第2章 恋する財閥会長

戦闘服は制服! ①

 ――取締役会から二日が経ち、いよいよ会長・篠沢絢乃のおの日がやってきた。


 その朝、わたしはある決意を胸に秘め、自室の洗面台の前に立った。

 丁寧に泡立てた洗顔フォームで顔を洗い、自慢のロングヘアーをブラッシングして、ウォークインクローゼットに足を踏み入れた。


 そこでわたしが迷うことなく手に取ったのは、取締役会の日に着ていたスーツ一式ではなく学校の制服、そして通学用の黒のハイソックス。


「――よしっ!」


 戦場へ向かう武士がよろいまとうような心境で身支度を整えたわたしは、姿見に映った自分の姿をまじまじと見つめた。 

 学校へ行く時とまったく同じ制服姿だけれど、学校へ行く時以上に気が引き締まった。

 それは茗桜女子に入学して以来初めて経験した気持ちで、これからわたしにとって、この制服姿がどういう意味を持つのかを物語っていたように思う。


「――絢乃、おはよう。もう支度はできてるの? そろそろ朝ゴハンを食べないと、九時には桐島くんが迎えに来るんだから」


 廊下から聞こえてきたのは、史子さんではなく母の声だった。母も相当気合いが入っていたのか、わざわざ自分で呼びにきてくれたらしかった。


「うん、今行く!」


 もちろん忘れてなんかいなかった。この日は貢にとっても、秘書としてのういじんだったのだから。

 彼が迎えに来てくれるというだけで、わたしの胸は高鳴って、自然と「よし、やるぞ!」という気持ちになっていた。

 これも恋の魔力なのかな……? 思わずニヤけてしまう自分を律しつつ廊下に出ると、母はわたしの服装に軽く眉をひそめた。


「絢乃……、本当にその格好で行くの?」


 それは決して呆れていたからではなく、わたしのことを心配していたからこそ出た質問だったらしい。わたしの覚悟を問うため、だったのだとか。


「うん。だってもう決めたから。わたしは誰から何言われたって、このスタイルをつらぬいていく、って」


 だからわたしも、母に向かってキッパリと宣言した。

 学業と仕事の両立を心に誓った時、わたしは決意していたのだ。あえて女子高生の自分のままで勝負していこうと。この制服姿は、そのためのいくさしょうぞくというわけだった。


「…………分かったわ。あなたにそこまでの覚悟があるなら、ママも反対はしない。パパも言いだしたら譲らない人だったけど、あなたのそういうところ、パパにそっくりね」


「うん……? それって喜んでいいの?」


 困ったように、それでいて呆れたように苦笑いしながら言った母に、わたしはどう反応していいか分からなかった。


「絢乃も分かってるでしょうけど、あなたがこれから進もうとしてるのはいばらの道よ。生半可な気持ちで進んだら、あなたは両方で信頼を失うことになるかもしれない。……まあ、そのためにママがフォロー役をやるわけだけど、大事な決断を下すのは会長のあなたなんだから。本当に、それでいいのね?」


 それが母の、わたしへの最終確認だった。もうさいは投げられたので引き返すことができなかったし、わたし自身も引き返すつもりはなかった。


「分かってるよ、ママ。わたしは本気。絶対に、どっちもおろそかにしないって約束する」


「……ええ、分かった。あなたの意志の固さは認めましょう。ただし、絶対にひとりで抱え込まないこと。いいわね?」


「うん」


 わたしが頷くと、母は安心したようだ。


「そういえばパパも意志が強すぎて、ひとりで何でも背負い込んじゃうタイプの人だったわねえ……。絢乃、あなたの性格はパパにそっくりだわ」


「う~ん、確かにそうかも。じゃあ、ママに似てるところってどこかある?」


 そういえば、コーヒー好きなところもちちだったけれど、ははのところって自分ではあまりピンとこなかった。ので、階段を下りながら母に訊ねてみると――。


「そうね……、顔かしら」


 あまりにもシンプルに即答されて、わたしは思わず吹き出してしまった。



   * * * *



 ――母と一緒に朝食を済ませた頃、測ったようにピッタリのタイミングでインターフォンが鳴った。二日前と同じく、玄関の呼び鈴が。


『おはようございます、絢乃会長! お迎えに上がりました!』


「は~い! 今行くわ!」


 わたしはモニター越しに応答すると、黒いコートを着てスクールバッグを持った。

 ……彼は気づいてくれるだろうか? コートの裾から覗いているのが、裾に赤い一本線の入ったプリーツスカートだと。そういえば、彼にわたしの制服姿を見せるのはこの日が初めてだった。


 母もいつでも外出できる状態になり、玄関ホールで二人が靴(わたしはローファー、母は黒のパンプス)を履いたところへ、史子さんが見送りに来てくれた。


「奥さま、お嬢さま! お気をつけて行ってらっしゃいませ!」


「うん、行ってきます!」


「行ってきます」


 玄関ドアを開けると、そこに真新しいスーツでビシッと決めた彼が立っていた。


「――おはよう、桐島さん。お待たせ」


「おはよう、桐島くん。今日もよろしくね」


「おはようございます……ってあれ?」


 笑顔で返された彼の挨拶が、急に尻切れトンボになった。


「絢乃さん、そのコートの下にお召しなのはもしかして……」


 あら、気づいてくれた! わたしは内心、ニヤニヤが止まらなかった。


「うん。今日からの、わたしの戦闘服よ!」


 とはいえ、この日も朝から寒くて外でコートを脱ぐことは叶わなかったので、わたしは胸を張ってそう答えるだけに留めた。


「でも、どうして分かったの?」


 車へ向かう途中、彼に訊いてみると。


「そのカバンと、ソックスにローファーの組み合わせを見ればすぐに分かりますよ」


 という答え。


「……ま、そうよね。これだけヒントが散らばってたら誰でも分かるか」


 それでも気づかなければ、彼は相当ヌケている人ということである。


「さあ、乗って下さい。車内は暖房を効かせてありますので、コートを脱がれても大丈夫ですよ」


「ありがと。じゃ、失礼して」


 わたしに続いて母もコートを脱いだ。


「――それが、絢乃さんが通われている学校の制服なんですね……。初めて拝見しました。よくお似合いです」


「……そう? ありがと。なんか嬉しいな」


 彼は照れ屋で、女の子への褒め言葉も苦手だと思っていたので、胸がキュンと高鳴った。

 こんな不意ち、ちょっときょうだとも思ったけれど……。


「――桐島くん、いつまでもラブコメモードやってないで! さっさと車のドアを開けなさい! 風邪かぜひいちゃうでしょ!?」


「は……っ、ハイっ! 失礼しました!」


 母の号令に飛び上がった彼は、神妙に後部座席のドアを開けた。


「……ママ、他に言い方ないの?」


 車に乗り込んでから、わたしは母にボソッと抗議した。

 言うに事欠いて、〝ラブコメモード〟なんて。彼にわたしの気持ちがバレたらどうするの!? ……とまあ、そんな心境だったような気がする。


「…………さ、行きましょうか」


 母があさっての方を向き、車内に気まずい空気が流れる中、彼はそう呟いて車をスタートさせた。


「――就任会見のスピーチの原稿、一応作っておきましたので。のちほど確認しておいて下さいね。必要ないかもしれませんが……」


「ありがとう。昨日のうちに用意してくれたの? 大変だったんじゃない?」


 車内での会話は、もっぱらその日の予定や将来的な見通しなど、仕事に関する内容だった。


「いえいえ、これも秘書の務めですから。株主総会でのスピーチ用には作っていませんが、大丈夫ですか?」


 今思えば、前半部分は「これも愛のため」と聞こえたような、聞こえなかったような……。


「うん、大丈夫だと思う。言うべきことはもう決めてあるから」


「そうですか。分かりました」


「だって、わたしがこれからしようとしてることは多分、ホントはパパがやりたかったことだから」


「……と、おっしゃいますと?」


 わたしの言葉に首を傾げる彼が、ルームミラー越しに見えた。


「パパは志半ばで死んじゃったけど、ホントはまだまだ実現したかったこと、改革したかったことがいっぱいあったと思うの。それを実現させることが、パパの後継であるわたしの権力の使い方だと思って。ママはわたしの代理兼アドバイザーってところかな」


「だから、私は経営に関しては何の権限もないのよ。兼孝叔父さまの取り巻き連中がおとなしくなったところで、今度は親子で派閥争いなんてことになったらそれこそおおごとでしょう」


 だから私は当主としての権限で、絢乃この子を守ることにしたの。――母はそう続けた。


「……なるほど。そういうことでしたら、僕もりょくながらお力になります。ただ平和主義者なので、微力ですが」


 彼はそう言って苦笑いした。最後の方は、思いっきりぎゃくだったし。


「――でね、わたしも覚悟を決めたの。どうせやるなら、制服のままで勝負してやろうじゃない、って。世間から叩かれるのも覚悟のうえでね」


 もちろん、〈兼孝派〉だってあのまますごすごと引き下がるはずもなかった。彼らからの非難を受けることさえも覚悟のうえだったのだ。


「さっきね、ママに言われたの。わたしがこれから進もうとしてる道は、茨の道だって。生半可な覚悟で進んだら、両立どころか両方で信頼を失うかもしれない、って。だからこそ、これがわたしの覚悟の表れなの」


「絢乃さん、僕も加奈子さんとほぼ同意見です。あなたがこれからとても険しい道を歩んで行かれることを思うと、心配で仕方ありません」


「桐島さん……」


 ――この人はどうして、わたしのことをこんなにも心配してくれるんだろう? 自分が仕えるべき上役うわやくだから? それとも……。

 理由は分からなかったけれど、とにかくわたしのことをすごく大事に思ってくれていることだけは感じ取れた。


「ですが、あなたは決して孤独な戦いを強いられるわけではありません。側には僕がいます。……いえ、僕だけじゃない。加奈子さんも村上社長も、専務も常務もあなたの支えになって下さいます。天国にいらっしゃるお父さまも、きっと見守って下さいますよ。ですからどうぞ、ご自身が信じた道を安心して歩んで下さい。……すみません、また説教くさくなっちゃいましたね」


 訥々とつとつと語る彼に、母も同意した。


「そうよ、絢乃。あなたはあれだけの大人数から支持を受けて会長に選ばれたんだもの、味方だって多いはず。大変な時や困った時には遠慮しないで、いくらでもママや彼を頼りなさい。ひとりでできることには限りがあるんだからね?」


「うん……、そうよね。ありがと」


 わたしはきっと父に似て、ワンマン経営者には向かない性格だ。そのくせ、重い責任までひとりで背負しょい込もうとするのだから、余計にタチが悪い。

 今ではそうでもないかな……と思っているけれど、どうなんだろう?


「――今日の会見、TVだけではなくネットでも生配信されるそうですよ。そしたら、絢乃さんは『制服姿の財閥会長』ということでちょっとした有名人になりますね」


「ええー……? それはあんまり嬉しくないなぁ」


 張り切って声を弾ませた彼に、わたしはげんなりした。


「あら! そしたら毎日メディアから取材の依頼が殺到して忙しくなるわね! 絢乃は可愛いから、アイドル並みに騒がれて大変でしょうね」


「ママまで浮かれちゃって! やめてよ!」


 一緒になってステージママみたいなことを言い出した母にも、口を尖らせた。


 そもそも、わたしには「有名になりたい」という願望なんてなかった。でいたかったのだ。

 まあ、大好きだった父の遺志なので会長就任は引き受けたけれど、高校は普通に卒業したかったので学業と両立させることに決めたのに、忙しくなったらその決意も台無しになってしまう。わたしの気力も体力も、果たしてもつかどうか。


「ねえ、桐島さん! 会長のスケジュール管理も秘書になった貴方の仕事よね? だったら、お願いだから引き受ける取材の数は最低限に絞って! 判断基準は貴方に任せるから」


 わたしは運転席のヘッドレストにつかみかかり、彼にこんがんした。 


 何も、一切メディアに出たくないと言っていたわけではない。経営者となった以上は、少しくらい顔を売ることも必要なのだと父から学んでいた。それが元で、新しい業種や業界との繋がりコネクションができることもあるからだ。

 でも、必要以上の取材を受けてしまうとわたしもキャパオーバーになってしまうし、何より本業である仕事と学業にも支障をきたす恐れもあった。

 どこまでの取材が許容範囲になるのか、そのさじ加減をわたしは彼に委ねたのだ。彼なら良識的に考えてやってくれる、そう信じて。


「分かってます。大船おおぶねに乗ったつもりでお任せ下さい。……あの、ですから手を離して頂けないでしょうか。危ないので」


「あっ、ゴメンね!? 必死になっちゃって、つい……」


 彼の運転のジャマをしてしまっていたことに気づき、慌ててヘッドレストから手を離した。


「絢乃さんが忙殺されたら、僕自身の首も絞めることになってしまいますからね。ちゃんとその辺のところは考えます。――もうすぐ着きますよ」


 気づけば、窓の外にはもう丸ノ内のオフィスビル群が見えていた。


 パパ、見ててね。わたしもパパみたいに、みんなから信頼される会長になるよ。

 パパがやりたかったこと、わたしが代わりに実現させるからね――。


 冬晴れの空に向かって、わたしは心の中で誓った。

 白い雲の隙間から、父の笑顔が覗いた気がしたのを今でも鮮明に憶えている。

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