茜色少女の葛藤




 なぜ他人と同じ事をする必要があるのか、昔の私には理解ができなかった。

 今で言うところの、所謂『逆張り』をしていた。していた、というのも語弊があるけど。気付いたら私は社会のシステムに反抗する、あまり可愛いとは言えない少女だった。




 

 きっかけは小学校。幼稚園までは特に何事もなく、どこにでもいるような子供だったと思う。

 それは入学式が終わって初めての授業で起きた。定番ネタである自己紹介。その時、担任を務めた先生はこう言ったのだ。


 



「まずは名前。その次は好きな食べ物、好きな色を教えてほしい」


 

 


 あぁなるほど。今思えば、小学1年生に求める自己紹介の内容としては、まぁこんなものだろうと思ってしまう。少しばかり幼稚すぎる気もするけど、あまり難しい内容を求めすぎて答えられなくなってしまうのならば、少しくらい幼稚で、それを聞いて果たして意味があるのかと尋ねたくなるような内容の方が良いかもしれない。

 でも、当時の私は今の私と違って大人じゃなかった。そんな事を聞いてどうするのか、それよりもっと聞きたい事があるし話したい事があるんだと思ってしまった。

 そう思っているうちに自己紹介は始まっていた。幸いと言っていいものか、私の出番までまだ時間はありそうだったので、私の前に誰かが先生から出されたお題以外の自己紹介をしたら私も真似をしようと決めた。

 ……しかし、結論から言うと私を含めた誰1人として名前と好きな食べ物、好きな色以外を言う事はなかった。




 


 

 


 


 


 


 


 小学校生活を過ごしていくうちに、私が違和感を覚えるシーンは増えていった。違和感を覚える出来事には共通点がある、という事に気付けたのは中学校に入って少ししてからだったかな。私は、他の誰かと同じ事をやらなければいけない、という状況が非常に苦手だという事がわかった。

 例外として授業の開始、終了時間。例えば男女別の更衣室、トイレ。例えば、犯罪性のある行為を行ってはいけないという認識。これらがないわけではないから、私がモラルの無い人間であるというわけではなかった。

 ただ、予め題材が指定されている創作活動や、皆である1つの目標に向かって努力する——学園祭や体育祭などの——イベントの時は憂鬱な気分で登校していた。

 それでも表向き普通に学生生活を過ごしていけたのは、私が主張の激しい人間ではなかったからだろう。特別仲が良いとはいえずとも校内で行動を共にする複数人とグループを組めたことや、私が協調性の意味も分からない馬鹿ではなかった事が救いだ。

 結果だけ見ると、私も自分が違和感を覚えた人間と同類だったのかもしれない。自分の意見も言えず、ただ他人と同じ行動をする人形と変わらない存在。こんな生き方、何が楽しいのだろう。

 疑問と否定ばかり繰り返す。

 けれど、この現状に満足している自分もいた。何が楽しいのかと自問しておきながら、心の底からではなくても楽しいと自答する私がいたから。


 


 


 


 


 


 


  



 私が彼女——鳥居零那と出会ったのは、大人になってある程度自分と折り合いをつけて生きていけるようになったある日の事だった。

 彼女を見てすぐにわかった。私は『普通』じゃない、『特別』に憧れていたんだと。

 若くして1つのプロジェクトを立ち上げた、知性を感じる顔つき、同じ女性として誰もがこうなりたいと思うようなプロポーション、裕福な家庭に産まれた、海外の有名な大学を卒業した……そんな、彼女を語る上でプラスの要因になるものなんて全部理由にならない。

 この人は『特別』なんだと一目で理解させられた。

 生きざまが違う。私では彼女になれない……自分と違う人間を、私はその時初めて見つけた。やはり私は、自分があの違和感達と同類だった事に気付けた。

 そして、それに感謝をしなくてはいけない。

 私は『特別』にはなれなかった。だから『特別』に強く惹かれた。



 それからの日々はあっという間だった……彼女の隣に立ちたいと思って、積極的に行動を共にした。時間だけでみると、今まで生きてきた人生の中のほんの一瞬。それでも、私の中ではゴールデンタイムだ。

 何物にも代えがたい最高の一瞬。

 ……だからこそ、彼女がメモリーズから離れるのはとても辛かった。この一瞬は永遠ではないと知ってしまったから。一瞬は一瞬でしかなく、幸せな時間は長く続きはしないと知ってしまった。

 追いかけようと何度思った事か。最初はそこまで愛着もなかったメモリーズという箱も、今となっては大事な物の1つになってしまった。

 彼女を追いかけるという事は、今まで通りという事は難しい……不可能ではないにしても、私にとっては環境を整えるどころか前提条件の海外へ飛ぶ事自体が一大イベントだ。そう簡単に決められない。

 ここでも『普通』止まりだった私は……絶対に弱さを見せまいと思っていた彼女に、泣き落としを実行した。どうか行かないでくれと、辞めないでくれと。結果としては、そこまで言って貰えるなんて嬉しいという言葉1つのみ……落ち着いて考える事ができる今となっては、迷惑と言われなかっただけ良かったと思うしかない内容だ。



 それでも満足できなかった私は……彼女が最後まで教えてくれなかった搭乗予定の飛行機の番号と時間を聞き出して、直接航空で待ち伏せするまでに至った。今思うとストーカーでしかないけど、当時の私はそれくらい本気だったのだ。

 さすがに予想してなかったのか、顔を合わせた彼女は驚いて……その後、笑ってくれた。

 見送りに来てくれて嬉しいだなんて、引き止めに来た私に対して。

 先日の話の内容、私の今の表情からして、私がここに何をしに来たかなんて彼女が理解できないはずがないのに……理解して、私の言葉を聞くつもりがないんだとこちらも理解した。


 

 


 彼女は、私の目の前で飛び立っていった。

 私は今日、何の為にここに来たのか……最後のあがきは失敗に終わった。これからはまた、『普通』に紛れて日々を過ごす事になる。

 でも意味が無かったわけじゃない……最後に彼女と話せた。それだけでも、『普通』から脱しようと1歩を踏み出した甲斐があったと思おう。

 それにきっとまた会える。物理的な距離は離れても、もう2度と会えないわけじゃない……今日みたいに、1歩だけでも踏み出せば世界は変わるんだ。

 私があの人を見つけたきっかけは偶然だったけど、出会った事はきっと必然だったに違いない。

 不満だらけの現実に嫌気が差してきたあの時、あの人に出会えた。その為だけに今まで生きてきたのではと思えた。

 だから、今は離ればなれになったけど……また、会えると信じて。

 私は今日も生きていく。あなたが作ったメモリーズの一員として。


 




 




 


 


 

 


 最近、柚希先輩の様子がおかしい。何がどうおかしいか……そう聞かれると答えるのが難しいけど。

 見た目は普通(ここでいう見た目はリアルで会った話でなければ、勿論ヴァーチャルのアバターの話でもない)だけど、中身がちょっと変というか……この表現の仕方だと、柚希先輩がガワだけ普通で性格がヤバい人みたいだけどそうではなくて。

 たとえば鳩での配信告知はほとんど定型文だから違和感ないけど、日常の呟きがちょっと少な目&無理に明るくなろうとしているというか……  元々柚希先輩は呟き自体少な目だし、内容に関しても疑い過ぎといえばそれまでだ。

 配信は特に問題もなくいつも通り。だけどそれが逆に怪しさを増している。柚希先輩は公私混同という言葉が嫌いなはずだから、絶対に配信でボロなんか出さない。それどころか、むしろいつにもまして調子が良くなるまである。意味不明だけど。

 そしてつい先程の柚希先輩、ユキ、早川ちゃんとの通話で確信した。やっぱり何か隠してる。根拠はないけど確信したったらした。信じるべきは女の勘だけで十分。 


 


 

「とはいえ、何を隠しているのかさっぱり見当もつかないんだよなぁ……」 


 



 柚希先輩ほどの人にもなれば、そりゃあ隠し事の1つや2つはあって当然だろう。というか私だって大きな声では言えない事はあるし、人間誰しもそうであるはず。

 じゃあ何が問題かといえば、私なんかにバレるほどわかりやすい隠し事をしている事だ。

 特別自分が隠し事に敏感だとか鈍感だとか思った事はない。それなりに長く、それなりに関りがあって、それなり以上には気にかけている柚希先輩だから見つけられただけ。つまり、その条件を満たせば誰でも気付けるわけで……


 

 


「私には隠し事するなって言うくせに、自分が隠し事するなよぅ……」

 


 


 すぐバレるんだから隠し事なんかするなと言うけれど、そっちだってすぐ……ではないけどバレるんだから隠し事なんてしないでほしい。

 そんなに私は頼りないのだろうか……そういう問題じゃないんだろうな。私だって、柚希先輩が頼りないから隠そうとしていたわけでもないし。

 無駄にプライドが高いというか、弱みを見せたがらない人だから。メモリーズのまとめ役を引き受けてから余計にその傾向が強くなった。

 もしかすると誰かに相談しているかも、と思ったけど……柚希先輩の性格を考えるとその線も薄くなってきた。

 相談してすぐどうにかなる話だったり、自分1人じゃどうしようもない話なら、たぶん現状こうはなっていないから。


 

 


「3期生と4期生は絶対ないとして……可能性があるなら1期生か2期生……?」


 

 


 その薄い線を考えるとしたら、まず3期生と4期生は候補から外れる。

 柚希先輩がまとめ役になってから入ってきた4期生相手には見栄っ張りが発動して絶対相談しないし、3期生は関りがあまり無い(それでも私達よりは立場的に多い)から切っていいはず。むしろ3期生に関しては隠し事の内容の可能性までありえる。

 今のメモリーズ内の状況を考えるとありえない話ではないけど……確証もないから一旦置いておく。

 じゃあ1期生か2期生かと考えるも、前提からして相談するとしたら同じライバーより運営側にするものでは?と結論付いてしまった。

 それに、何も悩みがVTuber関係の話とは限らない。柚希先輩は社会人としても普通に働いているんだから、そっちの線もありえる……公私混同はしないとはいえ、相当深刻な悩みだったら可能性は0ではないか。


 



「ダメ元で何人か当たるかぁ……」


 



 考えてもどうにもならないので、メモリーズ内でそれとなく聞いてみる事にした。

 全体チャットでなんて聞けるわけがないので、個人チャットを使用する事になるけど……可能性が高い1期生より、気軽に聞ける同期の2期生から先に聞いてみよう。具体的には灰猫ユキとか。柚希先輩の話題にかこつけてユキと会話したいなんて下心はないのである。

 


 


 


 



 


 




 

「返事が来ない……」 



 


 ユキにチャットを飛ばして10分が経過した。

 通話が終了してから多少時間が経ってはいるけど、まだ寝るには早い時間だ。ユキのアカウントも退席しているわけでもない……一応、早川ちゃんの方にもチャットで、伝え忘れがあったからもう1度集まれないか、と書きこんだけど反応が無い事から状況を察するしかない。

 通話の最後で惚気たと思ったら、その後すぐにお楽しみとは……幸せそうでよかった。

 とはいえ、次の候補はと考えても思い浮かばない。本命である1期生の先輩方に行くのが妥当だけど……多分、空振りだろうしなぁ。というか今2人とも配信してた。リアクションがすぐ欲しいわけでもないけど、とりあえず保留ってことで。

 


 


「う~む、う~む…………あっ」


 



 どうしたものかとフレンドに追加してある名前を眺めていたら、その中の1つに目が止まった。

 紅 林檎……少し前に、柚希先輩と夜中通話をしたと言っていた彼女なら何か知っているかもしれない。

 時期的には少し前すぎるような気もするけど、現状で可能性があるとしたら彼女が一番だろうし……当たって砕けろ、女は度胸と柚希先輩も言っていた。いや言ってなかったけど……私の中の柚希先輩が言っていた事にしておく。


 

 


「もしもし、マリちゃん? マリちゃんから通話なんて珍しいね?」

「あ、もしもしリンゴン~? いやいや、ちょびっと聞きたいことがあってですね~」

「私に答えられるならいいよー? 力になれるかは、わかんないけど……」

「あはは、そんな難しい話じゃないから大丈夫だって……聞きたい事は1つだけ、最近柚子ちゃんパイセンから何か相談されたりした?」

「え? 柚子ちゃん先輩から相談? …………いや、私は何も聞いてないかなぁ」


 


  

 少し考えるような素振りを見せたリンゴンだったけど結果はシロ……だけど、何か隠してますと言わんばかりの間があった。

 リンゴンは嘘をつくのが苦手だなぁと苦笑しつつ、何かを隠そうとしている彼女には申し訳ないけれどどうにかして話してもらおう。

 私も、この件は引けないから。誰でもない柚希先輩の事だ。恩なんて返せないほどあるし、下心も無ければ弱みを握りたいわけでもない。ただ純粋に、悩み事があるなら私も力になりたいと思っているだけ。

 柚希先輩に聞いても絶対教えてくれないだろうから、他の誰かから勝手に聞いて、勝手に巻き込まれてやる。


 


 

「リンゴーン? 嘘は良くないなぁ、嘘は。私は本当の事を聞きたいんだよ?」

「う、嘘じゃないし! 私、柚子ちゃん先輩から相談なんてされてないし!」

「じゃあさっきの間はなんだったの?」

「うぐっ」

「ねぇ、教えて? あの人が何を隠してるのか……何に悩んでいるのか。私、いっつもお世話になってるからさ。そのお礼とか、そういうわけじゃないけど力になりたいんだ」

「うぐっ、うぐぐぅ……」


 

 


 しばらく唸っていたリンゴンだったけど、やがて諦めたのか1つ大きくため息をついて……似合わない隠し事をしていたその口を開いた。


 

 


「私、柚子ちゃん先輩から相談は本当にされてない……けど、何を隠してるのか、何を悩んでるかは心当たりあるんだ」

「本当に!?」

「うん……あのね、これは誰にも言わないでほしいの。大事にはしたくないから。これを守れるなら、マリちゃんにも話すよ」

「わかった。だから聞かせてほしい……」

「……全然悩まないんだ。うん、じゃあ話すね」

 




 リンゴンから語られたのは、近いうちに零那先輩が帰ってくるというただそれだけの事だった。でも、私はそれだけで納得してしまった。

 柚希先輩の心を乱すには確かにそれだけで十分か、と。



 


「……うん、なるほど。ありがとね、リンゴン」

「マリちゃん、わかってると思うけど」

「大丈夫、誰にも言わない……無理言ってゴメン、今度何か埋め合わせするよ」

「え? そんな、いいって。そこまでしてもらわなくても」

「リンゴンに拒否権はないから……マリちゃんの決定は絶対なんで~す!」

「くすっ、そっか……じゃあ、うん。楽しみにしとくね」

「うん。ありがとう」


 


 

 ……過去が、すぐそこまで迫っていた。

 鳥居零那先輩。かつて、一ノ瀬柚子の隣に立っていた人。私の前の、一ノ瀬柚子の相方。私が超えるべき相手……なんて、わけでもないけど。

 でも昔から、零那先輩の事は意識していた。私はどうしてこの人じゃないんだろうって思った事は数知れない。

 柚希先輩の隣に立てるというだけで羨ましかった。私は所詮、お下がりを貰っただけ。お下がり扱いなんて柚希先輩が聞いたら憤慨物だろうけど。


 



「零那先輩……なんで今さら、帰ってくるんですか」

 


 


 1度消えたのなら、もう2度と帰ってきてほしくはなかった。

 貴女は一ノ瀬柚子を1度傷付けただけでは足りないのか。貴女が消えた直後の彼女の姿を知っているのか。貴女が押し付けた立場の重さを本当に理解しているのか。

 私個人として、一ノ瀬柚子という存在を考えなければ、鳥居零那の事は尊敬する先輩の人だと答えられるだろう。

 だけど今さら、私は彼女のことを友好的には見れそうにない。

 もし、再び貴女が柚希先輩の前に現れるとしたら……


 


 

「……私は、どうしたらいいんだろう」


  


 

 

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