第5話


 †



「……にい、さん」


 過去の私は、か細くなった声で、兄を呼んだ。


 意地っ張りな兄だった。意地悪で、捻くれてて、嘘つきで。でも、そんな兄の事を私は嫌いじゃなかったし、婚約者であるクラウスも兄にそれなりに懐いていた。


 でも、お別れは突然やって来た。



「……し、く、ったなあ……」


 唇を、痙攣する歯で必死に噛み締めながら、兄は言う。痛そうに、つらそうに。

 そして、やって来る未来がどうやっても避けられないものだと知って、悲しそうに瞳から雫を零れ落としていた。


「いける、って、思ったんだけ、ど」


 ひゅー。ひゅー。

 刻々と弱くなる息の音と共に、兄は言葉を続ける。


「ごめ、ん、なさい。ごめんなさい。ごめん、なさい。ごめんなさい……」

「ぼくが、勝、手にやったことだ。あやまるな、よ、アイファ」


 血だらけの兄の手が、私の頭を優しく撫でた。

 弱々しい手つきでゆっくりと。


 誰のせいでこうなったのか。

 そんなものは、考えるまでもなかった。


 私のせいだった。


 私が、魔法を上手く使えるようになったからって。私が、だから、みんなの為にって。そして、慢心して、油断して、そして、致命的なミスを犯しかけて……そして、兄に助けられた。


「で、も」


 私は守られた。

 でも、守ってくれた兄はそのせいで致命傷を負う羽目になった。身体の、右半分。

 あるべき筈のものが、ごっそりと抉れ、消し飛んでいた。顔からは血の気が失せて、蝋燭の最後の瞬き程度の時間しかもう残されてないって、理解したくなくても、理解するしかなかった。


「うる、さいな。妹は、黙って兄に守られとけばいい、んだよ……」


 謝罪なんていらないし、するなって怒られる。

 頰を伝って落ちてゆく涙を、咎められた。


「そう、だよな、くらうす」


 もう、話す事すらしんどかっただろうに、にぃっ、と口角をつり上げて笑いながら、慌てて駆けつけて来たクラウスに、兄は言葉を向けた。


「……ああ」


 否定をする筈もなかった。

 クラウスは、ただ、兄の言葉に頷いた。


 良い返事だ。


 そう言わんばかりに、ほんの少しだけ、兄の笑みが深くなった。


「アイファは、おっちょこ、ちょいだし、あぶないし、注意力、散漫だし、やさしすぎるし、ほん、と、だめだめで、みまもってやらないと、よるもねむれない」


 散々だった。

 兄の中で、私の評価は底辺の中の底辺だった。


「で、も、さ。かわいいいもうとなんだ。おまえ、なら、わかるよな、くらうす」

「…………あ、あ」


 邪魔をしちゃいけないと思った。

 恥ずかしいとか、そんなものは抜きで、邪魔をしちゃいけないと思った。兄の言葉を、遮るわけにはいかなかった。


「なかせたら、ころす」

「分かっ、てる」

「は、っ。なら、いいんだ」


 光が失われつつある兄の瞳が、空を向いた。


「……そう、だ。あれ、おしえてやるよ。ぼくの、とっておきのまほう。さいごに、おまえらふたりにだけ、ぼくの、まほうをおしえてやる」


 お前ら、前からずっと知りたがってたよなって。これが最期だからって、聞きたくない言葉が重ねられる。やめてと言いたかった。

 でも、言葉はなぜか、出て来てくれない。

 言葉の代わりに、輪郭を沿うように涙が流れるだけ。止まらなかった。ちっとも、止まってくれなかった。


「〝貫き穿つ剣群ぐらでぃうす〟、って、いうんだ」


 かっこいいだろ。

 って、言葉を溢して、ぽつりぽつりと、これまで教えてくれとせがんでも、一度としてその魔法を教えようとしなかった兄は語り出した。



 やがてやってくる、避けられない終わり。別れの瞬間。兄が話す間、必死に治癒の魔法を使ってたのに、無情なまでに効果は見られなくて。


 なのに、自分の作ったとっておきの魔法を語った兄は、満足そうに笑っていた。

 悔いはないって。

 後悔はないって、言わんばかりに。


 その笑顔が、どうしようもなく私の胸を締め付けた。でも、笑わなくちゃいけなかった。

 兄に言われたから。あやまるなって怒られたから。だから、頑張って、取り繕う。


「こん、な世界だけど……」


 戦争の絶えない騒乱の世界。

 理不尽な不幸が、彼方此方に転がっているこんな世界だけど。


「おまえらは、しあわせになれよ。おにあい、だからさ」


 その言葉を最後に、兄の声は聞こえなくなった。



 †


 魔法なんて、使うものじゃない。

 使わないで済むならそれが一番だ。

 私は、変わらずそう思ってる。


 色んなことがあった。

 色んな思い出があった。


 そこには絶望があって。後悔があって。諦観があって。悔恨があって。


 魔法を恨んで。

 魔法に救われて。

 魔法と、共に生きて。


 結局、一番魔法を恨んでいた筈の人間が、誰よりも上手く扱えるという皮肉な現実が出来上がった。



「——————」


 どさり。

 殊更大きく響いた落下音が、周囲の人間を現実に引き戻した。魔法陣から出現した剣に串刺しされ、息絶えた魔物の死骸。


 その異常性を指摘するように、教員の人達は全員が私に瞠目していた。


 でも、この時この瞬間に限って言えば、それは好都合だった。


「————いくよ、メル」


 親友の手を掴み、私は教員達をおいてその場から抜け出そうと試みる。

 そんな折、


「————こっちだ。ついてこい」


 教員達とは、違う反応を見せていた三学年のウェルグが、私達に向けて言葉を飛ばす。


「っ、あっ、ちょっと、お前達!! それに、ウェルグ!! お前ッ!!!」


 行動を止めようとする教員達から逃れるべく、私とメルはウェルグの言葉に従って走り出した。

 でも、先の魔法のお陰である程度は大丈夫であると判断してくれたのか。


 追いかけて来る勢いは緩やかなものだった。



 †


「お前、ランガスの妹だろ」


 走る事数分。

 私達がウェルグさんに連れてこられた場所は魔物の発生場所————ではなく、そこから少し離れた開けた場所であった。


 きっと、教員の人が私達を深追いしなかった理由はここに向かっていると気付いたからなんだって、遅れて理解する。


「目元がよく似てる。それに、あいつはよく一個下に妹がいるって話してたんだ。お前の事なんだろ?」


 そしてウェルグさんの視線が私達から外れて、ある場所へと向かう。

 そこには包帯を巻かれ、木の幹にもたれながら休養を取るランガスがいた。


「行ってやれよ、治癒魔法くらい使えるだろ」


 私達がこの場にやって来た理由をいつ、理解したのだろうか。

 そんな疑問に頭を悩まされる私は彼の言葉に従って慌てて駆け寄って行くメルの姿を見詰めながら声を掛ける事にした。


「……あの」

「〝想いを繋げアンカー〟」

「……?」

「この言葉を、何処で知った?」


 ————前世の名残り。


 その問いに対して正直に答えるとすれば、この回答が正しい。でも、流石に信じる方が間抜けとさえ言えるそんな回答をするわけにもいかなくて。


「……忘れちゃいました。随分と、昔のことだった筈なので」


 気付いたら、口にするようになっていた。

 そんな言い訳をして、言葉を濁す。


 ただ、単に気になっただけだったのか。

 ウェルグさんが「そうか」とだけ告げて、会話は終了した。


「……良い魔法だな」


 きっと、その言葉の向かう先は、少し前に展開した魔法——〝貫き穿つ剣群グラディウス〟。


 前世とはいえ、自慢の兄から教えて貰った大切な魔法思い出だ。褒められると、自分の事のように嬉しく思えて、つい、頰が綻んでしまう。


「……ウェルグさんって、三学年の方、なんですよね?」

「服を見れば一目瞭然だろう」

「あ、いや、そうなんですけど」


 言葉に詰まる。


 かれこれ一年以上学院に通ってる身だというのに、私は初めてウェルグさんと出会ったような気がしてた。だから、本当に魔法学院生なのかなって疑問に思っていたんだけど。


 ……それを、悟ってか。


 少しだけ悩む素振りを見せたのち、


「俺はあんまり、学院にいないからな」


 若干言い辛そうに、そう答えてくれた。


「探してるんだ」


 どうして、って問いかけるより先に、ウェルグさんの言葉が続く。


「離れ離れになった大事な恋人を、探してるんだ」


 どこまでも、真剣な声音だった。

 絶対に、どこかにいる筈なんだって、言葉から感情が滲み出ていた。

 きっと、大事な人なんだろう。とっても。


 例えるなら、私にとっての、クラウスのような。


「……そう、だったんですね」


 だから嘘を言っているようには、思えなくて。

 生返事だとか、適当に言葉を返すべきじゃないと思ったから、私は言葉をゆっくりと自分で考えてから口にする事にしていた。


「————だけど、17年。17年だ。17年もの間、一切掴めなかった手掛かりが、やっと掴めた。こんなに近くにいただなんて、想像だにしなかった」


 紡がれる言葉。

 そこには喜びがあった。嬉しさがあった。幸せがあった。

 私にはよく分からないけど、ウェルグさんにとって良い事があったんだと思う。


「なぁ……名前、教えてくれないか」


 そういえば、まだ名乗ってすらいなかったんだっけ。と、思い返しながら「アイファです」と答えると、何故かウェルグさんはポカン、と呆気に取られてしまう。


 何か引っかかる部分でもあったのだろうか。


 でも、それも刹那。

 すぐにその驚きの感情は、なりを潜めた。


「……良い、名前だな」

「どうも。と言いたいところですが、女の名前を褒めてたら、彼女さんに怒られちゃいますよ」


 たとえ、側にいないとしても。

 恋人がいるならそこのところは気を付けておいた方がいいとアドバイスをすると、何がツボに入ったのか。ぷくく、と身体を振るわせてウェルグさんは笑い出した。


「……あぁ、いや、悪い。確かに、お前の言う通りなんだが、心配はいらん。あいつも、この名前なら、、、、、、褒めても怒らないだろうから」


 ……なにそれ、変なの。


 そんな感想を抱きながらも、私は気にしないように努める事にした。


 やがて。


「まだ、動けるか」


 何かが吼える音が響き渡ると同時、ウェルグさんの声が私の鼓膜を揺らした。


 視線の先にはそれは大きな魔物が数体。

 きっとそれは、魔法は使えるか、という確認なのだろう。


「問題ありません」

「そうか」


 後ろにはメルのお兄さんや、他の三学年の方。一部の怪我を負った教員の人がいる。

 だから、動ける私は、役に立たないと。


 私の魔法は————こういう時の為にあるのだから。


 そして、


「————〝想いを繋げアンカー〟————」


 魔法の言葉を口にする。


 ————それ、どんな意味があるんだ?


 ずっと昔に、クラウスが私に投げ掛けてきた問い。他国の王子であったクラウスにとっては、至極当然の疑問であった。


 ————想いを繋ぐおまじないだよ。私は、俺は、ここに居るんだって、知らせる為のおまじない。


 誰かが言った。


 死に逝く死者の想いすら繋いで、魔法を紡げ。


 全てを力に変えて、想いを形に。


 ————みんなが一つに。って感じがして、かっけーと思うがね。ぼくはさ。


「……変わらないな、お前は、やっぱり」


 兄の言葉を。己の言葉を。クラウスの言葉を。

 懐かしい言葉を思い返しながら、魔物を討伐するべく、私は声を上げる。


「〝貫き穿つ剣群グラディウス〟!!!!」


 ————〝魔無し〟のインチキ女、上等。


 私の魔法は、守る為だけにあるものだ。

 たとえ己を除いて誰にも理解されないとしても、この誓いにだけは嘘はつけない。つく気は、ないんだ。


 こんな不器用な私を、それでも愛してくれた人達がいたから————。

 たとえ五百年も昔の前世の話だろうと、関係はなかった。



 そして私は、魔物の下へと駆け出した。



 ————いつまでも私の魔法は、誰かを守る魔法であり続けられますように。


 そう、願いながら。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

二度目の人生で巡り逢う奇跡に〜二度と魔法は使わないと誓った転生令嬢のお話〜 遥月 @alto0278

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ