第14話

 ピキ、リ———。


 何かが決定的に毀れてしまう壊音を耳にしながら、俺は振り終えた剣を取りこぼした。

 右の腕に倣うように、だらりと垂れ下がる左の腕。落下し、音を立てる無骨な剣。


「は、ははっ。ははは……」


 叫ぶ気力すらも最早残されていない。

 地に足をつけ、立っている。この状態を維持している事自体が俺にとっては奇跡とさえ言えた。


「勝っ、た。俺が……勝った」


 思わず立ったまま意識を手放してしまいたくなる程の疲労感に見舞われながら、俺は勝利に酔い痴れ、うわ言のように同じ言葉をひたすら繰り返す。


 何度も、何度も反芻を重ね、そうして己自身の頭に刷り込んでいく。俺は、勝ったのだと。その事実を。


「は、ぁ———」


 闇夜に覆われた空を見上げ、溜め込んでいた空気と共に緊張感、不安、逼迫、高揚感。

 全てを吐き出していく。

 俺のすぐ側では、胴体が斬り分かれたオーガの亡骸。加えて、どこまでも続く一本線が、大地に深く濃く刻まれていた。




 ———流れ星。




 その威力に関しては、撃ち放った張本人でありながらも乾いた笑いしか出てこない。


 それ程までに、その威力は衝撃的過ぎた。

 後に残ったのは地割れでも起きたのかと疑ってしまう程の一直線に伸びる亀裂。


 これだけの威力であるにもかかわらず、夢に見たあの『星斬り』の剣士が放ったものと比べれば、この流れ星の完成度は恐らく2割にも満たない事だろう。


 ……劣悪も良いところだ。


 しかし、そんな劣悪ですらここまでの威力を誇り、立ちはだかった壁を粉々に打ち砕いていた。


 やはり、あの剣士は俺にとって遥か先に位置する憧れであると胸中で再認識をする。


「漸く」


 一文字一句噛みしめるように。


「漸く、一歩進めたような。そんな実感が出来た」


 ただただ無我夢中に棒切れを振っているだけではきっと、この感情を抱く事は叶わなかっただろう。


「感謝するよオーガ。俺の糧になってくれて———ありがとう。お陰で俺は、こうして一歩、進む事が出来る」


 言葉はもう必要ない。

 そう言わんばかりに、俺はくるりと踵を返し、背を向けた。事切れて尚、どこか不敵に笑ったかのような面持ちを浮かべていた好敵手オーガに。




「オーガの討伐レートはB。だが、ソイツはオーガの中でもワンランク上の変異種。恐らくレートはひとつ上がってB+。オマケにこの暗がり。レートはAでもおかしくねえ」



 不意に、俺の鼓膜を揺らす野太い男の声。


 村へ戻ろうとボロボロに疲弊した身体に鞭を打ち、踵を返した俺の瞳に映る二つの人影。

 オーガとの戦闘の中で薄々は感じていた人の気配。きっとその正体が彼らなのだろうとすぐに理解した。


 戦闘が終わるや否や、姿を見せた二人組。

 ただ、俺は彼らが誰なのか。

 その答えを知っていた。


「だから問おうか。一体、てめえは何者だ?」


 だから、俺はあまりこれといって慌てていなかったのだろう。だから、回答次第では斬ると言わんばかりに、圧搾された殺意を向けられながら問い掛けをされても動揺しなかったのだろう。


 俺が思うに、彼がそんな問い掛けをしてきた理由は彼が俺を『異常』であると認識しているからだ。


 人という生き物は、他者と異なる部分。つまり、『異常』に対して執拗に理由を求めたがる。夢で見た『星斬り』の剣士もそうだった。彼も、『異常』であると捉えられていた。彼の言動の大半が理解の埒外にあると常に思われていた。


 だからこそ・・・・・、俺は笑った。

 今できる精一杯の屈託のない笑みを表情に、これでもかと貼り付けてやった。


「…………」


 怪訝に目の前の男は眉根を寄せる。

 きっとその理由は、俺が破顔する理由が分からないから。


 憧れであり、終生、『星を斬る』事にのみ心血を注ぎ続けたあの『剣鬼』と同様に『異常』であると己が捉えられている。

 普通であっては、間違いなく星を斬る事は叶わない。その自覚は誰よりもあった。



 故に、嬉しくて仕方がなかった。



 あれ程人という枠組みから外れていた『剣鬼』のように『異常』であると己が他者から捉えられている。

 その事実がこれ以上なく俺に歓喜の感情をもたらす。漸く、『星斬り』の剣士に至る為のスタートラインに立てたような気がしたから。


 これが歪んだ認識であると自覚して尚、その歓喜は止まらない。


「は、は……は、はっ」


 笑うたびに傷が開く。

 身体を震わせるたびに、血が己の身体の中から失われていく。


 けれど。

 ここで笑わずして、いつ笑うというのだ。


 相変わらず、声から覇気は失われている。

 でも、それでも笑う。己の感情を素直に吐露しようと試みる。たとえそれで、目の前の彼らに不審がられようとも。

 この瞬間だけは笑っていたかった。


「俺が、だれ? ……んな事は4年前のあの日からずっと同じ。村にいる誰もに笑われようと、これだけは変えられなかった」


 彼が問うたのは間違っても俺の名前ではない。

 俺の正体。

 つまり、本質だ。


「俺は『星斬り』。『星斬り』に憧れた、ひとりの剣士だよ」


 既に俺は剣を手にしている。

 あんな棒切れ紛い物ではなく、歴とした剣を執り、剣士として剣を振るった。

 だから、俺は剣士と名乗った。


「……星、斬りだと?」

「そうだよ。『星斬り』だ。言葉の通り、それは星を斬る事。俺は星を斬りたいんだよ。星を斬って、俺が憧れた剣が最強であると証明したいんだ。だから———『星斬り』」


 疲労困憊の状況下に置かれているからだろう。

 俺は普段よりもずっと早口にそう述べた。

  今すぐにでも意識を手放してしまいそうだからと言わんばかりに。




 ゆっくりと、足を進める。

 村の方へと一歩、一歩。

 しかし、身体を動かせば動かす程痛みが全身に襲い掛かる。裂傷はさらに開き、赤く滲む。

 袈裟に斬られた胸の傷が刺すような痛みを伴ってひっきりなしに俺を襲う。


 暗がり故に視認は困難を極めていたが、身につけていた衣類にはべっとりと血が付着し塗れていた。


 それは見た者誰もが例外なく目を剥くほど。

 立っている事が不思議と思えるほどの凄絶な傷がずきりと疼き続けていた。


「ぁあ……」


 目の前がぼやけていく。

 足の感覚も失われていき、俺の世界が揺らいでいた。


「無理、し過ぎたかな」


 血も流し過ぎたのだろう。

 思うように身体に力が入らない。

 歩いている筈なのに、本当に俺は前を歩けているのかという不安にすら襲われる。

 思考はまともに機能していなかった。


「ソフィアには……少し休憩してから帰るって、伝えて———」


 彼ら———冒険者だろう・・・・・・彼らがここに来たという事はソフィアが上手くやったという事なのだろう。

 だから、俺は彼らに言葉をソフィアに伝えて貰おうと試みる。



 ……しかし、身体が重くて口ですら満足に動かない。喉を震わせてる筈なのに、声が出てこない。


 ……あぁ、なら。

 だったら、少しだけ休んでいこう。

 休んでから家に帰ればいい。

 少し休めば、きっと身体も回復してくれるだろうから。


 そんな根拠もない願望を抱きながら俺は近くに生えていた木の幹に手をついた。


「……ぁあ、だめだ。本当に、」


 冒険者の2人に、ソフィアにはオーガを相手に上手くやったと。でも、疲れたから少し休んでから帰ると伝えて貰おうと思ったのに、それを口頭で伝える気力すら俺には残っていなかった。


「無理、し過ぎたみたいだ」


 木の幹に身体をもたれさせ、俺は重力に抗う事なくズルズルと地面にへたり込んだ。

 全身を覆う痛獄から逃れるように俺はそのまま意識を手放し、暗闇の世界に溶け込んだ。

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