第4話

「……ソフィアのやつ、一体何してるんだか」


 胸の内に渦巻いた不安に似た感情を押し隠すように、俺はそんな事をひとりごちた。

 時刻は、既に日が暮れて約30分ほど経過していたが、ソフィアの姿が見える気配は一向になかった。


 夜闇が辺りを覆い、視界を照らす明かりは村長宅を照らす光と、天から降り注ぐ星の輝きのみ。

 魔物は比較的、光に寄ってきやすい。だから、可能な限り寄せ付けないようにと今も尚、大人達が今後について話し合いをしているであろう村長宅以外の家宅に光はなかった。


「……はぁ」


 今日はどうしてか、外は肌寒い。

 吐いたため息も心なし白く見えたような、そんな気がした。

 家の外———誰かを待つかのように扉の前で立ち尽くす俺であるが、家の外へ出たのはつい先程。

 だから、村長宅でどんな話し合いをしているのかについて、俺は何も知り得てはいなかった。


 家の中にいる母親には、ソフィアが帰ってくるのを待ちたいと言うと家の外で待つくらいならと許可をしてくれた。きっと、親父と同様、母親も俺とソフィアの仲を勘違いしているに違いない。けれど、今回ばかりは都合が良かったのであえて訂正はしなかった。


「……あっちは一体、なんの話をしてるのやら」


 ガヤガヤとした喧騒が少し離れた場所からでも聞こえてしまう。とてもじゃないが友好的なものには思えない。

 どんな話をしているのか。気になってしまった俺は、少しだけと己自身に言い聞かせ、村長宅へと足を進めた。



「だから!!! オレ達は明朝まで待てと言ってるんだ!!」


 今まで一度も聞いたことの無い野太い声。

 男性のものであろうその声音が、まず最初に俺の鼓膜を揺らした。


「子供が一人、村の外から戻ってきていないんです……ッ。明朝だなんて遅過ぎる……!!」

「魔物は夜目が利く上、夜中はあいつらの本領が何かと発揮されやすい!! 今駆けつけたところでオーガどころか、ゴブリンですら危険な存在と化して襲い掛かってくる!! あんた達はオレ達に死んでこいと言いてえのか!? そんな義理がどこにあるよ!?」

「……ッ」


 威圧的な口調で言い放つ野太い声の男と会話を交わす男性。その人を俺は知っていた。

 何故ならばそれは、この村の村長であり、俺の幼馴染であるソフィアの父——アレクさんのものであったから。


 光が差し込む小窓からひょっこりと顔をのぞかせてみると、中では見たことの無い四人組の男性と、村長と親父含む村の人間5人ほどがいがみ合うかのように相対していた。本来、俺は世間知らずな12歳の村人である筈だった。けれど、あの日あの時見てしまったとある剣士の生涯が、俺と言う人間の人格などに強く作用した。そのせいもあって、魔物に対する理解も人一倍強い。


 だからだろう。声を怒らせる男性の言い分が正しい事が分かってしまった。

 だからだろう。都合よく奇跡なんて起こらないと達観してしまっているのは。

 だからだろう。一目見ただけだが、声を張り上げていた見知らぬ男達が冒険者と呼ばれる者達なのだろうと察せたワケは。

 だから、だろう。


 村長宅に乗り込むのではなく、俺がそこに背を向けるという選択肢を選び取った理由、は。


「なんで、だろ」


 自分自身ですらも未だ理解が及んでいない行為に疑問符を浮かべ、俺は苦笑いをしながらそらを仰ぎ見る。

 ずっと、ずっと遠くに輝く星が俺を見下ろしていた。


「勝てる自信がある? ……いいや、違う。今の俺に勝てるビジョンなんて浮かぶはずもない」


 相手は、大の大人ですら身が竦んでしまう魔物———オーガである。たかが4年。親父の言う通りだ。どれだけ凄い記憶手本があろうとも、俺が剣士を。『星斬り』を志したのは4年前。あまりにそれは浅く、少ない。

 自信を構築する要素たる場数と経験の量。

 それらが絶対的に足りていない俺が勝てる自信など抱けるはずもなかった。


 もし仮に、オーガと俺が対峙することになればそれこそ、命を賭ける必要性が生まれるはずだ。そうでなければまともに抗う事も出来ずに命の火は絶えてしまうから。

 ロクに自信もない俺が、ならばどうして。どうして。


「あーあ……ほんっと、なんでだろ」


 村長宅に背を向けた俺の足は、家ではなく、つい数時間前まで素振りを行なっていた場所へ向かっていた。


 そもそも、俺の成したいことは何か。

 それは———『星斬り』だ。

 その『星斬り』を成す為に俺は鍛錬を続けると他でもないソフィアに言ったばかりだ。己の技量が足りていない事なぞ、誰から指摘を受けるまでもなく自覚している。


 家で待っておけばいいじゃないか。他でもない俺自身だってそう思っているのだから。朝になれば冒険者の人達が討伐に向かってくれる。一縷の望みに賭けよう。まだ、最悪の事態が起こったと決まったわけじゃない。頭ではそう考えている筈なのにどうしてか足が動く。前に、進む。

 頭と足が離れ離れになってしまっているのではないか。そんな心配を思わずしてしまいたくなる迄に思考と行動が一致していない。


「同情したから? ……いや、たぶんそれも違う」


 冒険者であろう者の発言を聞く限り、ソフィアは半ば見捨てられている。だから、俺はそんな彼女に同情して——。


 そんな考えも浮かんだが、俺は即座に切り捨てた。

 俺は、正義感や情に溢れた人間ではないと己自身が誰よりも知っていたから。

 だったら何故。どうして、対峙すれば死ぬかもしれない相手と遭遇する確率が高い選択肢を俺は選ぼうとしているのか。最早、答えとなり得る選択肢なぞ殆ど残ってはいやしない。だから、どこまでも容易に辿り着けた。


「失いたく、ないから……か」


 4年前のあの日。

 俺の記憶の中へ鮮烈に刻み込まれた剣士の生涯。

 それ以降、まるで人が変わったかのように剣士を志した俺であるが、勿論、それまでに村人らしい人生も確かに歩んでいた。


『前まで死んだ魚みたいな目をしてたのに今は普通の人間みたいな目をしてる』


 俺と、ソフィアは幼馴染だ。

 それも、生まれた時からの付き合いといってもいい。

 『星斬り』を志す事にしてからは必要以上に絡んでくるようになったソフィアであるが、それ以前からもそれなりに友好的ではあった。

 だからだろう。昔から俺を見ていた人だから、そんな言葉が出てきた。


「ああ、たぶんそれだ。きっと俺は、死なれるのは嫌だったんだ」


 知り合いが。

 自分の記憶に存在する知人がいなくなる事が嫌だった。

 だから、こうして心配をしてしまっている。

 自分一人が向かったところで意味を成さない可能性の方が高いだろうに、足を進めてしまっている。

 それは、失う事はイヤだから。というどこまでも子供らしい思考に基づいた行動。多少、あの剣士の生涯を追憶し、達観めいた性格になっていたとしても根っこの部分は変えられない。

 自分は、まだ12歳の少年である事を自覚させられながら俺は、苦笑いを浮かべた。


「それに」


 良い機会じゃないか。

 言葉にこそしなかったが俺は笑みを深める。


「いつか、何かしらの壁は越えなきゃいけないと思ってた」


 それが、今日だったというだけの話。

 少し、時期が早い気もする。鍛錬が足りていない気持ちは否めない。だけど、よくよく考えて見ればあの夢で見た剣士ですら時間が足らず、『星斬り』を終ぞ成せなかったのだ。遅過ぎる事はあっても、早すぎるという事はない筈である。


「オーガ程度に臆して何が『星斬り』だ」


 臆す事は簡単だ。

 見て見ぬ振りをするのも簡単だ。

 簡単な事を成して、成して、成して。

 それを積み上げ積み上げ———どこまでも積み上げて。


 果てに『星斬り』にたどり着けるだろうか?

 あの、全てを捨てて死に物狂いで剣を振り続けた剣の鬼ですら手の届かなかった極地にそんなヤツがたどり着けるだろうか?


 答えは、否だ。



「……やる事は、決まった」


 記憶手本なら、ある。それも、極上とも言えるお手本が。


 あの剣士ならば恐らく、オーガ程度、歯牙にもかけないであろう事は容易に想像がついた。何しろ、俺はあの剣士の生涯を見たのだ。あの、壮絶な剣技を。

 だから、その剣士の記憶を正しくなぞれば、俺が負ける道理はないと言い切れた。


「これで懸念は、取り敢えず無くなった」


 実力が、経験が、技量が。

 一切合切、足りていないものだらけ。そんな俺が雑念を抱いたまま向かうなぞ、愚者にも程がある。


 今の俺が許されている事はただひとつ。

 無我夢中で、最善の結果を掴み取る。それだけだ。

 俺自身の実力や経験を含め、今現在、足りていないものはあまりに多過ぎる。

 だから余計な考えなぞ棄ててしまえ。

 懸念など抱くな。渦巻く疑問は霧散させろ。


 そう認識を改め、ふぅ、と息を吐く。


「やれるだけやろう」


 もし仮に。

 ここで俺がソフィアを見殺しにしたとしよう。

 きっとそれは、一生俺に付きまとう十字架となって背中にのしかかると断言が出来た。


 俺が生涯をかけて成したい『星斬り』。

 しかし、心残りが。重石を背負いながら斬れるほど、『星斬り』は易くない。後悔という悔恨を抱いたまま成せるほど『星斬り』は甘くない。

 だから俺は己自身の『星斬り』の野望の為に、ソフィアあいつを迎えに行くのだ。


 心の何処かに存在するソフィアが死んでしまう事を拒む己の存在を無視し、こじつけのような理由を並べ、そう自分に言い聞かせて、俺はまた一歩とその場から遠ざかった。


「あら?」


 村の外に位置する川のほとりに続く道を突き進んでいた俺に、またしても聞き慣れない声がやってきた。

 今度は、女性特有の少し高い声音。


 身なりは先程、村長宅で言い合いをしていた男達のものにとてもよく似ている。きっと彼女も冒険者なのだろう。瞬時に俺はそう判断した。


「ねえ、キミ。何処に行くの?」

「家。向こうに家があるからそこに」


 実際に、家自体は存在する。

 村の外に続く道の傍に一軒だけぽつりと存在する家が。


「そう。危険だからくれぐれも村の外には出ないようにね」

「わかった。ありがとうお姉さん」


 ただ、それがすでに使われていない廃墟で。

 俺の家とは別で。向かう先でもないという嘘で塗り固められた発言という事に、偶然すれ違った初対面の女性が気づけるはずもなかった。

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