戦闘服は制服! ②
――篠沢商事ビルに着き、地下駐車場で彼の愛車を降りると、わたしと母は彼からその場であるものを手渡された。
「……? 桐島さん、これは?」
キョトンとして首を傾げたわたしとは対照的に、母はそれが何なのかをズバリ言い当てた。
「これ、私たちのIDカードね? 通行証みたいなものよね」
「そうです」
「ID……、なるほど」
わたしはネックストラップ付きのケースに入ったそれを、まじまじと眺めた。
カードの
貢も同じようなものを首から提げていたけれど、わたしたちのカードには入っていない顔写真が入っているのは、彼のが社員証も兼ねているからだろう。
「一昨日は入構ゲート前で入構証を受け取って入って頂いたんですが、今後毎回それをして頂くのはホネかな、と思いまして。篠沢セキュリティにお願いして作って頂いたんです。本来であれば、会長というのは名誉職なのでIDも必要ないんですが、防犯上やその他
「知ってます。だって、夫も持ってたもの」
彼が長々と説明しようとするのを、母が途中で遮った。こういうのを「
ちなみに、彼が名前を出した〈篠沢セキュリティ〉というのもグループの系列会社の一社で、個人宅の防犯管理(もちろん、我が家のセキュリティもここのもの)から民間人の身辺警護まで幅広く警備業務に
――というか。
「……えっ、パパも持ってたの!? わたし知らなかったよ?」
その場でひとり、話についていけていなかったわたしは説明を求めようと、母のコートの袖口を引っぱった。
「絢乃さんがご存じないのもムリはないでしょうね。源一会長は仕事や会社でのことを、ご家族に話されない方だったようですから」
母の代わりに彼が答えてくれたけれど、彼が父のことをよく知っていたのは多分、父の秘書だった小川さんと親しいからだろう。……もちろん、同じ大学出身の先輩・後輩という意味で。
「そのIDは、会長室へ入るための
「分かってる。失くさないように気をつけるね」
わたしは頷き、IDを首から提げた。
彼の言葉、最後の一言が彼の本音だったのではないかと思い、ちょっとだけ彼のことを
「――では、そろそろ参りましょうか。十時には総会が始まりますので。会場は二階の大ホールです」
彼がわたしたちを促し、入構ゲートを抜けて三人でエレベーターに乗り込んだ。
大ホールはその約三ヶ月前、父が不調をきたして倒れた場所。――わたしは何だか因縁めいたものを感じていた。
あの時はパーティー会場として使われ、華やかな雰囲気だったホールの中は、うって変わって〝総会の会場〟という表情になっていた。
会場内にいたのは大勢の株主やグループの執行役員たち、そして運営を任された総務課の社員たち。役員たちの中には当然、会長選任の時にも最後まで寝返ることのなかった〈兼孝派〉の人も何人かいて、わたしと母のことを睨みつけていた。
――それはさておき。
わたしと母は、貢からステージ袖で待つように言われた。
「コートとお荷物は、僕がお預かりしておきますね。あと、これを胸のあたりにつけておいて下さい」
彼が差し出したのは、安全ピンのついた黒いリボン――
「うん、分かった。――じゃあ、これお願いね」
わたしと母は上着とバッグを彼に預け、喪章をつけた。
母は黒のパンツスーツ姿だったけれど、わたしの着ていた制服は喪服に向かない茶系統の色だったので、喪章が用意されていたのはありがたかった。
ステージ袖には貢と同年代くらいの男性社員が一人いて、その人がわたしたちに話しかけてきた。
「――絢乃会長ですよね? 初めまして。僕は総務課の
「……あ、はい。篠沢絢乃です。よろしくお願いします」
わたしはカチコチになって、久保さんに挨拶を返した。
貢が相手だと緊張しないでいられるけど、わたしは元々、初対面の男性(特に若い人)と接すると緊張してしまう
「――あれ? 久保じゃん。今日の司会ってお前だったのか」
そこで、貢が彼に親しげに言葉をかけた。
彼の礼儀正しい態度しか知らなかったわたしには、砕けた調子の彼もまた新鮮だった。
「おっ、桐島! お前、今日から会長付秘書だってな。内示貼り出されてるの見たぜ」
「おう」
「あの……、桐島さん。この人と知り合いなの?」
わたしは二人の間に割って入り、貢の上着の裾を引っぱった。
「ああ、会長はご存じなかったんですよね。この久保は僕の同期で、総務課でも一緒だったんですよ」
「そうなの? ということは、パパの社葬の時にもいたのね。わたしは分からなかったけど」
気づかなかったのもムリはなかったかもしれない。久保さんの顔をちゃんと見たのは、その日が初めてだったから。
「会長、桐島のことよろしくお願いします。コイツは不器用だけど、真面目で思いやりのあるヤツなんで」
「ええ、もちろん。わたしも彼のこと頼りにしてますから」
久保さんが(貢とは別の意味で)妙に馴れ馴れしく感じたのは、わたしの気のせいだったのだろうか? わたしの彼への警戒心がなかなか解けなかったのもそのせい?
「――では、間もなく始まりますので、僕はこれで」
何だか意味ありげにわたしに微笑みかけ、彼は司会者の席へ行ってしまった。そして貢は、そんな彼の背中を呆れたように見つめていた。
「? どうしたの?」
わたしは彼に訊ねてみた。母は段取りの打ち合わせがあるとかで、久保さんを追いかけていった。
「アイツ、会長に色目使ってましたよ」
「……えっ?」
「まあ、多分本気じゃないと思いますけど。彼女いるらしいですし。というか、アイツは昔っからそうなんですよ! 女ったらしというかプレイボーイというか! 彼女持ちなのに合コンに参加したり!」
興奮していたせいか、彼の声は途中から少し大きくなっていた。――今にして思えば、久保さんに
「……あ、すみません! 取り乱してしまって。お恥ずかしいところをお見せしてしまいましたね」
彼はすぐに我に返って、ビックリまなこになっていたわたしに謝った。
「ううん、そんなことないけど。なんか意外だったから」
彼があんなに声を荒らげたところを見たのは、その後にも数えるほどあるかないかだった。
それも、その時は分からなかったけれど、多分毎回わたし絡みのことが原因だった。――彼に自覚があったかどうかは定かではないけれど。
『――みなさま、本日はお寒い中、大勢お集まり下さいましてありがとうございます。ただいまより、緊急株主総会を行います』
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