第15話
あれから何分、何時間経っただろうか。
休養を経た俺の意識は覚醒し、重たい目蓋をゆっくりと開かせていく。
目に優しい暖色の光と、それに照らされる木目調の天井。俺の視界に映った光景は、見慣れた景色———俺の自室であった。
……オーガを倒したところまでは覚えている。
だが、その後の記憶が丸ごと欠落していた。
そもそも、俺は自宅にいつ戻ってきたのだろうか。そんな疑問を己自身に投げ掛ける最中、ズキリ、と既に回復していた感覚が機能し呻きたくなる程の鋭い痛みが身体中を駆け巡る。
「痛っ、ッ……」
火事場の馬鹿力。アドレナリン。
オーガと対峙していた時にはそういった普段ならば縁のない機能が働いていたせいで薄れていたであろう痛み。
本来これが正しい状態なのだと言い聞かせて痛みに耐えようと試みるも、思わず声を上げてしまうほどにその痛みは凄絶なものであった。
「……超痛い」
両腕は勿論、両足ですら力を込めようとしてもまともに動かない。上体を起こそうといくら力を込めようとも、身体が痙攣でも起こしたかと錯覚する程度に震えるだけ。
文字通り全身全霊をかけて戦い、勝ってみせたのだとあまり嬉しくない勝利の余韻が今になってやってきた。
「にしても……ギリギリだった」
あの戦いはオーガでなく、俺が死んでいても全くおかしくはなかった。単純に、今回は運が良かっただけだ。
仮にもう一度戦ったとして、絶対に勝てるなどとほざく程、アレは思い上がれる戦いではなかった。本当にギリギリの死闘であったのだ。
「まだまだ、足りないものだらけ」
あの戦闘のお陰で当面の課題が見つかった。
今、俺に足りてないもの。俺に必要で、身に付けなければならないもの。それらが明確に。
「……俺はもっと、壁を越えなくちゃいけない。もっと、経験をしなくちゃいけない。……足りない。何もかもが、足りてない」
己の前に聳え立つ強者という名の壁を越えていかなければならないのだ。
それこそ今回のように、命懸けだとしても。
あのオーガのような己にとって格上の相手と戦い続け、研鑽を積むべきだと今回の戦いではっきり分かった。加えて、必殺足り得る『流れ星』の使用回数も。色んなことが判明し、いろんな問題が浮き彫りとなった。己の力量不足。それを否が応でも認識せざるを得なかったからだろう。
疲弊しきった身体だとしても鍛錬を積みたいと思った。それこそ、両腕両足に巻かれた包帯を振りほどいてでも———。
「———ん?」
ここで漸く疑問に思う。
どうして俺の両腕両足には包帯が巻かれているのか。そもそも、誰が治療したのだろうか、と。
「……あ、れ、なんで手足に包帯が巻かれてるんだろ」
村に治療の心得があるものなど一人もいない。
そもそも、包帯なんて大層なものは誰一人として用意していなかった筈———
「やっと起きたのね」
ガチャリと。
部屋の外に続く扉のドアノブが捻られ、まるで狙ったかのようなタイミングで一人の女性が顔を覗かせる。そして程なく彼女は俺の下へと歩み寄ってきた。
「ま、あれだけの傷だもの。一週間通して昏睡状態になるのも仕方ないわ」
「いっ、しゅうかん?」
「ええ。キミは一週間ずっとベッドの上で寝てたのよ? 本当に、死人みたいにね。だから、あれからもう一週間経ってるわよ。『
そこでやっと思い出した。
そうだ。俺は、今話しかけてきている女性と面識がある。というより、『星斬り』と名乗っている。消えかけの意識の中での出来事だったからか、記憶は曖昧であったが今漸く思い出した。
「……冒険、者」
「正解。それと、平気な顔して嘘を吐いてくれた件については私、割と根に持ってるからそこのところ宜しくね」
……そういえば俺、この人に嘘ついて棒切れを取りに向かったんだっけと今更ながら思い出す。
指摘されるまで完全に頭から抜け落ちていた。
「だけど、たった一つ。私の質問に答えてくれれば、あの時の事はチャラにしてあげても良いわ。……言っておくけど私、かなりネチネチした性格だから、拒否したら後がどうなっても知らないわよ」
と、脅される。
その質問とやらに答えなければ何をされるか分かったものではない。だから、別に答え辛い事があるわけでなし。俺は「……分かった」と言って言葉の続きを促した。
「じゃあお言葉に甘えて、遠慮なく。『星斬り』君。キミって一体————
「……は?」
やって来た質問。
しかし、俺は自分自身の鼓膜を揺らした問い掛けの意味と意図が全く以て分からなかった。
「本当はね、キミを助けるつもりだったの。私、あの女の子にキミを助けるようにって頼まれてたから。だけど現実、私は手を出せなかった。ううん、違う。魅せられてたの。キミという一人の剣士に。だから、無粋だと思った。私という部外者があの戦いに手を出しちゃいけないと否応なしに理解させられた。あぁ、キミは〝
だから聞きたいのだと彼女は言う。
「こう言っちゃ悪いけど、こんな何も無い辺鄙な村でキミみたいな存在が何もなしに生まれ出るとは私には到底思えないの。だから、聞かせて貰ってる。キミという存在は、一体何なのかしらってね」
……そこまで説明して貰って、漸く理解に至る。ただ、それは既に答えたはずの質問だった。
俺は『星斬り』。
『星斬り』に憧憬の念を抱いてしまった一人の人間。
どこまで煎じ詰めようと、それ以上でもそれ以下でもなく。ただ、その答えだけが答えとして在るだけ。
「キミが『星斬り』を志している事は既に聞いたわ。それでも、私の中で渦巻く驚愕の感情は収まってくれなかった。黙って見てた私が言えた義理ではないけれど、はっきり言って、キミ、一歩間違えれば死んでたわよ」
「……だろうね。その自覚はあるよ。でも、あれくらいしないと俺は至れないから。俺みたいな凡人は、あれくらいしないと話にならないから」
「……あれくらい、ね。全身の骨の大半が砕け折れて、出血多量。後数センチで内臓に届くような傷をいくつも背負い込んで、あれくらいってキミは言うのね。……ちゃんと認識した方がいいわよ。キミ、かなり壊れてるから」
何が、とは言ってくれなかった。
口元を静かに緩ませる彼女は、それ以上を語ってはくれなかった。
「……でも、そっか。
ただ、彼女の中ではどうやら答えは出たらしい。彼女にとって、先の俺の答えは十分に満足いく答えであったらしい。
「キミは私と同類だと思ってたけど、ちょっと違うみたい。それなりに修羅場を潜って来た私ですら可愛く見える程に、キミの『星斬り』に対する熱の度合いは酷い」
そして、その熱を抱くキッカケは最早理屈でどうこう説明出来るようなものではなかった。
それを理解したからなのか。
彼女はそれ以上、俺に対して問い詰めようとはしなかった。
「ただ、嫌いじゃない。そういう真っ直ぐな熱は、嫌いじゃないわ。たとえそれが、どうしようもないまでに致命的な何かが壊れていたとしても」
そう言って彼女は言葉を締めくくる。
結局、何が言いたくて、彼女は何を俺から聞きたかったのか。その答えは得られず終い。
一体、何がしたかったんだと疑問符を浮かべる俺であったけど、そんな折。
中途半端な閉じ方をしていたドア越しに、新たな声が聞こえて来た。
「おい、リレア。そろそろ話は済んだか? オレもその餓鬼に一つ話があるんだが————」
そう言って顔を覗かせたのはがたいの良い男性。これまた俺が『星斬り』であると語ってやった男であった。
しかし。
「戻るわよ、ロウ」
「あ、ん?」
「どうせ、あの子を『冒険者』にでも誘う気だったんでしょう? ……やめておいた方がいいわよ。あの子、私達が手に負えるような子じゃないから」
「……おいおい。それってどういう、」
「ほーら、四の五の言ってないでいくわよ」
ぐいぐいと乱暴にロウと呼ばれた男の髪を彼女——リレアが引っ張りながら半ば無理矢理に俺の部屋から退散していく。
そして去り際。
「あ。そういえば、すっかり言い忘れてたわ。キミの治療をしたのは私達だけど、ずっとキミを看病してたのはその子だから。随分と心配してたわよ?」
言われるがままにリレアが指差した方向へと視線だけ動かすと、そこには壁に凭れかかりながら船を漕ぐソフィアの姿があった。
そして、それだけを告げて今度こそ、彼女らは俺の自室を後にした。
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