第3話



 私が何故ミラン様に嫁げと言われたのか。

 その理由は、それから数日後に判明した。


 四大公爵家と呼ばれるアズウェル公爵家。

 その当主が、25歳に達して尚、嫁を取ろうとしない事には何か理由があると勘繰られる事を避ける為に父がならばと手を挙げたらしい。


 幸いにも、三姉妹であった事。

 ミラン様の家の格が高かった事。

 様々な要因が幾重にもなって重なった結果、こうして私が嫁ぐ。という結果が生まれたらしい。

 だからこそ、


(……ミラン様は、救いようがないくらい、バカな人だ)


 アズウェル公爵領に来てからそれなりに月日が経ったある日、私は、心の底からそう思った。

 彼の心の声を聞けば聞くほど、自分の幸せってやつが何処にも存在していないのがよく分かる。


 妻帯者になろうとしなかった理由は、間違いなくミラン様自身がどうやっても先に逝く未来しか見えていなかったから。


 だから、己が死んだ後に起こるであろう様々な光景を瞼の裏に思い浮かべた結果、彼は己の懐に誰一人として入れる事はしない。

 そんな、寂しい選択肢を掴み取っていた。


 そして、冷酷公爵なんて呼び名も、彼は肯定し、己の意志で吹聴している節すらある。


 印象深い〝冷酷公爵〟というレッテルさえあれば、幾分か統治も楽になるだろうから。

 悪い印象が先行していれば、たとえ後任者が平凡の域を抜けないとしても、悪いようにはならない。そんな気遣いが、聞こえてきたんだ。


 だから私は、バカだと思った。


 ミラン・アズウェルという人間は、自分の生はもう終わったものだと考えて、誰かの為だけに、行動をしているから。


 そして、自分が倒れた時に、私を生家に送り返そうとしている事も、知った。


 ……初めてだった。

 初めて、この人の心の声はちゃんと拾わなくちゃいけないと思った。何一つとして言ってくれないから。だから、私がちゃんと聞いてあげないといけないって思ったんだ。


「————またか」

「勝手にしろと、仰っていたので」

「…………」


 執務室の中。

 呆れを孕んだ声音が、私に向けられる。

 これでもう、こうして呆れられる回数も両の手では収まり切らなくなった頃か。


 いつも通り、臣下には忙しくない風を装い、その実、自分だけは徹夜で政務をこなして。

 そんな彼に夜食を日を跨ぐ寸前に持っていく。


 そろそろ、その行為が習慣化されつつあった頃、走らせていたペンを置いてミラン様は片手で頬杖をつきながら、私に向かって口を開いた。


「……怖くはないのか」


 それは、窓越しに見える夜の事だろうか。


「俺の事が、怖くないのか」


 言葉足らずだったと気付いたのか、言い直される。

 お陰で、一瞬前に抱いた感想が間違いであったと理解する。


 ……やって来た問いというものは、実に今更な質問だった。


「……何故、私がミラン様を怖がらなければいけないんですか」


 無性に、衝動に駆られる。

 私は全部知ってるんだって、吐き出したくなる。


 何より、言ってしまいたかった。

 どうして、自分の幸福が貴方の行動の中に一つとして存在していないのか。

 何処にもないのかって、心の声でいいから聞きたかった。


 たとえ致命的な何かが音を立てて崩れるとしても、言ってしまいたかった。

 ただ一言————どうしてって。


「実際にひどい事をしてきた相手でもない限り、怖がりはしません。噂ひとつで怖がるなんて、失礼じゃないですか」


 でも————言えなくて。

 一歩踏み出せばいいだけなのに、それが出来ない自分に嫌気がさした。


 初対面の時こそ、ミラン様の鋭い眼光に当てられて若干及び腰になっちゃったけど、本当に、それだけ。そんな感想を胸のうちに仕舞い込みながら、私は言葉を返した。


「……そうか」


 その場逃れの取り繕いでなく、それが私のまごう事なき本心であると悟ってか。

 嬉しそうに、ほんの僅かだけどミラン様が口角を吊り上げたように見えたのは私の願望、じゃない……と思う。


「……しんどい時は、ちゃんと休んで下さい」


 ここ最近はずっと徹夜をしていて、本当に寝ているのかすらも分からない。

 臣下や使用人の方々は、ミラン様には何を言っても無駄だと諦めてしまったのか、私が夜食を持っていくと知った方々から、軽くでいいから私の口からも言ってくれと頼まれたくらい。


 だから、その頼まれごとを果たす事にした。


「言われずとも、ちゃんと休んでいる。誰にも迷惑をかける気はない」


(……流石に明日辺りは、休んでおくか)


 続け様に聞こえてきた心の声が、先のミラン様の発言がただの出鱈目でしかなかったと裏付けてくれる。やっぱり、全然休んでないじゃないですかって責め立てたい気持ちをどうにか押し殺して、疑いの視線だけ向けておく。


「もしかしなくとも、今日はそれを言いに、わざわざここへ来たのか」


 夜食を届ける際、いつも私はその時にミラン様に話しかけていた。


 ある日は、私にも手伝える事はないか。

 またある日は、好きな物は何か。

 そのまたある日は、何気ない世間話を。


 だからきっと、彼の口から「今日は」なんて言葉が出てきたのだと思う。


「御迷惑でしたか」

「いいや。シェリア嬢に、勝手にしろと言ったのは俺だ。それに、少し休みたくもあった」


 故に、言葉を交わすこの時間は丁度良かったのだと、ミラン様は言う。


 やがて、沈黙が降りる。

 外は暗く、ひと気もない。

 それも相まってか、耳が痛い程の静謐が瞬く間に部屋に充満した。


「一つ、いいか」


 そんな中、少しだけ不思議そうにミラン様は言葉を紡ぐ。そして、私の反応を待たずに続きの言葉が口にされた。


「どうして貴女は、そうやって俺に節介を焼こうとするんだ」


 不思議で仕方がないと言わんばかりの物言いであった。


「……駄目、でしたか?」

「駄目じゃないが、5年以内に必ず俺と貴女の関係は白紙に戻る。もう少し、建設的な事に時間を費やしたらどうだ」


 まるで、自分と過ごす時間は無駄であると遠回しに指摘するその口振りを前に、どうしようもなく儚い気持ちに見舞われた。


 私の事が嫌いだとか、構われる事に嫌悪を抱いていない事は知っている。

 でも、彼のその言葉は、彼にとって紛れもない本心だった。


「建設的な事に時間を、ですか」

「ああ、そうだ」


 優しい声で肯定してくれる。

 だけど私に言わせれば、ミラン様のその言葉は私にではなく、彼自身に向けるべき言葉であると思った。


 余命は、長くて5年。

 なのに、毎日毎日、政務、政務。貴族としての責務の繰り返し。


 貴方こそ、限られた時間をもっと建設的な事に費やすべきじゃないのか。少しでも、心残りがないように人との関係を最低限にとどめるのではなく、後悔のない人生ってやつを送るべきなんじゃないのか。


 ……そう、思ってしまったからなんだと思う。


「……ミラン様こそ、もっと建設的に時間を使おうとは思われないんですか」


 私が、そんな失言をしてしまった訳というものはきっと、そんな理由だった。


「……生憎、器用な人間じゃなくてな」

「違います。私が言いたいのは、そういう事じゃ、ないんです」


 効率のいい人間じゃないから、徹夜する羽目になった。

 ……違う。私が言いたい事は、それではない。


 でも、核心をつく事はやっぱり憚られて。

 口籠もり、視線は泳ぐ。

 そんな私の様子を見かねてか。


「改めて思うが……ファウザー卿から聞いていた印象とは随分違うな」


 ミラン様が、そう述べた。


「もう既に何度か言ったが、俺は貴女の事を引っ込み思案な少女と聞いていた。家族であろうと、誰に対しても壁を作る少女だと、な」


 それが今はどうだ?

 とてもじゃないが、同一人物とは思えないな。


 笑い混じりに、言葉が付け足される。


「…………」


 返答の最適解はちっとも浮かんできてくれなくて、閉口したまま、時が過ぎてゆく。

 私だって、こうなるとは思いもしてなかった。


 新しい環境だ。

 どうせなら、変わった人と出会えたらな。

 なんて思っていた。


 けど、まさか私が、忌み嫌っていた〝心の声を聞く事己の才能〟を、己の意思で進んで使って声を拾い、そして誰かの為に何かをしようとする。


 そんな状況に陥るとは夢にも思わなかった。

 でも、不思議とそんな状況が悪くはなかった。

 彼の心の声は、綺麗なものばかりだったから。


「……自分の意思を、伝える事が苦手だっただけです」


 本当は、誰かともっと関わりたかったし、お話もしたかった。

 心の声が聞こえるからと、自分勝手に遠慮をしていただけなのだと。


 言外にそう言うと、「なるほどな」とだけ呟くミラン様に、仕方がなさそうに笑われた。


「俺は、話しやすかったか」


 少しだけ嬉しそうで。

 ……でも、表情の端々に哀愁に似た感情も、散りばめられていて。


 続けられる心の声は、自分は後5年しか生きられないというのに。

 そんな事実を幾度となく反芻して、私を憐れみ、そして、申し訳なさといった感情などがぐるぐると堂々巡りを繰り返していた。


「……放っておけないんです」


 ————自分でも、不思議だけど。


 胸中で言葉を付け足しながら、呟く。

 その一言は、私自身ですらも驚く程に感情が籠っていた。


 十も歳が離れている相手に、放っておけないと口にする。それがどれ程傲慢で、余計なお世話で、要らぬ世話だと思われたとしても、言わずにはいられない。


「話しやすいとか、そうじゃなくて放っておけないんです。聞こえるから、、、、、、……っ、余計に! 悪い人じゃないって分かってるから、、、、、、、……っ! 貴方の、事は……」

「…………」


 ものすっごい複雑な表情を向けられる。

 自分でも、そうされる覚えはあったし、めちゃくちゃな発言しちゃったなって自覚もあった。


 でも、そんな破茶滅茶な言葉でも、私がミラン様の〝何か〟を知っている。

 という事実は伝わったのか。


「……では、俺はどうすればいい? シェリア嬢」


 物分かりの悪い幼児をあやすような。

 晩年の老爺が孫に向けるような慈愛に満ち満ちた視線が向けられる。


 その態度は、私が子供でミラン様は大人。

 性別の差ですらなく、私と彼の間には埋められないものがあるのだと言わんばかりの物言いだった。


 だけど、言葉を聞いてくれるのであれば、どんな態度であっても私からすれば些細なものであった。


「ご自分のお身体を、もっと大事にして下さい。使用人や、臣下の皆さんだって、ミラン様の事を心配しておられます」


 ミラン様には内緒で、複数人の臣下の方が暇を出し、病気を治す手掛かりや、医者を探しに回っている。という事も、使用人達の心の声を何度か聞くうちに知り得た。


「……誰かに吹き込まれでもしたか」

「私の意思です」


 そこに使用人の方々彼らは関係ないと一蹴する。


 するとやがて、深い深い溜息がやってきた。

 私に見せつけるように行うソレは、数秒にも渡って続く。


「……俺は、とんだじゃじゃ馬を引いたらしいな」


 でも、言葉とは裏腹に、ミラン様は存外嬉しそうでもあった。多分それは、私の勘違いなんかじゃない。心の声を聞かずとも、そんな確信が私の中にあったんだ。


 たぶん、私が彼を放っておけないと思う最たる理由は、彼が私と同類だと思ったからだ。


 ミラン様この人は、強がりなんだ。

 心の裡なんてものは、必要最低限しか打ち明けてはくれなくて、何もかもを一人で抱え込んでしまう。


 〝冷酷公爵〟、なんて呼び名が付いたキッカケというのも、多分その性格に起因していたんだと思った。


「ミラン様」

「なんだ?」


 不敬だとか、失礼だとか、もう何もかもが今更。だったら、ここで何もかも打ち明けてぶちまけちゃえ。


 そう思ったから私は、


「もし……もし私が、人の心の声を聞くことが出来る、と言ったら信じてくれますか」


 明言はしなかったけど、己の秘密をそれとなく言う事にした。


「心の声、か」


 冗談の類であると取り合わないのではなく、ミラン様は私のその妄言としか思えない発言に、ちゃんと取り合ってくれているようであった。


 やがて。


「それじゃあ、試しに俺の秘密を言ってみてくれないか。ちゃんと、心の中で打ち明けておくから」


 冗談であれば、冗談でもいい。

 このタイミングによる私の先の発言は、単にミラン様を心配していたが故の出まかせだったとも取れるもの。


 だからこそ、彼は微笑を唇のふちに浮かべながら、私にそう問い掛けていたのだろう。


 程なく、聞こえて来る心の声。



 ————俺の余命は、長くても後5年しかない。



 その内容というものは、まごう事なき、彼の秘密であった。


 ……でも、私は馬鹿正直に、聞こえたその声を言葉に変える気はなかった。

 私がミラン様に節介を焼こうと思ったキッカケではあるけれど、一番の理由はそれとは違うものであったから。


 だか、ら————。



「人一倍、強がっちゃうところだと思います」



 聞こえた心の声に背を向けて、私はそう答えた。


「———————」


 ミラン様は、やや大きく目を見開いて驚いているようであった。

 でも、その変化も次第に収まってゆく。


(……強ち、間違いでもないか)


 苦笑いをするかのような、そんな心の声を聞きながら、


「……確かに、シェリア嬢は人の心の声が聞こえているのかもしれないな」


 冗談半分のような調子で、肯定をした。

 少し困った彼の表情を目にしながら————私は初めて悪くないと思えた。


 まだ、数週間程度の付き合い。

 でも、弱音なんて一切吐いてくれなくて、自己利益は二の次。何もかも抱え込んじゃうような、そんな人の力に少しでもなれた気がして、嬉しかったんだ。


 忌み嫌っていた筈の〝心の声を聞く能力この才能〟が悪くないと、初めてそう思えたんだ。

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心の声が聞こえる公爵令嬢と冷酷公爵様 遥月 @alto0278

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