わたしと彼の決意 ③

 ――母とわたしによるお骨上げも無事に終わり、わたしたちは彼が運転する社用車で家まで送ってもらうことになった。



「――それじゃあ、ママも知ってたの? 桐島さんが秘書室に異動すること」


 後部座席で、父の遺影を抱えたわたしは小さな骨壺を膝の上に置いていた母に訊ねていた。

 というのも、待合ロビーで彼と話していた内容を母にも聞いてもらったところ、どうも反応が薄かったので、わたしもピンときたのだ。


「ええ。生前、パパから聞いてたから。ママも、彼から直接伝えてもらった方があなたも嬉しいんじゃないかと思ってね。――でもまさか、あなたが先に気づいちゃうなんて」


 母はわたしにそう言うと、ルームミラーを通して彼にイタズラっぽく笑って見せた。


「残念だったわねー、桐島くん。あなたはもっと劇的なシチュエーションを期待してたのに、ねえ?」


「そ……っ、そんなことないですよ!? 何をおっしゃってるのかよく分かりません!」


 彼はどこぞの漫才コンビのような口調でムキになって否定したけれど、ミラー越しに見えていた彼の顔は真っ赤だった。


「……えっ? えっ? どういうこと?」


 彼が顔を朱に染めた理由も、ことの成り行きもよく分からなかったわたしは、ポカンとして母と彼の顔を交互に見比べるばかりだった。

 ……わたしが先に気づいたのはマズかったの? 気づかないフリをした方がよかった?

 でも、わたしにはそんな器用なことなんてできないし、それが彼を喜ばせる計算だったとしたら、余計にそんなことはしたくなかった。



「――ね、ママ。そんなことより、親族会議の方はどうなったの?」


 わたしは気を取り直して、気になっていた話題へ移ることにした。

 わたしと彼は途中で抜けてしまったので、あの後話し合いがどんな展開に転んだのかまったく分からなかったのだ。


「それがねえ、〈兼孝派〉の連中ったら、あの後も全っ然譲らなくて。挙句、兼孝叔父さまを会長候補に擁立するって言ったのよ」


「えっ? 大叔父さまを……。どうしてそこまでするんだろう? 意味分かんない」


 大叔父は当時六十代の半ばだったはずだけれど、経営に関しては素人だった。そんな人を対立候補にすなんて、それでわたしに勝てると思っていたのか、それともバカにされていたのか――。


「でしょう? というわけで、明後日あさってに緊急の取締役会を召集して、そこで決戦投票を行うことにしたから。当主である私の権限でね」


「あ……、うん。そうなんだ……」


 〝私の権限〟なんてさらっと言えてしまうあたり、さすがは母だなあと感心せずにはいられなかった。


「でもまあ、間違いなく絢乃で決まりでしょうね。この子を支持してくれる人は多いし、村上さんもいることだし。何より、先代会長の意向っていうのが最優先されるでしょうから」


 母はわたしに、というより彼に向かって言っているようだった。どうやら村上さんもわたし推しだったらしい。


 彼は父と同期入社で、営業部の同僚だったそうだ。父とは親友であり、実は母を取り合った恋のライバルでもあったのだと、わたしも生前父から聞いたことがあった。

 結局彼は自ら身を引き、母を父に譲ることになったけれど、それぞれ家庭を持ってからも交流は続いていたのだ。



「――というわけで桐島くん、あなたにお願いがあるんだけど。この子が会長になったら、八王子の学校から丸ノ内のオフィスまで通うことになると思うの。電車だと時間もかかるし大変でしょうから、この子の送迎、頼まれてくれないかしら?」


「……ええっ!?」


 母の提案に驚きの声を上げたのは、だった。


「そこまでしてもらったら彼に申し訳ないわよ! ちょっとくらい大変でも電車で通えないこともないんだから、わたし頑張るよ!」


 彼にはわたしの秘書を務めてもらうことになるのだから、これ以上彼の負担を増やすのは気の毒だと思い、母に抗議した。

 それに、送迎を頼むなら寺田さんという適任者もいたわけだし。


「そんなに意地張らないで、ここは素直に甘えちゃいなさい。あなたまで倒れちゃったらどうするの?」


「う……」


 わたしはそれ以上反論できなかった。母は父の死がこたえていたようで、わたしにもその気持ちが痛いほどよく分かっていたから。


「僕は構いませんよ。絢乃さんの送迎、喜んでお引き受けしましょう」


 彼にまでダメ押しされ、もはやわたしには拒む理由がなくなってしまった。


「……ホントにいいの? そこまで甘えちゃって」


「はい、もちろんです。男に二言はありませんから」


「…………はあ、そう。じゃあ、お願いします」


 何だか言葉の使い方が間違っているような気もしたけれど、わたしは彼の厚意(と母の猛プッシュ)に素直に甘えることにした。


「じゃ、決まりね。桐島くん、さっそくで申し訳ないんだけど、明後日からお願いできるかしら? 土曜日だから休日出勤になるんだけど大丈夫?」


「はい、問題ありません。了解しました」



 ――車は午後の東京の街を走り抜けていた。


 もう親戚たちの車は一台も見えなくて、色とりどりの乗用車やトラックなどが窓の外を流れていく。――そんな景色を眺めながら、わたしは考えていた。


 わたしは会長に就任しても、高校を辞めるつもりはなかった。学校生活を送りながら、会長の仕事とも両立させるつもりでいた。

 学校側には事情を説明して配慮してもらうとしても、あくまで学業優先でいこうと思っていたけれど、それでは〈兼孝派〉が黙っていないだろう。「子供のお遊び」と揶揄やゆされるのが関の山だ。

 なまはんな覚悟では、〝二足のわらじ〟なんてとても務まらない。ではどうすればいいのか――。



「……どうしたの、絢乃。疲れちゃった?」


 考えごとに没頭していると、心配そうな母に肩を叩かれた。


「あ、ううん。大丈夫よ。――あのね、ママにちょっと相談があるんだけど」


 わたしは彼の耳にも入るように、思いついたことを母に提案した。



   * * * *



 ――二日後、篠沢商事ビルの大会議室で緊急取締役会が行われた。



 主な議題は新会長の選出、およびそれにともなう役員人事の改変。とはいっても、わたしは父が任命した社内の役員を変えるつもりはなく、むしろ彼ら(女性もいるけれど)にはもっと高い役職ポストを与えようと思っていた。


 当日の朝、わたしはその前日にぎんのセレクトショップで購入したグレーのスーツに身を包み、ビジネスメイクをして、葬儀の日と同じ黒のパンツスーツ姿の母とともに会議にのぞんだ。

 ちなみに、グレーを選んだのはまだ喪中だったから。そして、グレーならビジネス用として着てもおかしくないからだった。


『――おはようございます。桐島です。お迎えに上がりました』


 ゲートではなく玄関の呼び鈴が鳴り、彼は玄関先で待っていた。というのも、この朝は彼が来ることを前もって知っていたので、母が少し前にロックを解除してあったのだ。


「おはよう、桐島さん。今日よろしくね」


「いえ、今日〝から〟ですよ、絢乃さん。こちらこそ、よろしくおねがいします」


 そう言って顔を上げた次の瞬間、彼はTVの放送事故みたいに固まった。わたしには、何かに見入っているようにも見えた。


「どうかした? 桐島さん」


「……いえ、何でも」


 わたしが首を傾げていると、そこに母もやってきて彼を茶化した。


「おはよう、桐島くん。さてはあなた、絢乃に見惚れてたわね?」


「え、そうなの?」


「い……っ!? いえいえ、そういうわけではないんですが」


「あらあら、そんなに照れることないじゃない♪」


「ですから、照れているわけでは」


「……?」


 わたし一人、母と彼のやり取りについて行けずにいた。けれど、もし彼が本当はわたしの大人っぽい服装に見惚れていたのだとしたら、ちょっと嬉しかった。


「――さて、行きましょう」


「……そうだった。遊んでる場合じゃなかったわね」


「うん……」


 二人とも、少し前までのワチャワチャムードはどこへ行ったのかというくらいサクッと気持ちを切り換えた。わたしは何だかよく分からないまま、頷きながらも頭の中にはクエスチョンマークが飛んでいた。



 この日、わたしは初めて彼の愛車〈マークX〉に乗せてもらった。とはいっても、母と二人で後部座席だったけれど。


「――スゴいわねぇ、桐島くん。この車、自前なんですって? 絢乃から聞いたわよ」


「ママ、はしゃぎすぎ! ――ゴメンねー、桐島さん」


 わたしもまた彼の車(それも今度は新車)に乗ることができて心躍っていたけれど、それ以上に上機嫌だった母に呆れ、彼に平謝りだった。


「いえいえ。多少ムリはしましたけど、購入して正解でしたね。秘書室に異動すれば手取りの収入も増えますし、今までより生活も少し楽になりますから」


 だから支払いのことは心配しないでほしいという意味で、彼はそう言ったのだと思う。

 そこで、わたしにはある疑問が持ち上がった。


「……ねえ、そういえば今日の時点で桐島さんの所属ってどこなの?」


 確か、二日前の葬儀で総務課での仕事は終わっていたはず。でも、秘書室にはまだ籍が移っていなかったらしい。だとしたら、彼はその時どういうポジションにいたのだろう?


「一応、人事部預かりということになっています。まあ、秘書室も人事部のかんかつですからね」


「なるほど……」


「でもまあ、今日は私たち親子の専属ってことでいいんじゃない? 特別手当も私から払ってあげるし」


「ママ!?」


 わたしが納得しかけたところ、母が恐ろしいことを平然とのたまった。手当を支払うからといって、使のは〝公私混同〟といわないだろうか?


「手当、頂けるんですか? でしたら金額ははずんで下さいね」


「…………」


 彼まで何だか乗っかってしまい、わたし一人だけがこの話で置いてけぼりを食らった状態になっていた。

 ……これでいいのか、桐島貢。いや、篠沢加奈子も可だろう。……というか、どうしてわたしそっちのけで意気投合しているんだろう、この二人。まるで歳の離れた姉弟きょうだいみたいだった。



「――ところで絢乃さん、加奈子さん。一昨日伺ったお話のことなんですが……」


 彼は母の冗談に乗っかるのをピタッとやめて、真面目な話を始めた。


「お二人が本気でお決めになったことでしたら、僕は反対しませんが。それでよろしいんですね? お二人でグループの未来を背負っていかれる、ということで」


「うん。もう決めたことだし、ママも納得してくれてるから。わたし自身も大変だってことは重々承知してるし、覚悟もできてる。あとは、反対派の人たちにどう納得してもらうかってことだけだけど」


「それは私の役目。あのうるさい連中を黙らせられるのは、当主である私だけだもの。だからきっと大丈夫!」


 わたしと母とで、割り台詞で彼に答えた。



 二日前に親子で考えたこと――それは、会長としての職務を二人三脚でこなしていくことだった。


 わたしの学業優先ということにすれば、必然的にオフィス内に会長のいない時間ができてしまう。〈兼孝派〉はきっと鬼の首でも取ったように、そこをツッコんでくるだろう。

 そういう事態を想定して、わたしは母にお願いしたのだ。わたしがいない間、会長代行を務めてもらえないかと。

 母はわたしが生まれてから教師の仕事を辞め、家にいた。塾講師などの仕事くらいはしていたけれど、ほとんどヒマを持て余している状態だったので、わたしの頼みはちょうどよかったようである。



「――絢乃さん、僕もぜひあなたに会長として頑張って頂きたいと思っています。そのために秘書室へ異動希望を出したようなものですから」


「桐島さん……」


 父がこの世を去ってから、色々な人に言ってもらった。「あなたに会長をやってもらいたい」「応援している」と。

 どれも嬉しかったし励みになったけれど、わたしにとっては彼からの言葉が何よりの起爆剤だった。


「僕は今日の会議に出られませんが、絢乃さんが勝利されるように祈っていますね。会議が終了しましたらご連絡下さい。お迎えに参りますので」


「うん、ありがとう」


 彼はこの日、会社に入るわけでもないのにビシッとスーツを着て、ネクタイまで締めて来ていた。気持ちのうえでは、もうすっかり秘書になっていたのだろう。


「あのね、桐島くん。水を差すようで申し訳ないんだけど、帰りの迎えは必要ないわよ? 寺田を呼ぶから。あなたは会社で私と絢乃を降ろしたら、そのまま帰ってゆっくり休みなさい」


「……はあ、かしこまりました」


 彼はに落ちないような様子だったけど、それは母なりの、彼への思いやりだった。



   * * * *



 ――それから数分で、わたしたちの車はオフィスビルの地下駐車場へ到着した。



「桐島さん、ありがとう。じゃあ行ってきます!」


 わたしと母は各々バッグとコートを手に、さっそうと車を降りた。


「はい、行ってらっしゃいませ! ご連絡お待ちしています」


 彼が車で帰っていくのを見届けてから、わたしたちはエレベーターで三十二階の大会議室へと乗り込んだ。


 ――地上三十四階・地下二階の三十六階建てビルの高層階にある大会議室は議場と見まがうほど大きな部屋で、月一回行われるグループ本部の幹部会議が開かれるのもこの部屋である。


「――みなさん、おはようございます。本日はわざわざお集まり下さってありがとうございます。ではこれより、緊急取締役会を始めたいと思います」


 わたしと一緒に議長席に着いた母が、おごそかに会議の開会を宣言した。

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