第2話

「———俺は、星を斬りたいんだよ」


 俺がそう言えば、誰もが呆れた。

 同年代の奴らはみんな俺の事を笑っていた。


 分をわきまえるべきだ、と。


 ただの村人でしかない俺が、剣士を目指すどころか『星斬り』という現実離れした行為に憧れる。夢を見るのもいいが程々にしろと両親にだって呆れられたくらいだ。その憧憬に対し、肯定的な人間は俺の周りには誰一人として存在しなかった。


「星、ねえ……」


 ぶんっ、ぶんっ。

 と風切り音を響かせ、先端部分が折れてしまい、取っ手部分だけとなった鍬の残骸をひたすら上下に振り続ける俺を半眼で眺める童女。

 彼女の名は———ソフィア。

 俺の幼馴染であり、『星斬り』に呆れる人間の一人だ。


 あの鮮烈な夢をみたあの日から既に4年の月日が経過しており、俺は12歳となっていた。

 けれど、『星斬り』の熱は冷める事を知らず、それどころか、その熱は高まるばかり。


 だから俺は、あの日よりずっとひたすらに鍬の残骸を来る日も来る日も振り続けていた。


 誰がなんと言おうと聞く耳を持たない姿勢を崩さなかったからか、今や俺の村人らしくない行為に苦言を呈するのはこのソフィアただ一人だけとなっている。


「あたしにはユリウスの考えが全然わっかんない」


 そう言って彼女は、深いため息を吐きながらうな垂れた。


『格好良かったから憧れた。俺もなりたいと思ったから志した』

 それが『星斬り』を志す俺の原点。

 『星斬り』を夢見た剣士の生き様に憧れ、俺も彼と同様の情熱を抱いてしまったからこそ、こうして剣士の真似事をしている。『星斬り』を成し遂げるべく腕が上がらなくなるまでの素振りを4年もの間続けていたのだ。


 しかし、ソフィアはその考えこそが心底理解出来ないとばかりに嘆息してみせていた。

 だけど、仕方ないと思う。

 きっとこればかりは、俺と同じ情熱を抱かない事には理解出来ないだろうから。

 理屈とか、そういう問題ではないからこそ、尚更そう思わざるを得なかった。


「ユリウスはさ、冒険者になりたいの?」

「……ん?」


 作業のように、一定間隔で振るっていた腕の動きが少しだけ鈍る。それは、耳にタコができるほど投げかけられてきた質問。剣士を目指そうとする俺に対し、誰もが尋ねてきたありふれた質問だった。


「俺は……星を斬りたいだけだよ。星を斬れるのなら俺はなんでもいい」


 そう言って俺は、ソフィアの問い掛けに対して否定する。


 冒険者とは魔物を狩る事で生計を立てている者達の通称だ。剣士であったり、魔法使いであったり。

 冒険者を志す者の中にはそういった者達が数多く存在している。だから、彼女が俺にそんな問い掛けをしたのだろうと思った。


「……やっぱり、あたしにはユリウスの考えがわかんない」


 目に見える利潤追求の為であればソフィアもすぐに納得してくれただろうが、俺が剣を振るう理由は、それとは全く異なっていた。


 『星斬り』を夢見たあの剣士のような輝いた生を送りたい。俺も、彼と同じ情熱を抱きたい。そんな考えが根底に据えられている。だから、ソフィアにとって俺の考えというものは理解の埒外に置かれていた。


「そっか」


 元より、理解は求めていない。

 時に人をも殺す凶刃足り得る剣。

 それを当たり前のように振るう剣士を目指す理由は、どこまで煎じ詰めようが『憧れたから』。


 そこに行き着いてしまう。たぶん、他者には理解されないだろう。それこそ、俺と同じ熱を抱く者以外はあり得ない。そう、言い切れた。


 たがそれでも。

 俺が『星斬り』を志し、4年経った今でもこうして気にかけてくれるソフィアにだからこそ、言うべき事がひとつだけあった。


「……でも」

「……?」

「誰からも理解されない考えだとしても、でも俺は楽しいよ。以前までとは違って、世界が輝いて見える。惰性で生きるより、このくらい馬鹿げた目標を持ってる方が楽しい。そう思うんだ」


 鍬の残骸を振りながらそう口にする俺の発言が意外だったのか。ソフィアは一瞬だけ瞠目してから顔を綻ばせ、くすりと笑みをもらした。


「なんか、ユリウスって変わったよね」

「俺が?」

「うん。前まで死んだ魚みたいな目をしてたのに今は普通の人間みたいな目をしてる」

「…………」


 思わず、鍬の残骸を振るう手が止まる。

 が、それも一瞬の出来事。俺はどうにか持ち直し、再び素振りを開始した。


「……そ、そっか」

「なんかね、急に生気を帯びたというか。あたしにはその楽しさは分からないけど、でも傍から見ててもすごく楽しそう。4年前のあの日から、ずっと」


 4年前の、あの日。

 『星斬り』を夢見た剣士の記憶を見たあの日から、俺は『星斬り』を成すべく鍬の残骸である棒切れを手にし、朝から晩までひたすら素振りを行うようになった。時には異なった事もしていたが、基本的にはその素振りの繰り返し。


 村のみんなからは奇異の視線で見られるようになったあの日。きっと、ソフィアが言っているのはその時の事だろう。


「だからね。あたしも何かユリウスみたいに新しい事に挑戦しようって最近思ったの!」

「新しい事?」

「そう。新しい事! あたしね、実は治癒魔法の才能があるみたいなんだ。だから、この前村にきた司祭さまから勧誘されてるの。治癒師にならないかって」

「へえ」


 治癒師とは貴重な存在だ。

 誰しもがなれる職業ではない。

 何故ならば、治癒師に欠かせない治癒の魔法の才がある人間でなければそれは務まらないからだ。


 ソフィアにそんな才能があったのかと驚くと同時、ならばそれを活かすべきだろうと、頭を悩ませる彼女の背中を俺は少しだけ押す事にした。


「俺は、良いと思うよ」


 ぶんっ、ぶんっ、と素振りを続けたまま俺は言う。


「ほんとにっ?」

「うん。ソフィアには治癒師の才能があるんでしょ? なら、それを然るべき場で活かしたら良いと思うけどな。せっかくの才能を腐らすなんて勿体無いよ」


 また村から若者が減るだなんだと、俺がソフィアの背中を押したと聞けば村長あたりからどやされる気しかしなかったが、それでも、俺は心底そう思った。


 せっかくの才能を腐らせるべきではない、と。



「勿体無い、かぁ……よしっ。うん。あたし、司祭さまのお誘いを受けて治癒師になろうと思う!」


 数拍ほどの間を空けた後、ソフィアは握り拳を作りながら力強い声で俺に向かってそう宣言をした。


「でも、そうなると王都で一人ぼっちになっちゃうんだよねえ……」


 わざとらしくチラチラと俺に視線を向けて来るソフィアに対し、今度は俺が半眼で「……なんだよ」と物言いたげな態度をとる彼女に向かって言葉を投げ掛ける。


「だからさ。ね、ユリウス。一緒に王都に行かない?」

「俺が?」

「だってうちの村って、ユリウス以外で村を出ようとしてる同年代の子っていないんだもーん。それに、ユリウスはあたしの背中を押した張本人だし」


 閉鎖的なうちの村では確かに、俺やソフィアと同世代の者で村の外に出たがっている人間はいない。皆が皆、平凡に生を過ごし、終えようとしている人達ばかりだ。


 それもあってだろう。『星斬り』を志し、素振りをひたすら続ける俺の異常性は浮き彫りとなり、奇異の視線の的であった。


「王都に行けばダンジョンがあるよ? ユリウスは強くなりたいんでしょ? 少なくともここで素振りを続けてるよりよっぽど都合が良いと思うけど」

「……ん」


 ……確かに一理ある。

 思わずそう思ってしまったからこそ、反射的に悩ましげな唸り声が出てしまっていた。


 ダンジョンとは、先程ソフィアが言っていた冒険者と呼ばれる者達が稼ぎ場としている魔物の巣窟の通称である。

 愚直に素振りを続けるのも良いが、ダンジョンで魔物を相手にした方がお金も稼げて都合が良いんじゃないか。


 そのソフィアの言い分はどこまでも正論で、思わず頷いてしまいそうになる。

 でも、俺は彼女の言葉に対して首を横に振る事にした。


「俺もソフィアの言う通りだと思う。でも、俺はいいや」

「……なんで?」


 不機嫌に、彼女は顔をしかめる。

 それもそのはず。

 俺もソフィアと同じ意見と言っておきながら首を横に振っているのだから。

 矛盾もいいところだ。


「あと数年だけ俺はこの棒切れを振っていたい。まだまだ俺は村の外に出るには鍛錬が足りないと思うから」


 体力も、技量も。

 何もかもが俺には欠落している。

 だからもう少しだけ——。


「王都になら、ユリウスに剣を教えてくれる人がいるかもしれないのに?」

「それでも、だよ」


 俺にとっての剣の師は既に存在している。

 人ではなく、ただ記憶でしかないが俺にとっては唯一無二のお手本。憧れた原点だ。あれを辿ることこそが己のやるべき事であると信じて疑っていないからこそ、俺は彼女の言葉に対し、そう即答していた。


「むぅーーー」


 ぷくーっ、と頰を膨らませ、融通の利かない俺をソフィアは睨め付ける。しかし俺は、それを柳に風と受け流し、止めていた手を動かし、素振りを再開する。


「……知らない。もー知らないから! せっかくあたしが誘ってあげたのにそれを台無しにするようなユリウスなんて知らない!!」


 ヤケクソに背を向け、肩を怒らせながらわざとらしく足音を立ててその場を去っていこうとするソフィアであったが、俺が彼女を引き止めると思っていたのか。はたまた、引き止めて欲しかったのか。


 その歩幅は怒り心頭な様子とは打って変わって小さい。


「も、もういいもん! あたしは一人寂しく王都に向かうから!! 明日村に来る冒険者の方と心細く王都に向かえばいいんでしょ!」


 一向に去っていく彼女を引き留める気配が無かった俺の態度が気に食わなかったのだろう。

 再び俺に向き直り、あっかんべーっ! のポーズを取ってからソフィアは駆け出した。


「……冒険者、ね」


 小さくなっていく彼女の背中を横目に、最近、やけに聞く機会に恵まれていたその言葉を俺は小声で反芻した。


 村の外でゴブリンと呼ばれる魔物を村の者のひとりが目にしたらしく、王都にある冒険者ギルドへ討伐の依頼を村長が出したのが先月の出来事。


 どうにも、近辺で魔物の大量発生だなんだと意図せぬ物騒な出来事が立て続けに起きていたようで、Bランクの冒険者パーティーが村へやって来る事となり村長が自慢気に語っていたのがつい昨日の話であったからか。


 少しだけ思うところがあった。


「興味がない、といえば嘘になるけど」


 けれども、現時点において俺は冒険者になる気はなかった。


「それでも俺は————」


 だから、いくらソフィアからなろうと誘われても、俺は「分かった」と頷く事は出来なくて。


「————って。ソフィアの奴、あれほど村長から村の外に出るなって言われてたのに」


 彼女が駆け出した方角。

 それは、村の外に位置する川のほとりに続く道であった。


 ゴブリンを見かけたとされるひと月前より、村の外には出来る限り出ないようにしろと散々怒られていたにもかかわらず、ソフィアはこうして頻繁に外へ向かう。

 彼女曰く、どうにも、村の中にいるより外に出た方が落ち着けるのだとか。


「ま、あいつの事だから心配はいらないんだろうけどさ」


 やけにすばしっこい幼馴染の事を想いながら、俺は再び素振りに意識を向ける。

 この時の俺は、知る由もなかった。



 この出来事が、4年前のあの日と同様の分岐点である事を。俺は、まだ知らなかった。

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