第11話

 夜の空から皎皎とした星の輝きと、月光が降り注ぎ、その場を薄く照らしていた。

 それらが映す景色は、現実離れした光景。

 凄惨に抉れ、面影を感じさせないまでにズタズタに斬り裂かれた灰色の景色だった。


 ざぁっと風吹く。

 まるで作られたかのような不自然な風。

 それが、駆けていた2人の冒険者———リレアとロウに向かって吹いていた。


「……おいおい。冗談、キツイだろ、これは」


 僅かな光だけが頼りの暗闇の世界。

 何が行われているのかを視認してしまったロウの声は震えていた。信じられないとばかりに目を剥いていた。


「流石に、」


 映された世界。

 そこに存在していたものは、見るもの誰もがギョッとしてしまうほどの血、血、血……加えて、肉塊。かつては腕だったであろう丸太のようなソレが大地に捨て置かれていた。鉄錆の臭いがそこに混じり、酸鼻な光景を生み出している。


「なんの冗談だこれはよ……」


 思わずそんな言葉を口にしてしまったロウの視界には、力なくだらりと右の腕を垂らす幽鬼のような少年と。片腕を失ったオーガが一体。

 お互いがお互いしか見ていないからか、やってきたロウやリレアに意識を向ける素振りは一度として行われない。

 息遣いの音と、剣撃の余波だけが響く。

 吠える元気も、軽口を叩く余裕も存在していない。それを誰よりも理解しているからこそ、限界まで圧搾された敵意が辺りに染み渡る。身の毛がよだつ程の圧が、容赦なく襲ってきていた。


 けれど。


「…………」


 瞠目していたロウとは打って変わって、リレアは静かであった。不気味なまでに静寂だった。

 本来ならば、薄気味悪さを感じてしまうだろうが、ロウはリレアの本質を誰よりもよく理解している。ゆえに、納得してしまった。


 彼女は。リレアは剣の求道者だ。

 愚直なまでに剣を愛している。いや、剣に狂っていると言ってもいい。だから、きっと、目の前に広がる光景を記憶に深く焼き付けようとしているのだろう。喋ることに割く労力など、ありはしないと。口を真一文字に結ぶ彼女の様子は、そう言っているようにすら見えてしまう。


 そして、そんな感想を抱いている間にまた響く。激烈なまでの剣撃の音が。

 また、轟き始めた————。



 * * * *



 時は、少しばかり遡る。



(確実に、折れてるなあ……ッ、これ、はッ)


 力なく垂れ下がる己の右腕を見詰めながら、苦悶に表情を歪めて忌々し気に胸中で俺はそう呻いた。


 —————流れ星。


 万物全てを斬り裂く為だけに磨き上げられた必殺の一撃。一瞬の間隙を突いて繰り出したソレによって生み出される威力は、推して知るべし。

 扱った得物がただの棒切れ・・・・・・にもかかわらず、


「ガ、ァッ……!」


 オーガの右の腕を、両断していた。

 断面は今も尚、顔をのぞかせており、目を怒らせ、忿怒を乗せた呻き声を血を吐くように吐き出していた。


 『流れ星』による負荷により、至るところで筋肉断裂が起こり、最も負荷を強いられていた右の腕は完全に折れてしまっている。本来ならばあの一撃で勝敗を決するつもりだった。


 にもかかわらず、オーガは生まれ持った生存本能を働かせたのか首筋に触れる寸前に首をそらしていた。そのせいで、袈裟懸けに振るったソレは右の腕のみを斬り裂き、両断に至っていた。


 痛みは伴うものの、左腕と両足はなんとか動かせる。右腕と全身への相応の負担と引き換えに、オーガの右腕を斬り飛ばせたのだ。俺以外の者であれば誰もが大金星と賞賛しただろうが、身体の負担を度外視してまで放った必殺を期した一撃は、結果的に躱されてしまっている。

 だからこそ、俺は顔を顰めざるを得なかった。


「……でも。あれで終わっちゃったら拍子抜けも良いところだよ。超える壁がそんな容易であって堪るものか。ああ、うん。ならこのくらいでないと」


 けれど、すぐ様顰められていた表情は笑みへと変わり行く。己に言い聞かせるように言葉を並べ、気丈に振る舞う。痛みに悶えたい気持ちを必死に抑え、まるで何事もなかったかのようにジワリと脂汗だけを額に浮かべ、こともなげに述べ、威勢よく叫ぶのだ。


「このくらいじゃないと張り合いが出ないよ、ねえッ!?」


 受けに回ってしまえばまず間違いなく俺はオーガに勝てない。ただでさえ力の差は歴然だというのに、先程の『流れ星』のせいで自傷し、身体は満身創痍に限りなく近い。

 あの巨躯から繰り出される一撃をこの身に受けたその時、俺の敗北が決定づけられる。


 なればこそ、攻め続けるしかなかった。間断のない攻めで活路を見出さなければならないのだ。

 故に俺は大地を蹴り、背後に土を散らしながらオーガに向かって肉薄する。


 手首の力だけで振るっても、オーガに対しては痛痒ですら与えられない。身体を、全身を十全に使わなければ決定打にはなり得ない。だから俺は、ぎぎぎ、と伸び切ったバネでも曲げるかのように身体を捻らせ、


「ッ、あああぁあああぁァァア!!!」


 先の『流れ星』で、俺を油断ならない相手と判断したのか、待ちの構えを貫いていたオーガに向けて、叫び散らしながら俺は裏拳でも繰り出すかのように棒切れを振るう。


 そして、金属音と共に散る火花。

 振り下ろされた鉄錆びた大剣と重なり合い、掛けられた力の負荷に耐え切れずひしゃげてしまう棒切れ。しかし、辛うじて棒切れの面影は残っている。まだ、使える。


 仕掛けた一撃が防がれたと判断するや否や、ひしゃげてしまった棒切れを即座に逆手持ちに変え、頭部目掛けて突き刺そうと試みる。けれど。


「ぁ、がッ……ぐっ!?」


 蹴りが、入っていた。

 腹部へ、鋭い脚撃が入り込んでいた。

 ソレに気付いたのは既にメキリと肋骨が悲鳴を上げてから。もうどうやっても避けようがない状況下に置かれてからであった。まともな防御も取れていないからか、そのダメージの大きさは計り知れない。


 しかし、ただでやられてやる程俺も甘くない。

 だから、手にしていたひしゃげた棒切れ。歪んでしまった影響で、鋭利に尖ってしまったソレを俺は


「……とんっ、でけ——ッッ!!!」


 咄嗟に引き絞った左手で、思い切り投擲をした。


「ガアアアアッッ!!?」


 頭部に刺さり、屈強な身体を持つオーガですら悶える容赦ない痛撃。己のカウンターが決まった事に安堵しながら


「か、はっ……!!」


 血反吐を吐き散らし、勢いよく蹴り飛ばされ、後方に数多く生えていた木の幹のひとつに激突。地鳴りのような音が衝突の余波として聞こえてくる。


(意識、が……)


 声すらも出す余裕が無かった。

 一瞬でも気を抜けば、意識を持っていかれそうだった。でも、意識を手放せば全てが終わってしまう。だから、だから———!!


 木の幹に衝突し、地面に倒れ伏していた俺は歯を食いしばり、指先を大地に突き立ててどうにか立ち上がろうとする。痛みを生じさせてでも無理矢理に意識を掴み置こうとした結果か、じわりと口内に広がる鉄の味。

 口端からツゥ、と血が垂れ出ていた。


 右手は動かない。身体も鉛のように重い。

 まるで自分の身体ではないようだった。

 でも、それでもと、地面に落としていた視線を上げる。


「————!!!」


 棒切れは刺さったまま。

 その状態で切迫するひとつの影。

 俺にトドメをささんと肉薄するオーガを俺の視界が捉えていた。


 時間に余裕なぞ存在しない。

 足を止めれば止めるだけ、死神の鎌はもう既に俺の首筋に添えられている。薄皮はその鎌に触れてしまっている。そんな窮状に陥っていた。


「ま、っ、ずいッ」


 脳に伝達される痛覚情報なぞ捨て置け。

 気にしてる余裕などありはしない。痛みに足を止めてしまえば待つのは死のみだぞと言い聞かせ、俺はがむしゃらに身体を真横に投げ出した。


 ザクリ。

 振り下ろされた大剣が直前まで俺が倒れ伏していた場所に突き刺さり、小さく砂煙が巻き上がる。


 一度は、なんとか避けられた。

 だけど、2度目は。

 やってくるであろう追撃を避けなければならないと頭では理解しているのに身体が動いてくれない。じんと煩雑に染み渡る痛み。


 先程の脚撃。加えて、衝突した際の衝撃。

 それらの痛みにより、身体が麻痺してしまっているのだ。そう、分かってしまった。きっと、先程は火事場の馬鹿力というやつなんだろう。だから2度目は、ない。


「『オワ、リダ』」


 たどたどしい言葉が聞こえてきた。

 地面に刺さった大剣が浮き上がり、横薙ぎに言葉と共に振るわれる。轟と吹く剣風を巻き込みながらそれは、狙い過たず俺を捉えていた。


 眼前にやってくる錆びた大剣。

 斬り裂かれる直前、どうしてか俺の中の時間が止まった。確実に息の根を止める。その一心で振るわれたであろうひと薙ぎの速度はこの戦闘一番のものだった。


 勝つ為に足りないものは何だっただろうか。

 迫る刃を見つめながら、そんな走馬灯のような感覚に陥り、考え事をしてしまった。


 足りなかったのは技量だ。経験だ。体力だ。

 そう自問自答を始めるが、……何故か釈然としなかった。


 ワケはなんだろうか。

 決まっている。そんな事は、誰かに指摘されるまでもなく分かっている。

 何故ならば俺の視線は、ずっとオーガに突き刺さった棒切れに向いていたから。




 叶うならば剣で対峙してみたかった。

 そんな想いが根底に据えられていた。




 気力も、経験も、技量も、体力も。

 何もかもが俺には欠落していた。けれど、それは大した問題ではなかった。

 剣士として、聳え立つ壁を越えようと試みていたはずが剣士として欠かせないタマシイを手にしていなかったのだから。これ以上に足りないものはあるだろうか。


 でも、それは仕方がないじゃないか。

 剣はどこにもないのだからと。言い訳をする俺に誰かが苦言を呈す。


 どこにもないから?

 ならば足りないものを補うようにどこからか持ってくれば良い。それでも駄目? ならば。



 ———造ってみせろよ。何の為の、魔法だ。



 なぜかそんな、声が聞こえた。

 俺が、魔法。

 それは青天の霹靂だった。

 人は誰しも魔法を扱う事が出来る。けれど、大半の人間は己の才に気付かぬまま、魔法を扱う事が出来ないと勘違いを起こしたまま生を終えてしまう。


 大半の人間にはキッカケが、足りないのだ。

 魔法を扱えるようになる為のキッカケが。


 思い込んでいた。

 俺には魔法の才能がないのだと思い込んでいた。だが、身に覚えのない声は俺に造れと言う。

 根拠も確証も何もなかった。でも、声は造れと言った。つまり、造れるのだろう。これが、俺に与えられた機会なのだ。


(は、はは……)


 乾いた笑いが出た。

 出来る出来ないの問題ではない。ここで出来なければ死んでしまう。ただそれだけ。

 俺に選択肢などハナから存在していないのだ。

 ならば。


(やって、やるよ……)


 技では勝っていた。

 負けていたのは俺自身。


 ハラは決まった。

 途端、時は緩慢に動き始める。

 辛うじて動く左の手。

 無手であった筈がどうしてか発光していた。

 粒子が集まって行き、それが重なり合う事でカタチを形成する。細長の鋭利な、何かを。


 求めていたのは一振りの剣。

 斬る事だけに特化した無骨な剣だ。

 そう。丁度———


「は、っ、はははっ」


 ガキンッと金属同士の衝突が鼓膜を殴り、ビリビリと震える大気に火花をこぼす。


 後方へ力で押しやられながらも、横薙ぎに振るわれた一撃は防ぎきった。その安堵と、初めて手にしたにもかかわらず、よく手に馴染むそれをみて俺は笑みをこぼした。


 俺が求めていたモノ。

 それは今、俺が手にしているような———月光を反射する白銀の剣身をもったひと振りの剣であった。

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