第37話 首都崩壊~世界を救いに行くんだよ(6)

 高空へと上昇した魔族たちは、再び旋回を始めた。

 弧を描くような飛翔は、相互の距離を徐々に狭めてゆく。

 やがて、密集体形を形成すると、


「シャギャッ!」

「ギュアッ!」


 威嚇の声と共に鋭い歯をむき出しにして、魔族たちは互いの肉体に噛みついてゆく。

 尻尾に、羽に、首に、胴に――次々と歯を突き立ててゆく。

 鱗は剥がれ落ち、傷口からは緑色の血がしたたり落ちる。

 凄惨な光景に、クリーデンスは顔をしかめる。


「……共食い?」

「いや、違う」


 食い合いを繰り返した魔族たちは、やがて一つの肉塊へと変化した。

 持ち前の再生力で、傷口は金属質の鱗でふさがれてゆく。

 百を超える魔族たちは、融合し、変形し、


「グォオオオオオオオオオッ!!」


 一匹の巨大な怪物へと変貌した。

 

「……合体、した!?」

「もともと、魔族っていうのは、群体生物だからな。敵の強さに合わせて、個体数を変化させるのさ。おかげで、ちまちま一匹ずつ倒す手間が省けた」

「手間が省けたって、なんか強くなってない?」


 巨大化したことによって、全体のフォルムも変化する。

 頭頂部には角らしき突起が生え、蛇のように首が伸び、胴回りも不格好なまでに膨れ上がり、背中の翼も巨大化した。

 翼をはためかせ高空を漂うその姿は、さながら一匹の龍であった。


「……あんなバカでかいの、どうやって倒せばいいのよ?」

「まずは、地上に引きずり落とす」


 魔族の威容に息をのむクリーデンスの横で、メガデスは構えを取った。

 巨龍に向けて両の掌を掲げ、瞑目する。

 さすがにあれほどの相手となると、なまなかな呪文は通じない。

 全身全霊を込めた、最大級の魔導を敵に向けてぶつける。


 此処ではない、何処か。

 今ではない、何時か。

 私ではない、誰か。

 形なき、力をもって。

 理由なき、帰結をもたらす。


「《久遠》より来たれ、中元の獄吏! 清新を掲げて、小郭を落とせ!!」


 呪文と共に、魔導が発動した。

 黒龍の周りに、光輪が顕現する。

 胴回りをすっぽりと覆う大きさの光輪は、黒龍の前足と、背中にある翼もろともに締め上げた。

 羽ばたきを止めた黒龍は、当然の帰結として地上へと落下する。


「シャァァァァッ!!」


 地べたに張り付けられた黒龍が、雄叫びを上げる。

 大地に縫い付けられた黒龍の肉体は、陸に釣り上げられた魚のように跳ね回る。


「いまだ、クリーデンス!」


 両手を黒龍に向けたまま、クリーデンスに命じる。

 こうしている間にも、メガデスは魔導に意識を集中させ、黒龍を締め上げていた。


「その剣を、龍の心臓に突き立てろ! 狙いは、首の付け根の胸元だ。行け!」

「は、はい!」


 命じると、クリーデンスは駆け出した。

 地面をのたうち回る黒龍に向かって、剣を構えて突撃する。

 魔導に縫い付けられた黒龍の体は、無防備に胸元をさらしていた。


「てぇぇぇぇぇっいっ!!」


 気合と共に剣を振り上げたその時、黒龍を縛り付けていた魔力の戒めが解かれた。


「キシャァァァァッ!」


 自由を取り戻した黒龍は、再び翼をはためかせ龍は上空に舞い上がる。


「うわっ!」


 翼の羽ばたきを間近に受けて、クリーデンスはたたらを踏む。

 風圧に顔をしかめながら、メガデスを振り向く。


「何? どうしたの?」

「……くそっ! しくった」


 吐き捨てるとともに、メガデスはがっくりと片膝をついた。

 その姿を、自由を取り戻した黒龍が睥睨する。

 自らを追い詰めた魔導士の姿を瞳に収めると、黒龍は大きく身をそらし、鎌首をもたげ、口から火炎弾を吐き出した。


「ゴッ!」


 動けないメガデスに向かって、火炎弾が迫る。

 超高熱の火炎弾が直撃する瞬間、


「メガデスくん!」


 クリーデンスが駆け寄ってきた。

 体当たりするようにメガデスを抱えると、その場から離脱する。

 直後、メガデスのいた場所に火炎弾が着弾する。

 火炎弾を受けた地面は、爆発と共にクレーターを作り出していた。

 間一髪、黒龍の攻撃をかわしたクリーデンスは、メガデスに向かってたずねる。

 

「メガデスくん! 大丈夫、メガデスくん!!」

「……う、うっ!」


 腕の中にいるメガデスは、ひどく衰弱した様子だった。

 額にびっしりと玉のような汗が浮かべ、青ざめた顔でうめき声をあげる。


「どうしたの、メガデスくん! 何があったの!?」

「……魔力が切れた」

「ええっ!?」

「魔力残量の計算をミスった」


 恥辱にほほを染めながら、メガデスはうめく。

 魔導士にとって、魔力残量の計算は初歩中の初歩である。

 魔導の達人であるメガデスには、本来ならばあり得ないミスなのだが、


「そういや、若返っていることをすっかり忘れていた。全盛期の感覚で魔導を乱発していたら、いつの間にか魔力を使い果たしていた」


 荒く息をつきながら、メガデスは独白する。

 大魔導を扱うには、少年の体はあまりにも脆弱であった。

 体内にある魔力を使い果たしたため、今のメガデスは生体機能を維持することすらままならない状態にあった。


「そんな、これからって時に。どうすればいいの?」

「後は任せた」

「丸投げ! 最後の最後で、丸投げ!?」

「大丈夫。お前ならできる。お前はやればできる子だ。俺はお前を信じている。お前は自分を信じろ」

「何それ! そんな投げやりな信頼、いらないよ!」


 言い争っている間に、再び黒龍が動き出した。

 火炎弾を放とうと、大きく身をそらしたその時、


「《辺獄:303‐5567》!」


 呪文詠唱の声が響いた。


「な、なんだ」


 声の方に、振り向く。

 広場のはずれ。

 グラウンド・ゼロの正門の前に、一人の男が佇んでいた。

 厳格を絵にかいたような、引き締まった顔。

 鍛えられた体躯。

 宮廷魔導士団ベナンダンディ団長、カーティス・ドノヴァンだ。


「団長!」

「逃げずに残っていやがったか。意外と、根性あるじゃねぇか」


 思わぬ援軍に、顔を輝かせるクリーデンスと毒づくメガデス。

 カーティスは、背後に数十人の魔導士たちを従えていた。

 いずれも、攻撃呪文の使える戦闘員なのだろう。

 両手に携えた杖は、黒龍に向けられていた。


「手を休めるな、押し切れ!」


 カーティスの号令と共に、魔導士たちは一斉に杖を構えた。

 杖の先端から、魔導が放たれる。

 雷、炎、風、光、氷――あらゆる種類の攻撃呪文が、黒龍に突き刺さる。


「ガアァァァァァァァァッ!」


 魔導による飽和攻撃を受けた黒龍は、再び地に落ちる。

 横たわる黒龍の体は、ボロボロに引き裂かれていた。

 片方の翼は折れ、金属質の鱗は所々剥げ落ち、尻尾の先端は引きちぎられていた。

 大きく引き裂かれた胴の傷からは、臓器が覗いていた。

 緑色の血を流し、大きく脈打つ臓器は――心臓だ。


「行け! クリーデンス」

「え?」

「今度こそ、その剣を心臓に突き立てるんだ。おそらくこれが最後のチャンスだ。はずすなよ!」

「う、うんっ!」


 メガデスをその場において、クリーデンスは走り出した。

 腰だめに剣を構え、身体ごと黒龍に向かって突進する。

 黒龍の肉体は、すでに再生が始まっていた。

 傷ついた体を魔素の霧が覆い、みるみる内に再生していく。

 むき出しになった心臓にも、硬質の鱗が生え始めていた。


「てぇぇぇ~いっ!」


 再生速度よりも早く、クリーデンスは剣を突き立てた。

 突進ともに繰り出された刃の切っ先が、黒龍の内臓を捉えた。

 クリーデンスの膂力と共に振るわれた聖剣は、刃の根本まで深々と突き刺ささった。

 

「ギャアアアアアアアアアアアアアアッ!!」


 鎌首をもたげると、黒龍は天空に向けて断末魔の悲鳴を上げる。

 聖剣によって魂を砕かれ、黒龍の肉体は内部から崩壊を始める。

 天空に羽ばたく翼も、鋼の輝きを持つ鱗も――黒い塵となって、肉片一つ残さず消滅した。


「……やった?」

 

 消えゆく黒龍の姿を見つめつぶやくと、クリーデンスは力尽きたようにその場にへたり込んだ。

 すでに体力の限界なのだろう、その手から聖剣が零れ落ちた。


「……やった。あたし、やったんだ。龍を倒したんだ。……ハハッ! ハハハハハッ!!」


 満足そうに笑うクリーデンスを、メガデスは背後から見つめていた。

 限界なのは、メガデスも同様だった。

 ラオに回復薬を全て預けてしまったことを、いまさらながらに後悔する。

 やがて、身じろぎ一つできずに横たわるメガデスの傍らに、人影が立った。


「どうやら、間に合ったようだな……」


 いつの間にやってきたのか、メガデスの傍らにカーティスが佇んでいた。

 こちらを見下ろし、にこりともせず、カーティスは言った。


「市民の協力、感謝する」

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