第16話 魔王、学校へ行く~何を学べというんだ?(4)

 エカテリーナ教諭の案内で、メガデスは教室へと向かった。

 長い廊下を三人並んで歩いてゆく。

 すでに授業が始まっている時間らしく、校舎の中は静まりかえっていた。

 長い廊下の向こうからは、かすかにピアノの音が聞こえてくる。

 音楽の授業だろうか。

 ここでは、魔導以外にも一般教養の授業もあるようだ。


「あそこが私たちの教室です」

 

 廊下の先にある一室を指さし、先生が言った。

 廊下に並んだ他の教室と見分けがつかない木製扉には、“基礎課程教室”のプレートが掲げられていた。

 教室にはすでに生徒たちが待機しているらしく、子どもたちの声が聞こえてくる。


「じゃあ、またあとで」


 教室にたどり着く直前、そう言い残すと、クリーデンスは一足先に教室に入っていった。

 続いて、メガデスたちも教室に入る。

 まだ遊びたい盛りの子供たちは、元気いっぱいに教室を駆け回っていた。

 それもエカテリーナの姿を見ると一転、子どもたちは一斉にお行儀よく席についた。

 なかなかよくしつけられている子どもたちだ。

 少なくとも、教師の前ではおとなしくしているだけの分別だけは身に着けているようだ。

 


「それでは、授業を始めます」


 教室の子供たちが、一斉に教壇のエカテリーヌ先生に注目する。

 生徒たちは、いずれも十代前半の少年少女たちばかりである。

 メガデスの外見年齢と同じ世代だ。

 基礎課程だけあって、年少者ばかりだ。

 教室の一番後ろの席には、クリーデンスがこちらに向かって小さく手を振っている。

 ローティーンが中心のの教室で、彼女の存在はどことなく浮いているように見えた。


「授業を始める前に、今日から新しいお友達を紹介します。さあ、みんなに自己紹介して」


 生徒たちの視線が、エカテリーヌから傍らにいるメガデスに移る。

 値踏みするような視線にさらされ、さて、どうしたものだろうかと考える。

 今の時代において、メガデスは大悪人の代名詞となっている。

 本名を名乗るのはどう考えても得策ではない。

 クリーデンスの言う通り、目立つような行動は避けるべきであるのだが、


「ども、メガデスです、よろしく」


 いろいろと悩んだ挙句。

 結局、本名を名乗ることにした。

 我慢するのもいい加減、限界であった。

 ことあるごとに無視され続けて、メガデスのプライドはズタズタに傷ついていた。

 この上、偽名まで強要されたとなれば、人格そのものを失いかねない――っていうか“メープルシロップ”くんとか呼ばれるのは嫌だ。

 生徒たちの反応はどうかと、メガデスは教室を見渡す。

 子供とはいえ、歴史に名を刻んだ魔王の名前は知っているのだろう。

 魔王を名乗る少年を前に、生徒全員があっけにとられたような表情をしていた。

 ただ一人、クリーデンスだけが机に突っ伏し頭を抱えていた。

 耳鳴りのしそうな沈黙の後、


『……あはははははははははははははっ!!』


 教室は爆笑に包まれた。


「な、なんだ」


 予想外の反応に戸惑うメガデスを、教室の生徒たちは指さして笑い続ける。


「あはははははっ! いるんだよなー、こういうやつ!」

「ウケ狙いでギャグ飛ばして、スベっちゃうの!!」

「魔王の名前名乗るとか、マジ中二!」

「今時珍しいわ、こういうの!」

「一周回って逆にウケるわ!!」


 なにはともあれ、とりあえず第一印象だけは良かったようだ。

 ひとしきり笑いが収まったころ合いを見計らって、エカテリーナが告げる。


「そ、それじゃあ、メガデス君。空いている席に座ってください。教科書は、隣の人に見せてもらってね」

「……はい」


 そこはかとなく敗北感に打ちひしがれながら、空いている席へと向かう。

 教室の後方には、空いている席がいくつかあった。

 そのうちの一つ。

 隣の席に座るクリーデンスがこっちこっちと、手を振っているのが見えた。

 正直、これ以上こいつとかかわるのはごめんだったが、ほかの席に座るのも面倒だし、おとなしく従うことにした。

 席に着くと、隣のクリーデンスが早速話しかけてきた。


「よかったね、みんな笑ってくれて」

「いや。笑いものになりたかったわけじゃないんだが……」


 がっくりと、疲れたようにうなだれる。

 これから授業だというのに、始まる前から体力を削られてしまった。

 このまま部屋に帰って、人生を見つめなおしたいところだが、そういうわけにもいかないのだろう。

 何はともあれ、授業は始まった。

 教壇のエカテリーヌが教科書を開くと、教室の生徒たちもそれに倣って教科書をひろげた。

 隣の席のクリーデンスも、机をぴったりとつけると、横から教科書を差しだす。


「はいこれ。教科書。わからないところがあったら、何でも聞いてね」

「ふん?」


 興味深げに教科書を手に取る。

 魔導の教科書、つまりは魔導書である。

 百年前の時代、本は貴重品だった。

 この学校では、この教科書を一人一冊、支給しているらしい。

 つまり、それほど製本技術が発展していることである。

 光沢のある薄っぺらい装丁は、魔導書と呼ぶには趣が欠けるが、軽量で読みやすいことは確かだ。

 端から端までぱらぱらと、教科書をめくると、クリーデンスに返す。


「もういい」

「…………え?」

「大体わかった」

「わかったって……」

 

 きょとんとするクリーデンスをよそに、授業が始まった。


「それでは授業を始めます。まずは前回の授業の復習から。」


 どうやら、新入生であるメガデスのために、授業の概略を一から説明してくれるらしい。


「魔導とは、現世と異界との融和を意味します。『ここではない何処か。今ではない何時か』。時間と空間を飛び越え、異次元の法則をこの世界に顕現させる行為を総じて“魔導”と呼びます」


 言いながら、黒板にチョークで書き込む。

 時間。

 空間。

 その二つの文字を、生徒たちは手元のノートに書き写してゆく。


「古典魔導式では、魔導士の呪文詠唱を媒介して行われていましたが。現代魔導技術の進歩により、大幅に簡略化することが可能になりました。では実演してみましょう」


 そういうと、エカテリーナは上着のポケットに手をいれた。

 中から取り出したのは、手のひらサイズの機械であった。


「これは、魔導接続装置“コネクター”と呼ばれる魔具です。これを使用して、今から実演して見せましょう」


 言って、装置を操作する。

 魔導接続装置“コネクター”は、一見して懐中時計に酷似していた。

 円形に配置された文字盤に、二つの針。

 極めて、シンプルな構造だ。


「もっとも基本的な“光”の呪文を使用してみます。まず、魔導式を設定します。教科書に書いてある数字をここに入力し、コネクターを起動します」


 針を動かし、文字盤の数字に合わせると、側面にある竜頭を親指で押し込んだ。


「そして、呪文を詠唱します《混沌:128‐6667》!」

 

 呪文を唱えると同時、エカテリーナの手のひらに光球が出現した。

 大きさは鶏の卵程度だというにもかかわらず、その輝きは教室の隅々まで照らした。

 エカテリーナの言う通り、光の呪文は魔導の中で最も基本的な呪文である。

 とりたてて難しいものではないが、それでも新米魔導士たちには感動的だったのだろう。

 あかあかと輝く魔導の光に、教室の生徒たちは歓声を上げる。


「以上が、前回の授業までの復習です」


 呪文の効果を十分に見せつけてから、エカテリーナは解呪した。

 手を振って光を消すと、生徒たちにむかってたずねる。


「ここまでの説明で、わからないところがありますか?」


 教室を見渡すが、手を上げる生徒はいなかった。

 内容は前回の授業の復習であるため、特に質問はないのだろう。

 生徒たちの習熟度を確認し、満足そうにうなずくエカテリーナに向かって、メガデスはゆっくりと手を上げた。


「はい、メープルシロップ君。質問をどうぞ」

「いや、だからその名前は……。もういいいや」


 いまさら訂正するのも面倒なので、とりあえず質問を続ける。


「この魔導式の場合、時間軸、座標軸、双方の魔導要素を特定する際、齟齬が生じると思うのだが、どうやって特定するんだ」

「……はい?」


 質問の趣旨が理解できなかったらしい。

 笑顔で固まるエカテリーナに、繰り返し質問する。


「いや、だから。たとえば《混沌》の魔導域を利用した術式の場合、魔導要素を数値化する際に、時間軸において約二百三十、座標軸において約一万三千五百十におよぶ魔導要素が抽出されるわけで、双方を比較した場合、魔導式に齟齬が生じ真偽を問うことができないわけだが、いかにして妥当式として成立させるのだ?」

「それは、その……。ちょっとまって」


 そういうと、エカテリーナ教諭は慌てて教科書を広げた。

 必死の形相で教科書をめくり、最終ページまでめくってから、エカテリーナ教諭は教科書から顔を上げた。

 その顔には、無知を認めたくない者、特有の愛想笑いが浮かんでいた。


「……今の質問は、基礎魔導の授業では取り扱わない範囲ね」

「そうなのか? とても基本的な問題だと思うが……」

「魔導要素の齟齬による機能的問題は、基礎魔導理論の授業では取り上げていないの。これからカリキュラムを進めて、高等魔導理論の授業まで進んだら、その時、担任の先生に聞いてちょうだい」

「ふむ、そうなのか……。なら仕方がないな」


 さりげに、たらいまわしにされたような気がしないでもなかったが、あえて問いただしたりはしなかった。

 納得したようにうなずくと、エカテリーナはほっとした表情を見せた。


「では次の質問なのだが……」

「え? つ、次!?」

「教科書145頁に書かれている『魔導因子の推論について』の記述なのだが、個々の魔導要素の意味を無視して、論理演算のみで関係づけた場合、表現の変形規則が一定の意味同等性を保つことができず、推論の性質をいかなる形に考えるかによって変化が生じてしまう。たとえばA,B∴Cの場合……」


 以後、授業終了の鐘がなるまで、メガデスの質問は続いた。

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