第16話
すー、すー、と寝息のような息遣いが横たわる事しかできない俺の鼓膜を一定間隔で揺らす。
首ですら動かすと痛みが走る。
なので視線だけソフィアの下へと向け、俺はジッ、と彼女を見詰めた。
「なぁ————ソフィア」
そして、声を出す。
船を漕ぐソフィアに向かって、俺はさも何もなかったかのように話し掛けた。
「お前、起きてるだろ」
「…………」
船を漕ぐ真似をしてまで取り繕っているだろう幼馴染みへ、俺は責めるような眼差しと共にそう告げる。
程なく、こくり、こくりと船を漕いでいたソフィアの身体がぴたりと硬直。
未だ目蓋は閉じたままだったけど、動きを不自然に止めてしまった時点で俺の言葉に肯定したようなものだった。
「……何年の付き合いだと思ってるんだよ」
小さな村の生まれだったからだろう。
殆ど家族同然に毎日顔を合わしていたからか、狸寝入りをしたところですぐにそれは見透かす事が出来た。
「……ま、話し掛け辛いのは分かるんだけどさ。ただ、ひとつだけ言っとく。俺はソフィアの事を怒っても無いし、恨んでも無い。この傷だって言ってしまえば俺が
俺は俺の前に立ちはだかった
だけれど、逃げようと思えば逃げ出せるタイミングなんてものは幾らでもあった。
でも、俺は逃げようとはしなかった。
現実、棒切れを片手に、立ち向かうという馬鹿としか言いようがない選択肢を俺は掴み取ったのだ。
「気に病む必要なんてものは、何処にもないから」
そう言って俺は気丈に笑う。
ソフィアからすれば、自分のせいでと思ってるんだろうが、それでも、俺からすればこの傷はどうしようもなく己にとって
勿論、痛いのが好きだとかそんな特殊性癖とかでなく————ただ単に、これからの事を考えるとこの傷はちょうど良かったのだ。
今回の一件で良く分かった。
全ての事柄において、根本的な解決はとどのつまり、『痛い目』を見る他ないのだと。貴重な体験であったとして、胸の奥に一度は刻んで置かなければならない。これから先も、『星斬り』を目指すのであればそれは間違いなく。
あのオーガのお陰でそれを自覚する事が出来た。
受けたこの傷は俺の甘い考えが齎らした結果だ。強引ではあるけれど、
だから、これは本心だ。
取り繕った偽の感情でなく、率直な言葉。
「慰めじゃない。これは、俺の本心だから。だから、そんなに気負う必要なんて本当に何処にも無いんだけどな」
船を漕ぐ事をやめたかと思えば硬直して。
硬直したかと思えば俯いて。
俯いたかと思えば————無言で泣き出して。
幾ら何でも情緒不安定過ぎないかと呆れながらも、俺の脳裏を過ぎるリレアの言葉。
————キミ、一歩間違えれば死んでたわよ。
その言葉が目の前の状況を作り出した最たる原因と理解して、俺は苦笑いを浮かべた。
「良い経験だったよ。貴重な経験だった。命懸けではあったけど、それでも、得られたものは限りなく多かった」
俺としては、あの闘争は命を懸けるだけの価値があったと、アレに価値を見出している。
けれど、あくまでそれは俺に限った話。
自分のせいで俺が大怪我をして死にかけたと思い込んでるだろうソフィアにはどうしようもないまでに俺の言葉は届いてくれない。
依然として胸中絞る感情を、床にぽとり、ぽとりと落として、水玉を作るだけ。
はっきり言って、俺はどうすれば良いんだと嘆いてしまいたくあった。
「…………は、ぁ」
とはいえ、元はと言えば俺のせいであった。
そもそもの原因はソフィアが村の外に出た事にある。けれど、それを行動に移した理由が俺の言葉であった筈なのだ。故に、突き詰めてしまえば、俺のせいに帰結する。
だから、面倒臭いからもう知らん。
とだけは出来なくて。
「そもそも、お前は勘違いしてる。なんで俺がオーガ如きで死ななくちゃいけないんだよ。『星斬り』を成そうとする俺が、なんでこんなところで躓かなきゃいけないんだよ」
自信過剰な発言をあえてする。
なにも無かったかのように振る舞うくらいがソフィア相手ならちょうど良いと思ったから。
「俺、言っただろ。負けはしないって。付き合い長い幼馴染みの言葉くらいちょっとは信じろよ」
だからそんな通夜みたいな雰囲気出すなと言わんばかりに俺は言い放つ。
どうせ、他の誰かにいつ死んでもおかしく無い傷だとか何か吹き込まれでもしたのだろう。
……事実、そうだっただろうからそれについて俺の口からは流石に何も言える筈がない。
でも、余計な事吹き込みやがって程度の愚痴を零すくらい許されるだろう。
そうでもしないとやってられない。
「で、も」
漸く口を開いたかと思えば、たった二文字で震えるソフィアの声は止められた。
続けるべき言葉が思い浮かばないのか。
頭に思い浮かべてるであろう言葉を紡いで良いのかと迷っているのか。
それは分からない。
俺がソフィアの内心を見透かせるワケもない。
だけど、それは俺の目に、どうしようもなくまどろっこしく映った。だから。
「だぁー!! 俺はこうして生きてる! さっきから勝手に俺を殺すな家出少女!!」
「あ、あれは家出じゃないしっ!!」
身体を蝕む痛みに表情を若干歪めながらも、乱暴に叫び散らす。
うじうじする理由は分かるし、俺が逆の立場であってもソフィアのようになっていたかもしれない。でも、いつまでもそんな態度を取られてると流石に俺までも気が滅入る。
「はぁあ!? 一人で隠れんぼして野宿する気満々だっただろ!」
「はぁあ!? それ! 流石のあたしもキレるよ!? 必死に隠れてたのにその言い方はない————!」
——ないじゃんと。
沈痛な面持ちを浮かべて壁にもたれていたソフィアは売り言葉に買い言葉と言わんばかりに、勢いよく立ち上がり、反論しようとして
「……そのくらいで良いんだよ。俺の我儘でオーガと戦ったって言ってるのに、こうも気落ちした顔見せられると俺も調子が狂うし、俺も罪悪感で頭がおかしくなる」
ソフィアの身体はまた、硬直した。
きっとそれは、包帯でグルグル巻きにされてた俺が精一杯の強がりを見せながら言葉を叫び散らしていた事に気がついてしまったから。
「ご、ごめん。……ユリウス」
そしてまた顔を俯かせて、謝罪。
……流石にこのままではラチがあかない。
そう判断を下して俺は、ならばと強引に話題を変えることにした。
十数秒ほどの沈黙を、経て。
俺は話を切り出した。
「————あのさ。俺、この傷が癒えたらこの村を出ようと思う」
「……え」
言ってる意味がわからない。
そう言わんばかりに、俺の言葉を耳にしたソフィアは驚愕に目を見開かせていた。
「ソフィアにはまだ、出る気はないって言ったけど、それは俺の認識が間違ってた。俺に足りないのは鍛錬じゃなくて。……必要なのは覚悟と、経験だった」
だから、俺は村を出ると宣う。
……我ながら都合が良いヤツだと思う。
一度は村を出ないと言っておきながら掌を返して今度は村を出たいと言うのだから。
けれど。
「……やっぱり、おじさんの言う通りになっちゃうんだ」
予めやって来るだろうなと心の何処かで予想出来ていたソフィアの叫び声は俺の耳には聞こえてこなかった。それどころか、ため息混じりの諦念を示す言葉が一つ。
ただ、どうしてそこで俺の親父の名が出て来るのか。その理由が全く以て理解の埒外にあった。
「……親父が?」
「そう。ユリウスのお父さん。多分、目が覚めたらあの馬鹿息子は絶対にそう言うからってあたしに教えてくれた。それと、伝言も」
恐らく、俺が無茶した事に対して誰よりも怒っているだろう
どうして親父が俺が村を出たいと言い出すと分かっていたのか。それは分からない。
けれど、ソフィアが紡ごうとするその言葉はどうしようもなく聞きたく無かった。
耳を塞いでしまいたかった。
……しかし、怪我のせいで耳を塞ぐどころか聞いてないフリすら出来そうになかった。
「……あのね、おじさんからは、ユリウスが村を出たいって言い出した時は————」
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