第3話

「ユリウス」


 すっかり日は傾き、斜陽さし込む黄昏時。

 未だ鍬の残骸である棒切れ部分を手に、素振りを続ける俺の名を誰かが呼ぶ。

 それは、聞き慣れた声音だった。

 少しだけしゃがれた特徴的な親父の声。


「ソフィアちゃんを見なかったか」


 続く言葉は、どこか逼迫しているかのような。

 普段の親父らしくない感情が端々に込められた言葉であった。何かあったのか。

 そんな事を思い、俺は表情を僅かに歪めながら「いいや」と言い、首を横に振った。


「ソフィアなら、昼に一度見たっきりだけど……何かあった?」


 普段ならば、日が暮れても一向に自発的に素振りを止めようとしない俺を呆れ返った様子の親父が夕飯だからと連れ戻しにくるという最早、お決まりとなってしまっていたやり取りの繰り返しであったというのにどうしてか、今日だけいつもと異なっていた。


「向かった先に心当たりは」


 即座に返ってくる言葉。

 ただならぬ事情でもあるのか、俺の質問を度外視してまで立て続けに質問を投げかけるその様子は、焦燥感に駆られているようにしか見えなかった。


「……多分、いつも通り川のほとりだと思うけど」

「やはり外か……ッ」


 苦虫を噛み潰したような表情に一変させ、親父は忌々しそうに声をもらす。

 ソフィアが外に出かけるなんて常だろうに今日に限ってどうしてそんなに難しい顔をするのか。

 その理由に心当たりがなかった俺は堪らず、脇目も振らず駆けていこうとする親父に向かって、待ったをかけた。


「……何があったんだよ」


 親父に時間が無く、火急の用である事は一目瞭然だ。けれど、俺はそれでもと、もう一度尋ねた。否、尋ねずにはいられなかった。


「……村の外で、魔物を見たと言う者がいる」

「そんなの———」


 今更じゃん。と、俺は言おうとした。

 何故なら、ひと月ほど前から魔物の存在は確認されていたからだ。だから明日、討伐依頼を受けた冒険者がやって来るわけで、親父がそこまでして焦る必要のある案件とはとてもじゃないが思えない。


「ああ、そうだな。その魔物がゴブリンならこうも焦る必要は無かった」

「…………」


 俺は、言葉に詰まった。

 親父のその言い方だと、まるで村の外で目にしたという魔物がゴブリンじゃない魔物としか受け取れないから。

 ……いや、きっとそう言う意図を含めた物言いをあえてしたのだろう。


「……村の外で、オーガのような魔物を見たらしい」

「は?」


 反射的に上ずった声が出た。

 あまりに現実離れした親父の発言に、俺の思考は一瞬だけ真っ白となる。


 オーガ。

 それは鬼のような姿の魔物であり、ゴブリンの討伐レベルがFである事に対し、オーガは数段上のBランク若しくはCランク。オーガは個体の大きさで討伐ランクが変動する魔物で、脅威の差でいえば赤子と大人レベルで異なっている。


 ———いくらなんでも、見間違いじゃないのか。


 そんな願望にも似た考えが脳裏に浮かぶも、俺はすぐさまその思考をかき消した。

 魔物が主な住処とする森。その付近に位置する村落などでは最低限度の魔物に関する知識をまず先に教え込まれる。ゴブリン、オーク、オーガ。

 そういった魔物を見かけたにもかかわらず、放置していれば最悪、村中がパニックに陥る可能性が生まれるからだ。だから、村の人間にはまず先に魔物の知識を教え込まれる。


 だからこそ、見間違えだと安易に決めつける事は出来なかった。


「幸か不幸か、冒険者がやって来るのは明日……。本当にオーガであるならば、冒険者を待つ他ない」


 幸い、まだ日は落ちきっていない。

 まだ、ソフィアちゃんが帰ってくる可能性は十二分にあると親父は言葉を締めくくる。


 ゴブリンならばまだしも、オーガとなれば最早、逆立ちしても武に覚えのない村人が勝てる相手ではない。立ち向かう者がいるとすれば、それはただの死にたがりとしか映らないだろう。

 それについては、俺も親父と同じ意見だった。

 だけど。だけれど。


「……もし、日没までにソフィアが帰ってこなかった時はどうするんだよ親父」

「…………」


 どうしてか。

 俺のその問いに対して、親父はすぐに返答をしてくれなかった。


「……その時は、私達がなんとかする」



 親父の言う私達が、恐らく俺のような子供ではなく大人という意味合いである事はすぐに分かった。

 子供はお呼びではない。言外に言い含めたその考えは、驚く程容易に理解ができてしまった。


「ユリウスも今日は早く家に戻れ。母さんが心配してる」


 もし、村の外に出たのがソフィアではなく俺だったならば親父の対応は今と異なっていたかもしれない。何故ならば、所詮ソフィアは親父にとって親しい近所の子にしか過ぎないからだ。

 他人か、家族か。

 この差はやはりこういう場面で浮き彫りとなってしまう。


「……分かった」


 ソフィアが外に出る事はいつもの事だが、多少なりとも今回ばかりは俺も責任を感じてしまっていた。

 仮に、俺が彼女からの申し出に対し、素直に頷いていれば。詮無きことではあるが、こんな事態に陥ってしまったからだろう。そんな「もし」の想像がやけに働いてしまっていた。


「私は、この事を知らせに長の下へ行ってくる」



 察するに、親父はオーガの知らせを聞くや否や真っ先に俺のもとへ駆けつけて来てくれたのだろう。

 外は危険だと知らせる為に。


「真っ直ぐ家へ帰る事。分かったか? ユリウス」

「分かってるって」


 そんなに俺が信用ならないのか。

 親父はこうして再三にわたって確認を取ってくる。

 まだソフィアが帰ってこないと決まったわけじゃあるまいし、俺が何かしらのアクションを起こす筈もないだろうに。……というか。


「……なぁ、親父」

「なんだ?」

「もしかして親父って俺がソフィアが心配で堪らないと思ってるって考えてる?」

「そうだろう?」


 何を今更と言わんばかりに親父は、どこか気の抜けた面持ちの俺とは異なり、真顔で見つめ返してくる。


「お前、ソフィアちゃんとだけは仲が良いじゃないか」

「……ぁあ、まあ、そうなんだけどさ」


 仲が良いというのは少し誤謬がある。

 仲が良いというより、『星斬り』なんて馬鹿げた事を夢見る俺に構おうとする人間がソフィアだけだったという話。逆に、ソフィアはそんな異端児といって差し支えない俺のような存在に構って退屈しのぎをしていただけだ。

 周りから見れば仲が良く映るのかもしれないが、俺としては仲が良いと言われる事に対し、何故か納得がいかない。


「だから」


 前置きを1つ。


「何があっても、過信だけはするなユリウス」


 俺の親父は、村人は村人でも、少しだけ弓の扱いに長けた狩人と呼ばれる村人だ。

 鳥や、食用の魔物を時に狩ったりしている村人である。

 村には親父のような狩人が他に3人ほどいるが、ゴブリンは集団行動をする悪食の魔物。念には念をという事で冒険者の手を借りる選択肢を選んだ親父達狩人はどこまでも慎重な性格をしている。

 故の警告。


「棒切れを振るうのは構わない。それは体力錬成が村人として生きていく上で必要不可欠だからだ。たかが4年。棒切れを振っていた程度で己が強くなったとは思うな。それは、大きな勘違いだ」


 きっと親父は懸念していたのだろう。

 勝手に俺が勇んでオーガに相対しようとする事を。

 俺が、己が強くなっていると過信している事を。


「分かってる。そんな事は言われなくとも」


 しかし、親父のその懸念は必要なかった。

 何故ならば、俺は。ユリウスという少年は、世界中の誰よりも身の程を弁えた人間だからだ。

 過信をするだなんてとんでもない。自分が選ばれた者? 都合よく奇跡が起こる? 神さまが助けてくれる? 俺が強者?

 愚直に剣を振り続けた剣士の生涯を追憶した俺ほど、身の程を弁えた人間も世界に2人といまい。


 だからもし仮に、無茶をする事があるならば、それはきっと、何かの為に脇目も振らず理性をかなぐり捨てている時。そうまでして、成したい何かに直面した時だ。


「……なら、良いが」


 そう言って親父は、村長の下へ向かうべく俺に背を向け踵を返す。

 見慣れた背中。

 だというのに、どうしてか、親父の背中は普段よりもずっと小さく俺の瞳には映っていた。

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