0 × 1 =




 いつかもう1度会えたらと思っていた。

 1度は離れてしまったこの手が、もう1度届けばと思っていた。

 顔を合わせたら何を言ってやろうかと考えていた言葉も全部飛んでしまった。

 まさか、まさか今、心の準備もしていない不意打ちの状態で会えるなんて……



 


「久しぶりだね、柚子」 

 


 


 





 


 


 


 

 日曜の正午過ぎといえば,いつもの私にとってはまさに配信を開始するような時間だ。

 土曜の夜から日曜の朝方にかけて配信した後に就寝、昼前に起床して正午過ぎから夜まで2回戦を行う週末をここ1年程度過ごしてきたので、今少し落ち着かなかったりする。

 とはいえ仕方がない。他の誰でもない、メモリーズ運営からのお呼び出しだ。毎週の習慣化している配信を楽しみにしているリスナーには悪いと思うけど、私に都合の良い日で大丈夫と言われてしまうと週末しか空けられなかった。


 

 


「失礼します、一ノ瀬柚子です」


 

 


 会議室に入ると流石に運営全てではなく、一部のスタッフ……零那が抜けた後のプロジェクトリーダー代理や、1~4期生までのマネージャーの合計5人だけが私を待っていた。

 仕方のない話だけど、やはり私待ちだったようだ。彼らにとってはここが職場なのだから私だけが外から来る形になるとはいえ、会議の日時まで融通してもらった事もあって少し申し訳なさがある。

 ただ1つだけ疑問なのが、何故今日に限って私を事務所に直接招いて会議を行うのだろうか、という事だ。

 私が零那からメモリーズ全体のまとめ役を押し付けられてからというもの、何度かこのメンバーと会議をさせてもらう事はあった。

 内容は当然メモリーズメンバーに関わる事……とはいえメモリーズは基本的に良い子ちゃんばかりなので問題行動も無い。最近でいえば2期生の誰かと4期生の誰かの突発オフコラボの事前・事後会議をしたくらいで、それも運営からすればそこまで大事でもなかったらしく私はリモートでの参加だった。

 なお、私はその事前会議で実の姉妹を同じ箱でライバーデビューさせる会社がある事を知った。面白ければなんでもいいわけないだろう。売り出し方も実の姉妹設定じゃなく赤の他人設定で出しているなんて、リアルバレの危険性とか考えてないのかと頭を抱えてしまったのも懐かしい。


 


 

「あの、早速で悪いのですが……なぜ今回私は直接呼ばれたのでしょうか?」

「その方が良いとの意見がありまして、私達がそれに納得したからですね」

「その方が良い……それは誰の意見か聞いてもよろしいですか? マネージャー……ではないわよね?」

「違います」

「じゃあいったい誰が……」


 

 


 そう言った時、私は違和感を覚えた。私が到着したことでメンバーは全員揃ったはずなのに、まだ会議が行われていないのだ。

 始めるタイミングはいくらでもあった。私が到着して席に座った後でも、いつでもよかったはずだ。

 たしかに、まだ会議予定の時刻より少し早い。呼ばれた身として予定していた時間よりもいくらか早く着くことはできたけど、結局5分ほど前に到着する程度の時間に調節した結果だ。あまり早く着きすぎた方が迷惑になってしまう。

 それでもメンバーが揃ってしまった以上、少し早くても会議を行わない理由も無いはずだ。今まではそうだった。全員揃った段階で会議開始をしていた。

 それなのにまだ行われない……それは、まだ顔を見せていない参加者がいる?





「——どうやら私達が最後のようだ。待たせてしまったね」


 

 


 普段と違う状況への答えが出た次の瞬間には、まるで私が回答するのを待っていたかのようなベストタイミングで答え合わせがされた。

 会議室に入ってきたのは、2人。1人は私より少し年下……マリやユキと同じくらいと思われる女。見たのは初めてだけど、まだスタッフとは断言できない。メモリーズ内の1期生と2期生とは全員顔を合わせた事があるけど、3期生と4期生は逆にまだ誰ともリアルで会っていないから。

 そして、見知らぬ女の隣に立つもう1人。待たせてしまったと言いつつ、申し訳なさそうな顔をしているわけでもないこの女を忘れた日はない。

 半年以上ぶりに見たけど、記憶と何も変わっていなかった。

 


 


「お待ちしてました、リーダー」

「今はそっちがリーダーでしょ?」

「あくまで代理です。まだ籍はありますし、いつでも帰りを待っていますよ」

「まぁその話は今関係無いから後でね……さて、時間だ。会議を始めようか。まず、最初に……」

 


 


 彼女が来た瞬間にこの場のトップが入れ替わった。否、元に戻ったと言うべきか。

 私と同じく、あの人も彼女から立場を預かっていただけにすぎないから。

 メモリーズ全体のトップは、今も昔も変わっていない。

 いつかもう1度会えたらと思っていた。

 1度は離れてしまったこの手が、もう1度届けばと思っていた。

 顔を合わせたら何を言ってやろうかと考えていた言葉も全部飛んでしまった。

 まさか、まさか今、心の準備もしていない不意打ちの状態で会えるなんて……


 



「久しぶりだね、柚子」

「……いつ帰ってきたのよ、零那」

「昨日の夜に帰ってきたばかりさ」

「事前に一言くれてもよかったじゃない」

「それは帰ってくる事について? それとも、今日ここに私が来る事について?」

「どっちもに決まってるでしょ! 大体、急にいなくなって急に帰ってくるなんてどういう——」

「……あの、零那さん。私、いらないみたいなんで帰っていいですか?」


 

 


 ようやく現実が見えてきたことで、散々零那に言いたかった言葉ぶつけられるはずだったけど、零那と共に入室してきたもう1人によって遮られた。

 どこかで……いや、確実に聞いたことのある声。外見を見ただけではわからなかったけど、こうして声を聞いたら正体に当たりが付いた。

 そして今日の会議の話題も自然と理解できてしまう。



 


「すまないね、いらないわけじゃないから少し我慢して?」

「……まぁ、いいですけど」

「良い子。と、もしかして2人はこうしてリアルで会うのは初めて? じゃあ自己紹介しようか」

「……一ノ瀬柚子よ」

「あ、どうも。メモリーズ3期生やってます、浮世うきよ 月日つきひです」


 


 

 お互いにはじめましてではないけど、こうして顔を合わせるのは初めてだから自己紹介をする事にはまだ慣れない。

 リアルで会ってみてイメージと違うという例もたまにあるけど、浮世さんと実際に会ってみるとそこまでイメージとの差異も無かった……というより、恥ずかしながらあまり私が彼女のことを知らないだけなんだけど。

 名前とあちらの顔は勿論、簡単な性格等プロフィールくらいは把握してたけど、まぁそれまでで。

 浮世さんに限らず、私は3期生とはコラボをした事が無かったから彼女たちを知る機会もあまり無かった。同じ箱、同じグループで活動していながら不干渉とまではいかず、距離の近い他人同士で過ごしてきてしまった。


 

 


「さて、それじゃあ今日の議題について改めて確認しよう。……最近、メモリーズ内で3期生が浮いてしまっているのではないかという意見を見かけるようになってきた。一応3期生の皆は私が連れてきたし、ライバーを引退して運営としても離れている私だけど、今回だけ顔を出すことにした」

「私は零那さんに連れられて3期生代表としてきました。あ、事前に3期生で話し合いはしてきたので」

「うん、じゃあ……っと、つい私が仕切ってしまった」

「構いませんよ、そのまま続けてください」

「今はそっちがリーダー、ってくだりはさっきやったし、まぁいっか。じゃあ運営側からの意見を聞きましょう」

「それでは、運営側からは代表して私が……先程、リーダーからもあったように、ここ最近で3期生がメモリーズ内で浮いているといった意見を見る機会が増えました。具体的には鳩などのSNSツール、3期生の配信アーカイブや切り抜き動画に付いているコメントですね」


 


 

 ここまでは現状の認識のすり合わせだ。

 零那という存在を失ってから、3期生はめっきり同期以外と絡むことが少なくなってしまった。

 最初は偶然かもと思っていたリスナーも、この異常ともいえる事態に気付き始めてしまった……本当は私がなんとかできればよかったけど、今さら嘆いたってあとの祭りでしかない。

 それよりも、こうして場を設けてもらったからにはどうにかして現状を打破しなくては。その為の会議だ、何の為のまとめ役だ。


 

 


「そして我々運営からの意見、方針としては現状が悪化する事は望んでいません。この業界に限った話ではないですが、同じグループに所属している者同士の関係性が良くない事をプラスに捉えられるわけもないですから」

「この業界は特にその傾向が顕著だから気を付けないとね。簡単に不仲だなんだと言われてしまう」

「はい。なので、現状が悪化するようなら何か手を打ちたい……ですが、ギリギリまではライバーの意見を尊重します」

「なっ……」

「なるほどね。じゃあ同じ運営から3期生のマネージャー、何かある?」

「はい。基本的に代表が述べた方針ですが、私は専属のマネージャーなので、より近くで彼女たちを管理していきます。最終的にギリギリのラインを見極めるのは代表ですが、定期的な報告を心掛けます」

「うん、けっこうだね。それじゃあ次は……柚子、君から見て現状はどう?」



 


 まさか運営が現状に肯定、とまではいかなくても早急な対応をするつもりが無いとは思わなかった。

 いや、運営は実際にライバーとして活動しているわけではない……つまり、私達と現状の認識が違っているわけだ。

 勿論、零那もそれがわからないわけじゃない。だからこうして運営同士だけじゃなく、私というライバー目線の意見も求めている。

 だったらここで現状の危うさを説かなくては。


 


 

「私は、現状がとても危うい状況に思えるわ。今まで気付かなかった、言わないようにしていた意見が顔を覗かせている……この時点で、問題は静観していられる状況を超えていると思う」

「なるほど確かに。柚子の意見も一理あるね。運営からは何か反論ある?」

「いえ、確かに一ノ瀬さんの意見も尤もです。私達も、現状を良くは捉えていません」

「だったら……!」

「うん。だからこそ、ここで大事なのは当人たちの意見だよ。これを聞かない事には何もできないからね」

「あ、やっと出番ですか」 


 


 

 ネイルを弄っていた浮世さんが、やっと話が自分の番に来たと察して顔を上げる。

 今まで、いかにも私には関係ない話ですといった態度で下を向いていた彼女がようやく会話に参加する意思を見せた瞬間だ。

 彼女が、彼女たち3期生がどういう意見を持ってこの場に臨んだのかわからない……だけど、どうにも良い予感はしない。


 

 


「月日、3期生の意見を聞かせて欲しい。君たちはどうしたい?」

「はいですね……私たち3期生ですが、特に困っていないので現状維持を望みます」

 


 




 



 


 


 

 


「わかった。じゃあ、運営はどうする? 彼女たちの意見を尊重するかい?」

「そうですね、今のところは現状維持で問題ない範囲だと判断します」

「あ、そうですか。じゃあそれでお願いします」


 

 


 何を言っているのかわからなかった。

 何も困っていない? 現状維持を望む?

 同期以外とほとんど絡まず外交せず、リスナーからは同期以外と不仲説まで流れ始めても何も困っていないなんて正気なのか。

 このままマイナスの意見が増えていって身動きがしづらくなるかもしれないのに、それに運営も力になってくれると言ってくれているのに現状維持を望むなんて……理解ができない。



 


「貴女たち、現状が理解できてないの……?」

「え、そんなわけないじゃないですか。アーカイブのコメントとかマシマロで、同期以外のメンバーとコラボしないのかって偶に来るし。だけど私たちがいつ誰とコラボしようが、リスナーに関係なくないですか?」

「それで貴女たちの立場が悪くなったらどうするの!?」

「え、それだけで立場って悪くなるんですか? じゃあ嫌いな相手ともコラボしなくちゃいけないとか? ていうか私たち、別に同期以外とも普通にコラボしてますよ。そりゃ頻度は段違いですけど」

「それが問題だって言ってるの! 仲の良い相手がいるのは結構だけど、バランスを考えなさいってこと! 貴女たちの行動のせいで、メモリーズ3期生とそれ以外が不仲だなんて言われたら全体が迷惑するわけで……本当は、まとめ役の私が」



 

「それ」


 


「なんとか……えっ?」

「その『まとめ役』って言葉、あんま好きじゃないんで止めてもらっていいですか」

「あんま好きじゃないって、今はそんな事を話してるわけじゃないでしょ! 話を逸らさないで!」

「……あのさ、折角遣いたくもない気を遣ったんだけど。気付いてくれない? その、自分は偉いんだから言う事を聞けって態度が気に入らないから黙れ、って言ってるの」


 



 まさか後輩から、黙れと言われる日が来るとは思わなかった。

 ずっと今日の会議に興味の無さそうな顔をしていた浮世月日はすっかりいなくなり、目の前には私に対してギラギラとした敵意を向けている1人の女がいた。

 なんとなくユキみたいな子だなと思っていたさっきまでの自分もどこかにいってしまったみたい。

 この女は気に食わない相手にはどこまでも噛みつくタイプだ。どちらかといえば私の仲間……つまり同類。


 

 


「まさか後輩から黙れなんて言われる日が来るなんてね。先輩やっててよかったわ」

「私も、本人目の前にして言えてやっとスッキリしましたよ。今日は帰って3期生の皆に自慢できます」

「あら、私って3期生から嫌われているのかしら?」

「えぇ、満場一致で」

「あらあら、それはどうも」

「ついでに、貴女の事をメモリーズのまとめ役だと思っている人間も3期生にはいません」

「そう。でも、残念ながら貴女たちが慕っている鳥居零那から直々に任命されちゃったもので。私も好きでやってるわけじゃないの」

「……だから、そういうところなんだってば」



 


 少し落ち着いてきた浮世月日の瞳に、また火が灯った。

 私に対する、明確な敵意の炎。

 憎い相手を燃やし尽くして消し去りたいという思いが伝わってくる。

 それでも逃げるわけにはいかない。ここが正念場だ。


 

 


「好きでやってるわけじゃない? はっ、嘘ばっかり。口ではそう言っても態度は正直ね」

「何が言いたいわけ?」

「運営気取りもいい加減にしろ、ってこと。自分の事で精一杯なのに、よくまとめ役とか名乗れたものね」

「意味がわからないわ」

「あんまり他人の事情にとやかく言う趣味もないし、ましてやリアルの話だけど……先輩、昼間は普通に働いてるんでしょ?」

「えぇ。それが何か?」

「いいえ、別に。立派だと思いますよ。私は所詮高卒ですから……でもね、平日昼間はライバーとは別に勤労をして、それ以外の時間は自分の配信の時間。それでよく、私はまとめ役だなんて言えるな、と」

「……それの何が問題なのよ」

「気付かないフリは見苦しいですよ。まぁ結局のところ、あんたは自分の時間しか取ってないわけ。まとめ役を自称しておきながら連絡も碌に取れないなんて笑えるわ」

「じゃあ、何? 私にライバー1本でやれって言いたいわけ?」

「そこまでは言ってないってば……たださ、役目も果たしてないのに態度だけ偉そうなのが腹立つのよ。零那さんから任命されて嫌々やってるんだったら、その役目返しなさい。あんたにその役目は不相応なんだから」


 

 


 確かに、私がまとめ役として大した仕事をしていないのは事実だ。

 メモリーズは良い子ばかりで手がかからない、というのも間違っていない。

 でもそれ以前に、どうしようもない話はまず運営が対処してくれる。だから私に回ってくる相談なんて、本当にただ悩みという名の愚痴を聞いて欲しいくらいなもの。

 そして、その相談をする為のコンタクトを取るのも簡単ではない……こんな相手に相談しようとする相手なんて、本当に限られていた。

 だから私は、浮世月日に対して言い返せなかった。

 それでも1つだけ譲れない……どうしても譲れないものがある。

 かつて零那と繋がっていたはずの、今は空いてしまった手に1つだけ残った確かな繋がりを奪われるのだけは、許容できなかった。



 


「……それでも、私はまとめ役を続けるわ。至らないところがあったのは認める。口では押し付けられただけと言ってたけど、本当は満更でもなかったのも認める。だから、これからは」

「あ、そうですか。じゃあ勝手にどうぞ。私たちも勝手にやるんで」


 

 


 そう言い残して、浮世月日は会議室から出て行った。

 会議の結論としては3期生の希望通り、現状維持……そのまま今日は解散となった。

 また会えた零那だけど、こんな気分で暇だったらどこか行かないかなんて誘えるわけもなく、私は自宅へ直帰する事にした。

 帰りの電車内で、帰ってから行う予定だった今日の配信は無しにする旨を鳩でつぶやいた。すぐに届く反応からは、特に否定的な意見も見当たらない……偶にはゆっくり休んで欲しいといった労いの言葉や、今日休みの分いよいよ来週4人で行うオフコラボは楽しみにしている、といった温かい言葉ばかりだ。



 家に着いたタイミングで、見計らったかのようにマリからチャットが届いた。

 態々鳩ではなく、個人チャットに——何かあったら話聞きます、だなんて。

 あんたが私に悩み相談の真似事しようだなんて10年早い、とだけ送ってシャワーを浴びに浴室へ向かう。

 本当は何もやる気が起きないからさっさとベッドにダイブして夢の世界に飛び立ちたい……けどその前に、どうしても全身に広がる憎悪の炎を洗い落とさないと。

 決して、何か熱いものがこみ上げてきて目元が濡れてしまうのを誤魔化すわけではない。

 嫌なモノなんて全部流れてしまえ。


 


 


 


 

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