第2話


「————何かあれば使用人に申しつけてくれればいい。面倒事さえ起こさないなら、俺はあんたの行動に何一つとして関与しない。以上だ」


 色のない声だった。

 数日掛けてアズウェル公爵領に辿り着いた私に向けられたソレは、好も悪も存在しない何もかもがどうでも良いと言わんばかりの無色透明の声音。


 それが、私の嫁ぐ相手——ミラン・アズウェルから初の邂逅で告げられた言葉であった。

 さながらそれは、仮面夫婦をしてくれと、言われているようであった。

 否、事実そうなのだろう。


 だとすれば、長女であるアナスタシアお姉様や次女であるミカお姉様でなく、三女でも構わないと答えた事にも頷ける————そう、思っていたんだけれど。


 アズウェル公爵領に着いてから数日ほど経過したある日、私はミラン様に失礼を承知で尋ねる事にしていた。


「ファウザー公爵家……いえ、私との婚約を進めた理由は、一体どのようなものなのでしょうか」


 心の声が読める私であったけれど、絶望的なまでに会話する機会に恵まれなかった為、彼の考えについて、私は何も知る事は出来ずにいた。

 それもあって、私は少しばかり強引に会話をする機会を作ってこうして問い掛けていた。


「一番口出ししてこないと思ったからだ」


 隠す程の事でもないと口にされる返事。

 簡潔に、一言で纏められた言葉が私の鼓膜を揺らす。〝愛〟なんてものを求める気はなかったけど、どこまでも無機質な声音が私の下に届いた。


 そして、待てど暮らせど一向に心の声は……聞こえてこない。

 それが嘘偽りのない答えなのだと言わんばかりに。


 ここ数日、ミラン様の屋敷でお世話になったから分かるけど、彼の心の声が聞こえないわけではない。

 これはただ、ミラン様がどこまでも私に興味がないだけ。胸の中で感想を抱く余地すら生まれない程に、興味がないだけ。

 だから、心の声が一切聞こえてこない。


 本来であれば、その冷え切った態度に少なからず、落胆だとか、悲しみだとか、辛苦のような感情を抱く事になっていたのかもしれない。

 でも、私だからこそ、か。

 それらの感情とは無縁だった。

 だから寧ろ、忌憚のないその言葉に感謝の念すら抱いた。


 故に、不平不満を垂らすどころか、私は少しだけそんなミラン様の事を知りたいとすら思ったんだ。



 ————冷酷公爵。


 これが、周囲からのミラン様の評価であり、誰もが知る彼の印象。

 使用人達がミラン様に怯える様子は一度として見たことはないけど、アズウェル公爵領に出入りする商人や、貴族諸侯は決まってビクビクとした怯えた態度を取る。


 事実、彼の行動は何かと過激なものが多く、強ち、尾ひれがついた噂話というわけでもなかった。


「————それで」


 既に辺りは夜闇に染まっており、すっかりふけた夜半の頃。

 普段と何一つ変わらぬ姿で政務を行うミラン様に、呆れの視線を向けられながら私は彼の目の前に立っていた。


「これは?」

「夜食、です」

「……」


 机の上には、軽食がひとつ。

 それと私をゆっくり見比べるミラン様の眼差しは、奇妙なものでも見るかのようなものだった。


「頼んだ覚えはないが」

「その、必要かと、思いまして」


 この数日で噂で聞く冷酷公爵という名前が誇張されたものであるとは分かっている。

 でも、精悍な顔付きながら、どこか怖いと思ってしまう鋭い目つきに当てられた事で少しだけしどろもどろに近くなってしまった。


 すると、何を思ってか。

 ミラン様はつい先程まで紙に走らせていたペンを置き、殊更に深い溜息をひとつ。


「……機嫌を取らずとも、俺は貴女を無下に扱うつもりは無い」


 責めてはいなかった。

 でも、褒められてもいなかった。

 ただ、ただ、呆れていた。

 本当に、彼の感情はそれだけだった。


「……ファウザー卿から貴女の事は、引っ込み思案な少女と聞いていたのだがな」


(だからこそ俺は、貴女でも良いと返事をしたというのに)


 父から聞いたであろうその言葉に、間違いはなかった。

 ……ただ、引っ込み思案というより、人とあまり関わろうとはしない。が、正しかったけれど。


 やがて、ミラン様は椅子から立ち上がり、私が持ってきた軽食には目もくれずに「……先に話しておくべきだったな」と前口上を述べてから語り出す。


「俺と貴女の縁談は、遅くとも5年以内には破棄される事になっている」


 その言葉は、正しく青天の霹靂と言えるものであった。


「本当は、嫁などいらんと突っぱねたのだがな」


 誰かからそれはダメだと叱責されでもしたのか。空笑いするその表情が、全てを物語っていた。


 でも、破棄する理由は教えてくれないのか。

 そこで話は終わり、


「……まぁ、そういうわけだ。貴女が屋敷に来た初めの日にも言ったが、面倒事を起こさないのであれば、俺は貴女の行動に何一つとして関与はしないし、夫婦の真似事も、ましてや、貴女が俺の機嫌を取る必要も一切ない」


 そしてやって来る、私という存在を突き放す言葉。向けられる瞳には、取り繕いようのない決定的な「拒絶」の意志が湛えられていた。


「……この夜食は貰っておくが、今後一切、こういった気遣いはいらない。分かったら早く寝てくれ。シェリア嬢」


(———————)


 それだけ告げて、ミラン様は何事も無かったかのように席につき、政務を再開する。

 でも私の足は、すぐに動いてはくれなかった。


 頭も、あまりよく回っていなかった。

 彼の言葉に首肯するという行為すら忘れて、信じられないという感情に埋め尽くされていた。


 そして今日この時この瞬間以上に、〝心の声を聞く能力己の才能〟を恨んだ事はきっと後にも先にもない。そう、断言出来た。



 ————余命5年。



 長くても、5年しか生きられない。

 そんなミラン様の隠し事を、私は知ってしまったんだ。

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