第13話
燃えていた。
全てが、燃えていた。
血潮がひどく沸き立ち、まるで燃えているかのような錯覚を覚える。感情が、魂が、何もかもが恐らくこの時燃えていたのだ。抱いた渇望は身を焦がし、闘争心は燃え盛る。
「……ははッ」
この、窮状。
全身が悲鳴を上げており、もし仮に限界があるのだとすればそれはとうの昔に過ぎ去っているのだろう。
危険信号を鮮明に灯し、脳から訴えかけられる危機を示す情報を無視して今、俺は地面に足をつけている。
この地に立って、いるのだ。
それは何故か。それは、どうしてか。
決まっている。
その答えはすでに決まっており、俺自身が誰よりも自覚していた。俺はどこまでも恐れているのだ。『怯え』ているのだ。
掲げた渇望を遂げられない事に。
抱いた憧れを手放してしまう事に。
だから俺は脳が発する生命の危機信号ですら、無視することが出来た。本来であれば疑わず受け入れるべきその信号を無視する事より、俺は渇望を。『星斬り』を成せぬまま死に逝く事の方が怖かったのだ。
「堪らない。ああ、堪らないよ」
俺は、常に棒切れを振るうだけの毎日を送っていた。『星斬り』を目指し、常に振るっていた。いつか、『星』を斬る。ただ、その願いを叶える為に。漠然とした願望へ向かって、振るい続ける行為はいつしか、自分自身ですら自覚出来ないほどの小さな疑念を抱くに至らしめられていた。
言ってしまえば、遠いのだ。
『星斬り』があまりに遠過ぎるのだ。
今の俺とかけ離れた場所に位置するが故に、本当に俺は届き得るのだろうかという不安がどこかに生まれてしまっていた。
何故ならば、過程が丸ごと存在していなかったから。『星斬り』に至る為の成長過程に当たる部分が、丸ごと。だから。
だから俺は、堪らなく感じていた。
初めて、己が超え得る壁がごとき存在に出会えた事が。それが、何より堪らなかった。
「『…………』」
オーガは俺を不審気に見つめていた。
俺の瞳に映るオーガは、刹那の死線に生きる価値を見出す類いの戦闘狂だ。だから、本能的に理解してしまったのだろう。俺と、オーガの本質は決定的に異なっていると。
にもかかわらず、俺はこうして嗤っている。心底、楽しくて仕方がないと言わんばかりに嗤っていた。そこに、怪訝を抱く。どうして、お前は嗤っているのだと。
「簡単な事だよ。楽しいから笑ってる。なに当たり前の事を不思議に思ってんだよ? なあ、なあ!!」
高揚感に支配され、思うがままに叫び散らし鼓舞する。
その間も苛烈な攻防は続いており、ぎゅううと猫の目のように絞られた俺の瞳はオーガの繰り出す一撃を余す事なく捉え、全てを受け流しつつ火花をこぼす。
「『……クハ、ハハハッ』」
口角を歪め、オーガは笑んだような息遣いをしてみせる。喜悦に塗れたその相貌は、片目を潰され、右腕を斬り落とされたにもかかわらず、痛みを感じているとは到底思えないものだった。
振るって、振るって、振るい続けて。
縦横無尽に大気をズタズタに斬り裂き続ける剣撃は止む事を知らない。
命の取り合い。
これは殺し合いであるというにもかかわらず、俺とオーガは嗤っていた。楽しいと。堪らないと言わんばかりに。
「本当に、お前でよかった。今俺の目の前に立っているやつが
きっと、この闘争がなければ俺の手に間違っても『剣』は存在していなかっただろうから。キッカケをくれたのは目の前のオーガだ。だから俺は叫ぼう。感謝しよう。礼を尽くして———剣を振ろう。それが、俺に出来る最大の返礼であるだろうから。
「『星斬り』を成す為には、常に聳え立つ壁に挑み続けなければならない!! それを自覚させてくれたのは他でもないお前だ!!」
『星斬り』のユメを見たあの日あの瞬間より、俺は剣士を志した。『星斬り』に憧憬した。誰にも理解されない渇望を抱き、俺は愚直に鍛錬を続けた。でも、ダメなのだ。その程度では、到底及ばないのだ。足りないのだ。なにもかも、不足している。何もかもが、欠落している。
必要だったのはただ一つ。
己を常に追い込み続ける事だけだった。
本来ならば届かなかったであろう壁を、己の限界を。常識ですらもぶち壊して超える事だけであった。
———私は、『最強』を証明したいのだ。
言葉にすればどうしようもないまでに陳腐に映るふた文字。けれどそれは何より重く、遠い。
易くないのだ。そのふた文字は。そのふた文字だけは決して。
「だから———ッ!!!」
すでに認めている。
出会った当初より本能がそれを認めていた。
目の前のオーガは、格上であると。俺よりもずっと上に位置する存在であるのだと。
「だから、俺はお前を超えて先へ進む!!!」
超えるべき壁に思いの丈をぶつけ、俺はオーガと距離を取った。もう、何十と交わした剣。けれど、どれだけ気丈に振る舞おうが、見栄を張ろうとも終わりはすぐ側まで訪れていた。お互いに、限界はとうの昔に超えている。それでも振るい続けたのは意地か、執念か。
「は、ぁ———ッ」
冷え込んだ空気を思い切り吸い込んで肺に取り込む。そして身を屈め、闇夜に漸く慣れてきていた双眸を血走らせてから俺は全身に力を張り巡らせた。
噴き出す汗。気力でどうにか立っている状態の俺に、次は存在しない。本当に、これが最後。泣いても笑っても、これが。
「斬———るッッ!!!!」
願望を。渇望を。希望を。
想い全てを乗せて、俺は再度肉薄を始める。
右腕は垂れ下がったまま。ゆえに、左腕だけが頼り。
一歩。また一歩と進めば進むほど寿命を削られていくような感覚に見舞われながら、俺は大地を強く踏みしめた。
何かが
きっとそれは幻聴でないのだと薄々理解しつつも俺は、構わず左腕に力を込めた。
そして、交差し交わる剣線。
それを受け流し、確殺となり得る一撃をカウンターとして叩き込む。それで勝負を決める。俺の頭の中ではその予定であった。だが、
「ァ、ぐッ……!?」
刹那、ビキリと悲鳴が上がった。
それは気の所為だと紛らわすことすら出来ないまでに明瞭に脳へ響き、発生元はすぐに理解してしまった。ここにきて、右腕だけでなく剣を手にしていた左腕までもが毀れたのだと。
どうにか剣は握れる。
けれど、その一瞬の空白は今この瞬間において致命的過ぎた。俺に向けられ、大剣に込められていた力を上手く受け流す事が出来なかったからだろう。
時同じくして、ピキリと手にしていた無骨な剣がひび割れ、程なく剣身が二つに折れ分かれた。
宙に放り出される剣の一部。それを目にしたオーガが抱いた感情。それは、歓喜であった。
勝者としての笑みが、鮮明に浮かび上がった。
防ぐ手段すら失った満身創痍の身体。
俺に残された迫り来る剣撃から逃れる手段はただ一つ。
———避ける事。それだけであった。
身体を引け。後ろに跳べ。逃げ、ロ。
脳から身体にそう指示を送るより早く、不幸中の幸いか、肢体は動いていた。
その場から跳び退こうと後ろに下がる俺の身体。
しかし、
「『タノジ、ガッタ』」
オーガは確信していた。
どう足掻こうとも、この一撃は。
袈裟懸けに繰り出されるこの一撃だけは、最早、避けようがない事を。だから、これが最後だとばかりに口吻をもらした。
「———ッ、ぐっ」
疲弊し、ボロボロになるまで酷使された身体を使って必死にこの窮地を凌ごうと試みる。けれど、それでも、僅かに時が足らなかった。
そして—————眼前に赤い飛沫があがった。
己の身体から袈裟に噴き出す鮮血。遠退く意識。俺が斬られたのだと目の前の光景のせいで、否応無しに理解してしまう。崩れ落ちる身体。揺らぐ視界。
そして、興味を失ったのか俺に背を向ける
お前は俺が斬るのだから。
だから、目の前から立ち去る事を俺は許容しない。俺はまだ戦える。戦える筈なんだ。だから、だから。
薄れ行く意識の中、俺はひたすらそんな言葉を繰り返す。動けよ。ここで終わってなるものか。俺は斬らなきゃいけないんだ。だから、動けよ。動け。後のことなんざどうでもいい。だから———
———動けよ。
ざっ。
気付けば、土を踏み締める音を俺は立てていた。
まさかと思い、振り向いたであろうオーガは驚愕に目を見開いていた。まるで、現実が嘘をついていると言わんばかりに。
幽霊でも見たかのように驚いていた。
(内臓までは、届いてない……)
咄嗟に跳び退いた事が幸いしてか、先の一振りは臓器にまでは達していなかった。それを確認し、安堵の息を吐く。痛みという痛みが全身を支配しており、身体は既に痴れている。感覚はもうほとんど感じられなかった。
(ここからなら、届くか)
距離にして5m程。
俺の剣ならば、きっとここからでも届くと思った。いや、そう断じられた。
「今度は、逃がさない」
覇気の薄れた声音で告げる。
左の手には、いつの間にか新たに造られていた一振りの剣。それをゆっくりと振り上げた。
一度だけしか使えない。
そう思っていた技だというのに、どうしてか今ならば使えるような。そんな気がしたのだ。だから、俺は。
粒子が集まり、再び剣の形を形成してゆく折れていた剣に目もくれず、息を吐いた。
「————ッ!!!」
慌てて大剣を構えるオーガ。
けれど、そんなものは
そんなの、当然じゃないか。
「最後の最後で、確実に息の根を止めようとしなかった事がお前の敗因だ」
これから繰り出す一撃は『星斬り』の剣士の技。生半可な防御など、吹かれる灰のごとく無力に吹き散らされる。
ああ、ああ。受けてみろよ。この一撃を。
あんな
次は、必要ない。
これで終わりだ。だから、後先考えずに放て。
両腕両足。全てが壊れてでも撃ち放て。
全身全霊をかけて、『星斬り』の一撃を———!
「斬り裂けろよ————」
それは、ただの棒切れで丸太のような腕を切断してみせた規格外の技。唯一、オーガの本能に恐怖を抱かせた『星斬り』の技であった。
この一撃、星まで届け。
「————流れ星————ッッ!!!!」
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