1つになれなくても
「はい、はい……じゃあ再来週の日曜日って事で。ユキちゃんもそれで大丈夫だよね?」
「えぇ」
「マリちゃんもおっけーおっけー」
「全員問題無し、と。改めてだけど悪いわね、ユキ、マリ……私と早川が勝手にオフコラボしようなんて決めちゃって」
「私は楽しそうだしウェルカムでしたよ? ユキは……早川ちゃんがいるとはいえ、どう? 無理してない?」
「全然してない。むしろ今から楽しみで寝れないかも」
「まだ10日以上あるんだから睡眠はしっかり取りなさい……」
「あはは……それはあたしが責任をもってしっかり見ておきますっ」
「お、ノロケですか? ノロケですね?」
「あーはいはいご馳走様。じゃあ切るわね」
通話が切れた事を知らせる電子音が流れた。
柚子が抜けると、マリの方からもそろそろ落ちると報告があった。今日の通話の本題である、私とはやて、柚子とマリの4人で行うオフコラボの日程決めは既に終わっているので引き留める理由も無い。
はやても特に引き留めなかったため、4人いた私達の通話グループは必然、はやてと2人きりになった。
他の誰かならともかく、はやてだ。このまま通話を繋いでおく理由も無い。形式的に今日は解散しようと提案され、私もそれを受け取った。
「……入っていい?」
本当は壁1つ離れた距離で通話なんてしなくていいのに、態々面倒な事をしている現状。マリには以前、妹との関係について相談した際に事情を説明したが、柚子は事情を知らないから仕方がない。
一緒にいられるなら、本当は花菜を膝の上に乗せた状態で2人並べた状態で通話したかった。腕は勿論前に回して手を握っていたりすると素晴らしい。花菜と一緒なら私が話を聞く必要も特に無いから、髪かうなじにでも顔を埋めて先程お風呂から上がったばかりのにおいを堪能するのも悪くない。
だけどリアルはリアル、ヴァーチャルはヴァーチャルだ。
彩華と花菜は姉妹でも、ユキとはやては先輩後輩なだけなんだから。
「ねぇ花菜、私の膝の上に来ない?」
「急にどうしたの……行くけど」
「んっ、いらっしゃい。柔らかい、あったかい、いい匂い……」
「彩華、気持ち悪い。ねぇ……本当にどうしたの? 熱でもある?」
「ないよ。ただ、さっきからこうしたかっただけ。いつか……いつかさ、ユキとはやてがこうしても、誰も疑問に思わない日がくればいいのに」
「…………」
自分でも夢物語だと思う。叶わない話、とは言わない。限りなく実現が難しい話だ、というだけで。
この距離感は『普通』じゃないから。姉妹というフィルターを取り払った時、これは『特別』になる。女同士だからとか関係ない。遊びなんかには見られたくない。私達が共にいる事に理由なんて必要ない。ただ傍にいたいから、それだけで誰しもが納得できるほどに世界は甘くない。
なんて理由をつけようと私達は惹かれあっている。それは絶対だ。そしてまた、普通じゃない存在は注目を集める。これも絶対だ。
私達が生きていくには、この世界は息苦しい。それならば私達以外の存在がいる時には違うフィルターを通して私達を見てもらえばいい。幸いな事に、私達の関係性は1つではなかった。そのどれをも私は愛している。彼女も、愛していると言ってくれた。
名称が変わろうとも、私は私で彼女は彼女だ。他の誰でもない私達が知っている。それだけで何も問題はない。たとえこの世界が私達2人になろうとも、いや、いっそその方が……
「こら、彩華」
「んっ……ほっぺた、痛い」
「まーた変な事、考えてたでしょ」
「エスパー?」
「彩華の考えなんて全部お見通しだってば」
「じゃあ私が花菜とちゅーしたいって考えてたのバレてたのか、恥ずかしいな……」
「またそうやって誤魔化す……」
「嘘じゃないんだけどなぁ」
「いや、そりゃあ……あたしだってさ、彩華とキス、したいよ? うん」
「上目遣いでそんなこと言うなんて襲われる覚悟はできてる?」
すぐそこにある花菜の瞳からはいきなり何するのといったクレームがバシバシ飛んできているが、そういうポーズだとわかってるから構わずキスを続ける。繋いだ手の力は少し強めた。
私を通して私以外を見つめていない相手とのキスは、なんと心地良いのだろう。
花菜からの愛情を感じる。お互いの独り善がりじゃない、目の前にいない相手に届かない想いを伝えるわけでもない、本当の求愛行動。直接触れている唇、手のひら、指だけではない。視線でも私達は繋がっていたし、心が繋がっている。
私達はキスの時に目を瞑る事はほとんどない。自分達で折角の繋がりを1つ消してしまうなんて勿体無いから。私達は異なる個だから惹かれあったのであって1つになりたいわけじゃないけど、限りなく1つには近づきたかった。
「……彩華の、そうやってすぐキスして誤魔化すところ嫌い」
「私は花菜がそういう事を言う度にキスしたくなるんだけど、どうすればいい?」
「我慢してっ……んっ、だから我慢してって言った傍からキスするのやめっ」
「嫌って言っても逃がしてあげない。……無防備に、私の膝の上に乗ってきた自分の迂闊さを後悔するんだね」
◇
「……妹に10分以上も休みなくキスする姉がどこにいるのよ」
「たぶん、今は花菜が頭を上げればすぐそこにいるんじゃない?」
「こんな意地悪なお姉ちゃんだとは思わなかった。今すぐ逃げないと……」
「残念だけどお姉ちゃんからは逃げられません。死ぬまで一緒だよ」
「そんなぁ……と、茶番はここまでにして」
「お姉ちゃんとは遊びだったの……?」
「はいはい本気ですよお姉ちゃん愛してるちゅー……で、本題だけど」
「私も愛してるよ、花菜。だからもう1回キスしよ?」
「あぁもう話が進まない! 後からいくらでもキスしてあげるから話を聞いて!」
「言ったね? 約束、花菜からキスしてくれるの楽しみにしてるから」
「…………」
「取り消しは不可能だから」
「…………それで、聞きたい事があるんだけど」
「うん」
「この前、柚子ちゃん先輩をゲストに招いた『はやラジ!』で少し話題に挙がった鳥居零那先輩について知りたくて」
半年前までは毎日のように聞いていた名前が、やけに懐かしく感じた。
思い出す機会が無かったわけではないし、それこそ先程花菜が言っていたように『はやラジ!』を視聴中に聞いたばかりだ。
「いいけど、なんでまた……理由を聞いてもいい?」
「単純にあたしと入れ替わりでいなくなったから知らないのもそうだけど、その、零那先輩の名前が挙がった時のさ、柚子ちゃん先輩の反応が気になって……あの2人って何かあったの?」
「何かあったか、難しい話だね……じゃあまず基本的な話から。花菜は、レナさんが私達の上司にあたる人物だって知ってた?」
「え、上司? 先輩じゃなくて?」
「そう。メモリーズ1期生兼、メモリーズ・プロジェクトの最高責任者」
「全然知らなかった……」
予想外の言葉だったのか、こちらを見る花菜の表情は驚愕に染まっている。
まぁ花菜はライバーとしてだけでなく、プロジェクトメンバーとしてのレナさんとも面識が無いはずだから当たり前だ。名前だけ知っている先輩がそんな大物だったと知った反応としては、妥当なところだろう。
それよりも驚いて口をポカンと開けている花菜も可愛い。ちょっと抜けていても可愛いなんて自慢の妹兼、恋人兼、同僚兼……
「そういえば、レナさんからメッセージ来てるんだった。近々帰ってくるらしいよ」
「いや、急すぎ。っていうか帰ってくるって、どこか行ってたの? ライバー復帰って事?」
「アメリカに用事があって飛んでて、それが一段落したから戻ってくる……みたい。その用事ってのが何かは知らないけど、引退する理由の1つではあったって話」
「……なんか、随分とふわふわしてない? 先輩とはいえ、仮にも半年同僚だったんでしょ?」
「レナさんってあんま自分語りする人じゃなかったし。そもそもメモリーズ・プロジェクトが何を目的としてるのかも知らないからね。私はただVTuberになりたいからメモリーズに応募しただけで、興味も無かったし」
「まぁあたしも、その辺は興味無いからいいんだけど……」
「でも、レナさんは私にけっこう構ってくれたんだよね。この前来たメッセージも、帰ってくるって報告以外に、妹が後輩で入ってきたんだって?って聞かれたし」
「……なんて返したか聞いてもいい?」
「安心して。ちゃんと『色々』あったけど仲良くやってます、って返しておいたから」
「変に含みを持たせた言い方しなくていいじゃん!」
嘘はついてないし、別に何も問題無いと思うのだが花菜的には問題あったらしい。リスナーとか現同僚に惚気るわけでもないのに。
というか私自身、レナさんにあまり嘘をつきたくない。こんな私を拾ってくれたのは間違いなくレナさんが物好きだったからだし。
直接顔を合わせたのも最終面接で仕方なくリアルで顔合わせしなくちゃいけなかった時だけだけど、それでも彼女からは嫌な感じはしなかった。それだけで、私がレナさんを信用するのには十分だ。
「大丈夫。もし花菜がレナさんと顔を合わせる事になったとしても、ちょ~っとだけからかわれるだけだから」
「零那先輩の事を全然知らないけど、それだけは嘘だってわかるよ……」
「まぁ話を戻して、と。レナさんと柚子の関係……何かあったのかと聞かれると、私から見た限りだと何もなかったよ」
「でも、柚子ちゃん先輩の前って零那先輩がメモリーズ全体のまとめ役だったんでしょ? その役割の引継ぎの時に何かあったとか……」
「あったかもしれないし、無かったかもしれないね。私はその辺ノータッチだから知らない、というより表で大々的にやったわけでもないし、レナさんが柚子に押し付けたってだけだと思うよ。そもそも、そのまとめ役自体、レナさんがただのライバーってだけじゃなかったからやってたわけだし」
「なるほど……」
「たぶん、本当に何もなかったんだと思う。レナさんは引退するって決めてすっぱり居なくなっちゃったから……今でこそ違和感あるかもしれないけど、レナさんが卒業する前——つまり、はやて達4期生が来るまでは、柚子と1番コラボが多かったのは断トツでレナさんだったんだよ」
今は一ノ瀬柚子の相方といえば茜坂マリかもしれないが、半年前は皆が口を揃えて鳥居零那と答えただろう。もしかしたら今でもそう答える人がいるかもしれない……それくらい、2人は良いコンビだったと思う。
マリほどじゃないけど柚子を振り回していたかと思えば、決めるところは2人息がバッチリ合って決めてしまうのだ。片方は冗談めいて、片方は絶対に口にしなかったけど、お互い信頼し合っていたのは誰の目から見ても明らかだった。
レナさんが引退してからは、空いたポジションを埋めるようにマリが柚子の隣に立つようになった。じゃあ、それまでマリとペアを組んでいた扱いの私はというと、同時期に入ってきた早川はやてにバッチリ捕まったので問題無かったりする
今となっては収まるところに収まった感じがするけど、流石にいくらレナさんといえどここまで全部計算はしていないはずだ。花菜の採用に、レナさんは関わっていないはずだから……それでもあの人なら、と思ってしまうのがレナさんクオリティ。
「じゃあ、何もないから柚子ちゃん先輩は悲しいって事かぁ」
「たぶんね。それこそ復帰したら山ほど憎まれ口叩くけど、心の中ではめちゃくちゃ喜んでると思うよ」
「柚子ちゃん先輩に聞かれたら何言われるか……」
「でもね、レナさんはちゃんと置き土産してくれたんだよ。それも2つも」
「へぇ?」
「片方は花菜にも関係あるんだけど……実は1期生2期生はオーディションしたけど、3期生は全員レナさんがスカウトしてきたんだ」
「へぇ……でもあたし、正直3期生と全然交流無いからなぁ。関係あるって言われても微妙」
「うん、私も無い……3期生ってレナさんがいた頃から孤立しがちだったんだけど、いなくなってからはほぼ同期でしか絡まなくなっちゃったから。柚子も少しボヤいてた、このままじゃメモリーズが空中分解しちゃう」
「難しい事は偉い人に任せて……もう1つの置き土産って?」
「えっとね、少し前にやったライブイベント……とは名ばかりの、1期生と2期生が全員3Dで少し歌って踊るだけのイベント。あれを企画したのってレナさんなんだ」
レナさんがいなくなって、柚子が初めて行う事になったビッグイベントを思い出す。
リスナーもそうだが、私達もレナさんの引退と同時に聞かされたのでとても衝撃的だった。レナさんの引退にも驚いたけど、それより私にライブイベント――それもオフラインでなんてできるのだろうかという不安が一番大きかった。
それでもできたのは、間違いなく周りの皆のおかげだ。今となってはレナさんに感謝している。私にとって、灰猫ユキにとってあのイベントはターニングポイントだった。1歩を踏み出せた、仲間というものを感じられた最高の瞬間を過ごせた。
「こうして聞くと、零那先輩って凄い人なんだね……いや、もういないから実感もあんまないんだけどさ。ちょっと気になって鳩で検索したら、帰ってきて欲しいって呟きもけっこうあったし」
「登録者数もメモリーズでは1番だったし、名実ともにレナさんはトップだったんだ……隣に立っていた柚子がまだ囚われたままなのも仕方ないよ。私達にとって半年はあっという間すぎるから。そんな簡単に忘れる事なんてできない」
「……ねぇ、お姉ちゃん。あたし、ユキちゃんと離ればなれになる気はないからね?」
真剣な顔をしてこちらをみつめる花菜。
私、不安な顔なんてしてただろうか……いや、きっと花菜が不安なんだろう。いくら身近にいても他人は他人。いつか離ればなれになってしまう日が来るかもしれない。
それを恐れる事は悪い事ではないけど……少しくらい私を信用してほしい。
今の今までずっと繋いだままの手を。抱きしめて離さない腕を。心を。
信じられないというなら……
「ねぇ花菜……さっきの約束、忘れてないよね?」
「なっ、急に何言ってるの!」
「私が離れないか不安なんでしょ? だったら……花菜からキスしてくれたら、離れる気が起きなくなるかも」
「そういうの、この腕と手を離してから言ってくれない?」
「ほら、早く早く」
「うぐぐぐぐ……」
私達は決して1つになれない。
生まれた時から個と個だったから。
だからいつか、きっと離ればなれになってしまう。
でもそれは今から考える事では、きっとない。
ありえない話を考える暇があるなら、この唇に伝わってくる熱い熱に身を任せて……そのまま限りなく2人を1人に近づけよう。
2人が1人になれない事は、決して悲しむ事ではない。
今この瞬間、心の中が幸せで満ち溢れている事が何よりの証明になる。
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