胸倉を掴んだ。そしてキャンバスに押し倒した。俺と晶は衝動でキャンバスの上に倒れ込んでしまった。倒れた俺に馬乗りになる晶。眼鏡越しに晶は俺を見る。首を締められて苦しい。苦しさで涙が出てくると晶は力を抜いた。そして、嘲笑った。
「なんで君が泣くの?おかしくない?」
泣きたいのは僕なんだけど。
俺が泣いている理由は苦しさだけではない。自分の惨めさ、愚かさに気づいてしまったことだ。俺は卑劣で弱虫で、芸術性の欠片もない。気づいてしまえば涙は溢れる一方。晶は呆れていた。そして、先生を呼ぼうとした。俺はふと思った。先生が来ても、俺は謝る。なら、自分から謝った方が良いのではないか?俺は「待って!」と声を上げた。晶は怪訝そうに俺を見下した。俺は謝った。できる限りの言葉と行動で。しかし、晶は悪を見下す正義でしかなかった。間違いなく今、晶は悪を見下す正義の仮面を被っている。それはしかないことだった。しかし悔しくて仕方なかった。
晶は俺に言い放った。
「もう、君のことはよくわかった。君って本当に可愛そうな人だね。」
晶はそれを言うと教室を出ていってしまった。両親の呼び出しを食らった俺は恥ずかしさを覚えながらわかった。一度してしまったことは、どうもがいたって元通りにできないと。
美術室の水彩画 桐崎 春太郎 @candyfish
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