遺言…… ③

 ――その夜、わたしたちは短い時間だったけれど、充実したひと時を過ごした。


 食卓にはサラダやローストビーフ、パンシチューなどの他に、大皿に盛りつけられたフライドチキンとホットビスケットも並べられた。

 これは里歩からの手土産みやげで、史子さんが温め直して出してくれたのだ。


 まずはみんなで乾杯し(といってもアルコールなしの炭酸飲料だったけど)、先にわたし特製のクリスマスケーキを切り分けて食べよう、ということになった。

 手が込んでいない、シンプルな白いショートケーキだったけれど、イチゴは大粒なものを使ったり、ホイップの絞り方を工夫してみたりして、何より美味しいケーキに仕上がったとわたしは自負じふしている。


 父は甘いものがあまり好きではなかったのだけれど、わたしが作ったお菓子は喜んで食べてくれた。



「――不思議だなぁ。お父さん、甘いのは苦手なんだが絢乃が作ってくれたら食べられちゃうんだよ」



 そして食べた後には、必ずそう言って笑ってくれたものだ。

 ムリして食べてくれているんじゃないかとわたしはその度に心配していたけれど、そうではなかったらしい。

 我が子が愛情を込めて作ったものなら、親は食べられるものなんだよ。――父はそう言っていた。


 そんな父のために、わたしはこのケーキにもうひと工夫してあった。

 真っ先にそのことに気づいたのは、父よりもわたしの作ったスイーツを食べ慣れている里歩だった。


「――ねえ絢乃。あたしの気のせいかもしんないけど、このケーキってリキュール使ってる?」


「うん、香りづけにほんの少しだけね。気になるんだったらゴメン」


「ううん、大丈夫。全然気になんないよ」


「だったらいいけど……」


 スポンジ生地に使っていたリキュールのアルコールは、焼いた時に飛んだはず。未成年の里歩が「大丈夫」と言ったのだから、心配はないはずだったのだけれど――。


「……ねえ、桐島さんは大丈夫? 貴方、お酒に弱かったでしょ?」


 ふと彼が下戸だったということを思い出し、わたしはそっと訊ねてみた。


「これくらいでしたら問題ないですよ。すごく美味しいです」


「ホント? よかった……」


 自分の心配がゆうに終わったことと、好きな人にお手製のスイーツを「美味しい」と言ってもらえたことが嬉しくて、わたしも自然と笑顔になった。

 父も母も喜んでくれて、母からは「絢乃、また腕上げたんじゃない?」と褒められた。


「ありがとう。……うん、美味しいね」


 みんなからの上々な評判を受け、わたし自身もケーキを頬張って顔を綻ばせた。



 その後はクリスマスソングがBGMとして流れる中、みんなで楽しくお料理を食べて、おしゃべりをして、時々歌を口ずさんで……という賑やかで楽しい時間を過ごすことができた。


 彼がいちばん驚いていたのは、フライドチキンをわたしも母も(父はさすがにムリだったけれど)豪快に食べていたこと。

 こういうものは、かぶりつかないと美味しくないのだ。行儀のしなんて構っていられないのである。


「絢乃さん、意外とワイルドなんですね……。驚きました」


 わたしが油でベタベタになった口元を紙ナプキンでぬぐっていると、彼は口をあんぐり開けてそんなコメントをした。


「だって、お上品に食べてても美味しくないでしょ? ……あ、もしかして引いてる?」


 わたしだって普通の女子である。ファストフードも大好きだし、ハンバーガーにかぶりつくのも平気なのだ。

 でも、彼には幻滅されたくない、というも少しは働いていたかもしれない。


「いえいえ! 引いてなんかいません。本当に、ちょっとビックリしただけで。でも、何だか親近感が湧きましたよ。絢乃さんも普通の女の子なんだなぁ、と」


「え……、そう」


「はい。あと、そのトナカイのツノも可愛いです」


「あ……」


 わたしはちょっと恥ずかしくなって、カチューシャのツノに両手で触れた。パーティーの間だけでも着けておこうと思っただけなのに、子供っぽいと思われたかもしれない。


「不謹慎……よね、やっぱり。外した方がいい?」


 父の命のは、もうすぐ消えそうだった。そんな時に、こんなものを着けて浮かれている場合ではなかったかもしれない。


「いえ、外さなくていいじゃないですか。お父さまも楽しんでいらっしゃるようですし」


 でも、彼は優しい笑顔でそう言ってくれたので、わたしの胸は不覚にもときめいてしまった。


「そう……ね。じゃあ、外さないでおこうかな」


 せめて彼が家にいる間だけは、わたしはトナカイでいようと思った。



「――そういえば、里歩さんって背が高くていらっしゃいますけど、何かスポーツをなさってるんですか?」


 お腹もいっぱいになり、トランプでババ抜きをして遊んだ後、彼が里歩にそんなことを訊ねた。

 初対面だから、彼女の話を聞きたがった貢の気持ちは分かる。けれど、女性に対して身長の話はご法度はっとではないだろうか?


「ちょ……ちょっと、桐島さん!」


「絢乃、いいから。――あたし、中等部からバレーボールやってるんです。この秋からはキャプテンも任されてるんですよ」


 わたしが彼をたしなめようとすると、里歩はそれを制して質問に答えた。


「へえ、バレーボールですか。どうりでスラッとされてるわけだ」


「いえいえ、それほどでも」


 彼が何気なく放った褒め言葉を、里歩は軽く受け流した。……さすがは彼氏持ち、気持ちにゆとりがある。


「ちなみに、ポジションはウィングスパイカーです」


「なるほど、攻撃のかなめというわけですね」


「そんな大ゲサなもんじゃないですけど」


 親友と好きな人がバレー談議に花を咲かせて、わたしは二人に繋がりができたことを喜んでいた。


「そういう桐島さんは? 何かスポーツやってたんですか?」


「あ、それ、わたしも聞いてみたい!」


 里歩の質問返しに、わたしも便乗した。彼が昔どんな部活をやっていたかなんて、それまで一度も話題に上ったことがなかったからだ。


「何もやってませんでしたよ。こう見えて僕は、思いっきり文化系なんで」


「えー、ウソだぁ!」


「里歩!」


 彼の答えを豪快に笑い飛ばした親友を、わたしはたしなめた。


「というか、部活自体、何もやってませんでしたね。いわゆる〝帰宅部〟というヤツで」


「だったらわたしと同じね」


 わたしも実は、中等部からずっと帰宅部だった。でも、それは習いごとをたくさんやっていて忙しかったから。

 それに、部活をやる必要性も感じていなかったし……。わたしも運動は苦手なのだ。



「そういや、アンタ運動オンチだったもんねー。――あ」


 窓の外を何気なく見た里歩が、ふと声を上げた。


「雪、降ってきたよ」


「ホントだ……。そういえば、今日は雪が降るかもって天気予報で言ってたものね」


 この日は夕方からすごく冷え込んでいて、夜の八時過ぎには白い雪片がチラチラ舞い始めていた。


「どうりで冷えるわけですね……。東京でホワイトクリスマスなんて珍しいな」


 誰からともなく窓際に立ち、わたしたち三人は雪を眺めていた。


 家の中は暖房が効いていて暖かかったけれど、外はうんと寒かったはず。黒いタイツを穿いていたとはいえ、デニムのミニスカートで来ていた里歩は寒くなかったのだろうか?


「この雪、積もるかな……」


 見る見るうちに地面を白く染めていく雪を見ながら、里歩が呟いた。

 雪国ではないので、さすがに交通がマヒするほどは積もらないだろうけれど。それでも二人が帰る頃には足場が悪くなっているだろうことは確かだった。


「多分ね。――二人とも、帰る時気をつけてね。特に桐島さんは、車で来てるんだから」


「ありがとうございます。ちゃんとタイヤチェーンを積んできてあるので大丈夫です」


「あたしも転ばないように、足元に注意して帰るよ。絢乃、ありがとね!」


「ううん。――この雪は、もしかしたら神さまからのプレゼントなのかもしれないわね。最後のクリスマスを過ごすパパへの……」


 降りしきる雪を眺めていたら、わたしには何故かそんな気がした。


 わたしたち親子に過酷な試練をお与えになった神さまも、こんなイキなことをなさるのだと思い、無宗教ながらほんの少し感謝した。


「うん、あたしもそう思う」


「僕もです」


 里歩も貢も、わたしの気持ちにそっと寄り添ってくれた。



「――絢乃。お父さん、ちょっと疲れたから先に休ませてもらうよ」


 しばらくして、サンタキャップを脱いだ父が車いすでやってきて、わたしに告げた。


 口では「大丈夫」と言っていたけれど、やっぱり相当ムリをしていたらしかった。


「うん。――車いす、わたしが部屋まで押していってあげようか?」


「いいから、絢乃。ママが押していくから、あなたはここにいなさい」


 わたしは里歩と彼を振り返り、しゅんじゅんした。二人はこのクリスマスパーティーの〝お客さま〟だ。放っていくわけにはいかなかった。


「……分かった。パパ、おやすみなさい」


「里歩ちゃん、桐島君、悪いねぇ。私はこれで失礼するが、君たちはゆっくりしていくといい」


「は~い! おじさま、お大事に」


「会長、お大事になさって下さい」


 父は母に介助されながら、寝室へ向かっていた。



   * * * *



「――わぁ、外真っ白だ! 絢乃、あたしそろそろ帰るねー」


 夜の八時半を過ぎ、クリスマスパーティーはお開きとなった。

 里歩と彼は後片付けまで手伝ってくれて、母と史子さんは二人にものすごく感謝していた。

 本当はもっと遅くまで残ってほしかったけど、あの雪だ。里歩は電車で帰るので、早めに引き揚げることにしたらしかった。


「うん。……あ、じゃあ門のところまで送っていくよ」


 わたしもソファーから腰を浮かしたけど、里歩に止められた。


「ああ、いいよいいよ。あたしは一人で大丈夫だから! ――それより、桐島さんと話したら? あたしはいない方がいいっしょ?」


「え……」


 彼女はどうやら、わたしと彼の恋を取り持つべく、気を回してくれたらしい。

 ちなみにこの会話は、彼から離れて小声で交わしていたので、彼の耳には入っていなかったのだとか。


「……うん、ありがと。冬休み中に何かあったら、また連絡するわね。里歩、気をつけて帰って」


「うん。バイバイ絢乃。おやすみ~! ――うわー、外寒そー!」


 そのしばらく後、玄関の方から里歩の悲鳴(?)と、ブーツの足音が聞こえてきた。


「――桐島さん、今日は来てくれてありがとう。お客さまなのに、片付けまで手伝ってもらっちゃって」


 わたしはソファーに座ってココアを飲んでいた彼に、改めてお礼を言った。


「いえいえ。高いところの飾りを取るには、男手が必要かなと思いまして」


「そう。……あれ? そのココアはどうしたの?」


「ああ、これですか? 先ほど家政婦さんが淹れてきて下さったんです。僕も、これを飲み終えたら失礼しようかと」


 そう言った彼のカップの中身は、もうほとんど残っていなかった。


「え、貴方ももう帰っちゃうの……?」


 せっかく里歩が二人っきりにしてくれたのに……。わたしは淋しさを隠しきれず、気がつけば彼が着ていたニットの袖をつまんでいた。


「……はい。僕ももう少しここにいたいのはヤマヤマなんですが、雪がこれ以上ひどくなる前に引き揚げた方がいいかな……と思いまして。明日も出勤ですし」


「そう……」


 でも、彼に困っているような素振りは見られず、わたしの手を振りほどこうともしなかった。

 多分、彼の方にもわたしともう少し一緒にいたいという気持ちがあったのだろう。ココアのカップをカラにすると、わたしにこんな提案をしてくれた。


「ご馳走さまでした。――あ、そうだ。僕、今日新車で来たんです。よかったら、絢乃さんも今からご覧になりますか?」


「えっ? 新車って……、それじゃあホントに買い換えたの?」


「ええ」


 あっさり認めたけれど、彼にとって新車こうにゅうは決して安い買い物ではなかったはず。――わたしは彼の勇気の結晶を、ぜひともこの目で見たいと思った。


「うん、見たい! ……待ってて、部屋からコート取ってくるから!」


「はい、ここでお待ちしています。ゆっくりでいいですからね? 慌てて転んだら大変ですから」


 彼の言葉を半分も聞かず、わたしは駆け出していた。

 急いで二階の自室に飛び込むと、ウォークインクローゼットから普段使いのダッフルコートを引っぱり出して羽織り、これまた大急ぎで階段を駆け下りた。


「き……桐島さん……っ! お待たせ……」


 ゼイゼイと息を切らし、肩を上下させていたわたしを見て、彼は呆れたように笑った。


「慌てなくていいと言ったのに……。転んでいないようなのでよかったですが」


「あ…………」


 わたし、みっともない。恥ずかしい。穴があったら入りたい! ――好きな人に思いっきりしゅうたいを晒した自分を、これでもかとののしった。

 あまりの恥ずかしさに、わたしはしばらくうつむいたまま顔を上げられずにいた。


「ああ、すみません。バカにしたわけじゃないですよ? 絢乃さんの必死さが、あまりにも可愛かったので、つい」


「え……? 可愛いだなんて、そんな」


 彼からのこの言葉は、何度かけられても嬉しい。それはきっと、わたしだけの特権だからだ。

 だって彼は、どの女性に対しても社交辞令でそんなセリフを吐くような男性ひとではないから。心にもないことを言えるような、器用な人ではないと、わたしは知っているから。


「……すみません、今のは聞かなかったことにして頂けませんか? ――あの、僕はこれで失礼します。おジャマしました。会長にもよろしくお伝え下さい」


 彼は照れ臭かったのか、話をはぐらかしてからリビングにいた母と史子さんに声をかけた。


「ええ、伝えておくわ。絢乃、彼をちゃんと見送ってあげるのよ」


「うん。じゃあ、ちょっと行ってきます」


「行ってらっしゃいませ、お嬢さま」



   * * * *



 二人に玄関ホールまで見送られ、わたしは彼と並んで駐車スペースまで出た。

 彼の方が明らかに脚が長いので、歩く速さも彼の方が速いはずなのに、彼はわたしの歩幅に合わせて歩いてくれた。そんなところからも、彼の優しい人柄が窺い知れた。



「――これが、僕の新しい車です」


 大きなリムジンが五~六台は停められそうな広さの駐車スペース。……もっとも、実際に停まっていたのはセンチュリーも含めた国産車三台だけだったけれど。

 その一画に、真新しいシルバーのセダンが停められていた。彼曰く、車種は国産メーカーの〈マークエックス〉らしく、この車は今でも彼の愛車である。


「へぇ……、スゴい! まさかホントに買い換えてたなんてね」


 わたしはヒンヤリ冷たい車体の表面にそっと触れてみた。

 彼は確かに、わたしと知り合ったあの夜、「車を買い換えるつもりだ」と言っていた。けれど、それを実行に移せたのは潔いというか、何というか。


「有言実行ね。ホントにスゴいわ」


 わたしはこの時、彼を心から「カッコいいな」と思った。


「……畏れ入ります」


 彼ははにかみながら、わたしにペコリと頭を下げた。


「――ねえ、この車っていくらくらいかかったの?」


 わたしはふと、彼のお財布事情が心配になった。

 篠沢ウチの月給は安いわけではないけれど、それでも彼はごく普通の会社員。しかもひとり暮らし中の身だった。そんな彼にとって、この大きな買い物は相当な冒険だったに違いないのだ。


「そうですね……。内装をカスタムしたり、オプション装備にかかった分も含めて、ざっと四百万弱というところですかね。もちろん現金ではなく、ローンを組んで、ですが」


「四百万……」


 かなりの大金である。わたしや母にとってはそれほど大きな金額ではないけど(裕福な家に育ったせいで感覚がマヒしてしまっているのかもしれない)、彼にとっては年収の八割を占める額だ。


「毎月の返済、キツくならない? 生活費とか大丈夫なの?」


「はい、どうにか。返済額は増えてしまいましたが、絢乃さんのためだと思えば全然になりませんから。そのため……といっては何ですが、今より給料のいい部署へ移れることになりましたし」


「そう……。それならいいんだけど」


 彼がそれで納得しているようだったので、わたしもそれ以上気を揉む必要はなくなったのだけれど。気になったのは、なかなか教えてもらえない彼の転属先だった。


「……ねえ桐島さん。その新しい部署って、わたしにはまだ教えてもらえないの?」


「そう……ですね、今はまだ。お話しできる時が来たら、ちゃんとお話しします。本当はが来ない方がいいのかもしれませんけど……」


「え……、それって」


 彼の答えと悲しそうな表情から、わたしは彼が何故それまでその話題を避けたがっていたのかを理解した。


「……つまり、〝その時〟っていうのはパパが亡くなった後、ってこと……よね?」


 わたしが出した残酷な結論に、彼も無言で頷いた。

 この時すでに、わたしにも覚悟はできていた。父の命の期限まで、カウントダウンが始まっているのだということへの覚悟が。

 だから、自分が言ったことを後悔していなければ、自分でショックを受けることもなかった。



「――それじゃ、僕もそろそろ失礼します。絢乃さん、カゼをひかないように早くお家に戻られた方が」


 激しく降りしきる雪の中、わたしたち二人はしばらく黙り込んでいたけれど、寒さには勝てず、彼がそう言った。


「それは貴方もでしょ? 明日も出勤なんだから、カゼひいたら大変でしょう」


「……そうですね。では絢乃さん、おやすみなさい」


「おやすみなさい。……桐島さん、また連絡くれますか?」


 父がいなくなった時、きっと彼なしでは立ち直れない。――そう思ったわたしは、すがるように彼に訊ねた。

 不思議と、「彼は迷惑かもしれない」という気持ちにはならなかった。


「はい、もちろんです」


 優しい彼は、迷惑がらずにわたしに微笑みかけ、運転席に乗り込んだ。


 彼の車を見送るわたしは、こごえそうな雪空の下、心の中がポカポカと温かいことを感じていた。

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