第8話

 感情に身を任せ、叫び散らすその姿は理性を棄てた禽獣か、狂犬か。いずれにせよ、そこに勝ち目が潜んでいるのではと考える。だが、しかし。


「—————」


 突然止む叫び声。そして訪れる一瞬の静寂。

 思わず抱いてしまった勝機。余裕。

 その油断が、即座に俺へと牙を剥く。


 錆びた巨大な剣が、気付けば俺の目の前にあった。時間が、止まる。


 まるで何倍にも引き伸ばされたかのような、そんな錯覚を抱いた。

 世界から己だけ切り離されたかのような奇妙な感覚に、陥った。


(は、や……)


 心情を言葉に変える余裕すらもなく、切迫する鋭利な凶刃。ここから取れる行動は、限られている。迫る大剣は、首を目掛けた横薙ぎの軌道。ならば、身体をそらすか、手にしている棒切れで迫る大剣の軌道を強引に変えるかのどちらか。


「は、あ———ッ」


 思い切り、息を溜め込んでから全身に力を込める。考える時間は用意されてはいない。なればこそ、己の感覚に全てを委ねるという選択肢しか選びようがない。


 だから、俺は。

 強引に、身体をのけぞらせる。

 それは頭の中で結論を出すよりも数瞬も早く行動に移されていた。


 そして、緩慢となっていた時間は再び動き始め、俺の顔の真上をブォンッと激しい風切り音が剣風となって大剣と共に通り過ぎる。


「こ、の——ッ!!」


 そのまま俺は右手を地面につけ、攻撃を避けた勢いを利用してくるりと身体を捻り———


「お返し、だッッ!!!」


 下方からの回し蹴りを水月目掛け、狙い過たず蹴り込む。だが、


「ガァ……?」


 蚊でも止まったかと言わんばかりの表情を向けてくる。この一撃はオーガに僅かな痛痒すら与えていない。それを嘲笑の孕んだ声で察し、蹴りでは決定打に欠けると即座に判断した俺は慌てて大地を蹴って跳びのき、距離を取る。


「……い、や、これは、辛いね……」


 水月——鳩尾を脚撃にて穿ったというにもかかわらず、呼吸に苦しむ素振りすら見せない。

 足から伝う感触は大きな岩でも蹴り付けたかのような、そんな感触だった。


 本当に、ノーダメージなのだろう。期待外れの結果に辟易しつつ、俺は溜め込んだ息を吐き出しながら荒い呼吸を繰り返す。

 そこに、普段の余裕めいた表情なぞ、欠片すら存在していなかった。表情には、無理矢理張り付けたような笑みが、ひとつだけ。


「でも、まあいいよ」


 愉悦か。歓喜か。

 口元を三日月に歪めるオーガの焦点は俺に狙いを定めて離さない。耽溺しているであろうこの状況。ひとまず、ソフィアが逃げるには御誂え向きの状態が整った。


 何より、ソフィアの存在が気掛かりとなって胸の内に存在している。先程油断した理由に彼女を使うわけではないが、それでもこの場にはいて欲しくなかった。


「ソフィア」


 視線はオーガの姿を射抜いたまま、俺は言葉を紡ぐ。


「な、なに……?」

「村に、冒険者がいる。村長が呼んでくれた冒険者。ちょっと、その人達呼んできてくれない?」

「えっ」

「それまでしぶとく粘っとくからさ。頼むよ」



 これは、嘘だ。

 冒険者を呼んできてほしいという言葉は、彼女をこの場から立ち去らせようとする方便でしかない。だが、おそらくこの言葉がなによりも効果的であると断言出来た。だから、平気で俺はそんな嘘をつく。


 それに、あの冒険者は動く事を良しとしないだろう。この夜闇が晴れるまでは、決して。だから、説得しようと試みるソフィアはいつまでも村に拘束される羽目になる。これで舞台は整う。俺と、オーガだけの。

 2人だけの舞台が。


 じっと見つめる俺の瞳は決して揺らがない。

 そこに、不退転の決意があると感じ取ったのか。


「わがっ、た」


 自分がここでただ無力に身を潜めているくらいならば、村にいるであろう冒険者を呼ぶべきだと判断したのだろう。己の安易な考えによる行動を自責した結果か。

 涙ぐみながらソフィアはそれだけを告げて村の方向へと駆け出した。


「良かったのかよ」


 段々と遠ざかって行くソフィアの背中を見詰めながら俺はオーガに問うた。

 先程は虚をつくように剣を振るってきた者がどうしてか、今度は律儀にソフィアが去るのを待っていた。

 だから、問う。


「『……モンダイ、ナイ゛』」


 腹の底から出たずしんと重く響く声。


「『オマエヲ、ゴロジタアトニ、ゴロゼバイイ』」


 たどたどしいながらも、それはまごう事なき言葉であった。魔物が人間の言葉を口にした。その事実に驚愕するも、そんな事は今からやり合う事を考えればなんと瑣末な事か。


「そっか」


 口は愉し気に歪んでおり、目の前のオーガが俺には、心底戦いを楽しもうとする獰猛でおぞましい猛獣に見えていた。

 きっと、戦うことが好きなのだ。

 あの一振りで、それなりに戦える人間であるとオーガに判断されたからこそ、俺の懸念であったソフィアを逃がしてくれたのか。

 はたまた、ただの慢心なのか。


 その答えは分からない。

 けれど、その答えを分かろうと分かるまいとこの窮状が改善される事はない。

 だから、その疑念を彼方へと追いやる事にした。


「折角だ。名乗ってやるから聞いとけよ。お前、そういうの絶対好きでしょ? 昔、村に来た騎士が言ってたんだ。戦の作法ってやつだったかな」


 ……俺はそう、宣う。

 言葉を理解出来るのならと、そんな事を口走り、油断を誘おうと試みる。


 大した力もない俺はこうでもして微かな油断でも誘わなければ勝機はないから。

 たった一撃。

 その一撃を、叩き込めるだけの隙を作る為に。


「俺は、ユリウス。あの『剣の鬼』の意志を継ぐもの。未来の〝星斬り〟だよ」

「『ナナジ』」


 変な部分に濁音がついたが、恐らく「名無し」と言いたかったのだろう。

 俺はそう判断し、手に力を込める。


 馬鹿正直に俺の言葉に耳を傾けていたオーガを焦点にあてて離さない。

 恐らくは慢心。

 たとえ会話に多少興じたところでこの現状に一切の変わりはないと信じて疑わなかったオーガの唯一の隙。


 チャンスは、一回。

 きっと、これを逃せば絶好の機会は二度と訪れはしない。……何より、多分これ・・は俺如きの力では一度しか放てはしない。


「お前の全てを、喰らわせてもらうよ。強さも、誇りも、糧も全て!!!」


 身体が軋む音が、鳴る。

 辿れ、なぞれ、模倣しろ。


 俺の行く先は見えている。

 目指す先は頭へ深く刻み込まれている。

 最適解は常に用意されている。

 唾棄すべき劣悪な模倣。けれど、こんな劣悪ですら、きっと届くのだ。目の前のオーガツワモノに。


 一瞬の意識の間隙を突いて、俺は踏み込んだ。

 恐らく、次は存在し得ない。

 だから俺は、この一撃。

 確実につけるこの刹那の瞬間に全てを賭けた。

 最も、確殺に至れるであろうこのタイミングに。


「斬り裂けろよ————」


 ブチリ、と何かが断裂する音が聞こえた。

 ビキリ、と何かが軋む音が聞こえた。

 バキリ、と何かが毀れる音が、聞こえた。


 しかし、止まらない。

 振るう腕は、踏み込んだ足は、引き下がらない。何故ならば。そのわけは。その理由は。


 この絶技を今の俺が扱うには相応の代償が求められる事をあらかじめ理解していたから。そして、この技を扱う以外に勝ちの目はあり得ないと本能で分かってしまっていたから。だから。


「——————〝流れ星〟」


 この一撃で決めると。

 分を弁えない技に魅入られながら、俺は繰り出した。


 『星斬り』を夢見た剣士の、研鑽の果てにたどり着いた技を。その、模倣を。

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