第一章 魔王復活~誰も信じない

第2話 魔王復活~誰も信じない(1)

 その日の朝、宮廷魔導士団ベナンダンディ所属クリーデンス・クリアウォーター魔導官は、


「寝過ごした!」


 悲鳴と共に、ベッドから跳ね起きる。

 職員寮の自室。

 鳴り響く目覚ましを黙らすと、大慌てで身支度をする。

 寝間着を脱ぎ捨てると、壁に掛けてあった制服に袖を通す。

 宮廷魔導士団の証である濃紺色の制服は、昨日のうちにアイロンがけしておいてあった。

 のりの効いたワイシャツに袖を通し、臙脂色のネクタイを結びながら、クリーデンスは自らを罵倒する


「もうっ! なんでこんな日に限って寝坊するのよ!?」


 理由は、自分でもわかっている。

 今日は初仕事を命じられた重要な日。

 昨晩は緊張と興奮で眠れなかったのだ。

 何度もベッドから起きては、時間を確認し、制服の準備をし――結局、眠りについたのは、明け方になってからだった。


「あたしってば、いっつもそうなんだから! 入学式も、入団式も、寝坊して遅刻して……一体、何度繰り返せば気が済むのよ!?」


 言いながらも、身支度は続ける。

 濃紺色の制服の上下を身に着けると、姿見に自分を映し、確認する。

 襟元を正し、曲がったネクタイを直し、制服にしわがないかチェックする。

 髪の毛は、あきらめる。

 どうせ櫛を入れたところで、年季の入ったくせ毛が治るわけがない。

 聞き分けの無い金髪を、いつものようにうなじのあたりで括り付けると、最後に革製のホルスターを腰に巻き付ける。

 銀色の輝く魔導銃は、宮廷魔導士団から貸与されたものである。

 ずしりとした腰の重みは、あらためて自分が宮廷魔導士団の一員であることを自覚させてくれる。

 

「よしっ!」


 一通り身支度を終えると、クリーデンスは部屋から飛び出した。

 朝の職員寮は、静まり返っていた。

 職員寮の住人たちの大半は宮廷魔導士団の職務についているため、日中はほとんど人がいない。

 残っているのは、クリーデンスのような寝坊した学生ぐらいのものだ。

 一階まで降りると、食堂の中からパンの焼ける香ばしい香りが漂ってきた。

 おなかはすいていたが、朝食を食べている暇はない。

 食堂の前を通り過ぎると、中から見知った顔が出てきた。

 急いでいても、友人への挨拶だけは忘れない。


「ラオ! おはよう」

「おはようございます、クリーデンスさん」


 朝食を終えたばかりなのだろう。

 挨拶を返す彼女の前をすり抜け、クリーデンスは玄関へと向かった。


「どうしたんですか? そんなに慌てて」


 ラオに呼び止められて、足を止める。


「これからお城に行くの!」


 その場で足踏みしながら答え、嬉しそうに付け加える。

 こんなことをしている暇は無いのはわかっているが、つい自慢したくなってしまったのだ。


「今日はわたしの初仕事なの。団長直々の命令なんだよ」

「それじゃ、学校はどうするんですか?」

「お休み。学校にはもう、欠席届を出してあるわ」

「欠席って、今日は補習がある日じゃなかったですか? 基礎魔導理論の」

「ああっ、そうだった!」


 ラオに言われて、思い出す。

 基礎魔導理論担当のエカテリーナ先生は、基本的にやさしい先生であったが、不真面目な生徒に対してはその限りではなかった。

 テストで赤点を取った上、補習をすっぽかしたらどんなことになるか。


「エカテリーナ先生に報告しておいて。急用ができたから、補習はまた今度って……」

「はいはい。わかりました」


 拝み倒すようにして頼むと、ラオは笑って承知してくれた。


「先生にはうまくいっておきますから、クリーデンスさん。それより、急がなくていいんですか? お城に向かうバスはもう出ちゃいましたよ。次に来るのは一時間後です」

「大丈夫、走っていくから!」


 いうや否や、すでにクリーデンスは駆け出していた。

 玄関を潜り抜けると、視界いっぱいに街並みが広がる。

 大陸最大の都市である、スペルディア。

 近代的な高層建築物が描く輪郭の向こうには、ひときわ高い建築物が見える。

 黒曜石の輝きを放つ、巨大な城。

 かつて魔王城と呼ばれ、現在は宮廷魔導士団の拠点である『グラウンド・ゼロ』。

 そこが、今日からクリーデンスの仕事場である。


 ●


 カーティス・ドノヴァンは、厳格な男として内外に知られている――そして、カーティス自身、それは自認している。

 他人にも厳しく、そして自分に対してはより一層厳格であった。

 その性格は、彼の外見にも表れている。

 常に引き締めらた顔立ちに、鍛えられた体躯。

 後方に撫でつけられた髪型も、きれいに整えられた口ひげも、彼の厳格な性格を演出している。

 中年の盛りを迎えた年齢は、魔導士として気力が最も充実した時期にある。

 この齢にいたるまで、彼は宮廷魔導士団の一員として必要とされることは全てやってきた。

 時には必要ではないこともやってきた。

 それは、大陸魔導士の頂点であることを示す宮廷魔導士団団長となった今でも変わらない。


 今日もまた、カーティスは宮廷魔導士団の職責を担うべく、研究開発室へと向かった。

 宮廷魔導士団直轄の研究開発室は、宮廷魔導士団本部『グラウンド・ゼロ』内部にある。

 この部屋は魔王城と呼ばれていたころから、魔導研究施設として使用されていた。

 見てくれ以上に頑丈に作られている。

 かつての主、魔王メガデスはこの部屋で夜な夜な怪しげな研究にいそしんでいたという、いわくつきの部屋であった。

 護衛官二人を従え部屋に入ると、団長専属の女性秘書官が出迎えた。

 年のころは二十代。

 カーティスから見れば娘のような年齢だが、団長専属秘書としてよく働いてくれている。

 少なくとも目立ったミスをしているところは見たことはない。

 彼女に向かって、カーティスはたずねる。


「準備は?」

「完了しております」


 短い問いに、すかさず秘書官が答える。

 愚問ではあったが、それも必要なことであった。

 儀式の手順に抜かりはないか、一つ一つ確認してゆく。


「機材の準備は?」

「問題ありません」


 研究開発室には、古びた部屋には似つかわしくない、最新の魔導機器が持ち込まれていた。

 無機質な輝きを放つ、金属製の四角い箱。

 床には配線が蛇のようにのたうち回っている。

 表示板や計測器が示す文字や数字は、薄暗い部屋の中で淡い光を放っていた。

 この最新の機器を操るのは、研究開発部のスタッフだ。

 白衣姿の研究開発スタッフは、

 これでも必要最小限に抑えられている。

 秘匿性を保つには、儀式の参加者は少ないほどよい。


「被検体の様子は?」

「異常ありません」


 部屋の中心に描かれた魔導陣。

 その上に、一脚の椅子と、その上に座った少年の姿があった。

 黒髪に白い肌。

 成長期の途上にある肉体は、細身で身長もそれほど高くはない。

 その目は固く閉ざされた瞼に阻まれ、瞳の色はうかがい知れない。

 少年が着せられているのは、オレンジ色の囚人服だった。

 そもそも、少年は呼吸をしておらず、囚人服の胸元も上下していない。

 それは、決して死んでいるという意味ではなかった。


「議会の連中は?」

「今の所、おとなしくしているようです」


 儀式を執り行うにあたって最大の障害は、政治的な問題であった。

 この儀式の施行に対して、大陸議会は最後まで抵抗した。

 最終的に、問題が起きた際、全責任をカーティスの一存で行うということで、ごり押しした。

 納得したとはいえ、議会の中ではいまだ反発する勢力がある。

 今の所、おとなしくしているようだが、どんな形で妨害してくるかわかったものではなかった。


「彼女は?」


 最後の質問に、秘書官の答えが初めて遅れた。


「……まだ、登城しておりません。おそらく、遅刻かと」


 そうか、と短く答える、カーティス。

 職員の遅刻に、一々目くじらを立てることはしない。

 彼女の存在は、今回の計画に特に重要ではない。

 特に問題はないだろうと、カーティスは判断した。


 一通り確認作業を終えたところで、ちょうど開始時刻になった。


「時間です」


 壁にかけられた時計で確認しながら、事務的に秘書官が告げる。

 自身も時計を見て確認すると、うなずく。


「それでは、これより儀式を始める」


 カーティスが言うと、秘書官は部屋の隅へと退いた。

 部屋の片隅には、椅子と机が用意されている。

 小さな事務机の上には、タイプライターが置かれていた。

 椅子に腰かけ、秘書官がタイプに紙を差し込んだのを見計らってから、カーティスは続ける。


「ファイル名、第2011号。日付。大陸歴100年、青の月、第四週の三日。場所。グラウンド・ゼロ城内、第一研究開発部実験場。執行者。カーティス・ドノヴァン……」


 秘書官は、カーティスの一言一句を漏らさず記録してゆく。

 静まり返った部屋の中に、カタカタと、キーを叩く音だけが響いた。


「儀式内容。《涅槃式反魂術》儀式対象は、メガデス。……魔王メガデスだ」


 彼の名を口にした時、わずかに声が震える。

 宮廷魔導士団に所属する魔導士たちにとって、彼の名は特別な意味を持っていた。

 それは、団長であるカーティスも変わらない。


「なお、儀式の内容は非公開とする。記録は即時、破棄するように」


 最後に一言つけくわえると、秘書官はタイプしたばかりの文書を破り捨てた。

 つくづく、馬鹿げた話であった。

 それでもやらなければならなのは――それが、必要なことだからだ

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