第3話 魔王復活~誰も信じない(2)

 儀式は厳かに、しかし事務的に行われた。

 装置の傍らには技術担当の職員が控えていた。

 白衣姿の職員たちに向けて、カーティスは静かに命じる。

 

「システム起動」

「システム起動!」


 復唱すると、職員は装置のスイッチを入れた。

 ほどなく、駆動音が立ち上がる。

 計測器に表示された数字を、職員たちは読み上げる。


「時間軸調整よし!」

「座標固定よし!」

「魔導力係数、50% 60% ……7、8。……100%突破」


 数字が上がるたび、魔導陣を中心に、魔力が高まってゆくのを感じる。

 儀式は、カーティス一人で行うことになっている。

 傍らに控えている二人の魔導士は、緊急時の備えでしかない。

 考えたくはないが、万が一儀式が失敗した場合、カーティスに代わって彼らが事後処理を行うことになっていた。

 緊張の面持ちで補佐役の魔導士たちは儀式の行方を見守る。

 どうかすると、施術者のカーティスよりも緊張しているかもしれない。


「魔導力係数、120%に到達」


 オペレーターの報告に、ようやくカーティスが動く。


「剣を」


 短く告げると、スタッフの一人がカーティスの下へと駆け寄り、一振りの剣を差し出す。

 聖剣バウンティ・ブレード。

 今から百年前、勇者ライオットが携えていた剣である。

 聖剣を受け取ったカーティスは、魔導陣の中に足を踏み入れる。

 物言わぬ少年の元までゆっくりと歩み寄ると、カーティスはおもむろに剣を抜いた。

 魔力が付与された剣は、百年の時を経てなお、錆びることも朽ちることもなく、鈍色の輝きを放っていた。

 その剣を高々と振りかざすと、カーティスは少年の胸元めがけて突き立てた。

 鈍色の輝きを放つ剣先は、囚人服を貫き、何の抵抗もなくするりと胸に突き刺さった。

 切っ先が心臓に達した時、カーティスは素早く呪文を詠唱する。


「《涅槃》より来たれ! 黄昏の祭祀。彼の者の魂を還らせ給え!!」


 儀式そのものは古式にのっとって、忠実に行われた。 

 現代では廃れつつある古典魔導式では、長文での呪文詠唱が不可欠となる。

 呪文の詠唱を終えると、カーティスは剣を引き抜いた。

 聖剣で貫かれたはずの少年の体は、傷一つついていなかった。

 囚人服の上着に穴は開いていたが、そこから血は流れていない。


 儀式は、これで終わった。

 やれるべきことはすべてやった。

 カーティスにできることは、見守ることだけだ。


 一同が見守る中、やがて少年の体に変化があらわれる。

 ひじ掛けに置かれた指先が、ピクリと動く。

 次いで、固く閉ざされた瞼がゆっくりと開かれる。

 血の色をした、赤い瞳。

 ゆっくりと顔を上げると、少年はこちらを見上げた。


「…………」


 目を覚ました少年は、無言でこちらを見据えていた。

 感情の無い深紅の瞳にさらされ、カーティスは息をのむ。


「我が名はカーティス・ドノヴァン!」


 無言の圧力に耐えかねたかのように、カーティスは少年に向かって、高らかに名乗りを上げる。

 

「宮廷魔導士団ベナンダンディ団長。復活の儀により汝を召還せし者なり。我が呼び声にこたえし、汝の名を名乗れ」

「…………」


 少年は、答えない。

 赤い瞳でこちらを見つめたまま、ただこちらを見上げていた。

 胸中に不安がよぎる。

 儀式は成功した。

 そのはずだ。

 元々、この魔導式は不完全なものであった。

 魔王の残した魔術研究の記録は、戦後の混乱によって多くは消失し、断片的な資料しか残されていなかった。

 足りない部分は、現代魔導の技術によって補っている。

 大げさな機器と、スタッフはそのためにあった。

 不測の事態は、常にある。

 特に魔導という不確かな理論体系には、常に失敗の文字が付きまとう。

 沸き起こる不安を打ち払うように、再び問いかける。


「答えよ! 汝の名を……」

「メガデス」


 気だるげな様子で、少年は口を開いた。


「大陸の支配者。上級王ブレトワルダ。百氏族の長。金剛石の玉座の主。魔導を極めし者。そして――魔王」


 小さいが、それでもはっきりと聞き取れる声で、続ける。


「神に仇なす者。百万の死をもたらす者。魔王メガデス。……これでいいか? カーティスとやら」

「…………」


 沈黙するカーティスに、魔王は笑みを浮かべる。

 少年の顔には似つかわしくない、凄然とした笑み。

 その皮肉な口調と、鷹揚なしぐさは王としての威厳が感じられた。


「まずは礼を言おう。私をよくぞあの世から引きずり出してくれた。大儀であったぞ、カーティス。褒めて遣わす」


 無言でたたずむカーティスの前で、少年はゆっくりと椅子から立ち上がる。

 新しい体を確かめるように、体を動かす。

 首をめぐらし、腕を回し、その場で足踏み。

 軽いストレッチをしながら、カーティスに語りかける。


「案ずることはない。貴様の施術は完璧だ。記憶もしっかり受け継いでおるようだ。体の方も問題ないようだ――どれ?」


 パチン、と指を鳴らすと同時、少年の掌に力場が出現する。

 魔導による力場だ。


「……なっ!」


 反射的に護衛の二人が動いた。

 ホルスターから銃を抜こうとする護衛に、カーティスは片手をあげて制する。


「動くな!」


 護衛達の動きよりも、カーティスの声が早かった。

 腰に手を当てた姿勢のまま、護衛官は固まる。

 幸いなことに、魔王はこちらの動きに気付いていないようだった。

 鏡面処理された力場に自分の姿を覗き込み、感心したようにうなずく。


「ほうほう! これはまた、随分と若いころの肉体を用意してくれたな? カーティス。年齢的には十五歳といったところか? 成長期の半ばといったところか。手足も伸び切っとらんし、筋力はたりないし、いろいろ面倒な時期だが、……まあいいだろう」


 どうやら、新しい体は気に入ったらしい。

 ひげの生えていない顎を撫でさすりながら、鏡の中に映った自分の姿を見つめ、しきりにうなずく。


「いや、見事見事。その若さでこれだけの術をこなせるとは、なかなかの腕前だ」

「…………は」


 強張った表情で答える、カーティス。

 褒めているつもりなのだろうが、カーティスには嫌みにしか聞こえない。

 魔具の補助なしに、呪文の詠唱も無く、無造作に魔導を行使するのは普通の魔導士にはできない芸当だ。

 大陸の頂点に立つ宮廷魔導士団団長、カーティスであっても、魔具の補助なしにこれほどの精度で術を行使することは不可能だ。

 卓越した技量の違いをまざまざと見せつけられ、カーティスをはじめ、そこに居る全員が確信した。

 この男は、間違いなく魔王メガデスの転生体であることを。

 呆然とするカーティスたちを捨て置いて、メガデスは鏡に映った自分の姿を見つめて満足そうにうなずいた。


「見事だ。カーティスとやら。誉めてやろう。転生の魔導式など、並みの魔導士にはできぬ芸当よ。どうやら俺の開発した術式を使ったようだな」


 そんなカーティスの胸中も斟酌することなく、魔王は足元の魔方陣を見つめは無邪気にたずねてくる。


「《涅槃》の魔導陣を使ったか。少し、アレンジしてあるようだが、おおむね記述どうりにできておる。《冥府》の魔導陣を使えば、儀式を簡略化できたろうに、なんでわざわざ……ああ、そうか。文献が欠けていたかからか。ふむ、だが悪くない。悪くないぞ、カーティス。見たこともないからくりがあるようだな?」


 次に、部屋にある魔導装置に目を向けた。

 最新の技術でもって作りだされた機器を、興味深げに見渡す。

 

「成程、成程。このからくりの補助があれば、儀式の簡略化ができるわけだな。面白い。実に興味深い。私が眠っている間にも、魔導は日々、進歩をとげておるようだな。それもこれも、お前たち後輩どものたゆまぬ研鑽のたまものというわけだ。関心、関心」


 満足気に、しきりにうなずく。

 現世に復活したのがよほどうれしかったのだろう、魔王は上機嫌の様子であった。

 とりあえず、いきなり暴れだなどということは無いようだ。懸念されていた最悪の事態は回避されたことに、カーティスは胸をなでおろした。


「まあ、詳しい説明はおいおい聞くとして、だ。とりあえず、貴様らの勤労に報いてやらねばな。……それで、願いは何だ?」

「願い?」


 唐突な質問に、意味が分からずカーティスは問い返す。


「まさか、用もなく呼び出したわけではあるまい? これほどの手間をかけて、あの世からよみがえらせたのだ。魔王とまで呼ばれた我の力を求めて呼び出したのだろう」


 そういうと、メガデスは右手を差し出した。


「何が欲しい。富か? 名声か? それとも、世界の真理か? 失われた叡智か?」

 

 魔王と呼ばれた男。

 世界を手中に収めた男の右手が招く。

 魔導の道を歩む者にとって、それはたとえようもなく甘美な誘惑であった。

 逡巡するカーティスに、メガデスは微笑む。


「いまさら遠慮をすることはなかろう。魔導を極めし我の力をもってすれば、大抵の願いをかなえてやれる。さあ、願いを言うがよい」


 差し出された手を見つめ、

 巌のような表情を崩すことなく、カーティスは魔王に向かって告げる。


「釈放です」

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