紅色少女から秘密の便り




 私があの人を見つけたきっかけは偶然だったけど、出会った事はきっと必然だったに違いない。

 不満だらけの現実に嫌気が差してきたあの時、あの人に出会えた。その為だけに今まで生きてきたのではと思えた。

 だから、今は離ればなれになったけど……また、会えると信じて。

 私は今日も生きていく。あなたが作ったメモリーズの一員として。


 


 


 


 

 



 


 



 


 


 日曜日。基本的には休日扱いの日。同じ休日扱いをされる土曜日と比べても、なお休日に該当する人が多いはず。日々社会人として勤労に励んでいる私も、もれなくその一員である。

 相手が暇そう、予定が無さそうな時——つまり休日に連絡を取りに来るのはまぁ良いとして。ましてや私は、平日は基本的に連絡が遅くなりやすいと事前に伝えてあるから余計だ。

 それでも、それにしても日曜の早朝から連絡を寄こすのは非常識だと思わないのだろうか。 具体的に言うと現在時刻は午前5時11分32秒。私は昨夜——正確に言うと日付が変わっているため今朝——午前3時まで配信をしていて、配信終了直後に鳩で『寝る。おやすみ』といった(ここまで雑ではないが)呟きもしていた。

 そして今日は正午から配信予定がある。それまでは惰眠を貪ろうと決めていた私を叩き起こした……つまりこれは、今日の配信を寝不足というハンデを背負わせたまま行わせようとするアンチによる妨害工作なのでは?

 寝起きにしては妙に頭が回っている意味不明な理論が展開される中、下らない用事だったらすぐさま寝直せば問題無いと結論付けて、いざこのクソ非常識な時間に連絡を寄こした馬鹿野郎の名前を確認する。


  



「くれない、りんご……寝直しましょうか」



 


 つい先日は深夜に押しかけてきたと思ったら、今度は早朝か。

 なんというか、やる事が極端な後輩だ……。


 



「あ、通話来た。……どうしようかしら」

 


 


 気分的には、いま、物凄く寝たい。

 このまま今手に持っているライバー用スマホの電源を落として頭から布団を被ったら、夢の世界へさぁ出発といきたい。

 でも本当にそれでいいの? 後輩からの通話を無視できるの?

 通話がかかってくる前のチャットでは、『たいへんです!』とだけチャットが来ていた。一体何が大変なんだ。まずは簡潔に用件を書いてくれ。そもそも、それは本当に大変なのか、貴女の勝手な思い込みだったりしないか。

 頭の中では二度寝をする為の言い訳探し大会が開催され始めたが、そんな事をすればするだけ頭が冴えてきて二度寝から遠ざかっていく。

 何より、ここまで来て連絡を無視した結果、後から本当に大変な出来事だったと聞かされるのが何よりも堪えそうだ。後輩の為なら寝不足がなんだ、私はなんて良い先輩なんだろうか。誰かから褒められたいわけではないけど、急に自画自賛をしたくなった。


 

 


「あっ、柚子ちゃん先輩! 起きてたんですね! たいへん、たいへんなんですよ!!」

「……おはよう。とりあえず、今が何時か考えて音量を調節しなさい」

「す、すみません……。あの、自分でもちょっと落ち着いてなくて、それで、大変なんです、まずは柚子ちゃん先輩に、あの、連絡をしようと、いや、やっぱり言うべきかどうか迷ったんですけど、でも、言わないままでいるのもズルいかなと思って」

「ごめんなさい、全然話が頭に入ってこないから1回深呼吸でもする事をお勧めするわ。その間に私も、頭を起こすために冷蔵庫から水でも持ってくるから」





 何やら本当に大変そうだった。ここまで来ても、彼女の事だから『何をそんな事を大げさな』ってオチになるかもしれないけど。

 特に広くもないマンションの一室である我が家の、寝室からリビングに設置してある冷蔵庫まで水の入ったペットボトルを取りに行って帰ってくるまで1分もかからない。それでも、一旦冷静になる為の時間としては十分に足りるだろう。



 


「どう? 少しは落ち着いたかしら」

「あ、はい……改めておはようございます、柚子ちゃん先輩。それとこんな時間から申し訳ないです」

「ん。おはよう。時間は、まぁそれを忘れるくらいとんでもない事があったんでしょう? 落ち着いたのなら話してみなさいな」

「は、はい。実は…………あ、そういえばこの前の『はやラジ!』聞きましたよ~。はやてちゃんとユキちゃんとマリちゃんとオフコラボするんですか?」

「落ち着いたのはいいけど、話を脱線させないでくれるかしら……。ちなみに、その質問はイエスだけど。日程はまだ調整中ね」

「いいなぁユキちゃんとオフコラボ! 私も1期生と2期生合同のライブイベントの時しかオフで絡んだことないし、羨ましいです!」

「普通に誘ったら? 別にユキとは仲悪いわけでもないでしょ?」

「いや、その……ユキちゃんとは仲が悪いわけじゃないんだけど、相方が許してくるのかな~って」

「相方って、早川のこと?」

「ですです。私とかマリちゃんって、同期って事もあってユキちゃんとは比較的仲良くさせてもらってますけど……だからこそ警戒されてそうっていうか。マリちゃんがゲスト回の『はやラジ!』もなんか時々微妙な空気になってたっていうか」



 


 驚いた。あの、マリをゲストに呼んだ『はやラジ!』の第4回放送の違和感にヒント無しで気付いた……ユキ、早川、マリの関係性を知らずに気付けた事に。

 あの時は気付けなかったけど、今ならわかる。あれは茜坂マリをゲストに招いたラジオなんかではなかったんだと。ただ1人の女が想い人を取られるかもしれないという醜い嫉妬に駆られて、獲物をアウェーに呼び寄せた私刑の現場中継だ。

 私の方が灰猫ユキと親しいんだ、お前より私の方がユキを理解している、急に横入りしてきて何様のつもりだと。

 勿論、物事の1部分しか見れないリスナーからすると、あれはただ灰猫ユキの事を好きな2人がただ語り合っているだけに見える。しかし裏面まで見えてしまうと、姉を想い過ぎて狂った女が逃げられなくした獲物を、言葉の刃で少しずつ少しずつ傷付けているさまに早変わり、というわけだ。

 勿論、林檎がそこまで気付けたわけではないだろう。だけど違和感を持つ、という事は、実はユキかマリ辺りから相談されて事情を知っていたか、あるいは……


 



「私はあまりそう思わなかったんだけど、林檎の気のせいじゃない? もしくは気にしすぎ」

「そう、かもしれませんね。うん……きっと気にしすぎ。……だけど」



 


 


 



 


 



「……さて。いい加減、本題に入りましょうか」

「ははは……そうですね。では、こほん……柚子ちゃん先輩、驚かないでくださいね?」

「…………」

「レーナ先輩、近々帰ってくるらしいです」


 



 その瞬間、私の世界では確実に時間が止まった。いや、なんなら心臓も止まったかもしれない。思考は完全にストップしてたし、スマホは手から滑り落ちた。ベッドで横になりながら通話していたおかげで落ちても床と衝突することはなかったが、その時の私はそんな事なんてどうでもよかった。

 レーナ……鳥居 零那が帰ってくる。

 その一言を聞いただけで、私は冷静でいる事ができなかった。

 頭の中で様々な感情がごちゃ混ぜになる。不快感。私の中で熱が支配したと思ったら急速に冷え、天と地を無限に往復する思考だけでなく、モノクロの視界の中で赤い光と共に零那と駆け抜けた過去がフラッシュバックしてくる。


 

 


「……それ、どういう事」

「まだはっきりした時期は決まってないらしいですけど、あっちでの用事が終わったからって帰国するらしいです」

「誰から聞いたの」

「うちのマネージャーが少しこぼしまして。私も気になったので尋ねたら、というわけです」

「……そう。社員スタッフは知っていた、それなのに黙っていたのね」

「レーナ先輩が秘密にするようにって触れ回ってたらしいです。私は偶然知る機会があって、当然マネージャーからも口止めされましたけど……他の誰でもない、柚子ちゃん先輩に秘密にする事はできませんでした」

「そう。……そうなのね。わかったわ、ありがとう林檎。貴女の心遣いに感謝します……本当にありがとう」


 


 


 


 


 

 


 林檎との通話を終えると彼女からすぐに、さっきの件は他言無用で、と釘を刺すメッセージが届いた。それに了解の返事を返して私は体をベッドに投げ出した。安物の枕だから顔への衝撃をほとんど吸収してくれる事は無く、少々鼻の頭が痛いけどそんな事はどうでもいい。

 先程聞いた話が未だに信じられない。痛む鼻が、これは現実だと伝えてくるけど、あまりに都合がよすぎる話だった。

 あの時、掴んでおく事ができなかった相手とまた会えるかもしれない。私にとって、あまりにも都合の良い夢だ


 

 メモリーズ1期生は当初の予定から1名欠員状態の、全4名でデビューすることになった。

 理由は簡単に言うと人材不足。

 当時プロジェクトの最高責任者であった人物の眼鏡に適ったのが、約3桁の応募から3人しかいなかっただけ。もちろんチームの中では、妥協で穴埋めをして5人揃えようとする意見も上がったものの、最高責任者がそれを認めず3人でデビュー……する直前で何を思ったか、最高責任者が自分を頭数に入れて4人でデビューすると言い出した。


 

 


「サンプルは多い方が良い、それだけの話さ。当初5人で計画を進めていたのもそれが理由だ……だったら、私が頭数に入ったところで特に問題はない。むしろ最初からこうすれば良かったと今では思っているよ」



 


 そして彼女は、自らが鳥居零那と名付けたモノになった。

 私の零那以外の同期である2人は特に気にしなかったみたいだけど、私は初顔合わせをした時に、自分はこのプロジェクトの最高責任者だが気にしないで接してくれると助かる、と言い放つ女の前から逃げ出したかった。折角内定をもらえたけど、所属ライバーの契約も解除してもらおうかとまで考えた。

 一番偉い立場の人間と一緒に仕事をする、どころか気安く接しろだなんて無理な注文すぎる。

 だが現実は非情で、私と零那は自然と行動を共にする事が多くなった。理由は簡単、4人組は自然と2:2で分かれる事が多くなり、上から零と一、二と三で分かれた。ただそれだけ。

 きっかけはそれだけ。それでも私は、あの『零から一へ』と託された日から零那に縛られ続けている。忘れた日なんて無い。

 この日常がいつまでも続くと思っていた。

 世界には永遠なんて存在しなかった。

 居なくなってから気付くもの。

 失ってから欲しがっても手は届かなかった。


 

 


「零那……」

 


 


 ただ名前を発しただけで体中を巡るこの熱の原因は、この感情の名前はとうの昔から知っていた。まさかそれを異性ではなく、同性相手に抱くとは思っていなかった。

 結局のところ当人同士の話だと言うのは簡単だ、思うのは簡単だ。ただ異性相手と同性相手だと、成功する確率があまりにも違い過ぎる。

 そもそも前提条件からして違うのだから、超えなくてはいけないハードルが2つある。1つだけでも臆してしまうかもしれないのに、2つなんて難易度が倍どころではない。成功すれば大儲け、失敗すれば全て終了の賭けならば、私は挑戦などしたくない。

 現状維持の何が悪いのか。絶対に成功すると確信のある勝負しかしない事がそんなに卑怯か。リスクを恐れるな、なんて、よっぽどの馬鹿か本当の本物しか言えない。

 私は馬鹿にもなれなければ特別でもないから、だからもう離れないように手を掴めるだけでいい。



 鳥居零那が消えてから、一ノ瀬柚子の片手は空いたまま。

 もう1度、チャンスがあるなら……今度こそ必ずその手を取って、離さない。


 


 


 



 

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