戦闘服は制服! ③

 マイクを通した進行役の久保さんの声が、会場内はもちろんステージ袖に控えていたわたしにも届き、緩みかけていた気持ちがピリッと引き締まった。


 と同時に、じんじょうではない緊張感にも襲われて、わたしはうまく呼吸ができなくなった。何だか落ち着かない気持ちで制服の膝丈スカートの裾を握りしめたままステージを凝視していると、彼がそれに気づいて声をかけてくれた。


「絢乃さん、大丈夫ですか? ……もしかして緊張されてます?」


 優しく労わるような声と、「会長」ではなく名前で呼んでくれたことに、彼の気遣いを感じた。


「うん……。わたし、ちゃんとスピーチできるかなあ? ここに来て心配になってきちゃった。緊張のせいかな」


「いよいよですからね。そのお気持ち、お察しします」


 彼はわたしの気持ちを汲み取ってくれて、その気持ちに寄り添ってくれた。


 リハーサルなし、原稿もなしの一発勝負、ぶっつけ本番。それで緊張しないほど、わたしの神経は図太くできていない。服装のことも含め、すべて株主のみなさんに受け入れてもらえるかどうか――。

 元々、人前に出ること自体あまり得意ではないので、その特殊な状況そのものがわたしにとっては一世一代の大舞台といっても過言ではなかったのだ。


 もし受け入れてもらえなかったら、わたしはとてもじゃないけど立ち直れなかっただろう。


「――あ、そうだ! 母から教わった緊張を解すおまじない、お教えしましょうか」


「……おまじない?」


 彼が機転を利かせてこんな無邪気な提案をしてくれた。気分はまるで、学芸会で自分の出番を控えている小学生みたいだった。


「はい。実は僕も、子供の頃からあがり症で……。それを見かねて、母が伝授してくれたおまじないなんです。絢乃さんにも効果があるかどうかは分かりませんが、試して損はないと思いますので」


「じゃあ……、お願いできる?」


 彼のお母さまが教えて下さったおまじない、さてさてどんなにすごいおまじないなんだろう? ……わたしがわらにも縋る思いで期待していると。


「分かりました! 客席にいる人たちを、ジャガイモやカボチャだと思えば緊張しない。……だそうです。僕は大人になってからも、時々このおまじないを思い出して乗り切ってるんですよ」


 ……なんて子供だましな。わたしは絶句した。そして成人してからもそれを信じて困難を乗り切ってきたという彼に、もはや無邪気さしか感じられなかった。……もちろん、いい意味で。


 でも、わたしはまだ子供だったので、とりあえず試してみるだけ試してみようと思った。


「ジャガイモ……ねぇ……」


 わたしはいっぱいになった客席を眺めながら、その光景を頭の中に思い描いてみた。

 客席にいる人たちの頭部が畑にたわわに実ったジャガイモやカボチャのようになった光景……。それがとんでもなくこっけいに思えて、気がつけばわたしは肩を震わせて笑っていた。


「やだもう、何コレ!? ヘンなのー! フフフッ」


 思いっきり笑ったことで、緊張や心配なんてもうどこかへ飛んで行ってしまった。もう大丈夫。わたしは何も怖くない! ――そう思えた。


「……よかった、絢乃さんが元気になって下さって。やっぱりあなたには笑顔がお似合いです」


「…………え?」


「……いえ、何でもないです」


 彼には似合わない、唐突な歯の浮くような台詞に、わたしは一瞬ポカンとなった。この人の頭、沸いちゃったんじゃないかと思った(貢、ゴメン!)。

 でも、わたしがまた笑えるようになったのは彼の機転のおかげだ。彼は無自覚だったかもしれないけれど。


「……ありがと、桐島さん。貴方のおかげよ」


 わたしは清々すがすがしい笑顔で、彼にお礼を言った。


「もったいないお言葉、恐縮です。――もう大丈夫そうですね」


『――ではここで、本日付けで新会長に就任されました、篠沢絢乃さまよりご挨拶がございます。篠沢会長、よろしくお願いいたします!』


 彼がわたしの顔を覗き込んでそう言ったのと、久保さんにステージまで呼ばれたのはほぼ同時だった。さすがは同期、はかったように息が合っていた。


「うん、大丈夫よ。じゃあママ、行きましょう!」


 わたしは母と一緒に、堂々と胸を張ってステージへと歩いていった。

 その途中でどうにか呼吸を整え、まずはわたしが演台のマイクに向かって口を開いた。

 わたしの服装に驚いた人たちのどよめきの中、悠々とスピーチを始めた。こんな反応は想定の範囲内だった。


『――みなさま、本日は年始でご多忙の中、またお寒い中お集まり下さいまして、心より感謝申し上げます。先ほどご紹介にあずかりました、わたしが会長の篠沢絢乃でございます。本日より、亡き父・篠沢源一の後継として当グループのかじ取りを行うこととなりました。

 みなさまはきっと、わたしのこの姿に大層戸惑っていらっしゃることと思います。

 わたしはご覧のとおり、まだ高校生でございます。学業と両立させる決意で会長就任をお引き受けいたしました。ですが、決していい加減な覚悟ではないということを、まず始めに申し上げておきます。

 もちろん、それが簡単なことではないと重々承知のうえで、わたしが自分で決めたことです。それは、若武者が初めて戦に臨むこととよく似ております。この制服姿は若武者でいうところのかっちゅう、わたしにとっては戦装束なのです』


 ここまで一気に語ってしまってから、客席の反応を窺ってみた。もうすでにどよめきは静まっていて、みなさんが真剣な眼差しでわたしを注視していることが分かり、少しホッとした。


『――父は志半ばでこの世を去ってしまいましたが、まだやり残したこと、成し遂げられなかったことがあったはずです。わたしは父の遺志を引き継ぎ、父ができなかったことを実現させていく所存でおります。

 父はわたしにとっての目標であり、憧れであり、経営者としての模範でもありました。

 わたしは生前、父がいかにして社員のみなさんや取引先、そして株主のみなさまの信頼を勝ち得てきたのかを、つぶさに見て参りました。

 元々は経営者の血筋ではなかった父が、この大財閥の総帥という地位を守ってこられたのは、地道に実直にコツコツと信用を積み重ねてきた結果であるとわたしは思っております。わたしも父のように、社員のみなさんと呼吸を合わせ、ひとつ、またひとつと信頼を重ね、会長の務めを果たして参りたいと思います』


 それはいっちょういっせきに叶うものではないだろう。長期戦になることは承知のうえだ。――現に、今もわたしの戦いの日々は続いている。まだまだ達成できていない目標だって多い。

 けれど、わたしはひとりで戦っているわけではないのだ。そう思うから今日までやってこられたし、これからだってまだまだ戦える。


 ――わたしはここで一度、母に目配せをした。母の挨拶のタイミングはここなのではないかと。母が久保さんと打ち合わせていたタイミングもちょうどここだったようで、頷きが返った。


『――ここで、わたしの母・篠沢加奈子より、みなさまにご挨拶がございます。

 母はわたしの学業と会長職との両立にあたり、会長の職務を代行することになっております』


 わたしは一旦、マイクを母に譲った。


『――ただいま娘より紹介にあずかりました、私が篠沢加奈子でございます。

 生前は夫・源一が大変お世話になりました。妻として、また篠沢家当主として、この場をお借りしまして厚く感謝申し上げます』


 母の堂々としたたたずまいには、当主としての風格と教師としての(今はがつくけど)威厳が表れている気がした。


『先ほど娘も申し上げましたとおり、私は本日より、会長代行というポストに就かせて頂くこととなりました。職務の内容としましては、文字どおり会長業務の代行、およびアドバイザーとなります。娘はこの若さでこのような重責を負うことになり、苦労や悩みも多くなると思いますので、母親であるわたしが娘の支えになってやろうと。

 そう思ったのはひとえに、純粋な親心からです。私は昔から経営には興味がございませんし、権力もほしくありません。私は教職に携わっておりましたので、子供を導くことこそ大人である私の役目だと思っております。

 みなさまにご理解頂きたいのは、私には娘を傀儡かいらいとして院政を行うことは断じてない、ということです。私には何の権限もなく、経営に関するすべての決定権および責任は娘にございます。ですので、社員・役員のみなさまには娘を信じ、時には手助けもしてやりつつ、今後も当グループの一員として絢乃を支えてやってほしいと心より願うばかりでございます』


 わたしは母がどんなスピーチをするのか、内容を事前に知らされていなかったから、聞いていてジーンときた。伝わってきたのは、わたしを守りたいという強い愛情だった。


 ……ママ、ありがとう。いつか絶対に親孝行するからね。パパにできなかった分まで――。


『――では、娘にマイクを返します。……絢乃、いらっしゃい』


『はい。――先ほど母のスピーチにもございましたとおり、わたしはひとりではございません。そして、ひとりでは戦えません。母や社員・役員のみなさん、そして株主のみなさまのお力添えが必要不可欠なんです! 

 ですからみなさま、どうかわたしにお力を貸して下さい。一緒に戦って下さい! これから、どうぞよろしくお願いいたします! 本日は本当にありがとうございました!』


 わたしの全スピーチが終わり、深々とお辞儀をすると、どこからかパチパチと拍手の音が聞こえてきた。その拍手は複数人数のものではなく、たった一人のものだったけれど、とても力強く響いていた。

 わたしは頭を上げ、そっと音のどころを探してみた。すると、その音はステージ袖から聞こえていた。拍手してくれていたのは彼だったのだ。

 そしてその拍手の波はたちまち会場中に広がっていき、割れんばかりの大拍手へと変わっていった。


 ――わたしは会長として認められたのだ。そう思うと胸がいっぱいになって、泣き出しそうになった。でも、初日から泣いてしまったら、〝泣き虫会長〟という不名誉な呼び方をされそうなので、涙はグッと引っ込めた。


(ありがとう)


 ステージ袖にはける時に、わたしは声には出さずに口の動きだけで彼にお礼を言った。すると、彼も笑顔で頷き、「お疲れさまでした」とわたしを労ってくれた。

 わたしはこの日のことを、絶対に忘れない。きっと、父の病を知った日や、父がこの世を去った日と同じように――。

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