星斬りの剣士
遥月
第1話
その日、おれは不思議な夢を見た。
平凡な村人でしかなかったおれは、どうしてか、一人の剣士の生涯を夢の中で追憶していた。
「痛っ……」
ズキン、とした鈍痛がじんわりと滲み込み、脳に伝達される。
強烈な頭痛と過剰過ぎる記憶の奔流が、おれの意識を覚醒させた。夢で目にした剣士は、強さに憧れていた。最強という言葉にするとあまりに陳腐な二文字に、心の底から憧れていたのだ。
そして、彼はその憧れに手を伸ばし続け、その果てに己が真に最強であると、『星を斬る』行為を以てして世界中に知らしめようと試みた愚直過ぎる剣士であった。
闇に覆われた夜天。
疎らに散らばる皎皎たる星々は、思わず自分の宝箱にしまいたくなるまでに、綺麗に瞳に映される。けれど、誰もそれを手にする事が出来ない。否、手の届かない場所であると誰もが自覚しているが故に手にしたいという原初の欲求すらも湧き上がらなくなっていた。
だから、ある剣士は考えた。
『そんな星を斬れば』己の剣の強さを万人に証明出来るのではないのか、と。
そして、それが正しいと信じて疑わなかった剣士は、『星斬り』を己の指針とし、血を吐くように渇望した。どこまでも広がる澄んだ
「星、斬り……」
追憶した剣士の根幹とも言える行為であり、言葉。どうしてか、それが無意識のうちに口を衝いて出た。不思議とその言葉はストンと胸の奥にはまり込むような、そんな錯覚におれは陥った。
次いで、その『星斬り』という言葉に妙な親近感を覚え、そしておれは希望を抱いた。憧れて、しまった。
ただひたすら同じ毎日を過ごす日々。
どこにでもいる村人としての暮らしに、もしかするとおれが自覚していなかっただけで、辟易していたのかもしれない。それ程までに、おれの言葉には今までにない熱が帯びていた。
「すご、い」
喉を震わせ、掠れるような声で言葉を紡ぐ。
頭痛による違和感が付きまとっていたが、それがどうしたと言わんばかりに、『星斬り』という言葉に焦点を当てれば当てるほど、痛みの残滓は薄れ、際限なく湧き上がる憧憬。
「すごい凄いスゴイ!!!」
飛び起きるように上体を起こしたおれは、目を爛々と輝かせながら夢の中で剣を振るっていた剣士を賛美する。
終ぞ、『星斬り』を成し遂げる事なく生を終えてしまった剣士であったが、彼の人生は輝いていた。彼の世界は、おれの心を釘付けにしてしまうほど美しく、どこまでも
希望に、満ち溢れていた。
「かっこいい、な……」
あの剣士ですら手が届かなかった御業とも形容すべき『星斬り』に。それを目指し続けた生き方に、おれはこの日この瞬間、心の底から憧れてしまった。
怠惰に、いち村人として日々を過ごしていたおれにとって、あの剣士の生き方というものはあまりに眩しくて。それでいて、思わず手を伸ばしたくなるような。
そんな、宝石のようなものであった。
「けど、剣士、か……」
おれは、ただの村人。
そこら中に掃いて捨てるほどいるような平凡な村人だ。
そんなおれが剣士を夢見て? それは、どこまでも分不相応な願いであると、すぐに自覚してしまった。
「……ううん。だけど、だとしても」
けれどおれは、分不相応と知りながらも先程の考えを振り捨てようと小首を右左にぶんぶんと振る。
「おれは、やってみたい」
今のおれは星を斬るどころか、まともに剣すら振れるか怪しい。なにせおれは村人なのだ。平凡なただの村人。
本来ならば剣を振るう機会に一度も恵まれなかったかもしれない生まれ。
仮に目指すとしても不安ばかりが募る。
けれど、おれには『星斬り』を成す為に身に付けるべき
「後悔だけは、したくないから」
自分には縁のない話であると、あの夢をおれは切り捨てられなかった。夢で見た色褪せない生の景色。
数える事が億劫になるまでに繰り広げられた凄絶な死闘の数々。傷つき、傷つけ合う事で切磋琢磨し合った何人ものライバル。
こんな場所で、ただの村人として無駄に生を終えようとしていた自分がどうしようもなく恥ずかしかった。愚かしいと思えてしまった。
たった一度しかないおれの人生を、そこら中にありふれた一人の村人としての生として終わらせたくなかったのだ。
世界は輝き、命は燃える。
生き方次第であんなにも輝いた人生が送れると知ってしまったおれに、後戻りをするという選択肢は既に存在していなかった。
あるのは、ひたすら前に進む道のみ。
そしておれもまたあの剣士と同様、『星斬り』を夢見るのであれば、少なくともあの剣士と同等以上の技量を身につけない事には話は始まらない。
人外染みた剣の技量。それを支える体術、経験、長年にわたって培ったであろう、勘。
それら全てを身につけない事には、あの剣士が立っていた土俵にすら上がれない。
だからおれは、『星斬り』を成すにあたって何が必要であるのか。それを強く理解し、頭の中に深く刻み込む。
「毎日ずっと同じ事の繰り返しより、ぜったいこっちの方が楽しい」
寝て、食べて、畑を耕して。
それだけの生活を送るより、絶対に『星斬り』を夢みた剣士が送った生の方が楽しい。それは逡巡なく言い切れた。
「だから、おれはやるよ」
誰かに向けて宣誓でもするかのように。
おれは希望と期待に溢れた感情を言葉に乗せて、吐き出した。
「……やる、じゃない。おれが、やってみせる」
年相応に幼さの残る口を愉悦に歪めながら、おれは歓喜を湛えた表情で言葉を並べていく。
「いつかあのそらに浮かぶ星を、」
いくら手を伸ばしても、届く気がしない星に向かって、おれは傲慢に宣うのだ。
「おれが、斬ってみせる」
8歳の誕生日を迎えたその日の夜。
おれは生き甲斐を見つけた。
果てしないまでに遠くに存在する憧れを、見つけた。
どうしてか、その日を境におれは自分の瞳に映る世界が輝きはじめたような。そんな、気がした。
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