わたしと彼の決意 ②

 ――あれだけの大規模な葬儀なら、マイクロバスを数台チャーターすれば済む話だったと思うのだけれど。我が一族の面々は一人一人プライドが高いので、乗り合いという文化を好まなかったのだ。



 一族の人間を除いて火葬場まで同行したのは、貢と本社社長で本部の執行役員でもある村上むらかみごうさん、彼の奥さまと当時十四歳だったお嬢さん、そして秘書室の小川さんだけだった(あと、社用車の運転を担当していた総務課の人と)。



 村上さんご一家と一緒の社用車で来ていた小川さんは、父の火葬が始まると母に驚くべき事実を打ち明けた。


「――奥さま、私はこの度、村上社長に付かせて頂くことになりました。本当はこのまま新会長……、絢乃さんに付くのが筋だと思うのですが、ひろ室長から配置換えを命じられまして……。後任者はもう決まっておりまして、私の業務はすべてそちらに引き継いでおりますので」


 〝引き継ぎ〟〝後任者〟と聞いて父の最後の言葉を思い出したわたしは、「あ」と声を漏らした。


 ――『桐島君にお前のことを託したんだ。いざという時には、絢乃のことを守ってやってほしい、と』 ……


 小川さんの口から出た〝広田室長〟というのは、人事部秘書室の室長・広田たえさんのことだ。

 父の口ぶりといい、もしかして彼の異動先というのは――と。

 わたしはすぐ近くに立っていた彼をチラリと見遣ったけれど、彼がその視線に気づいていたかどうかは分からなかった。


「――あらそうなの……? 残念だわ。あなたはこれまで夫によく尽くしてくれてたのにね。本当にありがとう」


 同じ頃、母が小川さんのことをねぎらっていた。


 当時のわたしには、この場面が本当にその意味しかないように見えた。小川さんは秘書として優秀な人だし、父の闘病中にも何かと力を貸してくれていたから。

 彼女と父との関係は良好だったけれど、それはあくまでも仕事上の関係で、があったなんて思ってもみなかった。

 彼女が父に、尊敬以上の感情を抱いていたなんて……。

 そして母も、そのことを知っていながら彼女のことをゆるしていたのだ。


「――奥さま、ありがとうございます。また社内でお目にかかることもあると思いますので、その時にはお気軽にお声をかけて頂ければ……。では、私はこれで失礼致します」


「あら、もう帰るの? 振舞いの仕出し、あなたの分も頼んであったのに」


「はい。申し訳ありませんが、私の分は辞退させて頂きます。部外者の私がご親族のお話し合いに同席するわけに参りませんので」


 母はきっと、彼女にも同席してもらいたかったのだ。話し合いがふんきゅうした時のストッパー役として。

 もっとも、火葬場へ向かう車内ですでに、その役は貢が買って出てくれていたのだけれど。ストッパー役は一人でも多い方がいいと思っていたのだろうか。


「そう……、本当に残念だわ。じゃあ、気をつけて」


「はい。――絢乃さん、私もあなたが新会長に就任されることを望んでいますから。またお会いしましょうね」


「ええ。小川さん、ありがとう。父がお世話になりました」


 彼女は涙ぐんでもう一度わたしたちに深々とお辞儀すると、帰りのタクシーを呼ぶために管理事務所までゆっくりと歩いていった。



   * * * *



 ――小川さんが帰ってすぐ、わたしたち篠沢家の一族は待合ロビー奥の座敷へ入った。

 ここが振舞いの場であり、親族会議の第二ラウンドの場でもあった。


 本当は村上さんにも同席してほしかったけど、彼はご家族と一緒に帰ってしまっていた(ちなみに小川さんとは別に、である)。

 彼がストッパー役で同席してくれたのはありがたかったけれど、できればイチ社員でしかなかった彼に、親族同士のあんな醜い争いを見せたくなかったな……と思う。


 〈兼孝派〉の人たちは、わたしが父の後継者となったことに対してまだグダグダと文句を並べたて、果ては父のことまで非難し始めた。


「――加奈子さん、あんたの婿さんもとんでもないことをしてくれたもんだ。死んだ人のことを悪く言いたかぁないが、グループの伝統を思いっきり引っかきまわしてくれた挙句、こんな小娘を後継者に指名するとはな。ったく、よそ者のくせに何を考えてたんだか」


 ……言いたくないなら、言わなければいいのに。

 わたしは仕出し料理を食べながら、いかりで胃がおかしくなりそうだった。「砂を噛むよう」ってこういうことなんだなと思った。


 わたし一人が槍玉に挙げられるのは一向に構わなかった。それは覚悟のうえで、わたしも腹を括ったのだから。でも、父のことを悪く言われることだけはガマンならなかった。

 この人たちはきっと知らないのだ。父が亡くなる直前まで、グループの将来を案じていたことも、グループや社員たちのためにどれだけ知恵を絞って奮闘してきたのかも。

 そんなことを知りもしないで、自分たちがグループ内で実権を握れないことだけを忌々いまいましく思っていたのだろう。


「絢乃ちゃんはまだ高校生だろう? 会長なんて務まるのかね」


「…………」


 痛いところを衝かれた。この発言で、わたしの自信のなさを見透かされたような気がした。

 また胃がキリキリと痛み出し、わたしは顔をしかめながら痛む部分をさすっていた。


「務まるわよ、きっと。この子はあの人のやり方をいちばん近くで見てきたんだもの! そして本人の意欲も十分にあるの。――確かにまだ幼いから、周りの大人のフォローは必要になるでしょうけど、逆に足引っぱってどうするのよ! 信じて支えてあげるべきなんじゃないの!?」


 母は必死になって、娘であるわたしをかばってくれていたけれど、わたしは余計にいたたまれなくなった。

 父の期待に応えられる自信すらあやうかったのに、当主である母にまで期待されて、わたしにはかなり大きなプレッシャーだった。



「――みなさん、お取り込み中失礼いたします。……絢乃さん、ちょっと席外しましょうか」


 わたしの様子がおかしいことに気づいたらしい貢が、わたしにそっと退出を促した。

 彼は本当にわたしのことをよく見てくれているんだなぁと不謹慎にも嬉しくなり、わたしは首を縦に振った。


「……よろしいですよね? 加奈子さん」


「ええ。桐島くん、気を遣わせちゃってゴメンなさいね。ありがとう」


「いえいえ。では絢乃さん、参りましょう」


「うん」


 わたしは彼と一緒に立ち上がり、他の人たちにペコリと頭を下げてからコートとバッグを持って座敷を出た。


 わたしたち二人が退座した後も、母VS親族の言い争いは続いていて、時々母の怒鳴どなる声が聞こえてきていた。



   * * * *



 ――わたしは彼に連れられ、待合ロビーにいた。午前にが予約されていたのはウチだけだったようで、ロビーにはわたしたち以外に誰もいなかった。



 そこは何基かのソファーとローテーブル、飲み物やお菓子・パンなどの自動販売機が数台、そして化粧室がある広いスペースで、座敷ほどではないけれど暖房も効いていて快適だった。


「――絢乃さん、何か飲み物買ってきますから、ここのソファーに座って待っていて下さいね。何がいいですか?」


「ありがとう! じゃあ……あったかいカフェオレをお願い」


「分かりました」


 彼は笑顔で頷いて、その場を離れた。


 彼を待つ一分弱の間、わたしはやっと一人になれた。座敷にいた時は生きた心地がしなかった。

 ふと思い立ってスマホの画面を開くと、里歩からのショートメッセージが来ていた。



〈今家に着いたよー♡

 話し合い、どんな感じ?? あたしはいつでもアンタの味方だよ☆ だから何言われたって負けんなよ!

 もうすぐ三学期始まるけど、絢乃はしばらくきだよね? 元気になってまた学校で会おう!

 また連絡しま~す♪〉



「――ありがと、里歩」


 彼女からのメッセージに元気をもらい、わたしはスマホの画面に向かってお礼を言った。



〈案の定荒れてる。ママの頭の血管がもつかどうか(笑)

 里歩、心配してくれてありがと。わたしも正直、ちょっと気分悪いけど大丈夫!〉



 手早く返信し、スマホをバッグにしまったところでカフェオレの缶と、彼自身の分と思しき微糖の缶コーヒーを手にした貢が戻ってきた。


「――お待たせしました。どうぞ」


 コトン、と小さな音を立てて、彼が目の前のテーブルにカフェオレを置いた。


「ありがとう。――あ、お金……」


「ああ、いいですよそれくらい」


 わたしは彼が自腹を切ってくれたことを申し訳なく思い、バッグからお財布を出して小銭をさぐったけれど。彼はそれを遠慮した。



 彼がわたしと適度に間隔を空けて隣に座り、缶コーヒーを飲み始めたので、わたしも缶のプルタブを起こし、中身をすすってみた。お砂糖とミルクの優しい甘さと温かさで冷えていた心が解れ、生き返ったような感じがした。


「――顔色、だいぶ戻られたようでよかったです」


「……え?」


「先ほどまで青白い顔をされていたので心配だったんです。ご気分はいかがですか?」


 驚いて彼を見ると、その顔には心からのあんの表情が浮かんでいた。


「うん、ちょっとマシになったかな。心配してくれてありがとね。カフェオレにして正解だったかも」


 カフェオレは少し冷めてきていたので、わたしはゴクゴク飲んだ。実はわたし、猫舌なのだ。

 昼食も兼ねた振舞いの仕出し料理は食べた気がしなかったので、わたしの胃の中はほとんど空っぽだった。カフェオレならミルクがたっぷり入っているので、胃の粘膜を保護することができると思ったのだ。



「――絢乃さん、コーヒーお好きなんですか?」


 先に飲み終えていた貢が、不意にそんな質問をしてきた。――〝も〟と言ったということは、彼もコーヒー好きなんだなあということくらいは察しがついた。


「うん。パパからの遺伝かな。パパも毎朝、コーヒーを飲まないと目が覚めない人だったから。ママは紅茶好きなんだけどね。――もしかして、貴方もコーヒー好き?」


「そうなんです。僕の場合は飲むだけではなく、好きが高じて淹れる方にもっているんですけどね」


 ……やっぱり。そして「好きが高じて自分でも」って、わたしにとってのスイーツと通じるものがあるなと思い、心がほっこり安らいだ。


「へぇー、いいなあ。わたしもいつか飲んでみたいな。貴方に淹れてもらった美味しいコーヒー」


 つい、口からポロッとそんな願望が零れてしまったけれど。彼は次の瞬間、はっきりとわたしに向けてこう言った。


「そのお望み、すぐに叶えて差し上げられそうですよ」


「え……、そうなんだ。それは楽しみ」


 きっと彼は、わたしが気づくのを今か今かと待っていたのだろう。彼の転属先がどこかということに。

 父がどんな思惑おもわくをもって、彼にわたしのことを託したのか、ということに。



「――桐島さん、ゴメンなさい。さっきはみっともない現場を見せちゃって……。貴方も気分が悪かったんじゃない?」


 わたしにもやっと気持ちのゆとりが戻ってきたので、わたしは篠沢一族を代表して彼に謝った。


「いえ、そんなことは……。絢乃さんにお詫びして頂くことではありませんし」


「それならいいんだけど。恥ずかしい話、あの人たちっていつもああなの。あれが身内だと思うと情けなくて。――桐島さん、うちの一族が二つの派閥に分かれてることは知ってた?」


 彼になら話しやすいからか、ついつい身内の恥までグチってしまった。

 派閥争いのことを持ち出したのは、彼も篠沢の社員なのだから、どこかでウワサくらいは耳にしているだろうと思ったからだった。


「ええ、まあ噂で聞いたことは。何でも、お母さまをようして下さっている方々と、先々代会長の弟さんを慕う方々に分かれているとか。そういえば、先ほどの親族会議の時もそうでしたね」


 ちなみに、彼が言った〝先々代会長〟というのは、わたしの祖父・むねあきのことである。


「それだけ知ってるなら話は早いわね。――あの人たちね、お祖父さまが引退してパパが後継者になった時もあんな感じだったのよ。『加奈子さんが継ぐならまだ分かるが、なんでよそ者の婿さんが出しゃばってくるんだ』って。要するに、篠沢の血縁者じゃない人が経営に関わること自体、あの人たちは気に入らないらしいの。失礼しちゃうよね。わたしだって、篠沢の血を引いてるのに」


 そのうえ父は、会長に就任すると一族経営の撤廃を敢行した。まずは中枢である篠沢商事の役員人事から改革を始めて、篠沢一族を一人残らず本部へと追いやることで、一族による経営権の独占・社内政治を廃止することに成功したのだ。

 〈兼孝派〉の人たちは、そのことも気に入らなかったのだろう。わたしがまだ高校生だったから、というのはの理由で、本当はこころざし半ばで逝ってしまった父の改革を娘のわたしが引き継いで進めていくのをはばみたかったのかもしれない。

 小娘のくせに偉そうに、と言われるのはシャクだった……けれど。


「……でもね、『高校生のわたしに会長なんて務まるのか』って言われたのはさすがに参っちゃったなぁ。わたしだってそう思ってるもん。わたしが屋台やたいぼねで大丈夫なのかな、って」


 せっかくこの日、彼とゆっくり話せる時間ができたのに、話しているのはほとんどわたしばかりという状態。しかも口をついて出てくるのはグチや弱音ばかりだった。


「……あっ、ゴメンなさい! こんなつまらない話ばっかり聞かせちゃって。貴方にグチっても仕方ないのにね」


 ずっと聞き役に徹してくれていた彼も、きっとウンザリしているだろうな……と思ったけれど。


「いえいえ、謝る必要はありませんよ。僕にはグチでも弱音でも、どんどん吐いて下さって構いません。これからは、それも僕の仕事の一環になるわけですから」


 彼のこの一言で、わたしの中の「もしかして」は確信に変わりつつあった。

 でも、わたしはそれを彼の口から聞きたいと思った。


「――ねえ桐島さん、もし間違ってたらゴメンね。もしかして、貴方の異動先の部署って……」


「……はい、人事部・秘書室です。籍はまだ総務課に残っていますが、もう研修は終えていますので」


「やっぱり……。じゃあ、小川さんの後任者っていうのも」


「はい、僕です。正式な辞令が下りるのは、新会長が決まってからになりますが……。実は、ほぼ絢乃さんで決まりだろうと言われているらしくて」


「……そう」


 そんな話は初耳だった。――〝ほぼ〟と言われていたのはきっと、取締役会で過半数の承認を得るまでは正式に決定というわけではないからだろう。


「……あれ? 絢乃さん、リアクション薄いですけど、もしかしてご存じでした?」


 わたしがあまり驚いていなかったので、彼は目を瞬かせた。


「まあね。貴方がわたしのことを託されたっていうのは、わたしもパパから聞かされてたから。確信に変わったのはついさっきよ。小川さんの配置換えの話を聞いて、さっきの貴方の言葉と総合したら、こういう結論が導き出されたの」


「そうだったんですね……」


 もちろん、根拠はそれだけではなかった。

 彼がムリをして車を買い換えたのも、秘書としてわたしを支えるんだという彼の決意の表れだったのだ。


「あなたが先ほど『自分が会長で大丈夫なのか』と心配なさっていたように、僕も正直申し上げて自信はありません。ですが、あなたをお守りしたいという気持ちだけは誰にも負けないつもりです」


 決意を語る彼の目は、少年のようにキラキラ輝いていた。

 彼と一緒なら、わたしは何でもできる気がした。自信のない者同士でも、二人で力を合わせれば――。


「――桐島さん、わたしも自信ないなりに頑張って会長やってみる。だからこの先、わたしのことをしっかり支えててほしい。よろしくお願いします」


「もちろんです! こちらこそよろしくお願いします、絢乃さん!」


「うん!」


 ――それが、わたしと彼との間に確かな絆が生まれた瞬間だったと思う。

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