わたしと彼の決意 ④

「――本日の議題ですが、まずは前会長であった夫・篠沢源一の急逝による後任会長の選出について。夫は遺言により、ここにいる一人娘の絢乃を後継者として指名しています。当主の私としましても、夫の遺言に基づき彼女を後任として指名するのがとうと考えますが、何かご質問・ご意見はありますでしょうか?」


 そこで数人からバラバラと手が挙がった。


「――村上社長、発言をどうぞ」


「ありがとうございます。篠沢商事・本社社長の村上と申します。――僕は篠沢家の親族ではありませんので、公開されたという前会長の遺言の内容を存じ上げません。ここで今一度、遺言状の内容を読み上げて頂くことは可能でしょうか?」


 グループの取締役や執行役員の中には、当然ながら村上さんのように一族の人間ではない人も何人かいて、その人たちは父の遺言の内容を知らなかった。

 わたしは母に判断をあおいだ。この会議での物事の決定権は、議長を務める母にあったからだ。


「分かりました。――ここにあるのが、夫がしたためた遺言状です。一部抜粋して、経営に関する部分のみ読み上げさせて頂きます」


 母は上着ジャケットの内ポケットから白い縦長封筒を取り出し、中の便箋を広げた。


「――『私・篠沢源一の死後、篠沢グループの経営に関する全権を長女・篠沢絢乃に一任する。また、グループが所有する土地・建造物の権利およびわたし所有の株式も一切を長女絢乃に譲るものとする。』

――以上です」


「よく分かりました。ありがとうございました」


 彼以外の篠沢一族ではない役員たちも、納得したようでうんうんと頷いていた。



「――私は以上のことを踏まえたうえで、改めて絢乃を会長に推挙したいと思います」


 これですんなりとわたしが会長に決まれば話は簡単だったのだろうけれど、そうはとんおろさなかった。



「――加奈子さん、ちょっといいかね? 私はここで、絢乃ちゃん本人の意思も確かめさせてほしいんだが、どうだろう?」


 役員の一人がここで手を挙げた。

 彼は祖父のおいにあたる人で、母より少し年上。よこはま支社の常務取締役を務めているけれど、一族の中では比較的中立なポジションにいる人物である。


「そうね、もちろん本人の気持ちがいちばん大事だと思います。――絢乃、どうかしら」


「はい。わたしは心から、会長就任の話を引き受けたいと思ってます。もちろん、それが父との約束だからというのもありますけど、わたし自身が幼い頃から決めてたことでもあったから。思いもしなかった形でそうなってしまいましたけど……」


 わたしは初めて自分の意見を求められ、言いたいことを頭の中で整理しながら話した。


「経営に関してはもちろん素人ですし、父のようにはいかないかもしれません。でも、父が仕事や社員のみなさんと向き合う姿勢はずっとこの目で見てきましたから。正直自信はありませんけど、精一杯やれるだけの努力はしてみるつもりでいます」


「……君の意志が強いことはよく分かった。だが、学校はどうするんだね?」


「学校生活と会長の仕事は両立させるつもりです」


 こう訊かれるだろうとは分かっていた。

 わたしはこの質問に即答したけれど、今度は〈兼孝派〉からが飛んできた。


「ふん、小娘が! 両立なんて簡単にできると思ってるのか!? 子供が遊び半分でそんなこと言ったら、大人が迷惑するんだよ!」


「そうだそうだ!」


 わたしも母も内心ではイラっとしていたけれど、そのために予防線を張ってきていたので何ら問題はなかった。


「ご批判はごもっともです。ただ、片手間で終わらないように、わたしと母とで相談して決めたことがあります。ここから先は、母から話してもらおうと思います。――ママ、お願い」


「了解」と頷いてから、母が続きを話し始めた。


「絢乃はこの先、学業優先で会長をやっていくことになります。そこで、娘が登校している間は私が会長代行を務めることにしたんです。つまり、私たちは親子で二人三脚の会長ということになります。けれど、私には何の権限もありません。あくまでも、正式な会長は絢乃ですから」


 母は自ら権力をふるうよりも、娘であるわたしのサポートに徹することを選んだ。かいらい政治に興味はないらしいのだ。



「――いやあ、いかにも加奈子ちゃんらしい考え方だね。昔からそういうところは変わっていないな」


「兼孝叔父さま……。まさか、こんな形で相まみえることになるなんて」


 四十歳を超えた母を「ちゃん」付けで呼んだのは、わたしの対立候補でもある大叔父だった。

 わたしにも優しくて、お正月のたびにお年玉をくれたり、小学校入学前には学習机を贈ってくれたりした気前のいい大叔父。見るからに好々こうこうで、権力とは無縁の人だと思っていたのに……。


「大叔父さま……、もし当選したら、会長を引き受けるんですか?」


 わたしは自分の意思で後継者であることを受け入れたけれど、大叔父はどうなのだろうか?


「……まあ、決まればね。私自身はあまり乗り気じゃないんだが、頼まれたら断れなくてねえ」


 大叔父は会長候補として擁立されたことに困惑しているようだった。



「――どうして大叔父を候補に立てたんですか? ご自身が立候補すればよかったんじゃないですか?」


 わたしは〈兼孝派〉のリーダー格・大叔父の長男という人を問いただした。不本意にも会長候補として祭り上げられた大叔父に、少なからず同情していたのかもしれない。


「そりゃあ、父がに決まってるだろう。宗明伯父さんの弟だし、年長者がトップに立つ方が、組織としてのていさいも保てるってもんだ」


 ……呆れた。要するに、年功序列を理由にしたかっただけなのだ。いつまでこんな時代遅れな考え方を続けているつもりなのか。


「――僕は兼孝さんより、絢乃お嬢さんが会長になって然るべきだと思いますがね」


 〈兼孝派〉の間で大叔父を支持する流れが強まり、劣勢にかたむきかけたわたしに、村上さんが加勢してくれた。


「村上さん……、ありがとうございます!」


 この時の彼は、戦うヒロインがピンチの時に駆けつけて助けてくれるヒーローさながらだった。……ただ、わたしにはすでに貢がいたし、ちょっと歳がいきすぎているけれど。


「君! それはもちろん、何か根拠があって言っているんだろうな!?」


 大叔父の息子さんは、高圧的な態度で村上さんに詰め寄った。自分たちが年功序列だけを理由に大叔父を祭り上げていることは棚に上げて。


「ええ、もちろんありますよ。

 第一に、彼女が前会長の実子であるということ。それは世襲に拘っているというわけではなく、彼女がもっとも身近に前会長のリーダーとしての姿を見てきたということですよね。彼女ほど、この組織のリーダーとしてふさわしい人物はいないと思います。

 第二に、源一会長ご自身が遺言状で彼女を正統な後継者だと名指しされていること。そして先ほど、絢乃さんご本人の強いご意志も伺いました。

 この遺言は法的に有効なものですので、法のもとに指名された後継者が新会長に就任されることがもっとも道理にかなっているのではないかと僕は考えます」


 彼はあくまで冷静に、理路整然と大叔父のご子息を論破してみせた。逆に「そちらの根拠は?」と切り返し、相手がぐうの音も出なくなったのには、わたしも母も何だかスカッとした。



「――では、他にご質問やご意見がないようでしたら、ここで採決に移ります」


 本当の勝負はここからだと、わたしは気を引き締めた。


 ここで過半数の挙手がなければ、わたしは負けてしまう。母も彼も「ほぼわたしで決まりだ」と言ったけれど、こればかりはフタを開けてみないことにはどうなるか分からなかった。

 でも言うべきことは言ったし、母の協力も得られることになった。あとは村上さんの援護射撃にどれだけの効力があるか――。わたしは運を天に任せた。


「――ではまず、篠沢兼孝氏が新会長にふさわしいと思う方は挙手をお願いします」


 ここで〈兼孝派〉の人たちがバラバラと手を挙げた……けれど、あれ? 思っていたより少ない。


「では次に、篠沢絢乃が新会長にふさわしいと思う方は挙手をお願いします」


 ここではもちろん母の手、そして村上さんの手が挙がった。そして〈加奈子派〉の人たちの手も次々と挙がり……あれ? 大叔父の手も? そして、大叔父の時には挙手していなかった〈兼孝派〉の人たちの手も……!

 これで間違いなく、過半数を軽く超えた。


 わたしはその光景を、夢ではないかと思った。もっと苦戦を強いられることも覚悟していたのに、こんなに大差をつけて勝てるなんて……!

 わたしの想像だけれど、それはきっと村上さんの演説によるところが大きかったのだろう。多分、あの演説に心動かされた人も多かったのだと思う。



「――というわけで、多数決により、新会長は篠沢絢乃に決定いたしました」


「ふざけるな! おれはこんな茶番、認めないぞ! ウチの同志まで丸め込みやがって!」


 大叔父の息子さん(あまり接点がないので名前も覚えていない)が苦々しく吐き捨てたけれど、他の人たちは温かな拍手で新会長の誕生を歓迎してくれた。


「みなさん、ありがとうございます! わたし、みなさんのご期待に応えられるよう、精一杯頑張ります! 本当にありがとう!」


 わたしは胸がいっぱいになりながら、わたしを会長に選んでくれた人たちに感謝の思いを述べた。



 ――議題は次へと移り、篠沢商事社内の役員人事の改変について話し合った。


 村上社長のポストはそのままに、人事部長のやまざきおさむさんが専務に、秘書室長の広田さんが常務になるという人事をわたしが提案すると、これも賛成多数で可決された。

 ちなみに山崎さんの方が年齢も上で、人事部での立場も彼の方が上なのだけれど、年功序列ではなく、女性の方が上役というのが女性会長らしい発想だと称賛されたのだ。


「――以上をもちまして、緊急取締役会を終了いたします」


 こうして、二時間近くに及んだ取締役会は散会となった。



   * * * *



 ――その後、わたしたちは母が呼んでくれた寺田さんの運転するセンチュリーで帰路についた。



「――お嬢さま、会長就任、まことにおめでとうございます! この寺田、心から嬉しゅうございます」


「ありがとう、寺田さん。――ただ、喪中の相手に『おめでとう』っていうのは……ちょっと」


 運転席で自分のことのように感激していた寺田さんを、わたしは半分困りながらたしなめた。


「はっ……!? これは大変失礼いたしました!」


 彼は親からしかられた子供みたいに縮こまった。わたしも母もそんな彼の様子がおかしくて、二人して笑った。



「――絢乃、今日はお疲れさま。お腹すいてるんじゃない? ランチしてから帰りましょうか」


「うん」


 そういえば、もう正午を過ぎていたのだ。朝食は緊張のせいもあってあまり胃が受け付けなかったので、ホッとした途端に空腹を訴え続けていた。

 母はわたしが頷くと、寺田さんに「あおやまのレストランに寄って」と申しつけた。



「――ところで絢乃。桐島くんに連絡しなくていいの?」


 食事をするお店に向かう途中、母がわたしの膝をポンと叩いた。


「彼、あなたからの連絡待ってるんじゃないの?」


「……あ、うん。そうだね」


 取締役会に参加できなかった彼は、どうなったのかを知りたがっているはずだった。

 わたしは何より、彼に吉報をもたらすことができてよかったなと思った。


「おやおや、お嬢さまにはもう、ご連絡を取り合われるような殿とのがたがいらっしゃるのでございますか?」


 ミラー越しに、寺田さんが目を丸くしているのが見えた。

 わたしや母のことをあまりせんさくしたがらない彼にしては珍しい言動だなと思ったけれど、わたしは気にせず貢に電話した。


『――はい、桐島です。お疲れさまです』


「あ、絢乃です。朝はありがとう。お食事中だったらゴメンね?」


 よく考えたらお昼どき。昼食中に電話なんて失礼かなと思った。それでなくてもわたしは、初めて彼に電話をかけたあの夜にやらかしてしまった前科があったのだ。


『いえ、大丈夫ですよ。昼食はこれからでしたから』


「……そっか。じゃあギリギリセーフね」


 何がセーフなんだかよく分からないけれど、とりあえずタイミングが悪いという事態だけは避けられたようだった。


『ええ。――会議、終わられたんですね。どうでした?』


「うん。わたしね、無事に会長就任が決まったの! もっときんで苦戦するかと思ったんだけど、圧倒的大差で!」


 わたしはそこから、どうして圧倒的勝利に至ったのかを彼にも説明した。


『――へえ、反対派の人たちが大勢、絢乃さん側に寝返られたんですか。村上社長、スゴいですね。味方でいて下さってよかったですよね』


「うん、ホントに。――でね、明後日の午前に株主総会で正式発表されて、午後から就任会見もやるんだって。あと、貴方も明後日から正式に秘書就任だから。一緒に頑張りましょうね!」


『はいっ! これから僕が、誠心誠意あなたをお支えします。よろしくお願いします! ――あとですね、絢乃さん』


「……ん? なに?」


『……今日のお召し物、すごくステキでしたよ。よくお似合いでした』


「…………あ、ありがと」


 朝、彼がわたしを見て固まっていたのはこのためだったのか。多分、うまいコメントが見つからずに脳がフリーズしていたのだろう。

 でもやっぱり見惚れていたんだという気持ちと、今更でベタベタな褒め言葉に、わたしもどう反応していいものか悩んだ。


『朝のうちに申し上げられなかったのは、僕も照れていたからです。申し訳ありません』


「はあ……そう」


 彼はきっとこういう人なんだろうなと、わたしは理解した。女性の扱いに不慣れ、もしくは不器用な人だと。


『……それでは、明後日からよろしくお願いします、絢乃会長』


「うん。じゃあ、失礼します」


 ――電話を終えてから、わたしは強いエネルギーがみなぎってくるのを感じていた。それはきっと〝闘志〟ともいえる感情ものだった。


 会長としての務めは〝戦い〟だ。世間と、〈兼孝派〉と、学校生活との両立という高い壁を相手にした――。

 でも、やるしかない。彼と一緒に頑張っていくんだとわたしは決意したのだった。

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