遺言…… ②

 ――わたしが電話で彼をクリスマスパーティーに誘うと、彼は恐縮した様子でこう言った。


『僕なんかがおジャマしちゃって、本当にいいんでしょうか?』


 ……まあ、彼の気持ちも分からなくはなかったけれど。

 わたしは生まれ育った家だから特別何とも感じなかったのだけれど、我が家の門構えには独特の威圧感があるらしいのだ。

 彼曰く、「自分のような庶民があの門をくぐるのはおそれ多かった」のだとか。――それが今では、になっているのだから、何ともおかしな話である。


 それはともかく、彼に誘いを断ってほしくなかったわたしは、とっておきの切り札を使った。


「いいのよ、桐島さん。遠慮しないでいらっしゃい。パパがね、どうしても貴方に来てほしいんだって」


 ちなみに、これはハッタリである。父には彼を招くことをまだ話していなかった。

 ちょっとそくな手段ではあったけれど、父の名前を出した途端に彼は「行かせて頂きます!」と即答した。――〝ウソも方便〟とはよく言ったものだと、わたしは内心喜んでいた。良心が痛まなかった、と言えばそれこそウソになるけれど……。



   * * * *



 ――そして、クリスマスイブ当日の夜。



 篠沢家ではささやかな――ささやかなホームパーティーが行われた。

 もっとも、わたしの家にれている里歩はともかく、初めておとずれた彼はだいぶおくれしていたようだけれど。


「――絢乃、やっほー♪ メリクリ! 今日はお招きありがとね!」


「里歩、いらっしゃい! どうぞ上がって」


「おジャマしま~す! ――あ、コレ差し入れね。やっぱ、クリスマスにはコレがないとねー☆」


 勝手知ったる何とやらの里歩はウェスタンブーツから来客用のファーのスリッパに履き替えると、持っていたビニール袋を差し出した。某有名ファストフードチェーンのロゴがプリントされたそれの中身は、フライドチキンのパーティーパックだった。


「わぁ、ありがと。いい匂い♪」


 わたしは努めて明るく、里歩を笑顔で出迎えた。

 父が息を引き取るまでは、わたしはなるべく笑顔でいようと決めていたのだ。少なくとも、家族以外の人の前では。


「クリスマスケーキね、我ながら会心の出来だと思うの。パパや里歩に食べてもらうの楽しみ! あと、桐島さんにも」


「へえ、今日彼も来るんだ? ケーキも楽しみだけど、彼に会えるのも楽しみだなー」


 彼女に貢を会わせる場をこんなに早くセッティングできて、わたしは満足だった。

 でも、里歩はわたしのはしゃぎっぷりから多少のムリを感じ取ったらしく。


「アンタさぁ、相当突っ張ってるでしょ?」


 リビングへの廊下を歩きながら、ズバリ指摘してきた。


「あたしの前では強がんないでさ、泣きたい時には遠慮なく泣いていいんだからね?」


「……どうして分かったの?」


「あたしが何年アンタの親友やってると思ってんの? 事情だって分かってるんだし、それくらい察して当然じゃんよ」


「……そうよね。ありがと。ホントに泣きたくなったらそうしようかな」


 わたしは本当に、頼もしい親友を持てたなと思う。彼女はそれまでにも、何度もわたしを助けてくれていたから。

 、わたしの精神的な支えになってくれていた人の中には、間違いなく彼女も入っていた。



 ――里歩と一緒にリビングまで行くと、またインターフォンが鳴った。ちなみに我が家のインターフォンは、セキュリティーの関係でモニター付きである。


「――はい、どちらさまでございますか?」


 史子さんが応答ボタンを押して、モニター画面を確認すると。


『あの……、こんばんは。篠沢商事に勤めております、桐島貢と申します。こちらの絢乃お嬢さまからご招待頂きまして――』


「お嬢さまが……。あの、少々お待ち下さいませ」


「……えっ、桐島さん!? 史子さん、わたしが応対するわ! ――里歩、ちょっとゴメンね」


 リビングにいたわたしは、すぐに彼女から応対を代わってもらった。


「桐島さん! 来てくれてありがとう! 待ってね、ゲートを開けるから」


『えっ、絢乃さん!? ――ああ、はい。ありがとうございます。……あの、車はどこに停めれば?』


 突然、応対者がわたしに変わったことに、彼は驚いていた。


「駐車スペースは正面玄関の横よ。空いてるところのどこに停めてもらっても構わないから」


『分かりました。では、お言葉に甘えて』


 心なしか弾んだ声で彼の返事が聞こえた後、わたしはロック解除のボタンを押した。


 ちなみに我が家の門は、車が通る専用の大きなゲートは中からインターフォン本体で開錠するか、外から家の人間による生体認証で開ける仕組み。ただし歩行者の出入り口は別になっていて、里歩はそちらの正面ゲートをくぐって来たというわけである。



 ――それから五分くらい経って、玄関ホールに彼が現れた。

 門からそこまで来るのにそれだけ時間がかかったのは、多分車を停めていたからというだけではなく。敷地が広いので迷っていたのかもしれない。


「――桐島さん、いらっしゃい!」


 わたしはとにかく、彼が来てくれただけで喜びを隠せず、満面の笑みで彼を出迎えた。


「こんばんは、絢乃さん。今日はご招待ありがとうございます」


 彼は緊張していたのか、かしこまってわたしにお辞儀をした。


「そんなに固くならないで、もっとリラックスして! ――どうぞ、上がって」


「はい、おジャマします」


 里歩とは色違いの来客用スリッパに履き替えた彼を、わたしはリビングまで案内した。



 彼はスーツこそ着ていなかったものの、明るいオレンジ色のカラーシャツにニットを重ねたキッチリコーディネート。――「パーティーに招かれたのだからおめかしせねば」と意気込んだからなのか、それとも普段から私服がああいう感じなのか判断がつかず、わたしは首を傾げた。


「あの……、絢乃さん」


「……ん? なに?」


 彼が何か気にしている様子で、わたしに声をかけてきた。

 後ろを振り向いてみると、彼はソワソワと家の中を見回していて、彼には失礼だけれど何だか挙動不審のおサルさんみたいだった。


「本当によかったんでしょうか? 僕なんかがこんなパーティーに来ても。何だか場違いな気がして……」


「何を気にしてるのかと思ったら、そんなこと? 今日のパーティーはささやかなホームパーティーだし、招待したのはわたしの親友と貴方だけだから。場違いだなんて思わないで? だってほら、わたしも私服だし」


「……はあ、確かに」


 わたしはその時、赤いタートルネックのニットにグレーのノースリーブワンピースを重ねた服装で、少し前までは小麦粉や生クリームまみれのエプロンをしていたのだ。これで〝形式ばったパーティー〟だと思われたら、「なんで?」と首を傾げてしまう。


「それに、言ったでしょ? パパも貴方に来てほしがってた、って」


「……はあ」


 わたしは彼を電話で招待した後、父にもそのことを話したのだ。

 ハッタリのために父の名前を出したことは謝ったけれど、父は笑いながらこう言った。



『絢乃、ありがとう。お父さんも、桐島君に直接礼を言いたかったんだ』と。



 そんなわけで、ハッタリはハッタリでなくなったのだった。


「あのお話、本当だったんですね……。信じられませんけど」


「……まあね」


 彼にウソをついていたわたしは、後ろめたさからお茶を濁した。父も「彼に会いたい」と言ってくれたので、結果オーライということになるかな?



 それはともかく、父は会社で何度か貢に助けてもらったことがあったらしい。

 父は気づいていたのだろうか? わたしが想いを寄せている相手が彼だということに。だからこそ、彼のことを気に入り大事にしてくれていたのだろうか――。



「――パパね、今日は調子がいいみたい。昨日まではあんまり具合よくなかったみたいなんだけどね。ムリしてるんじゃなきゃいいけど」


「そうですか……」


 この頃の父は自力で歩く体力もほとんど残っておらず、移動は車いすで行っていた。

 副作用で髪も抜け落ち、すっかり痩せ細ってしまった姿には、もはや元気だった頃の父のおもかげはなかった。


「桐島さん、心の準備はいい? パパの姿見て、あんまりショック受けないでね?」


「大丈夫です。僕も会社でお見かけしていますから」


「あ……、そっか。じゃあ大丈夫ね」


 わたしの方が緊張していて、彼と父との接点を失念していたようだ。

 ……落ち着いて、わたし! 深呼吸をすると、わたしはリビングの前で彼を振り返り、笑顔で彼を促した。


「――はい、ここがパーティー会場です! さ、入って入って!」


 彼をリビングへ招き入れると、そこはクリスマスムード満載だった。

 ツリーや飾りつけは前日にわたしや母で準備してあったけれど、リビングにいた両親と里歩がサンタクロースの帽子を被っていたのだ。


「……里歩、その帽子は?」


「あたしが持ってきたの。お父さんにも被ってもらったんだ♪ どう? めっちゃ似合ってない?」


「……う~ん」


 里歩が来るまではニットキャップを被っていた父。サンタキャップもなかなか似合っていた。


「絢乃の分もあるよ。ほら、トナカイのカチューシャ♪ ……あっ、もしかしてあなたが桐島さん?」


 わたしにモフモフのツノつきカチューシャを押しつけた彼女は、その時初めて貢の存在に気づいた。


「えっ? ……はあ」


「あたし、絢乃の親友で、中川里歩っていいます。初めまして」


「里歩さん……ですね。初めまして。桐島貢です。絢乃さんがお世話になっております」


 里歩とはこの日が初対面だった彼は、わたしと同い女子高生だった彼女にも敬語で接していて、里歩もわたしも苦笑いした。


「桐島さん! 里歩はわたしと同い年なんだから、そんなにかしこまって接する必要ないんじゃない?」


「そうですよ。あたしなんか、もうホントにごく普通のJKなんですから」


「そうですか? ……でも、里歩さんが絢乃さんの大事なお友だちであることに変わりはありませんから」


 それでも、彼はかたくなに態度を変えない。ホントに、バカみたいに真面目な人!


「……まぁいっか」


 ダメだこりゃ、とばかりに里歩は肩をすくめた。

 ちなみに、あれから一年半近くが経過した今も、里歩に対する彼の態度は変わっていない。



「――やあ、桐島君。来てくれたか」


 そこへ、父が車いすを自分で動かしてやってきて、嬉しそうに彼に微笑みかけた。


「会長、おジャマしております。本日はお招き頂きまして恐縮です。――あの、お体の具合はいかがですか?」


 彼はこれまでにないくらい畏まって父にお礼を言い、父の体調を気遣った。


「いやいや! 礼を言うのは私の方だよ、桐島君。君には会社で、色々と力になってもらっているからね。改めて礼を言いたかったんだ。体調は……今日はまずまず、かな」


「そうですか」


「それと、絢乃のこともな」


「は……?」


 父の口から、唐突にわたしの名前が飛び出し、彼は戸惑った。

 男性同士の会話にわたしが加わるのはまずいと思ったわたしは、できあがったケーキがもう冷えている頃だと思い出した。



「……あ! そろそろ冷蔵庫からケーキ出してこないと! 里歩、一緒に来て」


「うん、オッケー☆」


 わたしは里歩と一緒にキッチンへ行った。

 その後、父と彼がどんな会話をしていたのかをわたしが知ったのは、だいぶ先のことだったけれど。


「――絢乃、あたしは何したらいい?」


 コックさんたちが忙しく働き回っているキッチンで、わたしと里歩はケーキの用意をしていた。


「ケーキ皿とフォーク、人数分出してそのワゴンに載せておいてくれる?」


「分かった」


 自分の家ではないのに、何がどこに入っているかあくしている彼女はこれまた勝手知ったる、といった様子で食器を取り出していった。



「――あの人が桐島さんかぁ。絢乃の好きな人だよね?」


「うん。ステキな人でしょ?」


 キッチンで働く人たちはわたしたちの会話など気にもめないので、わたしと里歩は手を動かしながらガールズトークを楽しんだ。


「まあねぇ。ステキな人だよね、確かに。見た感じでは草食系だし、ギラギラしてないとこも好感持てる。礼儀正しいとこもいいと思うよ。……ただ」


?」


 里歩には彼がそう見えているのかと、新鮮な気持ちで感心していたわたしは、「ただ」の続きが気になって軽く片眉を上げた。


「何て言うのかな……。〝ちょっと残念なイケメン〟って感じ? 母性本能くすぐられるタイプっていうか」


「あー……、分かるかも」


 彼には申し訳ないけれど、里歩のたとえに妙に納得して笑ってしまった。


 確かに彼は、女性をグイグイ引っぱるタイプではなく、同じ歩幅でついてきてくれるタイプの男性だと思う。そして優しくて気遣いもできるけれど、少々ヌケているというか、手がかかるというか……。そういう部分はいなめない。

 だからこそ、八歳という年の差を彼の頼りなさでおぎなう(?)ことで、わたしたちの関係はバランスをたもてているのかな、と思っていたりもする。


「――ねえねえ、桐島さんとは今も連絡取り合ってるんだよね? 今日だって来てくれたワケだしさ。ってことは、アンタと彼って脈アリなんじゃないの?」


「え……、そう……なの?」


 わたしは里歩の言葉に何だかピンとこなくて、ポカンとした。

 里歩にはその頃から二つ年上の彼氏がいたのでそういうことが分かるのだろうけれど、わたしは恋愛未経験者だったので〝脈アリ〟か〝脈ナシ〟かなんて分かるわけなかった。



「そうだよ、絶対! ま、絢乃は恋愛初心者ビギナーだからなぁ、分かんないか。あたしが見た限りじゃ、あの人もアンタのこと好きだよ、きっと!」


「……そう、なんだ」


 嬉しいやらむずがゆいやら、わたしは何だか火照ほてっていた頬を両手で押さえた。


「でさ、どうすんのこれから? 彼と付き合わないの? っていうかコクんないの?」


「それ……は、今は考えられないわよ。正直それどころじゃないし」


 父の死期が迫り、自分のことなんて考えている心のゆとりがなかったわたしにとって、恋愛は二の次三の次だったのだ。


「……そりゃそうか。でもさぁ、桐島さんの方から告られたらどうする?」


 その可能性までは考えていなかった。


「その時は……お付き合い、考えるかも。でも、多分性格的に、彼からモーションかけてくることはないと思うな」


 彼はすごく真面目で、グループそうすいの令嬢だからとわたしにも一歩下がって敬意を払ってくれていたような人だから、それは絶対にあり得ないとこの時は思っていた。


「分かんないよ? オトコっていうのは、いつひょうへんするか分かんない生き物だからさ」


「え…………」


 里歩のこの予言は、それから三ヶ月後に的中するのだけれど。この時のわたしはまだ想像すらしていなかった。



「――とにかく、今はどっちみち恋愛どころじゃないから。この話はこれで終わり! ケーキ、早く運んで行かないと!」


「……そうだね」


 みんなお腹をすかせているだろうし、父と彼はケーキを心待ちにしているだろう。――わたしはそう思い、里歩を追い立てた。

 彼女もちょっと不服そうだったけれど、ケーキやお皿などを載せたワゴンを押しながらわたしと一緒にキッチンを出た。

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